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18 このままじゃ終わらせない

「よかった……!」


 感極まったリーファはシグルドの手を握り、ぱっと表情を輝かせる。

 シグルドは驚いたように目を見張った後――気まずそうに視線を逸らしてしまう。

 少し馴れ馴れしかっただろうか……とリーファは慌てて手を離し、コホンと軽く咳払いをした。


「えっと……シグルド。とにかくあなたが無事でよかったわ。既に女王陛下の許可は頂いているから、体力が戻るまではここにいてもらって構わないわ。その後は、なるべくあなたの意向に沿いたいと思うのだけど……あなたは、どこから来てどこに行こうとしていたの?」


 できる限りは協力する、という意志を込めて、リーファはシグルドにそう問いかけた。

 だがシグルドの反応は薄い。彼の翡翠の瞳は美しく澄んでいたが、その内に宿る感情を窺うことはできなかった。


「わからない」

「……えっ?」


 シグルドの発した言葉に、リーファはぱちくりと目を瞬かせた。


「わからない……っていうのは、まさか……覚えてないってこと?」


 シグルドは静かに頷く。彼の反応に、リーファはごくりとつばを飲み込んだ。

 ……前例がない、わけじゃない。

 極限状態に陥った人間は、このように記憶の一部、もしくは大半が欠落してしまうことがあるという。

 だがこうして記憶を失ったばかりの人間を間近にしたのは初めてだった。

 リーファは動揺しそうになるのをなんとか堪え、深呼吸をする。


(……駄目、落ち着かなきゃ。きっとシグルドの方が私の何倍も不安に思ってるはず)


 安心させるように、リーファはシグルドに笑いかけた。

 シグルドは驚いたようにわずかに目を見張る。


「……落ち着いてね、シグルド。自分の名前以外に、何か覚えていることはある? 出身地とか、家族とか、仕事とか――」

「……いや、何も思い出せない」

「そう、なのね……。でも大丈夫! 私に任せて!!」


 笑顔で胸を張るリーファを見つめ、シグルドは眩しそうに目を細める。


「あなたの記憶が戻るまで、きっちり私が面倒を見るから! 大船に乗ったつもりで大丈夫よ!!」




 ……あの時は、まさかあんなことになるなんて思っていなかった。

 シグルドが他国の間諜だなんて、思いもしなかった。

 リーファが彼を城に招き入れたせいで情報が洩れるなんて、他国に攻め入られる隙を与えてしまうなんて、思ってもみなかった。

 もしもあの時に戻れるのなら、リーファは決してシグルドを許しはしない。

 だが――。


 ――「でも私は、助けを求める者を一人たりとも見捨てたくはないの」


 きっとあの優しい女王は、何度でも同じことをするのだろう。

 ……生まれ変わっても、きっと。


 敬愛する彼女の身を守るのはリーファ――今のエレインにとって最優先事項だ。

 だが、彼女のその美しい「心」とて、エレインにとっては決してないがしろにしていい存在ではない。

 女王の生まれ変わりである、リアナを守りたい。彼女の晴れやかな笑顔が曇るようなことがあってはならない。

 だったら――。


(私は、ユーゼルを殺せない)


 その答えにたどり着き、エレインは悔しさにぎゅっと唇を噛みしめた。

 宿敵シグルドの生まれ変わりであるユーゼルはエレインにとって絶対に許してはならない存在だ。

 だが、何の因果か彼はリアナの兄として生まれてしまった。

 ……運命が、ユーゼルに味方したのだ。


 悔しい。悔しくてたまらない。

 ほんの少し手を伸ばせば、届く距離なのに。

 あの憎き相手の喉笛に、牙を突き立ててやれるのに。


(でも、このままじゃ済ませないわ……!)


 わかりました復讐はやめます。……なんて簡単に引き下がってやるつもりはない。

 ここで折れてはリーファの無念が浮かばれない。

 そもそも、不本意ながらもユーゼルの婚約者としてここまで来てしまったのだ。

 このままなし崩しに「愛され奥様♡」になるつもりは毛頭なかった。

 ユーゼルの命を奪うことは断念するが、彼との結婚だけは何としても避けたい。


(要は、リアナを傷つけないようにネチネチ復讐してやればいいのよね)


 エレインはじっと考えた。

 いかにリアナを傷つけないように、最大限ユーゼルにダメージを与えられるかを。

 そして、思いついたのが――。


「私がとんでもない悪女として振舞って、ユーゼルの評判を落としつつ婚約破棄に持って行けばいいんだわ!」


 まさかの名案に、エレインは自分を褒め称えたい気分でいっぱいになった。

 エレインがとても名門公爵家の夫人としてふさわしくない振舞いをすれば、いくらユーゼルとて野放しにはできないだろう。

 状況を鑑みて、エレインに婚約破棄を言い渡すはずだ。

 そうなればもうこっちのものだ。


「運命的に巡り合った」なんてお花畑思考で連れてきた小国の令嬢が、とんでもない地雷物件だったなんて!


 ユーゼルは社交界でさぞや笑い者になるに違いない。

 あの常に余裕に満ちた表情が屈辱に歪むと思うと、エレインは胸の奥から仄暗い喜びが沸き上がって来るのを押さえられなかった。

 リアナの話によれば(エレインには理解しがたいが)どうやら彼はモテるらしいので、エレインの次の婚約者には事欠かないだろう。

 すぐに次の婚約者が決まれば、リアナも寂しい思いをせずに済む。


「女を見る目がなかった」として笑われるのものもユーゼル一人で済むはずだ。

「待ってなさいユーゼル。すぐにあなたのプライドを粉々にしてやるんだから……!」


 ごろんと寝台に仰向けになり、エレインはさっそく数々の「悪女らしい振る舞い」について思いを巡らせるのだった。

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