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15 公爵閣下の妹君

 結局、ユーゼルを殺せないままエレインはブリガンディア王国へと連れてこられてしまった。

 さすがは大国。特に王都ともなれば、その賑わいもひときわだ。


 石畳の大通りでは、装飾が施された優雅な馬車が馬の蹄を地面に打ち付けながら、リズミカルに通り過ぎていく。

 焼きたてのパンの香ばしい香りが漂い、屋台が自慢の品々を並べている。

 その中を、豊かな布地と鮮やかな色彩を身に纏い、人々は臆することなく闊歩している。

 通りを進むガリアッド公爵家の紋章が入った馬車は、当然注目の的だった。

 窓越しに人々の視線が突き刺さるような気がして、エレインは外の景色を眺めるのを早々に諦めた。


「国王陛下に婚約の許可を願い出たからな。俺が婚約者を連れてくる話がもう広まっているのかもしれない」

「私が寝ている間に、よくも勝手に事を進められましたね」


 もしも目覚めたエレインが「やっぱりあなたと結婚なんて無理!」と言い出したらどうするつもりだったのだろうか。

 まぁ、きっと彼は……エレインが一度勝負を受けた以上、後からその結果を覆すことなどないと信じていたのかもしれないが……。


(……よくわかっているじゃないの、私のこと)


 騎士にとって、「誓約」は絶対だ。

 だからエレインがどれだけユーゼルのことを憎んでいようが、嫌っていようが、「彼と結婚する」という約束自体を撤回することはない。

 ……それとは別に、ユーゼルを暗殺することは可能だが。


(そうよ。ユーゼルを殺してしまえば、何もかもがうまくいく……)


 今まではうまくチャンスが掴めず、ついに彼の拠点にまでやってきてしまった。

 だが、住み慣れた場所だからこそ、気が緩むということもあるだろう。

 もちろんエレインはユーゼル――前世の宿敵を許すつもりはない。

 必ず、その喉笛に噛みついて、息の根を止めてやる。


(今はせいぜい浮かれてなさい。その油断が命とりよ……)


 婚約披露のパーティーはいつごろにしようか、などと浮かれ気味に話すユーゼルに気のない相槌を打ちながら、エレインは復讐の炎を燃やし続けていた。




 洗練された邸宅が並ぶ貴族街――その中でも、広大な敷地の一等地にガリアッド公爵邸は存在した。

 美しい装飾の施された鋳鉄の門を抜けると、荘厳な建物が目前に迫ってくる。

 その前には、この屋敷の主人であるユーゼル・ガリアッドの帰還を祝うように、多くの者たちが待ち構えていた。


(はぁ、着いてしまった……)


 重々しい気分になりながら、エレインが大きくため息をつく。

 だが、あからさまにやる気のない様子を見せると逆に使用人たちには警戒されてしまうだろう。

 ここは今まで通り完璧な淑女を演じ、使用人たちの警戒を緩めたところで……ユーゼルを殺し本懐を遂げよう。


 そう心に決めたエレインは、優雅に微笑みながらユーゼルの手を取り馬車から降り立つ。

 その途端、多くの者の視線がこちらへ集中したのがわかった。

 それも当然だ。

 まだ年若い主人が、突然異国の女を妻に迎え入れると言って連れ帰って来たのだ。

 怪しい女に騙されたのかと疑うのが普通だろう。

 そんな彼らの疑念を和らげようと、エレインは使用人たちの方を向いてにっこりと微笑みを浮かべてみせる。

 その途端、ざわ……と空気がざわついたのがわかった。

 そんな中、可憐なドレスを身に纏う少女が、ユーゼルに向かって小走りで駆けてくる。


「お帰りなさい、お兄様!」

「リアナ、元気にしていたか?」

「はい!」


(なるほど……彼女が噂の「魔力持ち」の公爵令嬢ね)


 ユーゼルと同じ黒の髪は艶やかに流れ、翡翠の瞳はきらきらと輝いて久しぶりに会うであろう兄を見つめている。

 年のころはエレインより少しだけ下だろうか。

 無邪気な笑顔と、小鳥がさえずるような明るい声からは、彼女が周囲に愛され育ってきたことが伺えた。


(……あの子に恨みはないし、悲しい想いはさせたくないのだけど……仕方ないわ)


 エレインがユーゼルを亡き者とした時、きっと彼女は悲嘆の涙を流し慟哭するだろう。

 だがそれも、すべてを忘れ去ったシグルドが悪いのであって――。


「あ、あの……」


 緊張気味に声をかけられ、ユーゼルを殺す方法を考えていたエレインははっと我に返る。

 見れば、ユーゼルの妹――リアナがもじもじしながら、こちらの様子を窺っていた。


「お兄様からお手紙を頂いて……ずっと楽しみに待っていたんです。その、お姉様となる方がいらっしゃるのを……」


 頬を染めてこちらを見つめる様子は、なんとも愛らしい。

 エレインは罪悪感を覚えながらも、内心を悟られないように穏やかに微笑んでみせた。


「えぇ、私も……公爵閣下の妹君にお会いできる日を待ち望んでおりました」

「リアナ・ガリアッドと申します! リアナとお呼びください、お姉様!」

「……ありがとう、リアナ。フィンドール王国より参りました、エレイン・フェレルと申します。田舎者ゆえ至らない点ばかりですが、どうぞ大目に見てくださると嬉しいわ」

「そんな、私の方こそ……どうぞよろしくお願いいたします、お姉様!」


 満面の笑みを浮かべて、リアナが手を差し出す。

 何の気はなしに、エレインはその手を握り返す。

 その瞬間だった。

 胸に、心に、温かい感情が溢れ出す。

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