大団円(上)/未来に観た物語。
ラナの寝相の悪さは何百年という時を経ても変わることは無く、今日という特別な日においても変わらず呑気に熟睡していた。
式典の開会まであとわずか。
それなのに、主役は未だ眠っていた。
眠ったまま衣装合わせも化粧も終えた。
今は寝たまま、白椅子に座らせている。
俺はだだっ広く白い部屋にラナと2人、彼女が起きるのを待ちながら式典のプログラムを最終確認していた。
その時、俺の背後にある扉がノックされる。
俺は振り返り、ノックに答えた。
「誰だ?」
「リッカだけど、アビスにラナがまだ起きないって聞いたから」
「……ああ、入ってくれ」
状況を把握し、リッカを招き入れる。
アビスもこの事態に動いたようだ。
100年以上経過し今やアイドルの枠組みを超えた大女優となったリッカ、彼女は今回の式典の賓客という立場だ。
本来なら来てもらってはいけない。
しかし……状況が状況なのだ。
ざっくりと胸元の開いた格好いいドレスをなびかせ、呆れ顔で彼女はラナの前に立つ。
「見た目はアタシより大きくなったのに、中身は相変わらずだなぁ……」
そう言って微笑むリッカ。
彼女の容姿は殆ど変わらない。
しかし滲み出る妖艶さは以前より強烈だ。
サキュバスの色情的な妖艶さの枠組みを超え、最早畏敬すら感じる美しさである。
それでも中身は変わらない。
面倒臭がりだが努力家で仲間想い。
そんな彼女がこの状況を見過ごす訳がない。
リッカはそっとラナの額に手を当てる。
そして目を瞑り、何かを軽く念じた。
するとラナは一瞬痙攣し、途端にバッチリとその大きな瞳を開く。
俺の力では全く歯の立たなかった睡眠。
それをリッカはたった一瞬で解決した。
ラナの間抜けな目覚め声と共に。
「ふわっ!!?」
目を開け、周囲を警戒するように見るラナ。
それを見て俺達は同時にため息をついた。
リッカの言う通り、ラナも立派に成長した。
容姿も今や美少女ではなく美女。
過去に見た龍妃と龍皇、2人の面影を全て良い意味で引き継いだ凛々しさと美しさを兼ね備えた美人だ。
しかし、性格は数百年前と変わらない。
良くも悪くも明るく真面目で、少し能天気。
澄んだ容姿とは真逆の爛漫さだ。
寝起きで目をこすろうとするラナ。
その顔は既に化粧が完成している。
それに気づき、リッカは彼女の腕を掴む。
そして口元を無理矢理引きつらせ、
「おはようラナ、よく眠れた?」
——と、強調するように告げた。
対してラナはまだ状況が飲めていない。
ぽかんとしたまま俺達を見ている。
全く……やれやれとしか言えない。
それでも彼女は呑気につぶやく。
「ここは……」
「式典の会場だ。予行でも来ただろ」
「式典……あぁっ!!?!」
素っ頓狂な声を上げ飛び上がるラナ。
……やっと気がついたか。
式典の主役、世紀の立会人が呑気な事だ。
しかし慌てられ、焦られても仕方ない。
ここは彼女を落ち着かせる方向で行こう。
「もうすぐ開会だ、今のうちに気を落ち着かせておけ」
「…………はい」
「髪でも解くてあげよっか?」
「……お願いします」
リッカも俺の考えを汲んでくれたようだ。
懐から小さな櫛を取り出し、ラナの艶やかな髪を優しい手つきで梳かしていく。
さらさらという音が心地よく部屋に響く。
ラナもすぐ落ち着きを取り戻し始めた。
さすがリッカ、他人の心を掴むのが上手い。
俺はそのままラナのケアを彼女に任せた。
そして俺はポケットからメモを出す。
メモには今日の時間割が記されている。
時間的にはもうのんびりしていられない。
じきに迎えがくるはずだ。
と、俺が考えていた直後。
閉められたドアが再びノックされた。
そしてノックした相手は、俺が答えるより早く部屋のドアを解放する。
相手は——アビスだ。
かつて俺が常に召喚していた3人が揃う。
少し、懐かしい気分になった。
「マスター、ラナ、準備できてる?」
俺たちの表情を伺いアビスが言う。
しかし、それに答えたのはリッカだった。
「うん、バッチリだよ」
「……リッカ? いたんだ」
