19 稀代の悪女として振舞う私に、恐れおののくがいいわ!
翌朝、身支度を済ませたエレインは、ユーゼルとリアナと一緒に朝食をとるために大食堂へ向かっていた。
ガリアッド公爵邸の使用人たちは教育が行き届いているようで、いきなりやって来たエレインに対しても軽んじたりすることはない。
きちんと「ユーゼルの婚約者」として丁重に扱ってくれている。
(まぁ、それももうすぐ終わり。稀代の悪女として振舞う私に、恐れおののくがいいわ!)
どこかワクワクするような気分で、それでいてそんな思いを表に出さないように淑やかに、エレインは歩を進める。
たどり着いた大食堂では、既にユーゼルとリアナが待っていた。
「おはようございます、エレインお姉様!」
無邪気な笑顔でそう挨拶してくれるリアナに、エレインの胸はきゅん、とときめいた。
彼女に「お姉様」と呼ばれるポジションを放棄するのは大変心が痛むが……これも復讐のためだ。
しっかりと、悪女らしく振舞わなくては。
「おはよう、エレイン。公爵邸の居心地はいかがだったかな? 気になる点があったら何でも言ってくれ。愛する君のため、すぐに改善しようじゃないか」
朝っぱらから熱烈なユーゼルにも、この後彼のプライドを粉々にしてやれると思うと、前ほど腹が立たない。
エレインは誰もが見惚れそうな美しい笑顔で、彼に微笑みかけた。
「お気遣い感謝いたします、ユーゼル様。昨晩は何不自由なく過ごすことができましたのでご安心くださいませ」
そう言って静かに礼をするエレインを見て、控えている使用人たちは「ほぅ……」と感嘆のため息を漏らした。
だがただ一人、ユーゼルだけは不可解そうに、少し眉根を寄せている。
「……そうか、それならよかった。さっそく朝食にしようか」
結局、ユーゼルは何も追及することなくエレインを朝食へと誘う。
さて、どこでとんでもない悪女ムーブを仕掛けてやろうか……と胸を高鳴らせながら、エレインは言われた通りに席に着く。
ユーゼル、リアナと他愛のない会話を交わしていると、すぐに朝食が運ばれて来た。
さすがは大国の名門公爵家……と感心するような洗練されたメニューの数々だ。
中でもエレインの目を引いたのは、鱒のムニエルだ。
鮮やかな焦げ茶色に揚げられたマスの表面には、薄切りされたアーモンドが華やかに散りばめられ、上品なアクセントを与えている。
一口食べてみると、まずはマスの柔らかな肉質が口の中に広がる。その優しい食感と甘みを感じていると、次第にローズマリーの芳醇な香りが広がっていく。
ローズマリーの独特な香りはマスの風味をよりいっそう引き立て、食欲をそそるようだった。
アーモンドのプチプチとした食感もたまらない。
(はぁ、美味しい……)
エレインの故郷であるフィンドール王国では、このような料理を味わったことはなかった。
さすがは大国ね……と上機嫌に舌鼓を打つうちに、エレインは思いついてしまった。
(そうだわ。さっそくこれを使って悪女らしくなってやろうじゃないの……!)
こんな完璧な料理に文句をつけるなんて、まさにシェフへの冒涜。
ろくでもない悪女だと、皆恐れおののくに違いない。
(用意してくださった人のことを思うと心が痛むけど……仕方ないわ)
すべてはユーゼルの評判を落とし、婚約破棄へ持ち込むために。
エレインは覚悟を決め、わざとらしくかちゃりと音を立て、ナイフとフォークを置いた。
「……何か、気に入らなかったかな?」
エレインの異変に、真っ先に気づいたのはユーゼルだった。
その言葉を受けて、リアナも心配そうにこちらを見つめている。
少々の罪悪感を覚えながらも、エレインはナプキンで優雅に口元を拭い告げる。
「いえ、その……申し訳ございません、どうも口に合わなかったようで……」
「フィンドール王国とここでは味付けの手法も変わってくるだろう。シェフに申し付けて、君好みに調整を――」
「いえ、味付けの問題といいますか……」
すっと背筋を伸ばし、エレインはとんでもない発言をぶちかました。
「魚自体が泥臭くて、とても食べられたものではございませんわ」
その瞬間、エレインの狙い通り場の空気が凍り付いた。
使用人たちは緊張したように息をのみ、いつもにこにこしているリアナですら表情をひきつらせている。
正面の席のユーゼルでさえ、いつもの余裕がなく驚いたように目を見開いていた。
もはや笑みを浮かべているのは、エレイン一人の状況だ。
(よし……やってやったわ!)
なんて図々しくふてぶてしい悪女だろう……と、この場の者たちははらわたが煮えくり返っていることだろう。
使用人たちはちらちらと、主人であるユーゼルの出方を窺っているようだった。
ユーゼルがここでエレインを庇えば、エレインの侮辱ともいえる発言を正当化することになり、彼の評判は大きく下落すること間違いなし。
(さぁどうするの? 婚約破棄を宣言して私を叩きだしてもいいのよ?)
ここでエレインに甘い対応をするのなら、もっともっと悪女として君臨してやろうではないか。
どっちにしろ、ユーゼルは詰んでいる。
既に勝利は確定しているのだと、エレインはほくそ笑んだが――。
「なるほど、そういうことか」
静かに食器を置いたユーゼルは、エレインの方を見つめ愉快そうな笑みを浮かべたのだ。
これにはエレインも呆気に取られてしまった。
なぜ、この状況でそんな風に余裕の笑みを浮かべられるのか?
「俺の姫君の舌は想像以上に繊細なようだな。……すぐに今朝の食材の仕入れ担当者を洗え。仕入先、仕入れ値、品質……すべてにおいて適切に業務が遂行されているか、徹底的に調べろ」
「承知いたしました」
ユーゼルが毅然とした態度でそう指示すると、控えていた使用人たちが一斉に礼をし、エレインは驚いてしまった。
(え、どういうつもり? まさか私の嫌味を本気にしてるの……?)
ぽかんとしている間に、素早くムニエルの皿が下げられる。
「大変失礼いたしました、エレイン様。すぐに代わりをお持ちいたします」
「え、えぇ……ありがとう……」
反射的に礼を言いながらも、エレインはまだ状況がつかめていなかった。
(なんで皆、私の難癖に真面目に応じようとしているの? 調べたって、何も出てくるはずがないのに……)
いや、落ち着け。動揺するな。
既にエレインの勝利は確定しているのだ。
いくらユーゼルが何を考えているかわからない男でも、エレインを庇うために自分が雇った使用人の悪行をでっちあげるなんてことはしないはずだ。
エレインはただふてぶてしく待っていれば、悪女の座を欲しいままにすることができるのだから。
不安そうに瞳を揺らすリアナと、愉快そうな笑みを浮かべるユーゼルを横目に、エレインは優雅に朝食を再開するのだった。




