剣戟のシンフォニア
彼女の剣は明らかに精細を欠いていた。
いつものような、気持ちいいほど真っ直ぐで、彼女の人格をそのまま表したような剣ではなかった。
焦っているように、浮ついているように、感情と体がちぐはぐで、上手く動けないでいるように、私には見えた。
彼女のその変化は、もしかすると、彼女自身すら気づかない機微な変化だったかもしれない。
でも、私は気づいた、確信を持って。そりゃあ嫌でも気づく、彼女とは物心ついた時からこれまで、いくつもの剣戟を交わしてきたのだから。
私は、面倒くさいな、と思った。
曇りだった空からポツリ、ポツリ、と雨が顔に落ちてきたからもう一度、面倒くさいな、と思った。
彼女の方はいつものようにヤル気だったけれど、私は左手を少し上げて「終わりにしよう」と、提案した。
――――――――――――
ここは、王都にある騎士学校。名前は……なんだったかな忘れた。騎士学校なんて一つしかないんだから、覚える必要はなし。騎士学校って言えば十全に通じる。
一応説明しておくと、騎士学校っていうのは、未来の強い騎士を育てる学校のこと。
騎士っていうのは、剣を持って戦う強い人のこと。
それで、騎士学校に通う私達は、騎士生として、日々、強い騎士になるために、勉学や剣術に励んでいるっていうわけ。
と、これだけは絶対に言っとけって言われたんだ「ここでは平民と貴族も平等です。共に支え合って頑張りましょー」だったかな?
〜〜〜
なんか、新入生に学校の説明をした時の夢を見てたような気がする。
あの後、怒られたか、呆れられたかされたような気がするけど、そういう役回りは一切なくなったので、あれでよかったのだろう。
とか考えながら、日向ぼっこの微睡みから目覚めると、私が寝ている間にだろうか「果たし状」と無駄に綺麗な字で書かれた、まあまあ分厚い封筒がいつのまにか頭の横に置いてあった。
今時、果たし状なんてものを送りつけてくる相手は一人しか知らないし、内容は見なくてもわかっているので、私は適当に分厚いそれを仕舞い本格的に起きる。
「寝る前は晴れてましたけど今見たら、一雨来そうかなーまあ、ぼちぼちいきますか」
誰かに独り言を聞かれてはしないかキョロキョロした後に「因縁の決闘場」に向かう。
決闘場なんて大仰な言い方をしたけど、向かっている所は、無駄に広い騎士学校の人気のない庭の一つだ。まあ、私とアリシアが何回も決闘してるせいで、芝生の一部分が円形に刈りとられてそこだけ異様な光景なってはいるけど。
アリシアというのは、私と同じ騎士生で金髪碧眼のお嬢様である。
私とアリシアの関係は、私が元平民であっちは歴史ある大貴族、平民上がりの騎士団長の娘と穢れなき高貴なる騎士団長の娘、そして、席次の一位を取り合う仲なだけだ。
親同士の仲は、多くの人の予想を裏切り、平民上がりの貴族と純血の貴族との身分の差からの軋轢だとか、騎士団長としてどちらの格の方が上だとか、そういう争いはなく、良好な関係を築いているというのに、何故かアリシアは昔から私に突っかかってくる。一体私の何が気に食わないというのだろうか。
そんなアリシアの突っかかりを難儀なことが好きではない性格の私が、無視した方が楽なのに、それをしない理由はなんだろうか?
それは、私がまだ小さかったころ、アリシアが会うたびにちょっかいを出してくるので、いい加減うんざりして、無視してやろうかと考えていた時に、見かねたアリシアの父親に「本当は素直でいい子なんだ、仲良くしてやってくれないかい?」と頼まれたからだろう。
大人が下手に出て頼みごとをするなんて、初めてのことでびっくりしたのでよく覚えている。
まあ、私の方が一応年上なのでアリシアのことは大目に見てやろうと、あの頃の私は思ったのだった。
そんなことを考えていると、いつのまにかいつもの場所に着いたようだった。
そこには、艶めく長い金髪を風に少し靡かせ、鮮やかな碧色の瞳を持つアリシアが、静かに佇んでいた。
「遅かったですね。もしかしたら、来ないのではと思っていました」
「アリシアのこと考えながら歩いてた遅くなったんだ(寝てたのもあるけど)」
「……そうですか」
以外だ。怒っていない。
私が遅れたりして、少しでも非があるときには「遅い!いつも貴方は騎士生としての自覚がなってないです!」から始まって、くどくどと説教が続くのだが、今日はそれがない。
アリシアもいい加減、細かいことで突っかかったりしない大人の女性になったのだろうか?
