17 復讐と忠誠心
「はぁ…………」
公爵邸で迎える初めての夜。
与えられた部屋のベッドの上で、エレインは悶々と膝を抱えていた。
……こんなはずじゃなかった。
チャンスを見つけ、サクッとユーゼルを殺って、速やかに退場し自由に生きるはずだったのに。
まさか、こんなに計画が狂ってしまうなんて!
「リアナ……」
あの愛らしい少女の屈託のない笑顔を思い出すだけで、胸が暖かくなる。
今日話した感じからすると、リアナもユーゼルと同じく前世の記憶はないのだろう。
だが、あの優しく温かな魂は何も変わらない。
たとえ記憶がなくとも、立場が変わっても、エレインは彼女に忠誠を誓い、何があっても守り抜きたいと願っている。
誰よりも憎んだ相手への復讐と、誰よりも敬愛した相手への忠誠。
その二つを天秤にかけ、どちらを選ぶべきか。
「シグルド、女王陛下……」
(私は、どうするべきなの……?)
目を閉じれば、懐かしい光景がまぶたの裏に浮かんでくる。
あれは、そう……荒野でシグルドを見つけ、城に連れ帰った時のことだった。
「そう、行き倒れていた方を助けてくれたのね。ありがとう、リーファ。あなたの正しき行いに感謝いたします」
「もったいないお言葉です、女王陛下」
そう言って優しく微笑む女王の姿に、リーファはほっと胸をなでおろした。
草原で行き倒れていた青年を見つけたリーファは、彼を都へ連れ帰り、女王の住まう水晶宮へと運び込んでいた。
落ち着いたところで報告を済ませたのだが、リーファの思った通り、敬愛する女王はリーファの行動を咎めるどころか賞賛してくれたのだ。
「しかしながら女王陛下。素性のわからない人間を城へ連れ込むなど……もしも邪な目的を持つ者だったらどうなることやら」
側近にやんわりとたしなめられても、若き女王の意志は変わらない。
「大丈夫よ。きっと心を開いて話せばわかりあえるわ」
「甘すぎますぞ、陛下。近頃は周囲の国々も我が国に攻め入る隙を狙っていると聞きます。もしもその青年が余所の間諜だったら――」
「そうね……あなたの懸念もわかるわ。でも私は、助けを求める者を一人たりとも見捨てたくはないの」
今思えば、彼女の考えは甘すぎた。
だが当時のリーファは、そんな底抜けに慈悲深い女王を尊敬してやまなかったのだ。
その考えが、破滅に繋がるとは思いもせずに。
「……リーファ。あなたに頼みたいことがあるの」
「なんなりと、女王陛下」
「その行き倒れていた青年……具合がよくなるまで、あなたが面倒をみてもらえないかしら」
「私が……ですか?」
「えぇ、あなたになら安心して任せられるわ。彼が元の場所へ帰りたいならそのように取り計らい、もしもここに残りたいというのなら、いろいろと世話をしてあげてほしいの」
もしも行き倒れていた青年――シグルドが他国の間諜だったとしても、リーファがついていれば対処できるはず。
女王の言葉には、そんな信頼が籠っていた。
リーファはその役目を任されたことを嬉しく思った。
仲間たちからは「働きすぎだからしばらく休んだ方がいい」と前々から勧められていたし、リーファ自身あの青年のことが気になっていたのだ。
しばらく最前線から離れて、彼の面倒をみるのもいいだろう。
「お任せください、女王陛下」
リーファが承諾すると、女王は立場にそぐわない、無邪気な子どものような笑みを浮かべた。
彼女は国を統べる主というには若すぎる。
普段は統治者として凛とした雰囲気を醸し出す彼女が、不意にこうして年相応の面を見せてくれる瞬間が、リーファはたまらなく好きだった。
結局、シグルドが目覚めたのは丸一日ほど経ってからだった。
眠る彼の横で事務仕事に勤しんでいたリーファは、唸るような声が聞こえはっと意識を傍らの寝台へと戻す。
ゆっくりと、瞼が開かれていく。
彼を見つけた時と同じく、翡翠のように美しい緑の目と視線が合う。
「……気がついた? ここは安全だから大丈夫よ」
そう語りかけながら、リーファはそっと青年の様子を窺う。
彼は警戒するような目をこちらに向けながら、ゆっくりと体を起こしていた。
その様子を見て、リーファはほっとした。
医師に見せた時もたいした怪我はしていないといっていたが、その通りだったようだ。
「水を飲んで。喉が渇いているでしょう?」
怪我をしていないとなると、やはり疲労で倒れたのだろうか。
水を差し出したが、青年は警戒したように受け取ろうとしない。
「大丈夫、毒なんて入ってないわ」
彼を安心させようと、リーファはごくり、とコップの水を飲んでみせた。
これで安心したでしょう? という意味を込めて笑いかけると、青年は戸惑ったように視線を逸らしたが……やがて観念したようにリーファの差し出した水を受け取った。
ごくごくと嚥下する喉の動きを眺めながら、リーファはほっと安堵に胸をなでおろす。
(よかった、思ったよりも元気そう)
もう少し休ませた方がいいかと思っていたが、この調子なら多少話をしても大丈夫そうだ。
「いきなり知らない場所にいて驚いたでしょう。覚えてる? あなた、この近郊の草原に倒れていたのよ」
リーファはここが若き女王の治める都の宮殿の中で、倒れていたところを連れてきたのだと説明した。
「私はリーファ。倒れていたあなたを見つけ、ここに連れ帰った張本人。それと、あなたの世話も任せられてる」
青年はじっと黙ってリーファの話を聞いている。
……ちゃんと言葉は通じているだろうか?
一言もしゃべらない彼に少し不安になりながらも、リーファは問いかけた。
「えっと……あなたはどうしてあそこに倒れていたの? 自分の名前はわかる?」
リーファの問いかけに、青年は目を細めた。
やはり通じていないのだろうかと、リーファは不安に思ったが――。
「……シグルド」
「え?」
「シグルドだ」
一拍遅れて、リーファは彼が名前を答えてくれたのだと思い当った。
きちんと言葉が通じて、彼が応えてくれたという事実に、リーファの胸は熱くなる。




