私と『召喚術師』
群衆に紛れ、辺りを見回す彼。
その姿は3年前とほとんど変わりません。
差異があるのは服装の僅かな変化。
そして、この遠目でもわかるほどに表情が柔らかくなっているとわかる程度でしょうか。
私の呼吸は明らかに早くなります。
肺に冷たい空気が満ちます。
それでも視界はクリアなまま。
彼の影が眼に焼き付いていきます。
時間の流れが遅くなったかのように、周囲の人々がゆっくりと歩いている錯覚へ陥ります。
彼だけが、そこに色づいているのです。
「はぁ……参ったな」
小さく彼が呟いたその言葉。
その声自体は私には届きません。
でも、何と言ったのかはわかりました。
彼の仕草、肩をすぼめ後頭部をかく仕草。
彼の表情、バツの悪そうな少し青ざめた顔。
唇の動き、最初に吐き出されたため息。
その全てが洞察のヒントになります。
彼が何か困っている。
私は考える前に歩き出していました。
道の真ん中で悲しい表情を浮かべる彼。
早く、助けてあげないと。
しかし脳裏に僅かな疑問も浮かびます。
彼は私達を置いて消えた人です。
そんな彼を救うべきなのでしょうか?
少し頭を冷やすような小さな罰が当たってもいいのではないでしょうか?
見守るのが正解じゃないのでしょうか?
私の脳裏によぎる黒い思考。
これも昔はなかった感覚です。
三年も無言で放置された私達。
そして、私達を置いて消えた彼。
はやる感情が胸に込み上げてきます。
様々な感情が喉元から漏れ出そうです。
しかし私は、そこをぐっとこらえ——。
「どうされましたか?」
彼の背後から、私は声をかけました。
ピクリと肩を震わせ振り返る彼。
3年ぶりになる私達の再会。
心臓も呼吸もおかしくなる寸前でした。
しかし今の私はそれを隠す事もできます。
平然を装い、彼に話しかけたのです。
続けて私は声をかけます。
「何かお困りの事でも?」
緊張の色を見せない完璧な口調。
意識するのはマキナさんです。
声色も気持ち低めに話します。
鏡の前で練習した澄んだ笑顔も忘れません。
これが今の私の大人です。
無理のない、かっこいい大人の姿です。
そんな私を、目を丸くして見つめる彼。
私の容姿を観察するように目が泳ぎます。
まるで、唐突に始まった初対面の人間とのファーストコンタクトを探るように。
……私はショックを受けました。
彼は、私の正体に気づいていないのです。
確かに私は成長しました。
服装も昔と違いお洒落を学びました。
髪型も少しアレンジしています。
でも、私に気づかないなんて。
心にミシリとヒビが入った感覚です。
「あ、ああ……道に迷ってしまって」
「……それは大変ですね」
遅れて私の問いに返答する彼。
その口調にかつての硬さはありません。
柔和で、どこかよそよそしい口調。
……やっぱり私がわからないようです。
…………ちょっと怒りたい気分です。
でもここはぐっと抑えます。
こちらから種明かしはしません。
彼が気づくのを待つ少しのいたずら。
気づいた時にどうなるか、楽しみです。
私は内心のいたずら心に蓋をしながら、彼に尋ねかけます。
「どこへ向かわれるのですか?」
「それが、実は決まってないんだ」
彼の返答に私はこけかけました。
道に迷ったのに目的地がない?
そんな話聞いたことがありません。
え、こんなにポンコツでしたっけ?
いや、そんな事はないはず。
この言葉には流石に裏があるはずです。
沈黙はありませんでした。
私の処理能力が上がっていただけです。
その証拠に、彼は少しだけ微笑んで話の続きを照れ混じりに話しました。
「親しい仲間に何も告げずに旅に出たんだ。早く彼らに会いたいんだが、どうしたものか……」
ぎゅっと詰まる、私の胸。
「どうしたものか」。
その言葉に、今の彼の姿が見えました。
私達への罪の意識。
自らの不器用さへの反省。
他人を考えない些細な残酷さへの贖罪。
そして、どこか俗っぽいその苦悩。
安心と感動が大波のように押し寄せます。
かつてのような、一歩俯瞰したような冷酷さを今は感じられません。
戦闘が激化する毎に鋭角化した彼の心。
戦うために最適化された思考。
その心は彼を不死身に変えました。
彼から人間性を奪い去ったのです。
そんな彼が、悩んでいる。
自らの行いを後悔している。
呪いから解き放たれた彼に、私は初めて安堵を覚えたのでした。
少し胸に手を当て、心を整えます。
そして、彼の話に返答します。
「大切なお仲間なのですね」
「……ああ」
そう呟き、彼は口角を上げ笑いました。
そして彼は遠くを見据えるような目をして、全てを吐き出すかのように口を開きました。
「別の仲間と旅をしてたんだが……毎日、残してきた仲間たちの事ばかり考えてしまった」
それは、彼の弱さでした。
何も告げずに始めた旅。
全ての思惑を自分一人で抱えていた彼。
そんな彼の、旅の中での強い弱点。
その感情は……おそらく、この領地に残された全ての彼の友人達が大なり小なり持ち合わせているものです。
私だってひどいものです。
三年間、彼を想わなかった夜はありません。
私の中に芽生えていた強い感触。
リッカちゃんとマキナちゃんも当然持ち合わせる感覚。
彼の喪失が生んだ、最大の被害。
「結局俺も寂しかったんだな」
彼はそう告げました。
……それは私も同じです。
きっと彼女達も同じはずです。
それでも彼は耐えました。
私達に3年という機関を作る事で、もう一度自分達の道を見つめ直すことが出来ました。
マキナさんのように追いかける者。
リッカちゃんのように前へ進む者。
そして、私のように心境が変化した者。
寂しかったから成長できた。
早く会いたいから前に進めた。
私も、彼も、みんなも。
おかげで今日に繋がったのです。
彼はゆっくり私のほうを向くと、丸くて可愛げのある瞳をとろけさせて私を見つめ言いました。
「……ワガママに付き合ってくれてありがとう」
……遅いですよ、気づくのが。
いつ頃気がついたのでしょうか。
でも今は、そんなことを気にしている場合ではないのです。
早く、あの言葉を言いたいから。
「いえいえ、気にしないでください」
「しかし俺は……」
「おかげで私、こんなに大きくなれましたから」
私は彼を見つめます。
かつてのような威厳は感じません。
冷たさもカリスマ性も皆無です。
かつて私が抱えていた彼への憧れは、完全に拭い去られた後でした。
かつて遠くで輝いていた"アリク様"。
私は彼の背中を追っていました。
しかしそれは、私の作った幻想。
元々の彼は、今目の前にいる彼です。
憧れのメッキが剥がれた、本当の彼です。
なのに、何故でしょう。
憧れの彼と、現実の彼。
こんなにも違うのに。
こんなにも小さな存在なのに。
恋を知った私の心は、今まさに彼への感情が最高潮を迎えていたのでした。
でも、やっぱり気持ちは1度抑えて。
彼の顔を見つめたまま。
大人びた笑顔なんて考えない、今できる最高の笑みを浮かべて私は言うのでした。
「おかえりなさい」
…………やっと言えた。
あなたに会って、言いたかったこの言葉。
周囲を歩く人々の波の中、彼と、今まさに彼の背後に抱きつこうとする2人の恋敵を見ながら、私は————。





