彼がわからない
長期休暇になってもトンマーゾは戻ってこなかった。なんでも友人の別荘に遊びに行くとかで丸々休みを使ったらしい。彼の誕生日にも戻って来なかった。いつもなら『サーラに一番に祝ってもらう』と言って、前日からやって来ていたのに。
そしていよいよ私のスプレンドーレ学園の入学の日がやって来た。
「いってらっしゃい、姉様。早く帰って来てね」
「いってらっしゃい」
「本当に付き添いはいらないのか?」
「もうすぐ14歳になるのよ。付き添いはいらないわ。じゃあ、いってきます」
家族に見送られて学園へ向かう。
学園に行けばトンマーゾに会えるだろうか?結局数か月、彼に会っていない私はそんな期待を胸に学園へと向かった。
学園生活は概ね順調だった。友人も出来たし、勉強もちゃんとついていけている。トンマーゾには会えていないけれど……
そんな中、ある令嬢の噂が飛び交っているのを耳にした。
「子爵家の令嬢らしいのですけれど、何人も令息方を侍らせているのですって」
「中には高位の貴族の方もチラホラいるって聞いたわ。公爵家の方もいるって」
その瞬間、どういう訳か私の頭にトンマーゾが浮かんだ。嫌な予感がする。
「その中の何人かとはもう深い関係になっているって」
「えええ!?嘘でしょ」
「それが長期休暇の時に、どこかの伯爵家の別荘で数人の男たちと入って行く令嬢を見たって」
「誰が?」
「隣の敷地の伯爵家の方が見たらしいわ」
トンマーゾは何と言っていた?友人の別荘に行くと言っていなかっただろうか?私は目の前が真っ暗になったような気がした。
そして、そう日が経たないうちに、私の嫌な予感が当たっていたことを知る。
放課後、図書室で本を借りて戻ろうとした廊下で呼び止められた。
「サーラ」
「トンマーゾ?」
ずっと会っていなかった私の婚約者だった。
「話があるんだ。ちょっと付き合ってもらえない?」
廊下の片隅。トンマーゾが戸惑った表情をしている。どう切り出したらいいのか悩んでいる、そんな感じだ。
「どうしたの?随分会ってなかったけれど。元気だった?」
敢えて世間話のように会話を振る。しかし、私の心臓はドクドクと嫌な音を立てていた。
「ごめん!サーラ。婚約を解消して」
意を決したように一気に捲し立てたトンマーゾ。なんとなく予想はしていた。それでもショックは大きく、まるで大きな石で頭を殴られたようだった。
「……どうして」
なんとか言葉を出す。
「僕ね、好きな人が出来たんだ。本当に好きなんだ。彼女と結婚したいと思っている。でもね、家格差があり過ぎて……」
私の気持ちなどお構いなしで、嬉しそうな顔をしたり、困った顔をしたりしながら語るトンマーゾ。
「彼女はね、僕の1学年下なんだけれど中庭でさ、泣いていたんだ。小さな肩を震わせてさ。思わず彼女に近づいてどうしたのか聞いたんだ。そうしたら彼女、本を読んでてね。その話が悲しくて泣いてしまったって言うんだ。可愛いと思わない?」
尚も語る。
「その時に思っちゃったんだよ。この小さな彼女を守ってあげたいなって。でもそう考えているのは僕だけじゃなくってさ。彼女の周りには常に何人かの男たちがまとわりついているんだ。だから僕がその全てから守ってあげるよって言ったんだ」
「彼女もね、僕の事が一番好きって言ってくれるんだ。僕に全てを捧げるわって……」
ぽやぽやと夢見心地の表情になっている。もう私の事は見えていないようだ。
「ただね、彼女の事をちゃんと親に説得する時間が欲しいんだよ。それでさ、おねがいがあるんだけど……決着が着くまでは婚約したままでいいかな?」
「は?」
何と言った?婚約はしたまま?先程解消してと言わなかったか?彼が何を言っているのか理解が出来ない。
「だってほら、もうすぐ社交界デビューするでしょ。それなのに婚約者がいないなんて、公爵家としてはまずいかなって。サーラとは婚約解消してますなんて、流石にデビューで言う話じゃないし」
この人はこんな勝手なことを言う人だっただろうか?本当にトンマーゾなのか?そう思ってしまう程、彼は私の知っているトンマーゾとはかけ離れていた。思いやりに溢れていた彼は幻だったのだろうか。
「ねえ、お願いだよ。ね、この通り」
目の前が真っ暗になった。