三年後、ある日の昼下がり
……あれから3年。
今日も私は、あの頃住んでいたままの家で朝の目覚めを迎えます。
耳をくすぐる小鳥達の囀り。
窓から差す優しい陽の光。
おかげで私も朝からすっきり目覚め——。
「おそよう、ラナ。随分とお寝坊さんね」
「……おはようございます」
——られませんでした。
重い瞼を持ち上げながら声の方を向きます。
そこにいたのは呆れ顔のシーシャさん。
長い髪を一本に結び、3年前では考えられないようなラフな格好でベッドの横に立っていました。
家の中には私と彼女の2人きり。
一緒に住んでいるアビスさん達がいません。
そのことに対して、私は尋ねます。
「アビスさん達に起こしてと頼んだのですが」
「私が来た時には居なかったけど?」
「そんなぁ……」
「というより自力で起きなさい」
言い返す言葉はありません。
完全に私の落ち度です。
すぐな取り返さないと……!
「ま、待っててください! お茶を……」
「淹れといたわ。ラナがあんまりにもぐっすり寝てるから」
取り返せません……!
「別に気にしてないわ。約束の時間にもまだ余裕あるし」
「そうなんですか?」
「ええ、貴女の寝坊を見越してね」
そう言うと彼女は食卓の椅子に座りました。
食卓の上にはティーポットとカップ。
どうやらお茶も本当のようです。
だからといって長く待たせてはいけません。
これは言わばシーシャさんのお慈悲。
甘えて良いものではないのです。
そこからの私の行動は迅速でした。
私の残像を私が目撃する程に。
洗顔、ヘアセット、朝食、歯磨き。
全て瞬く間に終わらせ、着替えだけ。
パジャマを脱ぎ捨て、いつもの服を手に取ります。
しかしそこで再びハプニングが。
しかも今回は一味違います。
無理やり袖を通した腕で、張り詰めた胸のブローチをなんとか締め上げます。
ですが、閉まり切りません。
そこで私は確信し、叫びます。
「ま、またサイズが!!」
「ウソ……またなの?」
異変に気付いたシーシャさんと目を合わせ、私は小さく頷きました。
私がいつも着ている魔術師風の服。
これは私の鱗を変化させたものです。
洗濯は必要ですが、壊れる事はありません。
しかし、結局は服なのです。
私が成長すれば着れなくなってしまいます。
「本当に凄まじいわね、貴女の成長」
「あはは……どうしましょう…………」
「いいじゃない? 太ったわけじゃないのだから」
こうなると大変です。
まずはこのサイズの合わない服を着るところから始めなければいけません。
そして変身解除してサイズを合わせ再変身。
これがなかなか手間なのです。
時間もかなりかかります。
ただ悪いことばかりではありません。
シーシャさんの言う通り、私は成長中です。
本来の姿の大きさもパパの半分程度まで成長しましたし、変身後もリヴァイアさんを抜きました。
目指せリッカちゃん体型です。
……お陰でこんなことになるのですが。
そんな私を見かねて、シーシャさんは軽く頭を抱えて私を見ました。
「ラナはそっちに集中なさい。準備は私1人でやっておくから」
「手伝わなくて良いのですか?」
「ええ、今日は本当に単純だから」
そう言うと、シーシャさんは机の下に置かれていた彼女のカバンを卓上に上げます。
中から取り出したのは記録用の紙と鉛筆。
そしていくつかの細々とした器具でした。
それらを並べ終え、彼女はウインクしつつ語ります。
「研究対象は万全でないとね」
* * * * * * * * * *
結論から言うと、心配は杞憂でした。
一度変身を解き服を作り直した私。
しかし今、私は下着姿でシーシャさん達に囲まれています。
少し恥ずかしい私は、何気なく尋ねます。
「……で、でも何故今更身体測定を?」
全身くまなく計測していくシーシャさん。
その数値をマキナさんが記録します。
それはもう、頭の上から足の先まで。
指の長さも髪質も細やかに記録されます。
下着は着ているのに丸裸です。
さらにその理由も明かされていません。
最近のシーシャさんはモンスターの研究を始めたそうですが、またそれとは違います。
普段協力しているので違いもわかります。
いつもなら彼女と1対1の研究ですから。
ならこの計測の理由は何なのでしょう。
そんな私の疑問に、マキナさんでもシーシャさんでもない"もう1人の協力者"が答えます。
「決まってるでしょお? 技術発展の為よぉ」
「身長体重を測ることがですか?」
「そうよぉ、特にあなたは重要なのよねぇ」
「普通に3年間成長しただけなのですが……」
技術の発展に私の体が重要?
ダヌアさんの言葉が理解できません。
ちなみに、私があの日見たダヌアさんは幻覚ではありませんでした。
呪術とゴーレム技術を使った模造人間。
それが今の彼女だそうです。
当然、使役しているのはマキナさん。
あの日ラボラトリィにいたのも納得です。
今のダヌアさんはマキナさんの助手。
……兼・実験台として活躍しています。
何でも人間で実験するのと大差ないとか。
そう思うと、今もほのかに浮かべている笑顔すら少し怖く感じてしまいます。
「……? ボクの顔に何か?」
「い、いえ! なんでも!」
「そうですか……あ、それと」
無意識にマキナさんを凝視していた私。
考えていた内容もあり慌ててしまいます。
しかし特には気にしていない様子。
そのまま彼女は、記録を続けつつも繋げるように私に語りかけてきました。
「ラナさんは普通に成長と言いましたが、実はその考え方が大きな見落としだったりするのです」
考え方が大きな見落とし……?
