21 こんなはずじゃなかったのに……!
「なるほど、そういうことでしたのね」
にっこり笑ってそう言ったエレインに、その場に居合わせた者の視線が集中する。
だがエレインは少しも臆することなく、そっと件の青年に近づく。
そして、その場に膝をつき彼と視線を合わせた。
「エレイン様……!」
当主の婚約者が使用人と目を合わせるために膝をつくなど、言語道断の行いだ。
新たにエレイン付きとなった侍女たちが慌てているのがわかったが、エレインはそのまま彼に語り掛ける。
「わたくしの故郷であるフィンドール王国はブリガンディア王国とは違い、新鮮な魚が手に入りづらい国です。ですから、急に最高クラスの魚を頂いたら胃がびっくりしてしまい、公爵家の皆さまの前でみっともない失態を冒してしまう所でしたわ。今回の料理につきましては残念ながらわたくしの口には合いませんでしたが、あなたのおかげで恥ずかしい思いをせずにすみましたの。わたくし、とても感謝しておりますわ」
……冷静に聞けば、理論もへったくれもない屁理屈だと感じたことだろう。
だが居合わせた者の大半は、優しく使用人に寄り添うエレインの慈愛に満ちた態度、甘やかな声、穏やかな微笑みに意識を持っていかれ、エレインが何を喋っていたのかなど右から左へと通り抜けていった。
とにかく「エレイン様は使用人に怒ってなどおらず、よくわからないが感謝しているようだ」という印象を植え付けられていた。
……エレインが、そうなるように仕向けたからだ。
(よし、ユーゼル以外はなんとかなりそうね!)
さりげなく周囲の空気を探り、エレインはこの場でまだ冷静な判断力を持っているのはユーゼルだけだと結論付ける。
彼は、彼だけは……エレインの術中にはまることなく、じっと抜け目のない視線をこちらへ向けていた。
(女王陛下の……リアナの心を否定させはしないわ)
どれだけ甘かろうが、不利益になろうが、エレインにとってはリアナの心の安寧が最優先なのだ。
なんとかして、彼が使用人を治安隊へ送るのを阻止しなければ。
……不本意だが、やるしかない。
エレインはすっと立ち上がり、くるりと体を反転させ背後のユーゼルと向かい合う。
そして、ぎゅっとユーゼルの両手を握り、上目遣いで訴えた。
「お願いです、ユーゼル様。どうかわたくしに免じて、彼の処分を考え直してはいただけないでしょうか? お母様思いの優しい御方をわたくしのせいで治安隊へ送ってしまうなんて、悲しみのあまり涙の海ができてしまいそうですわ」
(くっ、耐えろ……これもリアナのためよ……!)
宿敵であるユーゼルにこんな風に懇願するなんて、通常だったらエレインのプライドが許さない。
だがここは敬愛するリアナの志を守るため、精一杯演技してやろうではないか……!
「ユーゼル様……!」
わざと瞳を潤ませ、エレインはユーゼルに視線で訴えかける。
ユーゼルが本当にエレインに惚れているというのなら、少しぐらいは心を動かしてはくれないだろうかとの打算の下に。
だがユーゼルは、相変わらず何かを見定めるような視線でこちらを見つめている。
(うっ、さすがに嘘っぽかった……?)
そもそもユーゼルは、エレインが酔っ払いを成敗する姿に惚れたなどと言う奇特な価値観の持ち主なのである。
こんな風に媚びるように迫るより、もっと毅然と「私に免じてこの男を釈放なさい」と言った方がよかっただろうか……。
そんな風に、エレインが後悔し始めた時――。
「きゃっ!?」
急に強く抱き寄せられ、エレインは思わず前へとつんのめってしまった。
だがエレインの体はたくましい腕に抱き留められ、ぎゅっと閉じ込められる。
「ユーゼル様……?」
おそるおそる顔を上げ、エレインは戦慄した。
見上げた先のユーゼルは……愛おしくてたまらないとでもいうような、とてつもなく甘い顔をしていたのだから。
「まったく……愛する君がそう言うのなら仕方ないな」
「え、えぇ……」
「聞いたか皆の者。我が婚約者の慈愛の心は海よりも深く、我が公爵家の手落ちを優しく水に流してくださるようだ。……というわけで、今回の件は不問とする。再発防止に努め、常にエレインへの感謝の心を忘れないように」
(チョロ!)
