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遠い日常

 

 俺は光の中にいた。

 ブライを封印した光の中に。

 目の眩むような光はいつまでも晴れない。

 何が起きているのか、俺にもわからない。

 周囲には、俺以外の誰もいなかった。


 やがて、俺の体は感覚を失う。

 痛みはない。痛覚も失われたのだから。

 世界と少しずつ断絶させられていく。

 光の中で、俺は独り。


「誰か、いないのか?」


 口を動かす感覚ももはや無い。

 しかし俺は呟いていた。

 冷たすぎる孤独に侵食されていく中で。


 ……嫌だ、こんな場所にいたくはない。

 ネムに殺されかけた時と同じだ。

 ただあの時に比べて、とても怖い。

 無へと消えていく恐怖は耐え難い。

 光の中で俺はもがいた。


 ——誰か、俺の"手"を取ってくれ。

 そう願い、俺はすでに失った"手"を伸ばす。


 * * * * * * * * * *


「…………ぁ」


 光の中から、俺は目を覚ました。

 目の前に木目の天井が広がっている。


 布団はかかっているが、背は硬い机の上。

 おかげで全身がミシミシと痛む。

 これのせいであんな悪夢を見ていたのか?

 いや、そう言うことでは無いだろう。


 疑問を抱きながら、光の中で無意識のうちに伸ばしていた手を視線で辿る。

 その先に、何かが触れる感覚がある。

 すべすべとした人肌。

 微動だにせず俺を受け入れる誰か。


「おはようございます、アリさん」

「…………おはよう」

「……フフッ」


 マキナだった。

 椅子に座ったマキナが、俺を眺めている。

 彼女がいたことにより俺は気づいた。

 ここは、マキナのラボラトリィだ。


 机も以前実験道具が置かれていた場所だ。

 周囲の家具の配置も以前と変わらない。

 書類の積まれた作業机。

 実験用具が並ぶ棚。

 小さな物体を見ることができるあの器具。

 どれもあの時に見たものと同じだ。


 夢ではない、感覚がそれを示していた。

 机の冷たさを感じられる。

 マキナの声と息遣いを聞き取れる。

 布団から漂う他人の匂いが鼻をくすぐる。

 俺は、消えてなどいなかった。


 しかし何故ここで寝ていたのだろう。

 俺にはあの後の記憶が一切ない。

 思い出そうとした時、彼女が口を開いた。


「アリさんは、3日間眠っていました」

「……また気絶していたのか」

「いえ、気絶というよりは……」


 そう言って、マキナの声は詰まった。

 彼女の所作に俺は息を飲む。

 俺は気絶していたのではない。

 しかし恐らく死でもない。

 光の中で味わった感覚は、死とは違う。


 だとしたら俺はどうなっていたのだ?

 あの光の中で、俺は何を体験した?

