20 女王の精神
異変が起こったのは、その日の昼過ぎ。
リアナに付き添われるようにして、エレインが屋敷内の案内を受けている時だった。
「やぁ、失礼する」
「お兄様!」
幾人かの使用人を引き連れて、上機嫌な笑みを浮かべてやって来たユーゼルに、エレインは思わず表情を歪めてしまう。
「少し時間を貰っても? 我が婚約者に、今朝の件で報告したいことが」
「えぇ、構いませんわ」
どうせ、何も見つからなかったに決まっている。
形だけの謝罪なら、納得できないと騒いでやろう。
ユーゼルの余裕に満ちた表情を崩せると想像しただけで、心が浮き立つような気がした。
微笑むエレインの目の前で、ユーゼルはすっと横に移動する。
すると彼の居た場所の背後から、おずおずと一人の使用人が姿を現した。
まだ年若い、純朴そうな青年だ。いったい何だろうと、エレインが目を瞬かせると――。
「大変申し訳ございませんでした!!」
彼は悲痛な叫び声をあげて、床に崩れ落ちたのだ。
「うぇっ!?」
予想外の出来事に、エレインは気の抜けた声を上げてしまう。
「えっと、あの……?」
「どれだけ謝っても許されることではありませんが、決して公爵閣下の奥方様を陥れようとか、そんな大それたことを画策していたわけではないんです! ただ、つい目がくらんで――」
(いや奥方様じゃないし。というかまずはちゃんと説明しなさいよ……)
そもそも目の前のこの青年は誰なのか。
困惑するエレインに、ユーゼルが至極真面目な表情で告げる。
「今朝の一件で、君が鱒のことを『泥臭い』と言っただろう」
「えぇ、言いましたわ」
「君に言われて、俺も初めて違和感に気がついた。そして調査してみれば……あっさりと彼が尻尾を出したわけだ」
「……え?」
「君やリアナの口に入る料理だからな。それこそ食材の厳選も厳重に行い、常に最高級の物を仕入れるように徹底している。だが、今回は……彼が最高ランクと偽り、一段階ランクの下がる一品を仕入れ、差額を懐に収めようとしたことが発覚した」
「えっ?」
「既に帳簿や関わった者たちの証言などの証拠は揃っている。後は、その動機だな。これでも使用人を雇う際はその人となりを見るようにしているんだ。こんな小賢しい真似を仕出かす者を屋敷に入れたつもりはないんだが――」
「ひっ……!」
ユーゼルにひと睨みされ、件の青年は怯えたように悲鳴を上げた。
そのまま彼は涙を流しながら、懺悔を始めたのだ。
「申し訳ございません! 申し訳ございません……! 母が病気になったばかりで、今すぐまとまった金が必要で、頭がぐちゃぐちゃになってしまって……いけないことだとわかっていはいたのですが……」
号泣する青年に、エレインは自分の方が悪いことを仕出かしてしまったような気がして、いたたまれない思いを味わっていた。
まさか本当に、こんな風に犯人が見つかるとは思っていなかったのだ。
エレインが黙っていれば、彼がこんな風に糾弾されることもなかっただろうに……。
「なるほど」
罪悪感を覚えるエレインとは対照的に、ユーゼルはひやりとした視線を件の青年に注いでいる。
「どんな理由があろうとも、君が仕出かしたことは我が婚約者への侮辱、ひいては彼女の故郷であるフィンドール王国へ弓を引く行為ととられかねない。この一件が元でブリガンディア王国とフィンドール王国の間に亀裂が生じたらどう責任を取るつもりだ?」
「そんなことは、考えもせず――」
「あきれ返るほどに浅はかだな。……まぁいい、すぐに治安隊に引き渡して――」
「待ってください、お兄様!」
冷徹に処断しようとするユーゼルに対し、異を唱えたのは彼の妹のリアナだ。
「彼だって悪気があったわけではないはずです! なのに、治安隊なんてあんまりです! 彼には、病気のお母様もいらっしゃるのに……」
「リアナお嬢様……」
呆然とする使用人の青年を庇うように、リアナは更にユーゼルに言い縋る。
「私、彼にお母様の話を聞いたことがあります。優しくて、料理やお裁縫が上手で、ここへの就職が決まった時はとても喜んでくださったって……。大切な人がそんな大変な状況なら、気の迷いが起こっても仕方がないじゃないですか! それなのに、たった一度の過ちで治安隊なんて、病気のお母様と引き離すような真似なんて――」
リアナの澄んだ瞳から、ぽろりと一粒の涙が零れ落ちた。
その光景を目にして、エレインは愕然とする。
(あぁ、やっぱりこの御方は――)
目の前に助けを求める者がいれば、救いの手を伸ばさずにはいられない。
エレイン――リーファの敬愛する女王は、やはり今世でも何も変わっていない。
その高潔な魂は、精神は、リアナの中に今も息づいているのだ。
エレインの中の冷静な部分は、リアナの願いを「甘すぎる」と判断し、ユーゼルの処断を支持しようとしている。
だが、エレインの中で熱く燃え滾る忠誠心は――「リアナの優しい心を守れ」と叫んでいる。
どちらを取るかなど、愚問だった。




