後に"召喚術の悪例"とされる事件
召喚陣は機能していた。
注がれた魔力も暗黒龍を召喚できる量だ。
召喚自体に必要なものは揃っている。
しかし、それだけでは不十分すぎる。
「ハァ……ハァ……は、ハハ!」
忠告はしたが、彼女は聞き入れなかった。
こんな無謀な召喚術、前代未聞だ。
召喚陣は正常に機能してしまっている。
巨大な黒翼が召喚陣から姿を現わす。
凄まじい熱波が夜の街へと広がっていく。
人口密集地帯で暗黒龍を召喚する。
そんなの、テロと何ら変わりはない。
「コイツが暗黒龍! 私の奴隷ねぇ!!」
運良く……いや運悪く、か。
一頭の暗黒龍が召喚されてしまった。
体格はラナとほぼ変わらない。
だが歴戦の年季をひしひしと感じる。
ラナではない別個体か。
暗黒龍が危険度Sとされる一番の理由。
それはリヴァイアサンのような世界に一体しかいないモンスターと違い、複数体が確認されているからだ。
リヴァイアサンクラスが何頭もいる。
人類にとってはこれ以上にない脅威だ。
『貴様か? 我を呼んだのは』
「 さあ、あの男を食い殺しなさい!」
『問いかけにも応えんとは、なんと下等な』
重く低い声で暗黒龍が唸る。
かつてのラナより悠長だ。
しかし友好さは微塵も感じない。
典型的な、一般的な……。
人類に敵対している暗黒龍だ。
「アンタ、私の奴隷でしょう?」
『我が人間の奴隷? フハハ……笑わせる』
「な……何よ」
『確かに我は召喚には応じた。されど、貴様のような下等生物に使役される覚えは毛頭ない』
信頼し合えていないモンスターの召喚。
つい最近も似たようなことはあった。
シーシャのドラゴンゾンビ召喚だ。
あれはまだ戦闘力が低かった。
だからシーシャも操れていたのだ。
だが、同じ状況にこのような怪物が置かれたらどうなるのか。危険を知らずに召喚術を使えばどうなるか。
『丁度良い、小腹が空いているのだ』
「え、あ……!」
『貴様、美味そうではないか』
「い、あ、嫌ぁっ!!」
答えは明白だ。
そして残酷だ。
「や、やめ、私じゃない!」
助け出したいのは山々だ。
しかし敵対状態の暗黒龍に挑むような行為などできるはずはない。
確実に死が待っている。
負傷したラナの時ですら数度死にかけた。
暗黒龍の強さは、身を以て知っている。
「やめて! 痛いっ! 助け、い、痛っ! 痛い痛いいたいいたグペっ!?」
たった一瞬の出来事だった。
しかし脳裏にははっきりと焼きついた。
ダヌア・マヒート。
彼女が喰われ、命を落とす瞬間を。
その呆気ない最期の瞬間を。
『ふぅ、小腹は満ちたが……』
暗黒龍が舌舐めずりをしてこちらを見る。
俺を買う素振りはない。
だが、油断をしてはいけない。
『腹ごなしの運動が必要か』
「……」
『我を人里に呼び出した事、下等な人間共に後悔させてやろう』
そう言って、暗黒龍は羽ばたく。
一度の羽ばたきで時計塔の屋根は瓦礫に変わり、ガルーダは吹き飛び、召喚が解除される。
止めなければ次は街が瓦礫になる。
咄嗟に懐から土人形を取り出した。
「ラナ、聞こえるか」
「……はい」
「まずいことになった」
* * * * * * * * * *
『乗ってくださいアリク様!』
「ありがとう、バレなかったよな?」
『当然です! たぶん!』
「どっちだ!?」
ガルーダは一撃でやられる。
おそらくグリフォンも同様だ。
と言うわけでラナの到着を待ちながら、俺は走って暗黒龍の暴走を追っていた。
人の有無など関係ない。
ただ破壊し尽くす暗黒龍の暴走。
何とかして止めなければ。
「ま、また暗黒龍だ!!」
「暗黒龍が二体!? この世の終わりだ!」
まあ、周囲からすればこうなるだろう。
「大丈夫! あっちの暗黒龍は味方よ!」
「召喚術師が使役しています! 今から彼らがもう一頭の暗黒龍を何とかします!」
「————逃げ、て」
マキナ達に人々の避難を頼む。
さすがシーシャ、人間の誘導がうまい。
だがそう長くも持たないだろう。
——グォォォォォ!!——
ラナが咆哮し、もう一頭の暗黒龍を塞ぐ。
こう見るとそれなりに体格差がある。
体の丈夫さは変わらないはずだが、体格差で負けるなんてこともあり得るだろうか。
『無益な騒動はやめてください!』
『……龍皇に指図するか』
しかしラナも一筋縄ではない。
龍皇を名乗る暗黒龍に身を呈し……ん?
「え、龍皇?」
『何だ下等生ぶ……どこかで見た顔だな』
龍皇。
ドラゴン一種につき一頭いる、最強の証。
彼はその暗黒龍の龍皇らしい。
だが、俺はその暗黒龍に心当たりがある。
そして俺もよく見ると、この暗黒龍の顔にひどく見覚えがある。
暗黒龍の龍皇。
確かそれは……。
『……パパ!?』
『そ、その声はまさか!』
ラナが叫ぶ。
……そうだった。ラナの父は龍皇だった!
『何やってるのパパ!』
『お前こそ何日も姿を現さずに!!』
『言ったじゃん! アリク様のとこって!』
『アリク……だと?』
龍皇がその視線を俺に移す。
……まずい。
威厳があり、我を曲げず、敵対者に厳しい。
そう、ラナの父親である龍皇の性格はまさに頑固親父のそれなのだ。
『よくも娘を誑かしてくれたなぁあ!?』
「違います! 真面目なお友達です!」
『お友達だとォ!?』
まともな受け返しのつもりなのだが。
何かまずい事言ったか?
『パパ! 人間を食べたって本当!?』
『大量にいる下等生物の一匹や二匹』
『やめてよ! 私は人と共存するの!』
『夢物語はもうやめろ!』
……そういえば言ってたっけ。
ラナの夢を親父さんが否定するって。
さすが頑固親父気質だ。
だが、俺にもよくわかる。
暗黒龍と人間が全面的に共存するには、まだ時間がかかる。
それをラナは理解していないのだ。
『アリク様とは分かり合えた! きっと他の人間とも仲良くなれるはず!』
彼女の響きが俺たちの耳に届く。
その言葉が、俺の中の何かを揺らした。
『……アリクよ』
「は、はい」
『貴様と娘に免じ、此度は引いてやる』
龍皇の反応も俺と同じようだ。
俺たちが夢物語としか思っていないラナの空想、それに少しだけかけても良いのかもしれない。
街はこの惨状だ。
人々も暗黒龍を恐怖している。
龍皇も人間を嫌悪している。
でも、いつかこの壁がなくなったなら。
それが、ラナの望む未来なら。
『忠告だ。あの魔術師と同じ、宝石を持つ者に気をつけろ』
そう言って、龍皇……ラナの親父さんは飛び去った。





