ムカデの足の動かし方
仕事が終わり、疲れた体を引摺りながら私は帰路についていた。
まだ五時を過ぎた辺りであるからか、紺色の制服がよく視界に入る。
おそらく学生であろう彼らは楽しそうにゲームの話をしていた。今日は何時に何処其処で集合だと相談し合う彼らは、終始楽しげで仲がいいのだろうなと伺い知ることができた。
私が学生の頃はあんな仲が良かった友達がいただろうか。目の前を通る彼らを横目に私は一人ごちる。
私が学生の頃、世界は変化を求められていた。技術が発展することで今まで人力で出来ていたことが機械で出来るようになり、企業は改革が求められた。
機械が発展する度に企業は効率を求め人と機械が出来ることの線引きを、その都度していった。より利益を求め、出来ることを増やし、それを繰り返し世界は急速に発展していく。
それは社会や企業の構造変革を求められる時代だった。昔のように大企業の傘に守られるだけでは生きていけない世の中になっていったのだ。むしろ大企業こそが、そのような変革を自ら行い、中小企業に変化を求めていた。
より効率よく、より先に進んでいく世界を前にして、私の父親のような、中小企業で働いていた人間はその変化の煽りを喰らったのだ。波に呑み込まれたのだ。
率直に言ってしまえば、父の会社は潰れ、そして私は学業や青春を謳歌することが難しくなってしまったのだな。
実によくある話だった。
まあその様な時分に友達と遊びにいく余裕は余り多くなかった。それだけのことだ。逆に言えば何人かはいたのである。あいつは今何をしているのだろうか。
もう随分と連絡を取り合っていない姿を思い浮かべながら、私はノスタルジアに包まれながら帰宅した。
「ミケ三郎。あなた今日も、其処で寝ているのねぇ」
私が何時ものようにこの町一番の大樹の天辺で寝ていると、人ほどもある大きな白い梟が話しかけてきた。
「ミケ三郎。あなた折角ゲームの世界にいるんだから、もうちょっとアクティブに動いてもいいいんじゃない?
わたし、あなたが動いてるところここ三ヶ月で殆ど見たことがないのだけれど」
「なんだい、ポーよ。別にいいだろう。わたし一人此所で寝ていたところで困る人など誰も居ないよ」
そう私がポーに向けて言い放つと、彼女はその夏の空に浮かぶ入道雲の様に白い大きな身体を、振り子のように揺らしながら溜め息を吐いた。
「そりゃ誰も困らないでしょうけどね。ええ。
いや、まあ、ええとね、ミケ三郎。今日の夜。つまりは今ね。あなた町でなにやってるのか、知らないでしょ」
何故か私の目を真っ直ぐ見ようとはせずに、余所を向きながらポーは言った。はて、彼女は私に何を伝えたいのだろうか。
私としては、枝が揺れて落ちそうなので、早く用事を済ませて欲しいと思うばかりである。
「確か今日は、新ダンジョン発見したことのお祭があったね。猫仲間が嬉しそうに私に伝えてきたことを覚えているよ。
たしか西の方だったかな。砂漠地帯だっけ?其処にあったピラミッドの天辺に入り口を見つけて、たしかそれが天空のダンジョンの入り口だったんだよね。
私としてはピラミッドと言えばその内部を探索するのが……」
わかった、わかった。とポーは私の話を遮りながら、疲れたようにまた溜め息を吐いた。
「知っているなら話が早いわ。ええと、そのね、ミケ三郎。
もし暇だったらなんだけど、よかったら私とそのお祭りを回らないかしら。」
彼女の目は節穴であるのだろうか。私はモジモジとした様子のポーを見ながらそう思わざるを得ない。此所で惰眠を貪る私が暇そうでないなら何に見えるのか。
しかしまあ、お祭りに誘うだけならわざわざ此処まで来なくともメールやメッセージを送れば良いだろうに。
と思っていると、考えていることが顔に出ていたのか彼女は「あなたいつも寝てるからメールとか使っても意味ないじゃない」と憮然としていた。
ごもっともである。
「そうだね、暇だしお願いしようかな。丁度お祭りも人が集まって来ている。
なにより寝ているよりも楽しそうだ。今日はよろしく頼む。ポー」
「寝ているよりも楽しそうだ……なんていってるけど、ミケ三郎。あなた寝ていたじゃない」
そう納得行かない様子で私を睨むけれど、私がなにも言わないでいると、諦めたように溜め息を吐いた。
彼女はよく溜め息を吐く。良くない癖だよと言っても溜め息の数が増えるだけなので言わないことにしている。
「それじゃ、いくわよ」
「ああ、頼むよ」
短いやり取りのあと、ポーはその鋭く光る爪で器用に私を掴むと、重く乾いた羽音を残して町へと降りていった。
「やい、チョーさん。たこ焼き二人前おくれ」
「あん?客か?
