暗黒龍は恋を知る(上)/日記の秘密
あれから数刻。
シーシャさんとマキナさんを『後処理』の為に中心街へと送り届け、私は1人で街を歩いていました。
多くの露店とそれに群がる街の人々。
その喧騒に、私は溶け込みます。
1人になった私はふらふらと歩きながら、リッカちゃんの残した言葉の意味を考えていました。
ふいにその時の光景を思い出します。
「アタシは、その答えは違うと思う」
私の頭の中でぐるぐる回る言葉。
脳みそが全てそこへ向かってしまいます。
アリク様の事も考えなきゃいけない。
でもリッカちゃんも気になる。
しかし、いくら考えてもわかりません。
一頻り考えて、私はため息を吐きました。
「はぁ……」
その理由は単純です。
何も、思いつかなかったからです。
大通りを離れ、人のいない路地に入る私。
そこで私は一度足を止めました。
歩いていたことに理由はありません。
動かないと落ち着かなかっただけです。
何か行動をしていないと気が済まない。
でも結局、歩いても落ち着きません。
焦りが行動に出ているだけでした。
建物の隙間から空を見上げます。
普段飛んでいる、手に届くはずの空。
それすら今は遠くに感じます。
まるでそれは、リッカちゃんのように。
そして……頭で回る言葉のように。
私の夢の中で泣いていた女の人。
彼女の正体は身近な人に間違いない。
私の予感がそれを強く鳴らすのです。
そしてマキナさんは、悲しみの中にいた。
私はそれを予期せず感知してしまった。
てっきりそう思っていました。
でも、リッカさんにああ言われてしまうとさすがに迷ってしまいます。
何せ心を読むのは彼女の得意分野。
私はといえば、パパ曰く「母の遺伝が覚醒して超感覚的な能力が目覚めたかも知れない」という状態。
とても反論なんてできません。
というよりパパの説明は曖昧すぎます。
そもそも能力とは何なのでしょう?
私にはさっぱりわかりません。
それを私は独り言で吐き出します。
「結局、あの子は誰なのでしょう……」
私の言葉は誰にも聞かれず消える——
——はずでした。
直後、その声を聞くまでは。
『あらぁ、お悩みかしらぁ?』
どこからともなく聞こえたその声。
辺りを見回しても声の主はいません。
でも、それが誰かはわかります。
かつてアリク様と対峙した者。
勇者ブライの仲間。
魔法使い・ダヌアの声です。
彼女は1度は仲間になりました。
しかし、私の肌が教えてくれます。
決して心を許して良い人ではないと。
だから私は、あの時も可能な限り彼女との接触は避けていました。
そんな彼女の、聞こえないはずの声。
幻聴ではありません。
私は見回しつつ、声を上げました。
「何故あなたが……どこにいるのですかっ!」
『どこって、ここよぉ?』
「早く出てくるのです!!」
挑発的な返事に私も声を荒げます。
頭を使っている最中に起きた異常事態。
私は私らしくもなく、苛立っていました。
しかしその感情はすっと消え去ります。
彼女の声の位置に気がついたのです。
声が聞こえたのは私の目の前。
そこには当然誰もいません。
ただ、見落としていたところがあります。
私の足元です。
私はゆっくりと地面を見下ろしました。
そこに確かにダヌアさんはいました。
『久しぶりねぇ』
私の手のひら程度の大きさの彼女が。
瞬間、私の体から一気に気が抜けました。
「……へ?」
同時に変な声が口から漏れました。
状況があまりにも素っ頓狂すぎます。
悩んでいたら現れた、ネズミ程度の大きさまで縮んだ死んだはずのかつての敵。
悪い夢というより、具合が悪い時の夢。
この光景はそんな景色に似ています。
恐る恐る私は彼女をつまみ上げました。
紛う事なく小さくなったダヌアさんです。
そのまま彼女を眼前へ持ち上げます。
その現実に私は言葉を漏らしました。
「アリク様も言っていましたが、本当にしぶといのですね……」
『別に悪巧みはしてないわよぉ?』
「その格好で言われても頭に入ってこないです」
『私だってここにいるのは不本意よぉ』
そう言うと、彼女はため息をつきました。
どうやら復活は本意ではないようです。
でも2回目の時は結局乗っていたような……。
1回目の不完全もわかりませんし。
結局疑念は晴れません。
ですが、今いるのも事実。
私に接触したのも意味があるのでしょう。
疑念を抱きつつも、彼女の話を聞きます。
『貴女の悩み……あの男絡みねぇ?』
そう言われ、私は息を飲みました。
確かにその通りです。
ですが何故知っているのでしょう?
確かに人生経験は濃厚そうですが……。
お見通しという事でしょうか?
そのまま彼女は続けます。
『悩みを解決する方法、知ってるわよぉ?』
「……嘘つかないで下さい」
『嘘を言っても得にならないわぁ』
私は反射的に反発していました。
あまりにも怪しすぎる言葉。
まるで悪魔の囁きです。
……リッカさんも魔族ですけど、それとは違います。
ただし彼女の言葉も納得できます。
悩みが解決してもダヌアさんに得は無い。
私に話しかける必要もないのです。
何かを隠しているのでしょうか?
でもどうも、そういう気配もありません。
頭で考えても、何もわかりません。
対して本能が『嘘』を感知しないこの状況。
そんな私に残された道は一つでした。
「……なら、教えてください」
『何を知っても、後悔しないわねぇ?』
「…………はい」
私は、そんな悪魔の契約を飲みました。
* * * * * * * * * *
それから十数分。
私の髪の中に隠れた小さなダヌアさんに誘われるまま、私は街を歩きました。
やがてある建物の一室に辿り着いた私達。
そこは私の記憶にもある場所でした。
不意に湧いた疑問をそのまま口にします。
「ここはマキナさんの——?」
『あら、知ってたのねぇ』
部屋中に漂う薬品の匂い。
そこらじゅうに散らばった本や書類。
棚に並べられた器具の数々。
というより、道のり的に間違いありません。
ここはマキナさんのラボラトリィです。
無用心に空いていた無人のその部屋に、私たちは入っていました。
何故この場所に案内を? というより、何故ダヌアさんがこの場所を知っているのです?
