52.王妃としての最後の矜持
誰もが項垂れるなか私は隣国の視察団の前に静かに進み出る。
「ランダ殿下、レザム様、そして視察団の皆様。この度は襲撃事件の調査を任せて頂いたのに期待に添えずに誠に申し訳ございませんでした。それにも関わらず寛大な対応をして頂き心から感謝申し上げます」
これはこの国の王妃として役目。
隣国に迷惑を掛けた事実に謝罪と感謝の意を表し深々と頭を垂れる。他の者達もそんな私を見て慌ててあとに続く。
今できる事はこれくらいしかない。
「王妃よ、殊勝な態度だな」
感情を感じさせない声で告げてきたのはレザだった。
それはこの国の王妃に対して適切な対応と言える。
距離を感じさせるその態度であの噂が嘘だったと改めて示してくれる。
――彼の行動は自然で無駄がない。
「三年もこの国の為に異国の地で過ごし、帰国してからはこの扱い。それでもこの国の為に頭を下げるとは憐れだな、王妃」
「憐れとは思っておりません。これは王妃としての地位にある者の当然の務めです」
突き放すようそう言うレザの真意は分からないけれど、私は私らしく返事をするだけ。
まだ王妃でいる限りはその責任を果たす。それが私の王妃としての矜持。
――最後まで凛としていたい。
「なんと素晴らしいお姿だ」
「有り難うございます、王妃様」
「…王妃様、今まで申し訳ございませんでした」
後ろから声が聞こえてくる。
最初は数人だった、でもさざ波のように言葉を紡ぐ者が増えていき『王妃様…』という言葉に包まれる。
初めて王妃としての私を受け入れてくれた瞬間だった。
レザはどこまで見通していたのだろう、きっと全てに違いない。
「気づけただけ一歩前進だな」
「ちっ、もう遅いっ…」
ランダ第一王子とレザが小声で話している。それが聞こえていたのはたぶん私だけ。
「……ジュンリヤ」
呼ばれて振り返ると心から後悔しているアンレイの姿があった。
彼はレザの言葉を理解していた。ちゃんと己の過ちと向き合っているからこそ、あの表情なのだ。
もっと早くに気づけたら良かったのにとは思わない。アンレイにはこれだけのことが必要だったのだろう。
――私達はそういう運命だった。
アンレイが私に謝ろうとしているのが分かったから、先に口を開いた。
「謝罪はいりません。それよりもこれからは民の為に正しいと思うことを行ってください」
「ジュンリヤ、謝らせてもらえないのか…」
「それに意味がある?必要はないわ」
謝罪の言葉を告げて軽くなるのは彼の心だけ。
それなら言わないほうがいい、己の過ちを心に刻んだほうが民の為になる。
「……分かった。これからのことは後でゆっくりと話そう」
私達にこれからはもうないから返事はしなかった。
でもそれをアンレイはまだ知らない。まだなんとかなると信じている。
もう終わったのよ…。
薄情かもしれないけれど、心が揺らぐことはない。
ふと視線を感じ振り返ると、レザが真っ直ぐに私を見つめていた。
『本当にいいか?』とその目は聞いてる。
彼はどんな時も私の意思を確認してくれる。自分にとって望まぬ答えを私が選んだとしても、彼はきっと応援してくれるのだろう。
…ありがとう、レザ。
――そこにあるのは確かな信頼。
だから迷うことなく踏み出せる。
私はそっと目を伏せ『お願い…』と気持ちを伝える。レザならこれで分かってくれるはず。
レザは隣にいるランダ第一王子の耳元で『予定通りに』と囁く。
ランダ第一王子の口角が少しだけ上がったように見えたのは、気のせいではないだろう。
「アンレイ国王。今回の件はこちらの国の問題だが、このまま手ぶらで帰ったら我が父である国王は納得しないだろう。だから誠意を見せてもらいたい」
隣国側からの当然の要求に広間はざわつく。
――隣国の次期国王暗殺未遂を見逃してもらう対価としての誠意。
三年前は先王とその愛妾の首だった…。
「私に出来ることでしたら何でも致します」
アンレイは毅然と答える。国王として自分の首を差し出す覚悟だと分かった。
「そう言ってもらえると思っていた。では三年前と同じように王妃を我が国に招待しよう」
隣国側が求めたのは国王の首ではなく人質だった。
「そんなあんまりだ…」
「王妃様ではなく今度は側妃様でいいのではないか…」
「国王陛下、今度こそ王妃様をお守りくださいっ」
口々に勝手なことを言ってくる貴族達。
三年前保身の為に喜んで王妃を差し出し、ついさっきまでお飾りの王妃と侮り側妃を持ち上げていたとは思えない変わりようだった。
それが今は心からの言葉だとしても、もう振り回されない。
「ランダ殿下、王妃は三年間も耐えました。どうかこれ以上は…。私の首なら喜んで差し出します」
「アンレイ国王、貴族からも民からも支持されないそなたの首になんの価値がある?無駄なものを差し出されても困る」
ランダ殿下はアンレイを一刀両断する。なおも言い募ろうとするアンレイを数名の良識がある貴族達が『国王陛下!』と止める。
隣国に逆らえる立場にはないのだから当然だった。
「王妃、この国の為にまた犠牲になるか覚悟はあるか?」
冷たい口調でそう尋ねたのはレザだった。
彼は私を助けようとしてくれている。
この国の王妃は離縁は出来ない。だからこういう形で私をこの国から切り離そうとしているのだろう。
それと同時に『国の為に我が身を犠牲にした』として王妃としての名誉も守ろうとしてくれている。
それにこれならノアも『立派な王妃の弟』として立場は守られる。
私の返事を待たずにレザは更に言葉を重ねてくる。
「今回は前回とは違う。この国の信用は更に失墜している。だから王妃が万が一にも愚かな事をしでかさないように、王妃の大切な弟にも我が国から監視をつける。何かあった時には弟の身はこちらの勝手にさせてもらう」
レザが告げた言葉に周囲は『あまりにも酷い扱いだ』と声を漏らす。
…違う、そうではないわ。
レザは私の大切な人達を監視という形で見守ろうとしている。
弟達の意思を確認する時間はなかった。だから彼らの意思を確認してから、どうとでも出来るように布石を打っているのだ。
レザは約束を守るから安心しろと伝えている。
冷たい声音と残酷な言葉を使っているが、そこには彼の優しさと誠実さしかない。
「どうするか王妃が決めろ」
レザは鋭い視線で返答を迫ってくる。
私には彼が『信じろ、この手を取れ』と言っているようにしか聞こえない。