どこだ……って、久しいな、ミケ三郎か。最近見ないから心配してたんだ。
なんだ、さっきログインしてきたのか?」
「違うのよチョーさん。ミケ三郎は今の今まであの木の上で眠りこけていたのよ。
私が起こしにいかなかったらまだ寝てたでしょうね」
「おいおい、ラブラブじゃねえかミケ三郎よ。爆発しろ。
おまいさんもポーさんに迷惑をかけてばっかじゃ、その内に見棄てられるぞ。ナハハハ。なんてな」
「もう、やめてよチョーさん。恥ずかしいから。
それに、私とミケ三郎はそんなんじゃないからね。何時も言ってるでしょう」
「ナハハハ、まあいいじゃないか。ほれ!ジュースあげよう」
ポーがモーと牛みたいに怒れば、ハイハイ、ごちそうさま、ごちそうさま。と冷やかすようにチョーさんはポーに言う。
下衆の勘繰りなんとやらだ。全く、だからこのチョーさんという男は始末に終えない。まあ実のところ男かどうかは知らないがこの下世話なところを見るに多分男だろう。
こいつは人間で、普段は漁やら狩やらをして日々小銭を稼ぎながらダンジョンを目指し、そして一攫千金を夢見る男だ。
実は名前はチョーカーなのだが、皆からは何故か「チョーさん」と呼ばれている。そのお陰でメールの名前をみても一瞬誰のことか分からなくなることもある。
しかし、それにしてもこの二人の会話は何時まで続くのだろう。
そんなことをポーの頭の上に乗っかりながら一人思う。柔らかく暖かい羽毛はとても心地よく、離れることが出来なくなる。なんていう中毒性だろうか、ポーは実に恐ろしい女である。
「やい、チョーさん。良いからたこ焼きをおくれ。ポーとお喋りするのが楽しいのはわかるが」
「おうおう、すまないなミケ三郎……」
しびれを切らした私がチョーさんに向けて催促をすると、なにやらチョーさんはムムムと、何やら唸る。どうしたと思っていると、いや、悪いなと前置きをしてから、「最近お前らのような純種を、とんと見なくなったなと、思ってな。」と何処か寂しげにそう語った。
―――純種。
それはこの世界において、ある意味では今はもう見なくなってしまったものだ。
one dayでは種族を選ぶことができる。このゲームではキャラクターを人間から始まり動物からファンタジー、果てには無機物まで選ぶことができる。その圧倒的な選択肢はこのゲームの魅力であると言えるだろう。
しかし、其処だけではこのゲームは、ブルーキャットは終わらなかった。このゲームの特徴は、特異性はキャラを選んでから始まると言っていいだろう。
キャラクターの成長要素の排除
成長。それは他のゲームで言えばレベルやスキルレベルを上げていくことでより強くなっていくことをいるだろう。
しかし、このゲームは、ブルーキャットはゲームの常識として存在していた「レベル」という概念を全て取り払った。「スキル」もなく、「クラス」 もない。凡そゲームとして存在するありとあらゆるモノを取り払ったのがこのone dayというゲームである。
キャラクターではなく、プレイヤーが強くなるしかないのだ。
強くなるにはプレイヤースキル、所謂PSを上げていかなければいけない。
そしてそれこそが、この世界から所謂「純種」が見なくなった原因としてはあるだろう。
―――純種。
つまりは「猫」「梟」「虎」「狼」「墓石」等と言った、人ではなく混じりけなしの人外のことを指すのである。
使いなれた人間の体でさえモンスターと戦うのは難しい。況んや純種をやである。
まあそう言うことである。よっぽど奇特な人間でない限りはそういった純種を使うのではなく、人型を保ったままである、所謂「亜人」を使うのである。
「しかたあるまいよ、チョーさん。人が増えるにつれて純種の扱いづらさは周知になったからな。私も最初は苦労した。所謂百足の足さ」
「おまいさんは猫だけどな。まあ普段何気ないことでも意識したら途端に出来なくなるもんな。耳やらしっぽとかどうやって動かしてんだか」
「慣れたら自由自在だ」
ブンブンとしっぽを振り回す。
「ははは、ちがいねぇ。ほらよ、たこ焼き二人前。お待ちどう様。二百ゴールドだ」
金を払い、ありがとよ、とチョーさんに別れを告げて離れる。まあ私はポーの頭の上に乗っているだけなのだが。
「ミケ三郎、いい加減頭から降りなさい」
「ポー、バカを言うな。私が其処らを歩いてみろ、この人混みだと間違いなく蹴られるか踏まれる。確信を持って言えるよ。私はそんな目には会いたくない」
「あなた重いのよ。太った?」
「喧しい、あれだ、筋肉がついたんだ」
「嘘おっしゃい、あなた寝てばっかじゃない」
「寝る子は育つ」
育ってないじゃない、と溜め息を吐くポー。
其処らに置いてあるベンチの上に降りると、ポーが器用に嘴で袋をあけ、たこ焼きを取り出した。
私は猫なので暑いものは食べることは難しく、冷めるまでフーフーと必死に顔を近づけ息を吐く。