「こほん、では決闘を始めましょう。準備はよろしいですね」
「私はいつでも始めちゃって構わないよ」
ここには私とアリシアしかいない。
前は騎士団長の娘が中庭で決闘しているらしいと、大勢の見物人が集まったものだったが、毎日のように繰り返される見世物に飽きてしまったのか、次第に見物人は少なくなっていった。
それでも、アリシアの親衛隊のほかに、決闘を見に来るファンが数名いたのだが、今日は、誰一人いないようだった。0人というのは初めてだったので、少し疑問に感じたけど、観られるのは好きではなかったから、別にいいかと思考をやめた。
この決闘に立会人は存在しない。
決闘なんて、仰々しく名乗ってはいるが、実際はただの私闘で、喧嘩なのだから。
それでも、アリシアは凛とした声で決闘の口上を述べる。どんな状況でも馬鹿真面目で、貴くあろうとする。アリシアはそういう奴だった。
「王立アンファノール騎士学校第十六庭園イロンの庭、此処に決闘を宣言する!戦いの神オーディナル神の導きによってこの決闘は為され、何人もこの決闘を侵すことはできない!アリシア・ファノ・アルティシアの名に誓う!戦いの神オーディナル神と誠実の神エイロス神の教えに従い、正々堂々と戦うことを!」
「レイナ・ファノ・グランドの名に誓おう、私自身とこの剣でアリシアに勝つことを」
そして、いつもの決闘が始まる。
最初の一撃はいつも彼女からだ。
横薙ぎの鋭い斬撃が脇腹を狙うが、それを私は後ろに少し飛び退くことで回避する。
その回避を読んでいたのか、そのまま横薙ぎの勢いは殺さず、一回転しながら踏み込み今度は勢いに乗った必殺の突きが私の胸に迫る。
必殺の一撃というのは、決まればいいが、決まらなかった場合には大変な隙が生まれる。
私はカウンターというものが好きだ。その一瞬のスイッチが好きだ。
彼女の放った突きはギリギリ、私の胸を貫かず、左足を引き体を九十度回転させた私の前を平行に通過する。
その隙を逃すわけもなく、首を狙う――
「くっ!」
だがしかし、彼女は無理矢理な方向転換で体勢を崩しながらもそれを避け、大きく距離をとった。
残念ながら少し髪を切っただけに終わってしまった。首は少し狙いすぎだったかもしれない。
アリシアは少し勝負を急いているようだった。
でなければ、そうやすやすとカウンターを決められる隙をつくる相手ではない。
このままでは私が勝ってしまう……
このままの状態で勝っても、あの時は体調不良で負けたとか色々言い訳されても面倒くさいし、何よりも、万全の状態でないアリシアに勝っても意味などない。
ちょうど雨も降ってきたし、今日は中止にしよう。
「中止にしようアリシア、雨も降ってきたし終わりにしよう」
こんなことを理由に中止を提案するとアリシアは確実に怒るだらう。
だけど、理由の半分以上はアリシアにあるのだからしょうがない、それ言ったらもっと怒るだろうけど。
「……嫌です」
アリシアは少しの間うつむき、絞り出したような声でそう言って、突撃してきた。
意表を突かれ、アリシアの剣を受け流すことができず受け止め、そのまま鍔迫り合いの形になる。
交わした剣の向こうで、アリシアの頬に涙が伝っていた。それが雨では無いだろうというのは、少し震えた声が物語っていた。
「貴方の気持ちはわかりました……ですが……いえ、だからこそ私はこの気持ちを貫きます……!」
まるで子供のときのように先を見ず、相手にただ剣を届かすために、力任せに剣を振りかざす。
アリシアがなぜそうするのか、なぜ泣いているのか、私は分からずただ困惑していた。
「私にはアリシアがなぜ泣いているのか分からないよ、何かしてしまったのなら謝る」
「とぼけないで!レイナがここに来たとき私は嬉しかった!なのに、やっぱり無かったことにしようなんて……!それなら、最初から来ないで!」
初めてアリシアの激しい怒りの感情をぶつけられ、その理由が分からずさらに困惑する。
アリシアは力任せの攻撃を繰り返し、私はどうしていいのか分からず、反撃せずにただ攻撃を受け躱すことしかできなかった。
「さっぱり私には分からないよアリシア、ちゃんと全部教えてよ」
「……私の思いは全て手紙に綴りました。あれが私のレイナへの全てです。」
手紙?そんなもの受け取った覚えが……もしかしてこれかと思い、そういえば仕舞ったままだった果たし状を取り出す。
「もしかしてこれ?」
「えぇ、そうです」
すごい重要そうな手紙だから、まだ見てないって言ったら怒られそうだなあ。
