死のタイムリミット!!
刃と刃がぶつかり合う。
霞む視界を無視してネムを斬る。
傷の痛みが、生を実感させてくれた。
『くふひ! 無駄ですよぉ〜!!』
「勝手に他人の運命を決めるな!」
『死の刻限はもうすぐ尽きます〜!』
「それでも、俺は……!」
絶対に生還する。
まだまだやり残した事がある。
だからこんな場所では終われない。
死んでたまるか、絶対に。
最早防御は諦めていた。
防御に徹すれば敗北は必然。
攻めの一手でたたみかけていく。
生きる事だけを考え続ければいい。
ネム本人が語った攻略法だ。
それがこの世界で俺を保つ方法。
自我を崩されないただ一つの手段。
守るべきは肉体ではなく精神。
おかげで俺達は互いに血塗れだ。
もう、どちらの血かもわからない。
「ぐぁ…………っっ!!」
『隙を見せましたね〜!!』
笑っていた膝が崩れる。
負担は極限まで迫っていた。
そこに迫る、ネムの狂喜に満ちた斬撃。
やっと俺を殺せるのだ。
彼女にとっては待ちに待った瞬間だろう。
……残念ながら、そうはいかない。
ボロボロの短刀でナイフを弾く。
「隙を見せたのはお前だ!」
呆気にとられた表情のネム。
俺の肉体は確かに極限に近い。
だが一度復活した戦意は折れていない。
無防備になったネムの肉体。
すかさず俺はナイフを強く握り直す。
あの時の躊躇いは奥底に封印した。
握ったナイフを、彼女に突き立てる。
胸を抉り骨を砕く感覚。
同時に俺は、彼女の鮮血を浴びた。
『かはっ!!』
俺の体をネムの血が更に赤く染める。
頭上から降り注ぐ鮮血の洪水。
俺は目を瞑り、生臭さを耐える。
精神世界だというのに全てが生々しい。
強烈な一撃にふらつくネムの足。
だが彼女にはまだ僅かな余力がある。
俺の体ごと心臓からナイフを引き抜く。
どくりどくりと、血は溢れている。
彼女はそれをあっさり無視した。
ネムと俺の間に再び間が開く。
その距離を詰めるには、今は体力が無い。
だがそれはネムも同じ事。
意識はあれ、彼女はアンデッドである。
しかしその外見には異常が生まれていた。
「ハァ、ハァ……ハァ……!」
『う、ぐ、ぐぅ〜……!』
「……回復、間に合っていないようだな」
『わ……わかってます、よ〜……!』
呼吸を整え、ネムに指摘する。
心臓を抉られて生まれた胸の大穴。
全身にできた無数の刺傷裂傷。
回復するはずのそれらが治っていない。
これは明らかな異常事態だ。
恐らく彼女を保つ魔力も残り少ない。
意識はあるが、限界は近いはず。
つまり状況は俺と同じだ。
トドメを刺せば、俺は戻れる。
足を引きずり歩み寄る。
手には崩れかけの短刀が一つ。
これを振り下ろせば、トドメだ。
『もう……付き合う必要は、ありません……』
決着をつけようとした瞬間だった。
体を何かに拘束される。
何が起きたのか、想像が追いつかない。
俺の体に、無数の黒い腕がまとわりつく。
こんな術を隠し持っていたのか?
