お嬢様の決断
「マキナ、仕事終わったら来てくれるって」
「そ、そう、ですか」
帰ってきたリッカさんが話しかけます。
その話を、私は心半分で聞いていました。
この場にいるのは私達とアビスさん達。
それ以外にはいません。
昨日の晩まで確かにいたアリク様。
彼だけが、何故かいないのです。
それがあまりにも不可思議でした。
理由も足跡もわかりません。
何もわからず、私は放心していました。
情報は驚くほど途絶しています。
それでも何か、僅かでも知りたい。
そう思い、アビスさん達に尋ねました。
「本当に何も見なかったのですか?」
「————ん」
「リヴァイアさんは?」
「……すまない、私もだ」
しかし、尋ねても状況は覆りません。
もうこれで4度目の質問でした。
いくら聞いても答えは変わらず。
アリク様が消えた時、アビスさんもリヴァイアさんも眠り続けていたのですから。
これで情報は断ち切られました。
アリク様がどこへ行ってしまったのか。
何故忽然と姿を消したのか。
今はそこに辿り着く道がありません。
情報がないのですから、当然です。
私達の捜索網は容易く途切れました。
こうなってしまうと八方塞がりです。
どうすればいいかわかりません。
アリク様がいないだけでこんなに違う。
私はそれが何より驚きでした。
頭が回らずベッドに腰掛ける私。
何か手段を探し続けるリッカさん。
こんな状況が、ずっと続いていました。
少しずつアリク様が遠のいていく。
そのイメージを、ぼんやり抱きながら。
何か、誰か打開策は無いでしょうか。
こんな状況を打破できる情報持つ人は。
私たちの知り合いに、そんな人は。
「——シーシャ」
不意にアビスさんがそう呟きました。
するとリヴァイアさんも続きます。
「あの小娘ならわかるかもしれん!」
確かに言う通りかもしれません。
シーシャさんは領地の中枢に近い人。
何か知っているかもしれません。
——かつてのシーシャさんなら。
今のシーシャさんはかつてと違います。
普通である事を強要されているのです。
派手な行動はとれません。
何ができるか私達にはわかりません。
それを私は知っていました。
「シーシャさんは、今!」
「でも他に方法は無いじゃん!!」
私は止めようとしました。
しかしもう歯止めは効きません。
リッカちゃんの意見もわかります。
アリク様の失踪には謎が多すぎる。
事件に巻き込まれたのかもしれません。
僅かにためらいました。
しかし私の決断も弱いものでした。
家をアビスさんに任せて変身を解きリッカちゃんを背中に乗せ、私は中心街へと翼を広げました。
* * * * * * * * * *
「話は分かったわ」
それから間もなく。
私達は中心街の邸宅にいました。
かつてのような大広間ではありません。
邸宅の隅にあるシーシャさんの自室です。
彼女は広間への入室を制限されています。
これもどうやら罰のようです。
……正直納得はいきません。
「力を貸して! 一生のお願いっ!」
「そうは言われてもね」
リッカちゃんの頼みに俯くシーシャさん。
そこにかつての頼もしさはありません。
不安に苛まれる1人の女の子。
私の目からはそのように見えます。
そして、実際にその通りなのです。
自分の努力の形を砕かれ。
忌み嫌われるかのように押しやられ。
救いの手を遮断され。
今の彼女は、無力で、弱くて……。
「…………今は、何もできないわ」
……私も、それを知っていました。
でも私はリッカちゃんを止めなかった。
私自身、彼女を頼っていたのです。
そして結果は当然なものでした。
申し訳なさそうに俯くリッカちゃん。
顔を伏せて魔力を噛みしめるシーシャさん。
私には何をする事もできません。
今の彼女は1人の子供。
何の権力も与えられていないのです。
私達の行動は残酷でした。
シーシャさんを傷つけるだけでした。
今になって全てを後悔します。
なのにシーシャさんも一緒に悩んでます。
彼女はやはり、優しい人です。
そして……私達は恵まれていました。
「なら子供らしくすればいいじゃないか」
「うわっ!? どこから来たのメリッサ!?」
「その名はもう使えないけど、まあいいか」
シーシャさんの背後からひょっこりと顔だけを出した1人の女性。彼女の護衛を務めるメイサさんです。
彼女の記憶はまだ戻っていません。
しかしかつての縁は全て断たれています。
勇者一行との悪縁も。
そして、シーシャさんとの養子関係も。
だから今はただの護衛と守護対象。
そのぶん、2人の仲は近く感じます。
だからなのでしょうか。
今のメイサさんはマキナさんのようです。
大人の立場からシーシャさんを守る人。
大人らしい頼もしさがあります。
ただ、マキナさんと違う所が1つ。
「多少のイタズラは子供の特権だよ」
「でも!」
メイサさんはまるで、年下の子供にやんちゃな事を教える年上ガキ大将……のようなのです。
暗黒龍の中にも彼女のような者はいます。
決まってパパに厳しく叱られますが。
でも、決して悪い人ではありません。
まるで子供の楽しみを教えるように。
息苦しいシーシャさんを解放するように。
彼女は手を差し伸べるのです。
「大丈夫さ、何かあれば守ってあげよう」
その言葉に、シーシャさんは目を剥きます。
まるで道が拓けたかのように。
