私の決めた一歩
昼過ぎから飛び続け、日は沈み、深夜。
私達が本気で飛行してもこれだけの距離。
その場所に、私の故郷はあります。
私の父。龍皇が住まう漆黒の谷。
ここに戻るのも約1年ぶりでした。
『疲れてませんか?』
『————』
『もうすぐつきますから』
一緒についてきてくれたアビスさんに声をかけながら、暗闇の空を駆け抜けます。
全ては私のわがままです。
なのにアビスさんは、一切のためらいなく私についてきてくれます。
その優しさは、アリク様に似ています。
『……いえ、違いますね。』
『————?』
その言葉は無意識に口から漏れました。
彼は彼、アビスさんはアビスさん。
一緒にしてはいけないのです。
もう、彼を基準にしてはいけません。
それが彼の負担になるのですから。
それが私を惑わすのですから。
* * * * * * * * * *
未明の谷。
人間からそう呼ばれ恐れられる龍の巣窟。
昼夜関係なくぼんやりと明るく、周囲を切り立った山で隔離された人間にとっての禁足地です。
彼もまたここに入った事はありません。
最も近くまで来たのは彼でしょうが。
約1年以上留守にしていた故郷。
その地に降り立ち、軽く深呼吸します。
匂いも空気の湿り気も昔のままです。
僅かな懐かしさが脳裏を擽ります。
「——どうする?」
人間の姿になったアビスさんが尋ねます。
私も人へ変身し、彼女に目的をに告げます。
私の目的はパパとある事について話す事。
その為に、普段からパパがよくいる谷の深層まで飛んできました。
しかしそこにパパの姿はありません。
ここにいないとなるとアテはあと2つ。
変身を解き、もう1度飛び立とうとしたまさにその時でした。
『その必要はない』
頭上から響く低い声。
私達は咄嗟に頭上を見上げました。
そこには目的のパパの姿。
翼を羽ばたかせ、器用に着陸します。
しかしその翼の力は強烈です。
人間態の私達は思わず飛ばされそうになりました。
風を耐え、どうにか踏みとどまった私達。
そんな私にパパは語りかけます。
『どうだ、久方ぶりの故郷は』
話自体は何気ない日常の言葉。
パパもそれが気になるのは当然でしょう。
しかし言葉と裏腹に雰囲気は重いです。
父としてではなく、龍皇としての姿。
まるで私が来た理由を見通すかのようです。
……私も負けていられません。
パパがそう来るなら、私だって。
そんな反抗心が私の心を燃やします。
「……相変わらず退屈です」
その熱を見せないように冷徹に呟きます。
事実、私はこの場所が好きではありません。
四方を険しい岩山に囲われ、昼夜問わず僅かな光が黒い霧に拡散しているような未明の谷。
この暗さが、閉じ込められているようで。
今もまた切迫感に襲われています。
しかしそんな感覚に物怖じもできません。
父に対する強い反抗心。
そして、私が決めた次へと進むための道。
私はそれを冷静を装ったまま告げます。
「私……龍皇に、なります」
冷静に、威勢良く、告げるつもりでした。
しかし私の舌は絡まりこんがらがり。
しかも息は詰まって声は固まり。
結局、たどたどしく私はそれを告げました。
対して龍皇は、やはり私が何を言いに来たのか最初からわかっていたようです。
その間には僅かな哀れみがあります。
親としての哀れみと、もう一つ。
私の全てを知った上での哀れみです。
この哀れみがいちばんの壁になるでしょう。
でも大丈夫、まだまだ挽回できます。
その哀れみも絶対吹き飛ばしてみせます。
私はもう決めたのです。
だから今度こそ淡々と、落ち着いて続けます。
「あなたが引退を考えているのは知っています」
『その通り、故に後継者を探している』
「そこに私も立候補します」
言い切った。
その安堵で僅かに力が抜けます。
しかしその脱力が命取りになりかねません。
即座に私は意識を強く保ち直しました。
龍皇はそんな私の言葉に深く息を吐きます。
