41 究極の選択
「どんな経緯があったのかは知りませんが、今のあなたはあの男の婚約者なのでしょう。さっさと寝所に誘い込むなりして、彼の息の根を止めるべきです」
その言葉からは、シグルドに対する深い怨恨が感じ取れた。
……エレインだけではないのだ。心優しい女王の統べる、美しい国を破壊したシグルドを恨んでいるのは。
だが、同じことはエレインとて何度も考えた。
そして、「ユーゼルを殺さない」という結論にたどり着いたのだ。
「……今のシグルド――ユーゼルは、私たちの敬愛する女王陛下――リアナの兄なのよ。ユーゼルを殺せば、リアナが悲しむわ」
「…………悲しむ?」
信じられないとでもいうように、イアンがそう呟く。
エレインが静かに頷くと、イアンは失望したとでもいうように表情を消した。
「まさか、リアナ様が悲しむのが哀れだからユーゼル・ガリアッドの殺害を戸惑っているとでも? ……これは驚きました。リーファ、あなたはいつからそんなに甘くなったのですか?」
「っ……私だって悩んだのよ!? でも、リアナに一生残る心の傷を与えるなんて――」
「心の傷ごとき何の問題があるというのです。あなたは、シグルドが我々の国にしたことを忘れたのですか? ユーゼル・ガリアッドを野放しにしておけば、またあの時の二の舞になる可能性もある」
「っ……」
イアンの指摘に、エレインの胸がざわめく。
なんとかイアンに反論できるような言葉を探している自分に気がついて、エレインは愕然とした。
……これではまるで、エレインがユーゼルを殺したくないようではないか。
「今世であの男を見つけてからずっと、私はあの男を殺害する機会を探ってきました。しかし彼は自身も戦闘能力に長けた公爵。私のような者では、うかつに近づくことすらままならない。それなのにあなたは、いつでもあの男を殺せる位置にいながら何もしない。正直理解できませんね」
エレインは俯いて黙り込む。
イアンの気持ちは痛いほどにわかる。
今世でユーゼルと再会してすぐの頃は、エレインだって何とかしてユーゼルの息の根を止めようと目論んでいた。
だが今は……どうしてか、彼を殺せなくなってしまったのだ。
彼がいなくなれば、リアナが悲しむというのもある。
だが、気づいてしまった。
それ以上に……エレインの中に、ユーゼルを殺したくないという想いが芽生えているのを。
「……なるほど、あなたの方にもなにやら事情がありそうですね」
逡巡するエレインを見て、イアンは静かにため息をついた。
「ですが、忘れないでください。あの男が、前世で私たちに何をしたのか」
「……忘れることなんて、できないわ」
むしろ、忘れられたら楽になれるかもしれないのに。
ぐっと何かを耐えるエレインに、イアンは静かに告げる。
「これは女王陛下――リアナ様のためでもあるのです。シグルドを放っておけば、またリアナ様に牙をむく可能性もある」
エレインはそっと、こちらにもたれかかるようにして穏やかな寝息を立てるリアナに視線を向けた。
彼女の安寧を守ることこそ、今世のエレインが何よりも望むことだ。
……果たしてそのためには、どうするのが最善なのだろうか。
「私の考えは変わりません。必ず、ユーゼル・ガリアッドを亡き者にしてみせる。そのためなら何だってする覚悟はあります」
エレインは正面からイアンの顔を見ることができなかった。
かつては、エレインだって彼と同じ思いを抱いていたはずなのに。
どうして今は、こんなに後ろめたく感じてしまうのだろう。
「……リーファ、率直に言えば私は喉から手が出るほど君の助力が欲しい。気が変わったら、いつでも会いに来てくれ」
そう言い残し、イアンは席を立った。
エレインはじっと俯いたまま、彼が去っていく足音を聞いていた。
(ユーゼル……)
出会ってから今日までの、ユーゼルとの時間が脳裏によぎる。
いつも飄々とエレインを翻弄して、苛立って仕方がなかったはずなのに。
――「俺のパートナーとして大勢に君をお披露目するんだ。最高に美しい君を皆に見せたかった」
――「ようやく、形になった。今の君も眩いほど美しいが……俺の手で、更に君を彩らせてくれ」
――「誰だか知らないが、今の君は俺の婚約者なんだ。そんな男のことは忘れろ」
彼の真摯な、こちらに向ける愛情がありありと感じられる視線を思い出すたび、体が熱くなる。
シグルドとは似ては似つかない部分にまで、エレインの心は揺らめいてやまないのだ。
(私は、ユーゼルのこと……)
彼の前世であるシグルドのことが、好きだったと気づいたばかりだ。
では、今世のユーゼルは?
彼を前にすると胸が熱くなるのは、無意識に彼の中にシグルドの面影を探しているからだろうか。
いや、それとも――。
「ん、ん~……」
その時、すぐ傍から可愛らしい声が聞こえて、思考の海に沈んでいたエレインははっと我に返る。
見れば、リアナがぱちぱちと瞬きしながら、眠たげに目を開いていた。
「あれ、わたくし……」
「リアナ……よかった、目が覚めたのね!」
「お姉様……? あれ、ここって、大神殿……っ!」
眠りにつく前の状況を思い出したのだろうか、リアナは慌てたように息をのむ。
「わ、わたし……イアン様とお会いしている最中に眠って……!?」
「……一日中お出掛けしていたんですもの。疲れていたのよ。イアン様もわかってくださったわ」
イアンが睡眠薬を盛った、という部分は伏せて、エレインはそう声をかけた。
リアナは両頬に手を当て、「はぅ……」と恥じらっている。
「あぁ、イアン様にはしたない面を見られてしまいました……」
(リアナ……本当にイアンのことが好きなのね……)
……なんとなく、素直に応援できる気がしなかった。
別に、イアンのことが嫌いなわけではない。前世の彼のことは……よく知っているわけではないが、真面目な青年だったと記憶している。
だが、今の彼はどうだろう。
イアンは「リアナのためにもユーゼルを葬りたい」と口にしていた。
だが、躊躇なくリアナに睡眠薬を盛ったという行動から見ても……復讐に囚われすぎているように見えてならない。本当にリアナを大切にできるかどうかには疑問が残る。
「……イアン様は仕事に戻られたわ。私たちも公爵邸に戻りましょう」
「そ、そうですね……」
とりあえずは、リアナを無事に公爵邸に帰さなくては。
まだふらふらした足取りのリアナを連れ、エレインは大神殿を後にする。
馬車の中で再び眠ってしまったリアナを支えながら、エレインはそっとため息を零した。
シグルド、ユーゼル、女王陛下、リアナ、イアン……。
前世と今世で再び巡り合った者たちの姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。
(私が、今一番なすべきことは何……?)
そもそも自分は、「リーファ」と「エレイン」のどちらなのだろう。
そっと胸に手を当てて、自身の記憶を反芻する。
前世の記憶も、今世も記憶も、エレインの胸にしっかりと息づいている。
優劣をつけることなどできはしない。
どちらも、大切な思い出なのだ。
だからこそ――。
(今世の平穏を選んで、前世の無念を飲み込むべきか。前世の復讐を遂げるために、イアンと手を組んで今の安寧を壊すか……)
どちらも、選べはしない。
――「リアナが悲しむからユーゼルを殺せない」
今思えば、その選択自体も単なる逃げだったのかもしれない。
(私は、ユーゼルを恨んでいるはずなのに……)
なのにどうして、彼を殺すことを考えるとこんなに苦しいのだろう。
答えの出ない問答を続けながら、エレインはぎゅっと唇を噛みしめた。