人心地ついたなと、ベンチの上で私は大きな伸びをする。
そんな私を見て、ポーは大きな溜息を吐いた。
しかし、いつも思うのだが何故こいつは純種なんか扱いづらいモノを選んでいるのかと、思わざるをえない。
いや、私も猫の純種ではあるのだが、それ故にその苦労もよく知っている。猫も難しいが、鳥よりはましだろう。空をよく飛べるな、といつも感心する。というよりその執念に驚く。
まあ、私はこの世界の純種達に「何故純種を選んだのか」なんて、疑問に思うことはあっても基本的に聞くことがない。
何故なら、基本的に純種なんてモノを選ぶやつは、変わっているヤツが本当に多いのだ。本当に最初の頃、私が好奇心からカブトムシを選んだ男に「それ」を聞いてしまったことがあり、ヤツの熱意を凡そ五時間は語られたことがある。愛が溢れすぎている、ヤバイやつらが多いのだ。
という経験則から、私はポーもその「純種」の一員であるだろうと判断しているのである。
私は純種が減った理由として、この様な過剰な愛が注ぐヤツらも関係していると睨んでいる。
「あのさ、ミケ三郎はさ、楽しんでくれてるかな」
と、私が脳内で純種どものヤバさを再認識していると、ポーが何処か不安げに訪ねてくる。
必死にたこ焼きを冷ましているので顔は見えないが、その震える声は蛍の光のように消え入りそうだった。
どうした、と私はたこ焼きを冷ますのを止めて、訝しげにポーに尋ねる。
「いや、ミケ三郎がさ、寝てるに起こして連れてきてさ、迷惑じゃなかったかなって」
なんて今更なことを言うのだろうか。逆に驚いてしまった。
黙ってしまった私をどう解釈しているのだろうか。ますますシュンと縮こまってしまい、萎んだ白い風船の様だ。
「あたし、この世界で知り合い少なくてさ。純種だし、気軽に話せる人って希少なんだ」
さもありなん。サービス初頭から初めて知り合いの多い私に比べて、ポーがこの世界にやって来たのは1ヶ月ほど前のことでしかない。
もうその頃には純種の使いづらさは知れ渡り、地雷扱いされていた。(性能も性格も)
その中で純種を貫こうとやって来た彼女はどれだけ奇異に見られただろうか(私もまたヤツらの仲間かと警戒していた)。そりゃ友達も出来ないだろう。関り合いになりたくない人間が殆どだった。
「だから、甘えてたのかな、なんて思ってしまうのです。ミケ三郎、優しいから」
ごめんなさいと、謝る彼女は今にも消えてしまいそうで、だから私は―――
「喰らえ!」
そう叫びながら彼女の口のなかに無理矢理毒消し草を突っ込む。少し苦労したが、何とか成功した。
「な、ななななな、なにをするだー!」
騒ぐポーを無視して私は此処にいないチョーさんに向けて心の中でつばを吐く。
「いや、ポー。おまえさんチョーさんになんか飲み物貰ってたろ」
と聞けば目を白黒させながらも頷く。
「ありゃ酒だ。ポーよ、どんだけ酒に弱いんだ……」
なんてことはない、普段と違いしおらしい態度でいたのも、酔っぱらっていただけの話だ。
あのたこ焼きおやじめ、変な悪戯をしてくれたものだ。
私はピョンとベンチから飛び降りる。後ろでポーが何かを言いたそうにしてるが無視する。
そして、林檎飴を虎人から買い、ポーに持っていく。
それを渡しながらも、ふとさっきまでの空気を思い出してしまう。
なんだか私まで恥ずかしくなってしまった。顔を向るのを拒んでしまう。猫で良かった。きっと人間だったら顔が真っ赤だっただろうから。
「ミケ三郎……、あなた」
「あのよ、あの場所はさ、静かで、おまえさん以外に知ってる奴は殆どいない。
だから、私は誰にも邪魔されないようにあそこでよく寝てる」
「いや、あのね……ミケ三郎」
「私は寝ている邪魔をされるのが嫌いだ。邪魔されたらすぐに誰も来ないところを探す」
「……うん」
「だから、どこかへ行かないのは……うん。……皆まで言わせるなよ。違うぞ、言わないのは恥ずかしいからじゃないぞ」
あの大樹の上は、私の特等席だ。邪魔されたら怒る。迷惑だ。
だけどポーに起こされるのは「迷惑じゃない」のだ。なんて、そんな恥ずかしいこと、言えないけれど。
「まあいい、そろそろたこ焼きも冷めただろうし食べよう……ポー?どうした?」
たこ焼きを食べるためにポーへと向き直ると、なにやらポーがプルプルと震えているのがわかった。
まるで何かを堪えているようだ。少し心配になり、ポーの顔を覗きこむ。
そこで彼女は決壊した。
「アハハハハハハハ!もうダメ!堪えらんない!
あんたしっぽビッタンビッタンとベンチに叩きつけて!
耳パタパタ動いて!めっちゃ恥ずかしかったんでしょ!
違うぞ!恥ずかしいからじゃないぞって!
そんなしっぽとか耳とか動かして!
もうダメ!お腹いたい!」
その後直ぐ、笑い転げる梟を置いて、私がログアウトしたのは最早皆まで言うことではないだろう。
おのれムカデめ、許すまじ