……違う、これは術じゃない。
正確に言えば今使った術じゃない。
前々から仕掛けられていた何か。
それが今になって起動した。
ネムが……不敵に笑う。
直後、頭上から声がした。
拘束されながらも俺は見上げる。
「アリク! 目ぇ覚ましてよ!!」
「私達にできるのはここまで」
「——あとは————ますたー次第」
ここに来た時に見た時と似た光景。
しかしその様は変化していた。
周囲のアンデッドは倒し尽くしたようだ。
リヴァイアサンも俺の隣に座っている。
その目には、うっすらと涙が浮かぶ。
リッカは叫び、声を震わせている。
俺はありったけの力で叫んだ。
「リッカ! アビス!!」
『彼方が手を差し伸べても〜……』
「リヴァイアサン!!!!」
『貴方は……手を取る事すらできな〜い』
その姿をネムは笑った。
胸の傷を抑え、よろよろ立ち上がりながら。
勝ち誇った顔で俺を見下している。
徐々に重くなっていく俺の体。
いつの間にか、黒い腕が全身を覆っていた。
重さに耐えられず地面に伏せる。
それでも俺は抵抗を続けた。
既に刃先の無い短刀を黒い腕に突く。
すると腕は、音を立てて引きちぎれた。
しかし一本二本傷つけても収まらない。
顔を上げる事すら困難になって来た。
ネムは俺に冷たく言い放つ。
『時間切れ、ですよ〜……!』
死の刻限。
これもネムの言っていた言葉。
つまり俺は、間に合わなかったのか?
俺を闇へ引き込もうとする腕に抗った。
だがその力はみるみる強くなる。
『貴方は、私を殺せなかった』
「く、そっ! 離れろ!!」
『それだけが、貴方に残った真実です〜』
抵抗を続ける。死んでたまるか。
待っている仲間達がいる。
決着をつけなきゃいけない相手がいる。
俺が傷ついて泣いてくれる者がいる。
彼等の為にも、俺は死ねない。
ヤツのせいで、死ぬわけにはいかない。
俺を埋める黒い塊の中から、手を伸ばす。
「やだよ……死んじゃヤダよ! アリク!」
『どんな言葉も届きませんよ〜』
肉体が引き裂かれていく。
それでも俺は、リッカに手を伸ばした。
「私を放置していいの? アリク?」
『無駄ですよ、無駄無駄〜』
骨が粉々に砕かれる。
それでも俺は、シズマの声を聞いた。
「契約したばかりだろうが! マスター!」
「——ます、たー! 起き——て!!」
頭蓋骨と脳が混ざり合う。
それでも俺は、アビス達を知覚した。
『もう死にますよ〜』
確かに俺はお前に殺されている。
現実世界ではナイフで一突き。
精神世界では少しずつ肉塊にされる。
激痛なんて生易しいものではない。
臓物と肉体、思考が混ざり合う混濁感。
汚泥にでもなるような最悪の感覚。
嗚咽しようにも、もう胃も口もない。
全て同じ肉塊だ。
『さようなら〜』
まだだ。
幾ら肉体が砕かれようと、ここは精神世界。
意識が生きている限り死んでいない。
俺の形を保っているのは伸ばした腕のみ。
それでも俺は——生きている。
例え何も見えなくなっても。
例え何も感じることができなくとも。
俺はまっすぐ腕を伸ばす。
俺を呼びかける、声に向かって。
「アリク様あああああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁあああああっっっっっ!!!!!!!!!!!」
「——ラナ!!!!」
彼女の声が、俺に届く。
知覚する器官は失われていた。
それでも彼女の声は、まっすぐ俺に届く。
彼女の瞳から落ちた涙が、俺に伝う。
意識のみで保っていた生が復活する。
精神世界に肉体が再構築される。
全身を覆う黒い腕が、焼き切れていく。
大粒の涙が俺の頬に伝っていく。
俺の涙ではない。ラナの雫だ。
リッカが俺の手を取るのがわかる。
アビスとリヴァイアサンの声が聞こえる。
ラナの叫びが、涙が、俺を支えている。
『!!? そんな! まさか!!』
現実と精神世界が混ざり合う。
こんな暗い世界にはもういられない。
暗黒を蹴り、俺は現実へ帰還する。
……その前に。
俺の中にネムを残す訳にはいかない。
彼女ともしっかり決着をつけなければ。
当然この世界ではない。
現実に、お前も引きずり出す。
「『虚影武装・長剣』!!!!」
『がぁ——ばふぁっ!!?』
ネムの肉体を貫く長剣。
そのまま俺は、彼女と共に意識を浮上させた。





