31.襲撃②
「ノア、頭を上げてちょうだい。あなたの顔が見たいわ」
「…はい、姉上」
弟の肩を優しく撫でるとゆっくり頭を上げてくれた。
そんな顔しないで…、ノア。
その表情はとても辛そうで、私まで苦しくなってくる。
「父上も母上もとても後悔していました。我が家に力がないばかりに三年前姉上を守れなかったと」
「十分すぎるほど守ろうとしてくれたのに…」
三年前、殆どの貴族が『王妃を人質に』と叫んでいた。そんななか両親は必死になって阻止しようと動いてくれていたのは知っている。でも我が家に力がなかっただけ。
……お父様、…お母様。
亡き両親の辛さを思うと申し訳ない気持ちで一杯になる。そんな私の手を弟は上から包み込むように強く握りしめてくる。
「私はまだ力はないですが、将来はきっと王妃である姉上のお役に立てるようになりますから!」
「ありがとう、ノア」
弟は真っ直ぐに私の目を見てそう告げてきた。そこには固い決意が感じられる。
伯爵となった弟は社交界にも出ているはず。王都ほどではないとは思うが、私を取り巻く現状が伝わってきているのだろう。
ノアは私に『大丈夫ですか?』と尋ねてくることはなかった。自分に出来ることはまだないと分かっているから、ただ耐えているのだ。
私が楽しみにしていた再会を不快な時間にしないようにと、あえて聞かないでいてくれている。
昔の弟なら『姉上、教えてください』と言っていただろうに、大人の気遣いが出来るようになったのだ。
ありがとう、もう一人前ね。
その心遣いに甘えさせてもらう。
――弟と過ごす大切な時間を一秒だって無駄にしたくない。
弟と語らう時間はあっという間に過ぎていく。まだまだ話し足りないけれど、もうすぐで休憩時間が終わってしまう。
「はぁ…、ランダ殿下の二日酔いが回復しなければいいのに」
不敬だと分かっていても、そう呟かずにはいられなかった。…本気でそう思っていた。
「王妃様、我が国の第一王子がご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「…っ……!」
いきなり後ろから声を掛けられる。私と弟だけしかいないと思っていたからこその呟きだった。
まさか誰かが近くにいたなんて……。
『我が国の第一王子』と言っていた。
…ということは私の発言を聞いたのは隣国の者ということだ。
この国の王妃が隣国の第一王子に不敬な発言をするなんて、絶対にあってはならないこと。
「申し訳ございません!決してランダ殿下の回復を願っていないわけではございません…」
慌てて振り返り声がしたほうを見ると、そこにはなぜかレザしかいなかった。
つい周りをキョロキョロと見て確かめてしまうが、やはり彼しかいない。
……………。
私の耳がおかしくなったのだろうか。あのレザが普通に話していたように聞こえた。
そのうえ私と弟に向かってまるで礼儀正しい騎士のような眼差しを向けている。
――この人はいったい誰なのだろうか…。
今朝会った時はレザは普通だった。
すれ違いざまに『今日の移動時間は長いからクッションを持ってけ。でないと尻が猿みたいになるぞ』と大変失礼な助言を囁いていたから間違いない。
それなら来る途中で頭でも打っていきなり人が変わったようになったのか?
それとも影武者だろうか?
そもそも護衛騎士に影武者が必要なのか……。
――考えれば考えるほど頭が混乱する。
そんな私を余所にレザは騎士のお手本のような態度を貫く。
「分かっておりますのでご安心ください、王妃様。弟君とは四年ぶりの再会ですから、時間はいくらあっても足りないでしょう」
「レザ殿!」
「えっ?、えっ…??」
最初の『えっ?』はレザ?のお手本のような言葉への驚きで、次の『えっ…??』は弟が親しげにレザの名を呼んだことへの驚きだった。
彼と弟は接点などないはずだ。
とりあえずレザが本物かどうかよりも、今は弟のほうが気になる。
「ノア、どうして彼を知っているの?」
「レザ殿に頼まれて周囲を案内した時に、隣国のことなどいろいろと教えて頂きました。ありがとうございました、レザ殿」
「こちらこそ有意義な時間でしたよ、ノア殿」
どうやらレザは視察団の先行として馬を飛ばし、先に孤児院に到着していたらしい。事前に周囲を確認するのに、出迎える為に待っていた土地勘のあるノアに案内を頼んだということだった。
弟であるノアがいるから、彼は礼儀正しく振る舞っているのだろう。
普段の態度で私に接したら、それを見た弟は私が侮られていると絶対に勘違いして心を痛めるだろうから、それを避けようとしているのだ。
――姉思いの弟の為を思っての行動。
その優しさにじんわりと胸が熱くなる。
礼儀正しくてもやはりレザは本物のレザだった。
ふふ、やろうとしたらちゃんと出来るのね。
まるで別人だけれども不思議と違和感はなかった。やはり彼はそれなりの身分なのだろう。
「そろそろお時間ですのでよろしいでしょうか、王妃様」
「ええ、大丈夫です」
レザはやはり休憩時間の終わりを告げに来てくれたのだ。
弟との時間が終わるのは名残惜しいけれども、王妃として視察は見届けなければいけない。
「ノア、無理はしないでね。体を大切にしてちょうだい」
今度は弟が私を優しく抱きしめてくる。…その体は少しだけ震えていた。
ポンポンっと昔のようにそっとその背を叩く。
これは幼いノアを安心させる為に昔やっていたことで、二人だけに通じる懐かしいおまじないだった。
「…もう子供では…ありま‥ん」
「でもいくつになってもノアは私の大切な弟だわ」
ノアは顔を私の肩に埋めているからその表情は見えない、でも泣いていた。必死に誤魔化そうとしているけれど、その声は震えていたから。
一人で頑張ったね、ノア。
私の前では泣いていいのよ。
暫く経ってからノアは顔を上げると、優しく私の背をポンポンと叩いてくる。
「姉上こそ無理はしないでください、絶対に」
その声はもう震えていなかった。