「うぐっ……い、いたよ! 流石に仕事切り上げて来たよこっちに!!」
棘の強いアビスの返答。
だがそこに悪意は一欠片もない。
実際にスケジュールの関係で、リッカは直前まで来れるかわからなかったのだ。
それでも彼女は忙しい中来てくれた。
俺たちはそれだけで嬉しかった。
アビスも、それを伝えたかったのだろう。
さて、式典の迎えがやって来た。
そろそろこの部屋を離れなければ。
メモを戻し、服を整える。
そしてラナのほうを見た。
……彼女の表情は、暗かった。
まるで自らの影を見つめるかのように。
俺は当然彼女に呼びかける。
主役がそんな顔では一大事になり兼ねない。
「どうしたラナ?」
「……少し、昔の夢を見ていて」
そう言い、ラナは椅子から立ち上がり語り出す。
「あなたが旅立つ直前から、帰ってくるまでの日々を」
戦いを終え、進む道を見つめ直した日々。
俺が皆に多大な迷惑をかけたあの日だ。
あれからすぐ、俺達は変わったのだ。
龍皇はリヴァイアサンは人の世界から姿を消した。
シーシャはラナと稀に会っていたが、成人と共に周囲の反対を押し切りあの時の俺のように何処かへ旅立った。
同じくサレイ達夫婦も姿を見ない。
マキナもいつの間にか消えていた。
俺が行方を知っているのは5人だけ。
女優として大成したリッカ。
大陸の治安を守る事に決めたアビス。
唯一バックス領に残ったダヌア。
俺の助手を務めるシズマ。
そして、ラナ。
皆がそれぞれの道を選び離散した。
やがて時は流れ、数百年。
最早消えた人々の消息は掴めない。
元気にしているだろうか。
……マキナやシーシャは……人の寿命しかない彼女達は、生きているのだろうか。
悠久の時が、俺に深く傷をつける。
それは、ラナも同じだった。
「こうして、皆さんも滅多に会えなくなってしまうようになる前の日々を」
ラナもまた大成したのだ。
だから今日という式典が存在する。
それでも彼女の顔は、どこか寂しげで。
何か、悔いがあるような表情だった。
——ラナの顔に、影を見る。
彼女が大人であると示すかのように。
初めて彼女に影を見た日を思い出す。
あれは……そう、俺が旅から帰った日。
優しげだがどこか物悲しく、それでいて憤りを見せつけていたかのような表情。
彼女から無垢な少女は消えた。
今の彼女は影を抱き、生きている。
しかしそれでも時は止まる事を知らない。
いくら凹んでいても、時間は訪れる。
俺は意思を噛み殺し彼女に告げた。
「そろそろ時間だ」
「大丈夫です、けど……」
杞憂と不安でラナが沈んでいく。
人前での行動が苦手なのも変わらない。
しかし、落ち込む気持ちは強くわかる。
たった3年で自分が寂しがり屋だと実感した俺の身にも、その不安は押し寄せる。
あの日々の、賑やかな時に戻りたいと。
だけど時間は巻き戻らない。
あの日々があるから今がある。
仲間と孤独、両方を知ったから今がいる。
リッカもアビスも、ラナの気持ちはよくわかる。
わかるからこそ、彼女の背中を押す。
「龍皇が何ウジウジしてんの!」
「ラナは最強、怖いものない」
そう、ラナにもう敵などいない。
最強種の中の最強に上り詰めたのだから。
喪失も孤独も乗り越えられる。
俺達は、彼女の強さを支えるだけだ。
これから最強だけではない——きっと世界の歴史を変える偉業に名を刻む、彼女のために。
俺は彼女の前に跪いた。
そして手を差し伸べ、語りかける。
「さあ、前を歩いてくれ。龍皇様」
世界を導く者として。
威風堂々たる龍たちの王として。
彼女は今、前を向いて進まなければならない。
彼女の理想を、実現するために。
「…………っ!!!」
ラナは強く唇を噛み締めた。
目を強く閉じ、涙を振り払った。
握りしめた拳に小さく血管が浮いた。
全て、勇気を振り絞る行動だった。
恐怖を振り払った先。
彼女の成長の終着点であり途中駅。
そこを乗り越えるため、彼女は立つ。
目を開け、全てを振り払い、前を向く。
瞳に、彼女の母のように、未来を見据えて。
「……行きましょう」
彼女は俺たちにそう呼びかけた。
その声に、俺は深く頷いた。