少しでも怒られないように、言い訳しながら読んでないことを明かす。
「ごめんなさい、忙しくてまだ読んでないです」
「えっ」
アリシアは私が今まで見た中で一番驚愕したような表情をしていた。
「……はぁ?まだ読んでないってなんですか、受け取ったらすぐ読むのが常識でしょう。というか、忙しくてってなんですか、私がどんな思いでここで待っていたかわかっているんですか。一生懸命書いたんだから、きっと読んでくれると思いこんでいた私が馬鹿でした。まぁいいです。全て許します。貴方が手紙を読まないでここに来ることを想定していなかった私もいけませんでした。じゃあ、今から読んでください」
「今からですか?決闘は……」
「そんなのは後でもできます。幸い雨も上がりましたし、しかっり黙読してください」
有無を言わさぬ表情で読めというアリシア、いつもの感じに戻ったみたいだった。
しかし、結構分厚いし、妙な予感がするからあまり読みたくないけど仕方ない、読もう。
〜〜〜
全編読んだ。チラッとアリシアの方を見るが特に変わった様子はない。
どうしてなんだ、、私は顔が火照って動悸がして、しんどくてどんな顔していいかわからないのに。
これは果たし状なんかじゃない、ラブレターというやつだ。
一目惚れでしたから始まって、長めにこれまでのこと。なんだこれ恥ずかしいを通り越して何これ。
好きだから、ちょっかいを出してしまうとか、最後の今日の決闘でアリシアが勝ったら付き合って下さいってなんですか。
「なんで普通にしてられるの……」
「手紙を渡すまでに、心の準備はしっかりしてきたつもりですから」
アリシアは手紙を書いてる間とか、渡すまでにたっぷり考える時間があったかもしれないけど、私は今突然アリシアの気持ちをぶつけられてて混乱の極みなんですが。
「今一度問います。レイナ貴方はこの決闘を受けますか?」
「いいよ、アリシア受けて立つよ」
もっと時間が欲しい。そう思うけど、きっと私の心は決まっていて、剣戟の先に答えはある。なら私は、ただこの決闘に身を任せるだけだ。
「いくよ、アリシア」
アリシアのペースに飲まれっぱなしは癪だから、今度は私の方から先に攻撃を仕掛ける。
が、それはアリシアに弾かれる。角度を変え、さらに複雑な攻撃を加えてみるが、さっきまでとは別人のような冷静さで対処し捌く。
完全にいつものアリシアに戻ったようだった。
「ありがとうございます。レイナがいなければ今の私はありませんでした」
別にアリシアの窮地を救ったとかそういったことは一度もない。ただ、私に憧れ、同じ場所立ちたいという願いの果てに今の私がいて、気づいたら恋をしていたのです。と手紙には書いてあった。
「私は貴方を愛しています」
鋭い一撃と共に愛の言葉をぶつけてくるアリシア。
「ぐぅ、ちょっなんか呟くのやめて!」
「いいえ、やめません。たった今気づいたのです人は自分に素直になるほどに強くなれるのだと」
それは少し違う、確かに動きのキレは前より増してるけど、私に向かってくるまっすぐすぎる好意に羞恥してしまって、私がいつものように動けないでいる、という理由の方が大きいだろう。
こんな卑怯な手を使ってくるなんて、アリシア強くなったね。
なんとか粘ってみたけど、剣は手から弾き飛ばされ、馬乗りにされて喉に剣を突きつけられる私です。
互いに息も切れていた。
「私の勝ちです」
「私の負けか……」
負けちゃったか、私も精神面がまだまだだなあ。
アリシアは剣を仕舞いいつもの凛々しい顔で言った。
「告白します!私は誠実の神エイロスの教えに反して卑怯な手使いました!よって、この決闘をな……って近っ!?」
なんか余計なこと言いそうだったので顔を近づけて止める。誠実さ盾にしてひよってんなよ。
「恋人になったらキスするもんじゃないの?」
「えっ、でもあの……卑怯なあの、神様……っんぅ?!」
まだぐちぐち言うから押し倒してキスしてやった。
「ファーストキス……」
「同じく……」
アリシアの顔が真っ赤だ、私の顔もこの胸のドキドキからして、真っ赤だろう。
「また言い訳したら、もっと凄いことするから」
「……っ」
「っと、暗くなってきたし帰ろうか?」
今度はわたしがひよってしまった。
照れ隠しに手を差し出して、アリシアを起き上がらせる。
「ふふ、そうですね帰りましょうか」
途中までは頑張ったけど最後のは負けてしまった気分。反省しないといけない。
今度戦うときは絶対に負けないから。
おわり