ラブシーン
「婚約不履行承諾書?」
「陛下がな、すぐに作成してくれた。万歳三唱していたよ」
「は?何故?」
「素晴らしいレディを手放してくれてありがとうとな。これでウチの息子が求婚出来ると。他にも何人も喜んでいたな。今頃、サーラ宛の手紙が、グリマルディ公爵家にどっさりと届いているんじゃないか?」
「そんなに?」
「良かったな。お前の望み通り、これでサーラはただの幼馴染に戻ったわけだ。ああ、だからと言ってどこの馬の骨だか知らん阿婆擦れを我が公爵家の嫁として受け入れるのは別だ」
「どこの馬の骨って。彼女はちゃんとした貴族令嬢です。子爵家ですが……決して阿婆擦れなどでは」
「そう思っていればいい。とにかく、子爵家では家格が釣り合わない。言語道断だ」
それだけ言うと、父上は自室へと戻って行った。母上を連れて。母上は……泣いていた。僕の心にはモヤモヤしたものが渦巻いていた。それでもサーラとの婚約解消を望んだのは僕自身だ。
「これで彼女と、マリーアと結婚する事が出来るんだ」
そう言い聞かせて、自室へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お父様が婚約不履行承諾書を持って帰って来てから1週間ほど経ったある日。
相も変わらず屋敷にはおびただしい数の手紙が届いていた。婚約を結びたいと願い出る手紙だ。
とりあえずは、まだ心の整理がついていないという理由でお断りしているが、なかなか手紙は減らなかった。
アダルベルト殿下は、私をいつも気にかけてくれる。手紙の話をした時は荒れていたけれど。おかげで着実に心が穏やかになっていった。
トンマーゾとは会っていない。学園にいればすれ違う事くらいあるだろうと思って覚悟をしていたのだが全くと言っていいほど会わなかった。きっとアダルベルト殿下が裏で手を回しているのだろう。
午後一の授業が休講になってしまい、友人たちとカフェでお茶をする事になった。私はふと思い立ってカフェに行く前に、図書室に本を借りようと向かった。他のクラスは授業中なだけあって、廊下もシンと静まり返っている。図書室も、司書の方も居なくて、いつも以上に静かだった。
私は少しだけ怖いと感じたので、早く借りてしまおうと、足早に目当ての種類の本が並んでいる棚へと向かう。どれを借りるかしばらく悩んでいると、ふと何かが聞こえた気がした。
『うっ、怖い』
早く本を選んで戻ろう、そう思っていると声のようなものが聞こえる。
『嫌だ。怖すぎる』
思わず身を竦めてしまう。すると、今度は少しハッキリと女性の笑い声がした。
「うふふ。イヤよ、こんな所で」
こんなにハッキリ聞こえるという事はオバケではないだろう。気になって少しだけ声の方へ身を乗り出す。
一番奥の暗くなっている場所に、男女が身を寄せ合っていた。顔まではわからないが薄いピンク色の髪を揺らした女性と、赤毛の背が高めの男性だった。
「もう、授業をさぼってまで誘うから何かと思ったら。仕方のない人ね」
甘い猫なで声で言う女性の腰をグッと掴んだ男性は、二ッと笑ったように見えた。
「お前がなかなか捕まらないからだろ。一体、何人の男と関係を持っているんだ?」
「ふふ、そんなこと知ってどうするの?」
「どうもしないさ。ただ、そいつらを見て笑ってやりたいだけさ。こんな阿婆擦れに本気になった高位貴族たちをな」
「あはは、あなたは男爵ですものね。でもあなただって伯爵家の令嬢に求婚するんじゃないかって噂になっているわよ」
「はは、あの女、もう俺なしじゃ生きていけないって言うからな。伯爵家ならまあまあかなと思っている」
「いけない人ね」
「お前には言われたくないな。いいから、とっととヤらせろ」
そう言った男性が、彼女の顎を掴んでキスをした。
『す、すごいものを見てしまったわ』
息を殺してその場を後にする。心臓がありえないくらいドキドキしていた。
『世の中にはあんな貴族の方もいるのね』
貴族令嬢は、結婚するまで純潔でなければいけないというのが暗黙のルールだ。特に高位になればなるほど、それが重んじられる。
下位であっても基本はそのルールだが、平民と同様の生活をしている貴族もあるくらいだ。その辺りは人それぞれなのだろう。
「ああ、全然ドキドキが止まらない」
顔に集まっているであろう熱を、手を扇代わりにしてパタパタと扇ぎながらカフェへと向かうのだった。