14 私のすべてを奪ったのに
「今日は来ないのか?」
それからというもの、ユーゼルは毎夜エレインに「今夜は殺しにこないのか?」と尋ねてくるようになった?
しかも、あからさまにワクワクした表情で。
はっきり言って理解できない。この男の思考回路はどうなっているのだろうか。
「……自分に殺意を抱いている人間と、よく護衛もつけずに同じ部屋にいられますね」
嫌味ったらしくそう言ってやると、ユーゼルは「わかってないな」とでも言いたげに笑う。
「護衛なんて呼んだら、せっかく君と二人きりで過ごせる時間が台無しじゃないか」
「くっ……」
どこまで冗談なのか本気なのかわからない。
幸いなことに、エレインが踏み込まなければ彼が無理にこちらに迫ってくることはない。
いわば、不可侵条約のようなものだ。
(一応、私の気持ちが変わるまで手を出さないってことは徹底してるのね……)
変なところで律義なユーゼルに、エレインは歯噛みした。
いっそ、彼が攻勢に出れば隙もできるかもしれないのに。
今のユーゼルは、とにかく隙が無い。エレインが調子に乗って襲い掛かれば、すぐさま攻守逆転して自分の方が狩られる獲物になるのは明らかだ。
だからこそ、動けない。
そんな風に、ちらちらと様子を窺いつつ唸るエレインのことを、ユーゼルは愛らしい小動物でも眺めるような視線で見つめている。
……そんな目で見ないでほしい。
彼に優しい視線を向けられるだけで、エレインの情緒は乱れてしまうのだから。
「まぁいいさ。そろそろブリガンディアに着く。俺の花嫁を皆に見せびらかすのが待ちきれないよ」
「……私は檻の中の観賞用の動物ですか?」
「いや?」
ユーゼルの視線はまっすぐにこちらに向けられている。
その瞳は優しく……それでいて、激しい感情を秘めているようだった。
「そんな生易しい存在じゃないだろう。どちらかというと、野を駆ける獣だろうな」
彼がそう口にした時、エレインの胸の中に背反する二つの想いが芽生えた。
一つは、女性を獣扱いだなんて失礼だという至極まっとうな憤り。
もう一つは、彼が「王太子に婚約破棄された伯爵令嬢」ではなく、エレインの内面――本質を見抜いてくれたという……確かな歓喜だった。
だがユーゼルの言葉にわずかでも喜んでしまったという事実が悔しくて、エレインはわざと神経を逆なでするような言葉を舌に乗せる。
「……仮にも結婚相手を猛獣扱いだなんて、どんな教育を受けてきたんですか?」
ユーゼルは怒るでもなく、愉快そうに笑みを深めた。
「……誰もが見惚れる美女の中に、牙を研いだ獣が潜んでいる……そのギャップがたまらないんだ。わかるか?」
「わかりません! わかりたくもないですし……」
何故かどきどきと早鐘を打ち始めた鼓動を誤魔化すように、エレインはユーゼルに背を向けた。
さっさと寝る体勢に入ろうとするエレインの背に、ユーゼルの優しい声が降ってくる。
「とにかく、俺にとってはそのままの君が何よりも魅力的なんだ。それを忘れないでくれ」
エレインは返事をしなかった。いや……できなかった。
きっと何か声に出せば、気づかれてしまう。
喉が、胸が、心が……大きく震えているのを。
「エレイン」として生まれてからずっと、周囲の期待に応えようと自分を押し殺してきた。
王太子の婚約者、淑やかな伯爵令嬢――そうあろうと努めていた。
だから、こんな風に素の自分を見せて、それを肯定してもらったのは……初めてだった。
(私の――「リーファ」のすべてを奪ったのはあなたなのに、なんでそんなこと言うのよ……)
歓喜と悲嘆がないまぜになって、胸が苦しい。
彼を討ち果たすことができれば、この苦しみから解放される日が来るのだろうか。
ユーゼルに背を向けたまま、エレインはぎゅっと自信を掻き抱いた。