マキナさんのヒントに私は少し考えます。
ですがやはりイマイチ答えは遠いまま。
あの時もそうですが、私はやはり頭を使うのは向いていないようです。
特に『自分を知る』的な内容は。
すかさずシーシャさんに助けを求めます。
私の体を丁寧に測定し続ける彼女。
今は私の胸のサイズを測っています。
その胸をゆさっと持ち上げ、彼女は私の方を見ないまま助け舟を出してくれました。
「200年はあの姿だったんでしょ? なのにそれがたった3年でこんなにたわわに成長って」
「あ……確かに」
「相変わらず貴女って変なところ鈍いわね」
そう言いつつ私の胸で軽く遊ぶ彼女。
その瞳は何故かジトっとしています。
……13歳ですし、まだまだこれからですよ?
私は心の中でそう応援しました。
しかし、言われて気づきました。
確かに人間の成長速度ならおかしくない。
人間なら3年で容姿もグッと変わります。
ですが私は暗黒龍。
人とは成長の速度も違うはずです。
そしてそれはリッカちゃん達にも言えます。
若く美しい姿を保ち続けるサキュバス。
定められた命のないリヴァイアさん。
その力をコピーしたアビスさん。
そして、幼い姿から急激に成長した私。
悉く他の生命とは違う成長をしています。
その差をマキナさんが何故調べるのか。
理由は私にも少し察せました。
「この秘密を解き明かすことができれば……アリさんを呪いから解放できるかもしれないですから」
そう語る彼女の顔に浮かぶ影。
狂気にも似た信念がそこに見えます。
呪いとはつまり、彼の身に宿った不死。
彼が人でなくなってしまった証です。
3年前、マキナさんと彼は破局しました。
それでも彼女の思いは変わりません。
不死の呪いが宿った彼を人間に戻す。
それが彼女の選択した答えでした。
私の『彼を支えるために強くなる』という答えとは違う、それでも彼女らしい探求を続ける答えです。
その為に始めたのが私達の研究。
身体測定も、その一環だったようです。
また、ダヌアさんの蘇生もまた研究の1つ。
最早際限なく探求し続けています。
そこが悪人ながら人の良いダヌアさんの琴線に触れたのでしょうか。
かなりの無茶も、今は素直に従っています。
「ついでに不死のお溢れ貰えないかなーって、ねぇ?」
……訂正します。どうやら彼女にも目的があるようです。
こうして今も賑やかに交流が続く私達。
彼のいない間にも世界は変わり続けます。
その中で私達は今、新たな理想を掲げ少しずつ前へと進んでいくのです。
いつか彼が、帰ってくることを信じて——。
——と、今に浸っているその時でした。
突如玄関から、聞き慣れた声が響きます。
「た、たいへん!!」
とっさに振り向いた私達。
そこにいたのは白い髪と褐色の肌を持つ……背の高い女の子。アビスさんのほうでした。
3年でかなり喋れるようになった彼女。
しかし今日の彼女はまるで以前のよう。
というより、かなり慌てているようです。
これには私達も若干の焦りを覚えます。
マキナさんとシーシャさんは計測の手を止め、アビスさんの元へ駆け寄っていきます。
私も服を慌てて着ながら続きました。
「たいへんなの! ホントウに!」
「な、何があったのですか!?」
「落ち着いてください、深呼吸です」
「別に逃げたりなんかしないわ」
慌てきったアビスさんを宥める私達。
何か妙な予感が脳裏をよぎります。
私は僅かに事件の予感を覚えました。
命に関わるようなものではありません。
もっと別の、ソワソワとする予感でした。
その答えはアビスさんが教えてくれます。
呼吸を整えさせて落ち着かせると、彼女は珍しく目をカッと見開いたままそれを叫びました。
「リヴァイアサンが告白した!!!」
………………えっ?
…………………………えぇっ!?
沈黙がその場を包み込みます。
告白とは、恐らく愛の告白でしょう。
それは言うまでもありません。
問題はリヴァイアさんがという点。
あの武人で姉御肌の彼女が告白?
そんなお眼鏡に適う相手が周囲に?
頭の中でそんなワードが飛び交います。
しかし慌ててはいけません。
恐らくアビスさんは相手を知っています。
目撃したから家に帰ってきたのでしょう。
私は呼吸を整え、落ち着いて尋ねます。
「だ、誰にですか?」
そう聞くと、アビスさんは何故か私からふっと顔を背けました。まるでバツが悪そうな雰囲気で。
それでも私は何度か尋ね続けます。
すると彼女は、ポツリと答えました。
「——ラナの、パパに」
瞬間、私の頭は3年前のあの日と大して変わらない大混乱を引き起こしました。