まだ哀れみの牙城は崩せていません。
その瞳は娘のワガママを聞く目。
話の内容からは余りにも遠い目です。
でもどうやら冗談として受け止めているというわけでもなさそうです。
その瞳の意味も、私は理解できます。
それを私に思い知らせるように、龍皇は反応しました。
『父として、その言葉嬉しく思う』
それは、父としての言葉。
暗黒龍の龍皇たる言葉ではありません。
私の意思は尊重するという事でしょう。
でも、それだけで片付く話ではない。
龍皇は再び口を開きます。
父ではなく、龍皇の言葉として。
『しかし、お前に龍皇は務まらん。それはお前もよく知っているだろう』
その言葉が、私の胸を貫きます。
覚悟はしているつもりでした。
しかし、それでも真実は胸を打ちます。
確かに私に龍皇は務まらないでしょう。
言う通り、理由は私もわかります。
それでも龍皇はその理由を告げました。
私に言い聞かせるように。
その瞳は、やはり父の哀れみの瞳でした。
龍皇の堂々たる瞳ではありません。
『まだ200年程度しか生きていないお前に、暗黒龍の……全ての龍の頂点に立つ我々の未来は託せん』
「…………」
『それに、お前は……』
少しずつ、声色からも威厳が消えます。
龍皇であり父であるというその立場。
その立場だからこそ告げられる、私への思いをその言葉に込めるように。
『白亜龍の血を引くお前は特別な存在だ。だが……だからこそ、お前は弱すぎるのだ。暗黒龍としての平均的な強さにすら至っていない』
その理由を、私は散々思い知っています。
私より年下の暗黒龍も数体います。
それでも私より弱い暗黒龍はいません。
力を制御できず、吹き飛ばせて小島が1つ。
他の暗黒龍の本気であれば小さな無人島どころか大陸の半島すら一撃で消し去れます。
それも、龍皇となれば更に上。
私からすれば余りにも遠い領域です。
しかし、その原因を私は恨みません。
代わりに母からの力を受け継いだのです。
その力もまだ使いこなせていませんが。
それに私は母に似ているそうです。
弱いのも母譲りなら、それでいいです。
それでもまだ……私は諦められません。
例えまだまだ幼くても。
種として明らかに龍皇に遠くても。
本来……守られるべき立場であっても。
いくら……父の優しさが、心を掠めても。
『……わかってくれるな、ラナ』
……私は…………まだ……。
………………諦めたく…………。
「——リュウオウ!」
『どうしたリヴァイアサン』
「ちがう——わたしは、アビス!」
その叫びに、私はビクリと驚きました。
声の主はアビスさんです。
でも、こんなに力強い声のアビスさんは初めて見ました。それこそリヴァイアさんそっくりです。
その瞳も鋭く、龍皇を睨みつけます。
その場に走る強い緊張感。
龍皇と引けを取らないアビスさん。
しかし彼女は叫んだ時のいからせた顔を落ち着かせ、私にはできなかった澄ました顔で語りかけます。
「リュウオウは——どうして、マスターを許す?」
『…………』
「マスターは、いなくなった。なのに——ラナが大切なリュウオウが、どうしてマスターを許す?」
その言葉に、私もやっと気が付きました。
龍皇であり私の父である彼の矛盾。
私が見てきた龍皇と現在起きている状況には、大きな矛盾が生じていたのです。
私を守ると決めたかつての"アリク様"。
その彼が今、私を置いて姿を消した。
そんな不義理をパパが許すはずありません。
ただでさえ1度私が奪われたのに。
2度目を何もせずに許すような寛大さを、冷徹な龍皇は持ち合わせていないはずです。
言ってしまえば、反対の立場。
そんな龍皇の意思は未だ見えません。
……でも、これはアビスさんの助け舟。
これを逃してはもうチャンスはない。
それに、私も気になります。
だからこそ追い討ちを打つように、私は沈黙する龍皇へそれを訪ねたのでした。
「どうしてですか、お父さん」
龍皇として、そして父として。