解消されないまま湧き上がっていく疑問。
しかし彼女はそれに答えません。
髪の中からするする降りるダヌアさん。
小さな体でデスクの上へとよじ登ります。
そして一冊の本を私に差し出しました。
今の彼女の二倍近い大きさの本。
それを私は、片手で受け取ります。
本に題名はありません。
というよりこれは、硬いカバーの本のように装丁されたノートのようです。
ここに知りたい事があるのでしょうか?
疑いつつ、私は本を開きます。
その中は、手書きでこう書かれていました。
『アリクさんに、自分の想いを告白した。彼は驚いたような表情の後に、少し笑って、私の告白を受け入れてくれた。こんな素敵な気分な日は、二度と来ないと思う』
慌てて私は本を閉じます。
そしてダヌアさんに話しかけました。
「あの、これって……」
そこまで行って私は言葉を止めました。
ダヌアさんがいないのです。
まだも扉も空いてません。
何なら姿を消すのも見てません。
本当に忽然と、姿を消したのです。
……やっぱり何かがおかしいです。
そもそも小さな彼女を見るなんて。
幻覚というものでしょうか?
それにしては現実的だったような。
そもそも、何故ここに来れたのかもわからなくなってしまいますし。
この本を触れている理由も……うーん。
考える程に膨らむ疑問。
それに対し、手に持った一冊の本。
これはマキナさんの小日記のようです。
しかも内容は告白から始まっています。
こんなもの読んで良いのでしょうか。
そう思いつつ、私の本性は正直でした。
『アリクさんの家に通い、好きな人と一緒に過ごし、ラナさん達と交流する。まるで、家族ができたかのようだ。こんな幸せ、初めてだ』
次のページに綴られたそれを、私は無意識のうちに読んでいました。
ダメとわかっていても読んでしまう。
そこに私の知りたい事があるから。
その気持ちを私は止められません。
その後も日記には彼女の生活が続きます。
些細な過ちから幸せな出来事まで。
1日に1つのペースで続いていました。
内容はやはりアリク様関係が多いです。
文面からも漂うお2人のお似合いな関係。
なのに何故あの記憶に行き着いたのか。
それもまた疑問の一つです。
数ページめくり、私は手を止めます。
その1文は、短くこう書かれていました。
『やはり私は、リッカさんに嫌われてしまったようだ。少し、いや、かなり辛い』
……やはり、そうだったのですか。
リッカちゃんの複雑な感情を、マキナさんは感じ取っていたようです。
そのせいか日記にも躊躇いが滲みます。
それはめくった次のページも同じでした。
『今日は、アリクさんと2人きりだった。でも私は、何故かそわそわしていた。過るのは、リッカさんと、アビスさんと、ラナさん。そして、お嬢様の顔。仕方ない事なのに、罪悪感も際限がない』
アリク様との関係に対する不安。
幸せの中に走った亀裂のようなもの。
その原因は紛れもなく私達でした。
強い感情を持つリッカさんの恋慕。
それは彼女にも伝わっていたようです。
アリク様を巡ったお2人の狭間。
私ができたのはそれを見る事だけでした。
不安を抱え、マキナさんは次のページへ。
そこには私との話題が綴られていました。
『ラナさんが、相談に来た。不思議な夢を見るという相談を。残念ながら、夢は私の専門外だ。調べると言って、私は彼女を返してしまった』
……そういえば相談しましたっけ。
今になってこの日の事を思い出しました。
確かあれはアリク様の家にいた時の事。
丁度2人きりになったので、話したのです。
当然答えはこの日記の通り。
私は少しだけ落胆したのを覚えています。
…………あぁ、私の馬鹿。
私は何でこんな空気を読めないのですか。
戦闘とか危機察知は鼻が効くのに。
この時のマキナさんは不安なのですよ?
なのに……全く。
私の相談を気にかけたマキナさん。
そのままページを2、3とめくります。
拭えない不安と共に続く日常。
マキナさんの当時の想いが伝わります。
しかしそこにある転機が訪れました。
その原因は……どうやら私のようです。
『気になって、夢と心理の関係性に関する本を買ってみた。すると、更に気になる事があり、私は、意を決してリッカさんに相談してみることにした』
ここでリッカちゃんと対談……。
確かに夢に関しては彼女も詳しいです。
しかしその多忙さから相談していません。
でもそこはやはり研究者なマキナさん。
気になったら確かめたくなるようです。
例えそれがどんなリスクを孕んでいても。
申し訳なく思いつつ、ページをめくります。
次に進展したのは十数ページ後。
それは珍しく次のページにまで続いていました。
『リッカさんと待ち合わせ、少し仲直りできた。そしてやはり、私の気になる事は、予想通りのようだった』
その時、私は胸を撫で下ろしました。
良かった……喧嘩はしなかったのですね。
お2人とも優しく理知的な人です。
これが最高の解決法に違いありません。
このまま仲も以前のように戻ってくれたら。
……私も協力しなきゃですね。
しかし、気になることとは何でしょう?
マキナさんも夢の悩みがあるのでしょうか?
そう思いつつ、次のページをめくりました。
『ラナさんは、自分の恋心に、気づいていない』
『周りの誰もが、気づいているのに』
その時、私は思い知るのでした。
小さな悪魔の忠告の意味を。