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8話

 回 想 終 了。


 思い出してよけいに凹み具合が増したけど、なんかもうどうでもいい。

 加えて、変な高揚感や浮遊感など微妙な違和感があったこの体も、今ではすっかり馴染んでいる辺りが更にどうでもよさを加速させる原因だったりする。


 あれからもう一日病院に検査などで泊まることとなり、そのさらに次の朝に無事……かどうかはさて置いておいて退院。

 今は家に帰ってきて、少し遅めの朝食を食べ終わったところだ。


「みーちゃんどうしたの? なんだか元気がないけど~」


 その元気を完膚なきまでに砕いて磨り潰して三途の川に流してくれた母さまが、心配そうに近寄ってきた。


「いや、大丈夫だから。別になんでもないよ」


 できれば部屋に一人で引きこもっていたいのだが、あまり母さまを邪険にすると大泣きしてくれるので、そこは適当に答えておく。昨日は大変だったなあ……ハハハ。

 それでも母さまは安心したらしく、また満面の笑顔になる。

 ……ちくしょー、その笑顔が卑怯だ。


「よかった~。それじゃあこの後一緒にお買い物に行けるね♪」

「……買い物?」


 買い物という極普通の単語ではあるが、地味に危険だというのは、なんというか宇宙の新人類的な直感で理解してしまった。


「そうよ~。せっかく女の子になったんだから、色々と必要じゃない」

「た、例えば?」

「色々あるわよ~? 服とか下着とか化粧品とか。あとは~……生理用品とか?」

「………………………………………………マジデスカ」


 忘れてた、というより全くもって考えないようにしていた現実が今目の前に……! どれも確実に精神的ダメージがひどいよこれ。

 せっかく着替えの時やトイレの時は、必死こいて現実逃避していたのに。あ、トイレは身体障害者やお年寄りなどが使う、男女共用を使用させていただきました。

 ちなみに、今着ているものは全て男物。母さまのサイズが合わないという理由で回避し、なんとか元々の服を着込んでいる。


「あ、そういえばお風呂にも入ってないわねえ。お風呂と言えばシャンプーとか石鹸とか、みーちゃんに合ったものがいるわ~」

「お、お風呂!?」


 し、しまったぁー! 服とかよりも最大の危機というか落とし穴がまだ残ってたじゃないか! 例のごとく考えないようにしてただけだけどね!? 昨日!? 病院では体を拭くだけで済ませてましたが何か!?


「そうね~。じゃあ、まず服を買いに行く前に、サイズを測っておこっか」

「さ、サイズ?」

「女の子のサイズといえば一つしかないでしょ? ス・リ・イ・サ・イ・ズ(はぁと)」


 いつの間にか母さまの手には、手のひらほどの大きさの巻尺が握られている。

 少しずつ巻尺を伸ばしていく様が、なんとなく某仕事人に見えたのは気のせいじゃあない。


「ふふふふ~。でも、測るなら服を脱がなきゃだめよね♪」


 じりじりと少しずつすこしずーつ、距離を詰めてくる母さま。

 笑顔が! その笑顔が怖い!


「せ、戦略的撤退――!」

 三倍の速さを誇るあのお方も驚きのプレッシャーに耐えられなくなった僕は、咄嗟に後ろに逃げようとするが、


「ど、こ、に、行っくのかなぁ~?」


 振り向いた先に超笑顔の母さまが。


「馬鹿な、早い!?」

「あ、ちょうど服を脱ぐんだったら~、ついでにお風呂にも入っちゃおうか~。今日だけシャンプーとかはわたしのを貸してあげるから~」


 母さまはがっちりと万力のように僕の肩を掴み――ついでに体を巻尺で縛って――僕を脱衣所に連行していく。

 まてまてまて、なんだこの握力は!? なんだか今日の母さまは色々と(人としての)リミッターを解除してないか!?


 どうにか、と僅かながら抵抗を試みたものの……しかし、まあ、どうやら僕には逃げ道どころか一つの選択肢も無かったらしい。

 すっぽーんと(おとこ)らしく自分の服を脱ぎ捨てた母さまは、謎の迫力をもって僕を脱衣所に叩き込んだ。


「うふふ~。みーちゃんとお風呂~、みーちゃんとお風呂~」

「ちょ…! ちゃ、ちゃんと自分で脱ぐから!」

「ふっ、遅い、遅いわよみーちゃん!」


 ぱちんと母さまが指を鳴らした瞬間、履いていた短パンとストンと落ちた。ってええ!? しかも上着も気が付けば脱がされている!? 