どんな思いで、今の彼を見ているのか。
すると"父"は、低く低く、唸るように呟きました。
『……許すわけがなかろう』
黒い怒りが溢れ出すような声。
それは正に、彼への怒りの表れでした。
しかし、どこか違和感があります。
怒っているというより"いた"に近い。
そんな意思が僅かに感じます。
そして父は、懐かしむように彼との間にあった出来事を私に語ってくれました。
それこそいつもの父のように。
『怒りのままに奴を何度も焼き殺した。不死である奴に、もう死んだ方がマシだと思わせるために。奴の持つ責務を思い出させるためにな』
容易に光景が目に浮かびます。
自分自身の意思を伝えにきた彼。
そんな彼に怒り狂う父。
何度も焼かれ、灰になり、踏み潰され。
何度も意思と関係なく再生を続ける彼。
父が彼に怒りを覚えたのは確かでしょう。
今の私なら、その怒りも共感できます。
身勝手な彼の弱々しい願いを。
そして父は、彼を見逃した。
その理由を父は簡単に答えました。
『奴は、耐え抜いたのだ』
「……流石ですね」
『ああ。ただ逃避するだけの者が、あの苦痛を正面から耐えられるとは思わん』
語る父の顔は、どこか満足げでした。
私も胸に熱いものがこみ上げます。
耐え抜いた彼の姿が、私の中で輝いたのです。
そう、私はやっと整理がついたのです。
私達に何も言わずに姿を消した"彼"も、巨悪と立ち向かい続けた"アリク様"も、一人の人間の形なのです。
振り子のように揺れ動く彼の情動。
それが何よりの彼の魅力だったのです。
その魅力対して、私の答えはこうでした。
「……私は、そんな彼と並び立ちたい」
それが私の、好きの理由でした。
「弱くて脆くていつも迷っているようで……そんな彼が、素敵な思い出を一緒に歩んできた彼が大好きです」
だから、弱い彼には強い相棒が必要です。
リッカさんのような特殊能力の使い手。
アビスさんのような隠し球的な切り札。
リヴァイアさんのような歴戦の戦士。
そして、いつでもそばにて、弱くて強い彼と支え合えるような最強のエース。
彼に頼ってばかりは恋なんかじゃない。
力だけじゃなくて、心の支えになりたい。
そんな傲慢な願いを叶えるための手段。
私が強くなるための最大の指標。
「だから私は、龍皇になりたい」
暗黒龍史上、ここまで自分勝手な目的で龍皇を目指したものもいないでしょう。
私自身、今の自分が信じられません。
こんなにも傲慢なワガママを言うなんて。
これが恋煩いというものでしょうか?
自分を自分で抑えられないのです。
そして父も、呆れ気味に吐き出します。
『高潔な龍皇の座に恋愛を持ち込むか』
……ごめんなさい。
心の中でそう返し、小さく頷きました。
当初の計画とは全く違う着地点。
喧嘩になる事も覚悟していたのですが。
足りてませんでしたね、その覚悟。
結局父の瞳は優しいままです。
それでも私の思いは全て吐き出しました。
私はそれだけで満足です。
あとは、父の機嫌を祈るだけ。
私の不相応な夢を許してくれるかどうか。
……どうか許してください。お願いします。
『……修行をつけてやるから、10年で俺を超えてみせろ。そうしたら龍皇候補に入れてやろう』
「!!」
瞬間、私の周囲にのしかかっていた重苦しい感覚は一瞬にして吹き飛びました。
……やった。
……やった!!
厳しい条件付きだけど認めてくれた!!
『いいな、ラナ』
「はい!!!」
私は強く頷いて答えました。
私の考えた、彼に近づく道への一歩。
ギリギリでしたが、何とかその道をてにいれたのです。
ここからはただただ勝負です。
龍皇になって、彼に相応しい女性になる。
弱い彼を支え、強い彼と並び立つ私に。
そこにはもう迷いなんてありません。
そんな私を祝福するように、アビスさんは小さく微笑んでエールを送ってきます。
「ラナ——がんばって!!」
「はい! なってみせます、龍皇に!!!」