 その答えが明かされることはない。



「あの子達を呼ぶ前に、伝えますね」


 そう言って、彼女は俺に告げる。


「アリさんの肉体は、既存の生命体とは一致しない未知の存在へと変わってしまいました」


 彼女の説明を、俺は黙って聞き続ける。

 俺が経験した地下での事象の追体験。

 "ヒトでもなければモンスターでもない"。

 人と同じ見た目だが、俺は人間ではない。

 俺は"生き物"として完全に孤立した。

 彼女は俺に、そう言った。


 続けて彼女は、今後の予測を告げる。

 少しずつ生命から逸脱していくらしい。

 その説明はとても難解だった。

 ただ、それでも自分の中で理解できた。


 いつか俺は飲食が必要なくなるらしい。

 睡眠もいらない肉体になる。

 そして、汗をかくこともなくなる。

 髪や爪が伸びることも。

 まばたきすらする必要がないという。


 それは、俺の一番の変化が原因だった。

 彼女はその変化を指差す。

 臍の下。俺の下腹部にあたる場所。

 見覚えのある魔法陣が刻まれていた。


 ブライの反転召喚陣。

 それが赤い墨のように刻まれている。

 いくら擦ってもそれが消えることはない。


 つまり、結論はこうだ。

 ブライは俺の肉体に封印されたのだ。


「アリさんは……もう、死ぬ事はないす」

「……ああ」


 ブライの不死は俺の中に溶けた。

 俺の体質と奴の不死はそのまま融合した。


 俺の中にあった唯一の欠陥とも言える不死。

 それすら完璧になってしまったのだ。

 もはやいかなる存在も俺の脅威ではない。

 当然のように飛び越えた死がそれを物語る。


 生物の最後に訪れる死の存在。

 それは何者にも超越できない終わりの形。

 不死にすら、これまでは攻略法があった。


 しかしそれはブライの手で覆された。

 彼がいかなる手段を用いて"本物の不死"を完成させたかは未だに不明。

 故に俺を殺すことはできない。

 その上で生物として未確定な俺がいる。


 二つの力の相乗が、いずれ俺を苦しめる。

 それが彼女の予測だった。


「ただ……それではアリさんが……」


 マキナはもはや泣き始めていた。

 俺に訪れる恐ろしい未来を知って。

 3日間に起きた俺の"異変"を観測して。

 賢い彼女は、体感してしまったのだ。


 しかし抱いているのは恐怖だけではない。

 もう一つ、彼女は思いを噛み締めていた。


「ボクは……無力です……っ!」


 そう言ってマキナは自らの膝を殴る。

 ポタポタと溢れる涙が拳に滴り落ちる。

 悔しさを噛み殺したような彼女の表情。

 その表情の意味を、俺は知ることになった。


「ボクは、何もしてあげられない……!」

「………………」

「大切な……大好きな人なのに!」


 その瞬間、俺は息が詰まった。

 彼女の俺に対する"想い"を始めて知る。

 それも衝撃的だが、一度と立ち止まった。


 そして、彼女の視点に立ってみた。

 想い人が人間ではなくなった。

 それどころか生物かすら怪しい存在だ。

 戻す手段は現状存在しない。

 やがて想い人は不幸に襲われる。


 だが彼女は賢かった。

 これまで幾つもの研究をしてきたのだ。

 ノウハウも知識も十分にある。

 治す手段は見つかるかもしれない。

 しかし、現実は残酷だった。


「何度も実験をしました! あの子達がいない間に! あなたを普通の人間は戻す実験を! 何度も、何度も!」

「マキナ、お前……」

「でも……あなたは、戻らない……!」


 類稀な才能を持った彼女は挫折した。

 それも、最も認めたくない研究の対象で。

 普段のような知欲によるものではない。


 大切なものを助ける手段はない。

 苦しむ姿を見つめ続けるしかない。

 同じ立場の時、俺はどう思うだろうか。

 俺は今まで恋愛の経験がない。

 それでも大切な人が同じ立場だったら。

 絶望は、どれほど深いのだろうか。


 だから俺は一度思考に潜る。

 そして必死に言葉を紡ぎ、考えた。


 どうすれば俺が救われる中ではない。

 どうすれば、マキナを救えるのか。

 深い絶望から、彼女をどう救い出すか。

 そこに明確な正解は見えない。

 ただ、いくつかの選択肢はあった。


「これは、呪いなんだ」


 選んだ選択肢が、この言葉だった。


「俺は永遠にこの呪いと向き合う」

「……………………」

「だから、お前は苦しまないでくれ」

「アリ、さ……」

「お前が苦しむほうが、俺は辛い」


 そう言って、俺はマキナを抱き寄せる。

 これが正しいとは到底思えない。

 ただ、俺にはこれ以上の最善はない。

 最も苦しみのない選択肢がこれなのだ。


 彼女の頭を撫でてみる。

 どうやら撫でられ慣れていないようだ。

 身をよじって逃げようとする。

 彼女の体温が上がっていくのを感じる。

 俺の体温が低いからかもしれないが。


 やがて彼女は俺を突き放す。

 恥ずかしさに耐えかねたのだろう。

 しかしその表情も愛おしい。


 無音の中、俺とマキナは見つめ合う。

 そして、今度はゆっくりと、俺たちは互いの顔を寄せ合おうとした。



「アンタ達! 何やってんの!?」


 しかしその空気は一瞬で破壊された。

 マキナの背後にある扉が勢いよく開く。

 その向こうにはリッカの姿。

 その顔は林檎のようにに紅潮していた。

 ……なるほど、読まれたか。


「どうしたんですかリッカさん!」

「ラナ! 今マキナがmんぐっ!!?」

「何でもないです! お気になさらず!」

「————ん?」

「気にするな、恋は人を阿呆にする」


 それからぞろぞろと仲間達が戻ってくる。

 リッカの奇行に驚くラナ。

 俺の行動を告発しようとするリッカ。

 それを止めようとするマキナ。

 何一つピンときていないアビス。

 そんな彼女に助言をするリヴァイアサン。


 ラナ達は俺が起きた事に気づいていない。

 おそらく気づくにはもう数秒かかる。

 それまでの、少し貴重な光景。

 俺はその光景を、遠い目で眺める。


「————違うな」


 その光景に生じる俺の精神との違和感。

 僅かなズレを、心の中に抱きながら。


「……あれ、アリク様?」


 やがてラナ達も俺の目覚めに気がつく。


 遠い日常は、戻りつつあった。


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