あっさりユーゼルが判断を覆したことに、エレインは呆れると同時に驚愕した。
「っ……ありがとうございます、お兄様!」
「公爵閣下、エレイン様……一生お仕えいたします!!」
リアナは無邪気に喜び、犯人の青年は床に頭を擦り付ける勢いで号泣している。
(一応、これでよかったのかしら……?)
さりげなくユーゼルに抱きしめられていることを思い出したエレインは慌てて彼の腕から抜け出そうとしたが、がっちりとホールドされてしまった。
「それにしても……君の舌は驚くほど繊細だな。まさに淑女の中の淑女の呼び名にふさわしい」
耳元でそう囁かれ、エレインはうっかり赤面してしまった。
「た……たまたまですわ……」
「いや、真に高貴なる者しかあの些細な変化に気づくことはできなかっただろう。それでいて、救いを求める者に躊躇なく手を差し伸べるその心……惚れ直したよ」
「ひゃっ……」
ユーゼルの指先がそっとエレインの前髪をかきあげた思うと、優しく額に口付けられる。
思わず硬直したエレインに、ユーゼルは耳元で小さく囁いた。
「……この騒ぎを起こしてくれてありがとう。おかげで、君の公爵夫人としての資質を疑うものはこの屋敷にはいなくなるだろうな」
(なっ……)
吹き込まれたユーゼルの言葉に、エレインは心臓が止まりそうになってしまった。
(まさか、私の企みを逆に利用したの……!?)
いったいどこからどこまでが、彼の計算だったのだろうか。
思わずユーゼルを睨むと、彼はいつものように愉快そうな笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇
翌日から、公爵邸の者たちのエレインへ向ける視線は明らかに変化した。
……エレインが、意図していたのとは逆の方向に。
「聞いた? エレイン様のお話」
「小国の伯爵令嬢のくせに公爵閣下に取り入るなんて、どんな手を使ったのよ……なんて思ってたけど、あれじゃあ仕方ないわよね」
「不正を働いた使用人を庇うために床に膝をついたそうよ」
「なんてお優しいのかしら……」
「でもそれって、ただ貴族の常識を知らないだけなんじゃない?」
「何言ってるのよ。例の使用人が魚のランクをすり替えたことにたった一人だけお気づきになられたのよ。本当に高貴で繊細な舌を持っていないと、そんな芸当できやしないわ」
「フィンドール王国では王太子の婚約者でいらっしゃったって話じゃない。きっと、想像以上に素晴らしく慈愛に満ちた姫君なのよ……」
こそこそと取り交わされるメイドたちの雑談を、扉一枚隔てた場所で聞きながら……エレインは内心で大きくため息をついた。
「生意気にも出された食事に文句をつける悪女」としてさぞやエレインの悪口に盛り上がっているかと思い、こっそり聞いていたのだが……現実は非情だ。
「あの御方こそ公爵閣下の婚約者にふさわしい!」などと、エレインの希望とは逆にどこに行っても持ち上げられている始末である。
(くっ、こんなはずじゃなかったのに……!)
まずい、名実ともに「ユーゼルの婚約者」としての地位が固められつつある気がする。
早く、次の手を打たなければ。
「こちらにいらっしゃったのですね、エレイン様」
エレイン付きとなった侍女がやって来て、エレインは慌てて優雅な微笑みを取り繕いながら振り返る。
「えぇ、少し屋敷内を散策していたの。何か御用かしら?」
「はい、予定されている婚約披露パーティーについての打ち合わせを――」
侍女の話を聞きながら、エレインは早くも次の手について思案を巡らせていた。
……大丈夫。挽回はできるはずだ。
ちょうどいい機会も、巡って来るのだから。
(婚約披露パーティー……ぶち壊させていただくわ!)