「みーちゃんって結構着痩せするのね~。ふ~ん、Bってとこかしら~。スタイルもいいし~、くやしいな~……。そんなけしからんみーちゃんには~……えいっ♪」

「のあっ!? へ、変なとこ触らないでよ……ってなんでカメラ用意されてるの! ぼ、没収!」

「ああ~、せっかく『祝! 女の子になったみーちゃんとの始めてのお風呂記念!』って感じで記念写真を撮ろうと思ったのに~」

「撮らなくていい!」

「残念~……さて、お風呂に入ろっか~」


このカメラ、よく見たら新品だ……。しかも完全防水の最新型。しかしデータフォルダの名前が『NO.3』なのは、うん、聞かないほうが良さそうだ。


「いやほんと、なんなんだこの流れ……あ、そういえば、その、えーっと、何か測るとか言ってなかった? 巻尺は結局もとの場所に戻しちゃったけど」

「ああ~スリーサイズのこと~? それなら大丈夫よ~。――実はもう知ってたから~」

「いつの間に!? というかあの巻尺の意味は!?」

「それはみーちゃんが清調を終えて起きたとき~。巻尺はただのお茶目よ~。スリーサイズなんて道具を使わなくても見ただけでわかるわ~」

「ほんと色んなリミッター外れてるね……」


 ……そんなこんなで脱衣所に入って二十分が経過し、ようやく僕らは浴室に入った。


「わ~やっぱり髪がすっごくきれいね~。洗いがいがあるわ~」

「うう、やっぱり自分で洗うようぅ」


 今は僕の後ろで母さまが、僕の長くなった髪を洗ってくれているのだが、その、背中に柔らかいものが当たっていて、すごく落ち着かない。

 それに母さまが僕と同じ年代の少女にしか見えないと言うのも、緊張を加速させる原因の内の一つでもあるけど。母さまと一緒にお風呂に入るなんて何年ぶりだろう。

 しかも、それに加えて僕自身の体も完璧に女の子だ。少し前まで健全な男だった僕には、たとえ自分の体であっても刺激が大きい。


 前門の母さまに、後門の僕。なんだそれ。

 と、何かに気が付いた母さまが、僕の髪を洗っていた手を止めた。


「うう~」

「? どうしたの?」

「髪は綺麗だし~、肌も柔らかいし~、それに~胸もわたしより大きいし~。なんかズルイよ~」

「は!? ず、ズルイ!?」


 ええい、さっきから急に何を言い出すんだこの人は!

 そして母さまは僕の胸を穴が開くほど凝視し、一言。


「……揉んでいい?」

「そうしたら本気で怒るよ? つかさっき服脱がす時に揉んだでしょうが」


 両手でそれを隠して、怒気を隠さず答えると、母さまは割と本気で残念そうに引き下がった。

 一度目は悪戯で済んでも二度目はない。僕の精神耐久が。


「うう~。いいもん、いいんもん~。この後いっぱい可愛いお洋服とか下着とか買っちゃうもんね~」

「なにその新手のいじめ」


 母さまに髪についたシャンプーを洗い流してもらった後、ようやく湯船で一息がつけた。

 この後は街に出て買い物。

 母さまはすでにどんな服を買うか楽しみにしているみたいで、やたらと機嫌がいい。


「みーちゃん♪」

「ん、何?」

「うふふ、なんでもないよ~」


 ほんと、機嫌がいいな。あ、こらバタ足はしないの。


 ……ふと、落ち着いたところで、改めて自分の体を見てみる。

 翳すのは、細いが芯のある繊手。暖まった肌はほんのり色付き、お湯から出せば水を弾いて雫が落ちた。


「…………本来の自分、ねえ」


 鏡に映る自身を見ても、ピンとこない。むしろ女性になったことで余計に母さまと似ており、ともすれば母さまとは双子のように見えるだろう。

 ただ、虚像の僕はどこか虚ろな表情をしているようだ。

 視線を落とし、首から下の体を視界に映す。既にのぼせて頭がぼーっとしている今なら、少しは見れるだろう。



 ……なるほど、言ってはなんだが確かに母さまより凹凸はあるようだ。女性らしい、丸みを帯びた体付き。

 違和感があるような、ないような。


「はあ…………」


 どうしてこうなった、と思う。

 病気を治すはずが、治ったのは性別。なんだそれ。

 

「さすがに、これはないでしょー、神様……」 


 呟いた声は、水の音と共に流れて消えていった。 



 しかし……何か重大なことを忘れている気がするんだけど。

 なんというかこれもまた思い出したくないだけなのか、はたまた素で忘れているだけかは自分でも解らないが、しかし何かを忘れているというのは確からしい。


 ……僕は何を忘れているんだろう?












「さて、そろそろ上がるかー……って母さま何してる?」

「ぎくっ」

「僕の気のせいじゃなければ完全防水タイプのカメラだよねー、それ。もう一台あったのか」

「ええと~、これは清調後の経過を調べるためのぉ~」

「没 収」

「お、鬼~」



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