56.二人で紡ぐ言葉①
レザと一緒に空いている部屋に入る。勿論扉は完全には閉まっていないし、外には数名の騎士が控えている。
彼の気遣いは完璧だった。
さっきまで少し様子がおかしいようだったから体調が悪いのかと心配していたけれど、どうやら杞憂だったようだ。
…良かったわ、なんともなくて。
お互いに向かい合って椅子に座ると、レザが先に話しだした。
その内容は私をこの国から引き離すのにあの方法が最善だったこと、弟達の意思を尊重してから動きたいと考えて監視するという形を取ったことだった。
思った通りだった。
それなのに彼は話の途中で何度も謝ってくる。
『あんな口調で話したから不安だっただろう?…すまない』『睨んだから怖かったよな。すまなかった』と本当に辛そうな顔をする。
謝らないで、レザ。
そんなことはなかったわ。
不安を抱きはしなかった。彼の言葉だから信じられたし、近くにいてくれたから安心できたのだ。
私が最後まで前を向いていられたのは彼のお陰だった。
「そんな顔しないで、レザ。全部必要なことだと分かっていたわ。それに不思議と不安なんて感じなかった。あなたの冷たい口調と鋭い眼差しから感じたのは優しさだけだったから。ありがとう、助けてくれて。あなたが手を差し伸べてくれたから私は踏み出せたわ」
どんなに感謝しているか、こんな短い言葉では伝えきれない。
私の言葉を聞いて彼の表情が柔らかくなる。
「良かった。実は怖くて仕方がなかった」
「…怖かった?」
あの時の彼は王族そのもので堂々とした態度だった。怖いと言われてもピンとこない。
そんな彼を一度も見たことはない。
「君に嫌われるのが心底怖かった。演技とはいえ君にあんな声を聞かせたくはなかったし、あんな眼差しを向けたくなかった。ランダに任せることは出来たが、それはどうしても嫌だった」
「私を救ってくれた人を嫌ったりはしないわ。大変な役目を引き受けてくれてありがとう、レザ」
彼は三年前から大切な恩人さんで、それはずっと変わらない。
あの場面ではランダ殿下が告げても立場的におかしくはなかった。でもレザは責任感が強いから、自分一人で嫌な役を背負ってくれたのだろう。
「違う、それは誤解だ。責任感からじゃない」
私は何も言っていないのに、彼は否定する言葉を紡いでくる。どうやらレザは私が考えていることを察して先に答えたようだ。
こういうところは流石だなと思う。
「ではどうしてランダ殿下に任せなかったの?」
尋ねたことに深い意味はなかった。
ただ話の流れで聞いただけ。
「ジュンリヤに関わることは他人に任せたくなかったからだ。それはこの先もずっと同じだ」
でも彼が返してきたのはとても重い言葉だった。
レザは私への想いを隠そうとはしない。
彼の目には私だけしか映っていない。
決して鋭い眼差しではなく包み込むような優しさしかないけれど、…逸らすことは出来なかった。
誤魔化すなんて出来ない、そう思った。
それに誠実な彼にそんな態度は見せたくない。
「レザの気持ちには応えられない」
「知っている」
私は偽りのない気持ちを伝え、レザは迷うことなく答える。
私はこの国から人質と言う形で出ていくけれども、王妃という身分は一生変わらない。
そんな中途半端な私が彼に応えていいはずがない。
――レザのような人には幸せになって欲しい。
それに愛にどう向き合えばいいか分からなくなっていた。変わらないと信じていた想いは簡単に変わってしまった。それは相手だけでなく私もだった。
私は本当に愛していたのか…。
愛されていたのだろうか…。
何度考えても答えは見つからないまま。
一生かかっても私が答えを見つける日は来ない気がする。
…それでいいわ。
たぶん私はもとから愛するという感情が欠けていたのかもしれない。今まではそれに気づかずに揺れる感情を愛だと信じていただけ。
それならばどんなに時間を掛けても、彼の想いに釣り合うものを返せそうにない。
――二重の意味で応えられない。
「それで構わない。ジュンリヤが無理に応える必要はないし、俺は俺のままでいる。そして一生この想いは変わらない」
つまり彼は自分の幸せを諦めようとしている。
…そんなの駄目よ。
彼の幸せを願っているのは私だけではない。
彼を大切に思っている人達だって彼の未来を願っているはずだ。
「あなたはこれから素敵な人と出会って素晴らしい未来を築くことが出来る。私への気持ちはきっと同情の延長だわ。だから私から離れたら自然に消えると思う」
レザのことは愛していなくとも信頼している。
だから、彼が私の言葉に頷いて背を向けたら寂しく感じると思う。
でも彼の幸せを願っているのも事実。
どちらを優先させるかなんて考えるまでもない。
――私から離れて幸せになって欲しい。
「この想いは一生消えない、そして離れない。君が俺を心底嫌うか、憎いと思わない限り側にいる」
狡い言い方をするレザ。
私は今までずっと王妃の仮面を被って偽りの笑顔を浮かべてきた。でも彼の前ではなぜか嘘がつけなくて、素の自分を出してしまっている。
知っているくせに…。
「…嫌いだわ」
「嘘だ」
私の言葉をすぐに否定するレザは楽しそうだ。
――嫌いになんてなれない。
「…本当はずっと憎んでいたの」
「それも嘘だな」
今度は怒った口調で告げたのに、彼は嬉しそうに目を細める。
――憎んだことなんて一度もない。
「嘘が下手すぎだ、くっくく」
「本当は上手なのよ。レザの前だと上手くいかないだけ」
「知っている。俺だけが特別だ」
特別という言葉を強調して言ってくるレザは満面の笑みを浮かべて笑っている。
重苦しい雰囲気になってもおかしくない場面なのに彼につられて私まで笑ってしまう。
なんだか彼に上手く乗せられている気がする。
やはり彼には嘘なんて通用しなかった。
…だからすぐに諦める。
嘘が見抜かれるなら本当のことだけを話せばいい。
すべて本音で話すのは少しだけ怖くもある。
人は普段話すときに嘘とは言えない小さな嘘を織り交ぜながら話す。それは相手への優しさだったり、どう思われる不安になる心を守る鎧なようなものだ。
でも彼に正しい選択をさせる為なら仕方がない。
「私はレザに誰よりも幸せになって欲しいと思っているわ」
「それは本当だな」
口角を右側だけ上げて不敵に笑うレザ。今度は私の言葉を否定はしなかった。
――やはりレザには敵わない。
私が応えられない理由を伝え始めると、レザは真剣な顔をしながら黙って耳を傾けてくれた。