暗黒龍、覚醒
時間が止まったかに見えた。
手を伸ばしたまま動かない龍皇。
戦闘形態に変身したリヴァイアサン。
玉座に手をかけ立ち上がろうとする魔王。
アスカロンすら表情を固めて停止していた。
龍妃も微動だにしない。
少しずつ、肌が冷ややかな色になっていく。
僅かな感情だけを含んだ無表情。
苦痛や苦悶といったものは一切無い。
「あな……た…………」
ずるりと、自らの重みで刃から抜ける龍妃。
足を引きずり龍皇の元へ寄る。
余りに痛々しすぎる光景が焼きつく。
恐らく、龍皇も同じはずだ。
ドレスを鮮血に染めて歩み寄る愛妻の姿。
愛くるしい笑顔も、呆れた表情も無い。
生という未来が完全に断たれた姿。
彼女も自らの状況は理解していた。
それでも彼女は小さな歩みを止めない。
龍皇が無事である事への安堵なのか。
或いは、自らの最期を少しでも龍皇の近くで遂げたいのか。
わからないまま、彼女は龍皇へ倒れ込む。
「お前……何故、こんな……!」
「………………」
「意識を保て、しっかりしろ……!!」
彼女の身体を龍皇は抱きとめる。
その手は大袈裟なほどに震えていた。
身体全体が……声までも揺れている。
不器用な言葉で呼びかける彼。
嗚咽すら混じる声を殺すように押し出す。
しかし、それに対する返事は無い。
彼女の表情は安らかで眠っているようだ。
彼の無事を知り、小さく微笑むように。
口元からは赤い線が頬を伝う。
沈黙の後に、龍皇は全てを受け入れた。
悲しみは、激情的な殺意は変わっていく。
「勇者、貴様……」
「違、私は、貴方を殺そうと!!」
冷静を取り戻したアスカロンが言葉を紡ぐ。
言い訳程度にしかなっていない言葉。
どんな言葉にせよ、龍皇には通用しない。
「貴様ぁぁぁあああアアアアアアア!!」
彼の思考は怒りと殺意に飲まれていた。
今の彼には、誰の言葉も届かない。
叫びとともに枯れていく声はやがて地を這い、空気を揺らすかのように低くなっていく。
最早咆哮だが、俺はこの音を知っている。
やがて変化は龍皇の肉体にも現れた。
魔力と共に膨れ上がっていく彼の身体。
赤黒い稲妻を放ち、周囲を破壊する。
両翼は巨大化し壁を切り裂く。
腕や脚の鱗が、全身に広がっていく。
増大する重量に床も悲鳴をあげる。
彼の肉体は、大広間の半分近くを埋めた。
——グオオォォォオオオオオオ!!!——
暗黒龍。
龍皇達が何故そう呼ばれていたのかは不明だ。
しかし、今の彼はその名を体で表している。
俺の知る暗黒龍の姿が、そこにある。
龍妃は魔王達が保護していた。
僅かながら意識はある。
だがしかし、長くないのは確実だ。
リヴァイアサンが彼の姿に驚嘆する。
しかし魔王は、その姿を考察していた。
「完全に覚醒した……?」
「一体何の事だ……!」
大気を揺らす咆哮に耐え、魔王は語る。
それは8000年前から更に遠い過去。
魔獣達は古より強大な力を持っていた。
暗黒龍などの龍種は攻撃力。
魔族や人間達は魔術への深い理解。
同時に古の魔獣達は悟っていた。
完全な覚醒は、一つの個体から連鎖する。
魔獣達の結束を分断してしまう。
そしてそれは、いずれこの世界に訪れ巨大な争いの最期に訪れると。
魔獣達に秘められた最後の秘密。
魔王はこの伝説を懸念していた。
与太話にしか聞こえない古の言い伝え。
だが彼等は身をもって知る。
突如魔王達を激しい頭痛が襲う。
膨大な情報が流れ込んだ証拠だった。
同時にリヴァイアサンは知る。
自らを龍皇のように変化させる方法を。
「龍皇の覚醒に僕等が共鳴している!」
「と言うことは、私達も……!」
「でも……今の彼は抑えられない!」
魔王の言う通りだ。
流れ込んだ情報は何の役にも立たない。
龍皇の力は今、史上の全てを超えていた。
巨大すぎる力が、1人の少女へと向く。
最早、逃げ場はなかった。
『グオォォォォオオオ!!』
「がはっ……!!?」
『グアアアァァァ!!!』
「げ、ほぁっ!!!」
彼女の些細な抵抗は何の意味も成さない。
尻尾で弾き上げられた彼女が宙を舞う。
それを今度は前足で壁へ叩きつける。
全壊剣を持った彼女は、抵抗すらできない。
戦闘ではない。一方的に弄ばれている。
「はぁ、はぁ……っ!」
『グルルルォォオアアア!!』
全身のダメージに呼吸しかできない彼女。
肉体には新たに無数の傷。
全てが普通の人間なら致命傷級だ。
それでも龍皇は容赦しない。
羽ばたきで瓦礫ごと彼女を吹き飛ばす。
耐えきれずアスカロンは倒れ込む。
そこへ龍皇の巨大すぎる脚が迫った。
「ぎ、ゃぁああああっっっ!!!」
彼は既に己の巨体を操作しきっていた。
器用に彼女の四肢のみを破壊する。
勇者の頑丈さを逆手に取った残忍な一撃。
元はアスカロンの報復であった。
しかし既に、立場は逆転していた。
『グルゥ……ガァ——!!』
口を大きく開き、魔力を貯める。
見慣れた攻撃も恐怖を感じた。
街を一つ焼き尽くす事も可能な火球。
それを極限まで収束させ、アスカロンを殺害するためだけに放つ。
「————————————!!」
放たれた火球に飲み込まれるアスカロン。
悲鳴も炎の中にかき消される。
広間どころか魔王城すら半壊していく。
少女の無事など、確認するまでもなかった。
「何でありますか、これ……!?」
「……っ!」
そこにやっと、2人の勇者も到着する。
……彼女達は遅すぎた。