30.襲撃①
視察六日目の朝。
今日は少し離れた場所にある孤児院を視察する予定になっている。そこは私の実家の近くにあり、結婚する前には定期的に訪れていた懐かしい場所だ。
両親は私が隣国に滞在中に流行病で相次いで亡くなっていて、家督は成人したばかりの弟ノアが継いでいる。
弟は幼い頃から体が丈夫ではなく、それは今も変わらない。
私が帰国した時は王都まで会いに来てくれようとしたが、私は許さなかった。家令からの手紙で弟の体調が優れないのを知っていたからだ。
でも最近は随分元気になったようで、弟も視察に合せて孤児院に来ることになっていた。これはアンレイが弟に会えていない私を気遣って手配してくれたことで感謝している。
弟に長時間の移動はさせたくないが、あの孤児院までなら負担にはならないだろう。
私が嫁いでからいろいろあって会う余裕などなかったから、ノアと会うのは四年ぶりだった。
早く会いたいわ。
会って抱きしめてあげたい。
帰国したあとあの子から送られてくる手紙には弱音は書かれていなかった。
――でもそんなはずはない。
昔から仕えてくれている家令や使用人がいるとはいえ頼れる親戚もいない。精神的負担だって大きいはずだ。
昨日の事があって落ち込んでいたけれど、弟にそんな顔は見せられない。
だから今日も普段通りにしようと決めていた。
「おはよう、ジュンリヤ。昨日の事だが――」
「王妃様、おはようございます。今日も良い天気で視察日和ですわね」
「おはようございます」
私に近づいてきて挨拶をするアンレイ。
その後に言葉を続けようとしたが、小走りで近づいてきて私に挨拶をする側妃によって遮られる形となった。
きっと彼は昨日のことを謝ろうとしているのだろう。
「アンレイ様、ランダ殿下達はすでにお待ちですわ。お待たせしては申し訳ありませんから…」
「いや、だがまだ話が……」
側妃の視線の先には予定よりもだいぶ早い時間にも関わらずランダ第一王子の姿があった。しかし隣国側もまだ全員は揃ってはいないようだった。
アンレイは彼女が側にいるからか口籠る。
たぶん昨日の夜に私と二人で会ったことを知られたくないのだろう。だから、謝罪の言葉を口に出来ないでいる。
「シャンナアンナ様の言う通りですわね」
私も側妃の言葉に迷うことなく同意する。彼女の判断は正しい、私達は待たせる立場ではないのだから。
「さあ、行きましょう。アンレイ様」
「……分かった。ジュンリヤ、また後で話そう」
そう言うアンレイは私の返事を待たずにランダ第一王子のもとに向かった。
私もわざわざその後ろ姿に向かって返事はしなかった。
――心がこもっていない形だけの謝罪はいらない。
早朝に出発したにも関わらず、孤児院に到着した頃にはもうお昼を過ぎていた。
予定よりも遅れてしまったがみな門の前で待っていたようで、視察団一行は歓声とともに迎えられた。
「姉上!お久しぶりです」
「ノア、…本当に久しぶりね…」
弟は私が馬車から降りると嬉しそうに駆け寄って来る。四年ぶりに会う弟は少年から青年へと成長していた。
『姉上~』と私に甘えていた弟はもういない、目の前にいるのは前途有望な若き伯爵だった。
こんなに立派になって…。
感極まって挨拶の言葉が震えてしまう。
そっと弟の頬に手を伸ばすと、ノアは恥ずかしそうにしながらも『姉上、昔のように抱きしめてくれますか?』と尋ねてきた。
私は返事をすることなく、弟の背に手を回して強く抱き締める。
でも弟のほうが背も高くなり体も逞しくなっているので、私が必死に抱きつく形になってしまう。
傍から見たらさぞ滑稽に見えるだろう。
――それでも構わない。
「ふふ、なんかおかしいわね」
「はい!でも嬉しいです、姉上」
どんなに立派になっていても、中身は可愛い弟のままだった。
予定なら到着してすぐに視察を始める予定だったけれども、ランダ第一王子が体調が優れないと訴えたため一時間ほど休憩を取ることになる。
……どうやら二日酔いのようだった。
眉を顰めるような理由だったけれども、私にとってこの休憩は有り難いものでしかない。これによって弟と一緒に過ごす時間が出来たからだ。
アンレイ達は建物のなかで休憩を取っていたが、私は弟と二人だけで過ごしたいからの建物の外に出た。
孤児院は柵で囲まれておりその周囲は騎士達が警備しているので、柵の中にいれば安心だった。
私達は庭の木陰に置いてある木製の長椅子に並んで座った。
「…三年間、本当にありがとうございました。姉上」
私と二人だけになるとノアは目に涙を浮かべながら、深々と頭を下げてそう言った。