瞳にかつての頼もしさが宿っていました。
そして僅かな子供らしさも見えます。
それを見て、私は微笑みました。
* * * * * * * * * *
道がわかればすぐに動く。
それがシーシャさんらしさです。
私達がいるのは邸宅内にある一室。
広い部屋を覆い尽くすように、無数の本と魔術による回線が張り巡らされています。
今まで入った事のない部屋。
私は少しワクワクしました。
この部屋に、領地の情報が集まる。
シーシャさんはそう言っていました。
誰が住んでいるのか、どのような仕事か。
どこで誰が生まれて誰が死んでしまったか。
出入領の記録も全てです。
アリク様が外へ出たなら記録は残ります。
もし記録が無いなら領地の中にいます。
もしくは……手続を踏まずに出た。
その可能性も無くはありません。
アリク様が手続を踏まないはずがない。
領地の外に出るならそこは飛ばしません。
でももし、何かの事件に巻き込まれたら。
不安が頭の片隅をよぎります。
だから、わたしは祈りました。
アリク様が無事である事を。
真新しい本を捲るシーシャさん。
その本には先月から今朝までの出入領の記録が刻まれているとの事です。
仕組みは私にはイマイチわかりません。
リッカさん曰く、何でも魔力の回線が別のところで刻まれた情報をこちらの本に移しているのだとか。
……やっぱりわかりません。
「アリク・エル……あったわ!」
本を捲る手を止めたシーシャさん。
その手はあるページの1行を指さしました。
私とリッカちゃんもそこを覗きます。
そこには……確かにアリク様の名前が。
「ってことは、アリクは自分で出たの?」
「そうなるけど……おかしいわ」
シーシャさんは口元を押さえました。
何かを考え込むかのように。
そして、私もそれに気づきました。
他の名前とアリク様の名前の差異を。
ずらりと並べられた出領者の名前。
そこには規則性があります。
1人で出た者なら刻まれる名は1行に1人。
複数なら1行に数名の名前が入っています。
アリク様は後者。複数名で出たようです。
アリク様と、もう1人。
本来ならそれで終わるはずでした。
刻まれているはずのもう1人の名前。
それが真っ黒に塗り潰されていなければ。
こんな事、他の行にはない光景です。
シーシャさんもそれを見て考え込みます。
しかしふと彼女は顔をあげました。
こめかみに伝う一滴の汗。
何かに気がついたようです。
「いえ……まさか!」
焦るように彼女は叫びました。
そして彼女は本の裏……捲っていた方向とは逆の背表紙から再び本のページをめくっていきます。
パラパラと送られていく文字列。
その配列は今までと違います。
1ページに1人、刻まれた人名。
そこに様々な情報も刻まれているようです。
右端に刻まれていた文字。
私はそれを見て、驚きました。
はっきり『罪状』と刻まれていたのですから。
数ページめくり、再び手が止まります。
そこには精巧なある人物の似顔絵。
刻まれた罪状とその罪。
そして、名前と出国許可と書かれた印が押されていました。
「……シズマ・シン」
シーシャ様が名前を読みます。
私達も、間違いでないと確認しました。
シズマさんと私達は和解していました。
しかし罪を拭い去る事はできません。
勇者パーティ唯一の生き残り。
大犯罪者ブライの実の妹。
そして、本人の犯した罪の数々。
これらは全て領主様に裁かれました。
彼女は今、牢獄にいるはずです。
なのに刻まれているのは出領の旨。
それも理由が書いてありません。
他の犯罪者には移送等の理由があります。
なのに、彼女はそれが不明なのです。
謎は一気に深まりました。
姿を消したのはアリク様だけではない。
不明の消失を遂げたシズマさん。
僅かに深い影が見えました。
しかし、考える暇はありませんでした。
それを知らせるように、背後から男の人の叫び声がこだまします。
「そんなところで何をやっている!」
「ヤバっ! バレた!?」
その声に一斉に振り返る私達。
リッカちゃんは驚きの声を上げています。
それもそのはず。ここは領の重要施設。
許可がなければ入れないのです。
当然、その許可なんてとっていません。
私達はとても悪い事をしていました。
ここは謝るのが自然でしょう。
しかし、シーシャさんは違いました。
まるで何かを吹っ切るかのような視線。
それと共に、彼女は走り出しました。
男の人を突き飛ばしたシーシャさん。
尻餅をついた彼。
しかしおかげで退路が拓けます。
彼女はそこから逃げ出したのです。
これは私達も予想外でした。
こうなれば付いていくしかないです。
「コラ! 待ちなさい!」
背後から追いかけてくる男の人。
そこから必死に逃げる私達。
ああ……罪悪感で押し潰されそうです。
リッカちゃんもどんよりとした表情。
まあ、当たり前ですよね。
さて、シーシャさんは……!?
「……クク、あはははっ!!」
……笑っていました。
まるで無邪気な子供のように。
私が今まで見た事もない表情で。
「マキナのところへ行きましょう!」
「マキナならアタシ等の家に来るよ!」
「そ、それよりまずは逃げないと!!」
走りながら私達は話し合いました。
とても良い笑顔のシーシャさんと共に。
世界は平和ですが……私の日常は波模様です。