9.アンレイの焦燥と安堵③〜アンレイ視点〜
――今は我慢の時だ。
三年も私とジュンリヤはこの国と隣国という遠い場所で過酷な状況のなか耐えてきた。それに比べたら、今はすぐ近くにいるのだから、耐えられないはずはない。
ジュンリヤの為にもっともっと努力して私自身を周りに認めさせ、誰もが心から忠義を誓う国王になる。
その為には彼女との時間を犠牲にしても公務を優先させる。
もう少しだ、ジュンリヤ。
あと少しだけ時間をくれ、そうすればきっと…。
――これは私と彼女の未来の為だ。
後ろ髪が引かれる思いでジュンリヤとのお茶の時間を終えて執務室に戻ると、書類を届けに来た宰相が話し掛けてくる。
「国王陛下、王妃様とのお時間はどうでしたか?」
「短い時間だったが、有意義に過ごせた」
私は顔を上げることもせず、書類に署名をしながら答える。
時間がもったいないからだ。ゆっくり宰相と雑談をする時間があるのなら、少しでも仕事を進めてジュンリヤとの時間を捻出したい。
いつもの宰相なら私がこんなふうに返事をする時は、緊急の要件がある場合を除いてそれ以上話し掛けては来ない。
でも今日の彼は違った。
「では王妃様は側妃様の存在を受け入れたということでしょうか?碌な説明もなしで本当に納得されたのですか…」
ミヒカン公爵と側妃を除けば、宰相は二年前の密約を知っている唯一の臣下だ。
だから私が公爵と約束を守り、王妃に肝心なことを伝えていないのは彼も知っている。
宰相は先王がいた頃から優秀な王宮文官だったが、高くない身分の為に上の役職には就いていなかった。
だが私が国王を継いだ時、『私などでは力不足でございます』と誰もが宰相になるのを忌避した。
つまり厄介な時期に力のない国王の側にいても百害あって一利なしと判断したのだ。
そんななか彼だけが『謹んでお受けいたします』と宰相を引き受けてくれ、今日まで私を支え続けてくれている。
そして私と王妃のことを心配していた。
「……少しだけ質問はされたが、最後には受け入れてくれた」
「そうですか、差し出がましいことをお聞きして申し訳ございませんでした」
私の返事を聞いて安心したのだろ、宰相の固かった表情は柔らいでいる。
『では失礼します』と言って執務室から出ていく彼の背を、私は後ろめたい気持ちで見送った。
私は宰相の問いかけに嘘はつかなかったが、すべてを伝えはしなかった。
――本当は少しだけではない。
正しくは私は国王という権威を使って、彼女がそれ以上聞けないように追い詰めたのだ。
公爵との約束を打ち明けるわけにはいかなかった。
話したらジュンリヤは心変わりではないと安心してくれるだろう。
だが狡猾なミヒカン公爵や側妃は王妃の些細な表情から、約束が破られたことに気づいてしまうかもしれない。
いや、抜け目のない彼らならきっと気づく…。
今はまだ後ろ盾を失うわけにはいかない。
――愛しい人を守るために。
だから何も伝えずにジュンリヤの言葉を酷い言葉で遮った…。
傷つけたくない、でも彼女を失うのはもっと耐えられない。
一年後か十年後かは分からないが、いつか話せる日が来る。
それまで隣にいてくれればいい。
きっと彼女なら……許してくれる。
仕方がないことだったと理解してくれる。
三年間も耐えてくれた強い人だから。
――勝手かもしれながら、信じて欲しい。
私が一方的に側妃の話を終わらせたあと、恐る恐るジュンリヤの顔を見ると彼女は微笑んでくれていた。
その表情は『あなたを信じている』と伝えていた。
その時の私の心のなかには歓喜しかなかった。
…ありがとう、ジュンリヤ。
納得はしてはいないだろうが、私の愛が伝わり受け入れてくれたのだろう。
私は宰相が出ていったあと、一人でこれからのことを考える。
周囲は問題はないだろう。
国のために犠牲になった王妃のことも、これまで王妃に代わり公務を行っていた側妃もみな尊敬している。
そして側妃は分を弁えているから、王妃を蔑ろにはしない。
ジュンリヤも愛されているのは自分だと分かっているから、側妃を冷遇することはないだろう。
いがみ合うなんて愚かな真似をする二人ではない。
二年前宰相は『…上手くいくとは思えません。人の気持ちは外から見えないものです』と懸念を示していたが、それも杞憂だった。
すべては順調にいっている、怖いくらいに。