召喚術師は激怒した
「くっ…………!」
膝をついて項垂れるシズマ。
彼女の魔力が回復する兆しは無い。
ダメージからして動くのもやっとだろう。
呼吸も絶え絶えである。
ラナの強奪から始まった長い戦い。
それが遂に決着した。
残された問題はブライだけだ。
「やっぱ、上手く行き過ぎたかな……?」
彼女は吐き出すように呟いた。
その意図がわからない。
なので、俺は問いかける。
「どういう意味だ?」
「もっと早く負けると思ってた」
自嘲気味に微笑んだ。
その表情には大きすぎる影を見た。
年は俺より確実に下だろう。
にも関わらず、その影は深い。
彼女の目的は俺の足止めだった。
初戦で彼女は惨敗している。
召喚術まで封印したのだ。
瞬殺されると思ったのだろう。
長時間は絶対に持たないと。
彼女は死ぬ事を前提として戦っていた。
しかし予想以上に善戦した。
それどころか彼女は今も生きている。
「……下らん」
後方から低い声が響く。
リッカとアビスを守っていた龍皇だ。
声色や表情、全てが怒りに満ちている。
野生的な殺意を隠しきれていない。
最強種族の王としての誇り。
家族としての娘への愛。
鑑みれば怒るのも当然である。
「小娘はここで殺す」
「…………」
言葉を発さないシズマ。
彼女にはもう抵抗の手段は無い。
威圧的な視線で俺達を睨む。
静止を呼びかけるが聞かない。
体を張るも全く意味をなさない。
筋力の差が大きすぎる。
疲れているのに止められる訳がない。
だが、誰も諦めていなかった。
リッカがゆっくりと息を吸う。
そして柄でもなく大声で叫んだ。
『ストップ!!!』
雰囲気を砕くようなその言葉。
叫んだリッカは何も恐れていない。
「貴様、我を誰と心得る?」
『暗黒龍の王様!』
「理解しているなら何故」
『ただそれだけでしょ!』
龍皇は呆気にとられた。
曲がりなりにも暗黒龍の統率者。
恐らく地上で最も強い生命体である。
なのに彼女は臆さない。
それどころか一喝して行動を制した。
そのままシズマに歩み寄る。
回復した魔力で人の姿に変身しながら。
俺達はその姿に釘付けになった。
俺自身、理由は何一つわからない。
「ごめんね、シズマさん」
「謝られる筋合いは無いよ」
「全部覗いたから」
「……そうか、知ってるのか」
「うん」
小さくしゃがみ込む。
視線は同じ位置だ。
今思えば、彼女達の境遇は似ていた。
そんな二人が言葉を交わす。
「私も同じだったんだ」
サキュバスである事への劣等感。
特殊な家庭環境によって生まれた思想。
リッカは引き篭もり、活力を失った。
シズマは偽りの狂気を身に纏う。
自らの存在を否する。
否定した上での行動だった。
しかし今のリッカはそこにいない。
ある意味、向かうべき正しい道を歩いているのがリッカであった。
だから彼女は告げる。
「でも今は、少しだけ誇りに思える」
僅かに芽生えた成長への希望。
彼女はそれを見事に掴み取ったのだ。
胸を張れる自分自身を。
俯く彼女にリッカは手を伸ばす。
差し伸べられる導きの手。
しかしシズマにはそれが眩しすぎた。
彼女の精神も限界だったらしい。
ぽつぽつと、雫が地面に落ちていく。
「……う、ううっ」
体を丸くして涙を零す。
これまで押さえ込んできた罪悪感。
殺してきた自分自身の意思。
それが遂に決壊した。
大粒の涙を止められる者は誰もいない。
溢れる感情は濁流のようだった。
「ごめんなさい……! 人を傷つけてごめんなさい!! 迷惑かけてごめんなさい!!! 酷い事を、悪い事をして……!!!」
言葉自体はたどたどしい。
嗚咽に塗れた少女の慟哭だ。
理想の為に奪ってきた数多の命。
傷つけてきた罪なき人々。
罪への懺悔。
常人がこんな悪事を耐えられる訳がない。
彼女の本質はどこまでもまともだった。
それが救いであった。
それが、彼女を苦しめていた。
「謝ったって罪は消えないよ」
「……うん」
「でも、償う事はできる」
「…………うん」
シズマはリッカの手を取る。
ここは彼女に任せよう。
彼女は罪を償う意思がある。
ならば尊重するべきだと俺は思う。
ゆっくりとシズマは顔を上げる。
涙と砂埃に汚れた少女の顔。
先程の闇がかなり払拭されている。
ここからの道は遠いだろう。
その表情は少しだけ晴れやかだった。
今の彼女なら、きっと——
「ありが……」
シズマが何かを言いかけた。
しかし、その言葉は急停止する。
彼女を貫く剣によって。
「…………ぁ」
『チッ』
背後からの一撃。
肉体を貫通し、腹部から覗く剣先。
滴り落ちる鮮やかな赤色。
それは手を重ねたリッカをも濡らす。
『妹がダメになっちまった』
剣を抜く為に蹴飛ばされるシズマ。
力無く前に倒れこむ。
リッカは無意識に彼女を抱えた。
開いた口が塞がらない。
こんな結末、予想していない。
俺達はこんな結果を求めていない。
『まあ用済みだし、いっか』
半分とはいえ血を分けた兄妹。
己を曲げてまで慕う妹。
彼の理想における最大の協力者。
時には命すら救ったシズマ。
それを容易く傷つけてみせた。
何の情も抱いていないかのように。
頭が真っ白になる。
その白を一瞬で染め上げる怒り。
怒りのままに、俺は叫ぶ。
「ブライ、お前……!!」
『要らない物を処分して何が悪い?』
激憤は極限に達した。





