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3話

 彼女たちが先生に止められるまでの間、少し話しをしよう。


『守護天詩』


 それは、その人の魂のカタチ。あまりに強すぎる魂が現実にまで影響を及ぼす、物理的でない現象。

 これは古来より、日本では狗神や申神、狐憑きや神下ろしなどといった、人に憑く類のもの。西洋では天使や悪魔といった、これも人に憑くタイプのもの。それが守護天詩だ。

 昔はこれを自己発生的なものとは考えず、外部からの干渉と考えていたらしい。しかし科学や魔術が発展するに従って、その仕組みは解明されてきた。

 強い、輝きに満ちた――正負は問わない―-魂が感情によって一時的に体の外に溢れ出し、その形を具現化したもの。と、言うのが今の守護天詩の一般的な見解だ。


 そして守護天詩には、たいてい何らかの能力がある。

 だいたいは本人の性格やらを反映したもので、魂が強ければ強いほど『無茶』な能力が発現する。例えば、意識を向けただけで相手を燃やしたり凍らせたり、手を翳すだけで死亡寸前の重症患者を全快させたり、時には空をマッハで飛行するなど、物理法則やらなんやらを完全に無視したものが多い。


 そのおかげで神だの鬼だの聖人だの魔女狩りだのと、白かったり黒かったりする歴史がいろいろあるわけだが、社会システムというものが発展した現代では天詩憑きのみに適応される法律などがあり、一応なんとかなっているようではある。


 とはいえ科学と魔術が合わさり発展している現代においても、守護天詩については未だ解明されていないことは多い。

 まあ、人の魂なぞ、そう簡単に解明できるものではあるまいか。

 ちなみに『守護天詩』という名称は、仕組みが明らかになってきた昭和の中頃に付けられたものだが、世界標準を決める時に結構もめたらしいのは有名な話。当然宗教的なあれで。

 結局、各国というか宗教ごとにそれぞれの名前があるのだが、日本は西洋かぶれ的な名前を頂戴したらしい。そのころから中二病ってあったんだなあ。

 未だに地方では犬神とか狐憑きとか色々あるけど、日本だからそのあたり超適当。そんなもんだよなー。


 ―――と、ああ、やっと先生が来た。


 さて、あとは先生が二人を吹き飛ばして、事態は解決するだけ。そして何故か僕まで怒られる、と。……あの先生は一般人のはずなんだケド。

 まあ、この騒ぎが収まるからいいか、と思うのもいつものことだからだ。


 で、数分後にはいつも通り、滞りなくホームルームが始まった。




 昼。澄み渡り、雲ひとつ無さ過ぎる空。

 朝の騒ぎも適度に収まり、適度に流され、教室の被害もほどほどに。

 数時間前とは違い、遥か頭上におわす太陽様は、我々を容赦なく焼き滅ぼさんと灼熱の熱線をズビズバーッという感じで大絶賛出血サービスといういい感じにご機嫌だ。

 そして僕の頭もトンデモ熱量によって思考回路がオーバーヒートし、なにやらまた花畑が見えそうなぐらいハッピーな状態だったり。

 まあ、それも僕だけじゃなく周りの人間も似た様にフィーバーしているのか、目が完全にトリップしてしまっている御仁もちらほら存在する。


 ……とりあえず僕は水でも補給してクールダウンしておくけどね。


 傍に置かれたペットボトルを手に取り、中身を喉に流し込む。これは朝に冷凍庫で凍らせておいたのだが、すでに氷が半分以上溶けて少し温くなってしまっていた。

 それでも熱に八割ほどやられかけていた思考は回復。なんとかマトモな精神状態に復帰した。


 前を見ると、黒板に歴史教師が延々と文字を書き連ねている。

 確か今日は室町時代あたりの話をすると言っていた筈なのだが、書かれているのはなぜか日本神話のカグツチ(火の神。生まれた際に親を焼いたとされている)や快川紹喜(心頭滅却すれば火もまた涼し、という言葉で知られる人。ただしこれは本人が焼死するときに残した辞世)などが書かれていた。


 ……とりあえず教師も末期らしい。

 それも当然だとは思う。

 この教室は、丁度陽の光が一番高いときに入ってくるため、今は平気で三十度を越えている。こんな部屋で平然としていられるのは、僕の横で気持ちよさそうに眠る自称幼馴染を含めて三人ぐらい。

 ちなみに桜火の席は窓際で、直射日光が全開で直撃する場所のはずである。なんで汗一つかかず寝れるんでしょうかこの女は。


 一応、本来なら教室には冷房が備え付けられており、古くはあったが実際昨日まではしっかりと勤めを果たしていた。

 が、何故か今日になり突然のご臨終。というか間違いなく朝の騒動が原因だとは思うが。

 業者が修理に来るのは明日になるといい、つまり今日はこの暑さの中で授業をする事になってしまった。

 体がぶっ壊れやすい僕にとっては、最悪の環境だよ本当に。

 ただでさえよく貧血を起こして倒れている身。そろそろ限界が近い、かな。


「……っつ……」


 軽い眩暈。

 奇妙な浮遊感。視点が定まらず、頭が朦朧とする。


(さすがに……これはまずい……)


 水を飲もうとするも、手が、それどころか体が動かない。

 意識が飛びかける。一日に二度も花畑を見る羽目になるのか僕は。いやそれどころではなく。

 息が、できない。

 何も、考えられない。

 目の前がだんだん暗くなってきて――


「……大丈夫?」


 後ろからかけられた言葉と、ふわりとした冷気を首元に感じ、一気に意識が引き戻された。

 眩暈は無くなって――はいないが、先程よりは数百倍マシ。体は少し重いという感覚があるが、確かに動く。息も多少荒くはなっているが、できる。

 なんとか、耐え切ったみたいだ。


「すう……はあ……すう……」


 深呼吸を一度、二度と行う。

 十数秒後、まだ痺れは残っていたけど、後ろに振り返った。


「助かり、ました」

「ええ、それはなにより」


 僕の後ろに座っていたのは、この暑さでも涼しげな顔をしている少女。

 涼風さんだ。

 朝に激戦を繰り広げたはずのだが、そんな素振りは一切見せない。結構頑丈な人なのかも。

 いつもクールに先生に謝罪し、何事もなかったかのように勉強する。それが彼女のスタイル。


 それでも僕は、というより僕たちは、彼女が、とても優しい人であるということを知っている。

 今だって、この首の冷たい感触は彼女の力によるものだろう。ひんやりとしていて、余分な熱を奪い取ってくれていた。


「……さっさと医務室に行きなさい。ここで倒れられても迷惑だわ」


 いや、まあ、それなりに付き合いか、きっかけがないとわからないんだけどね?


「あ、ううん、大丈夫だよ。少し、マシになったから」


 苦笑とともに、そう答える。

 でもこれは嘘。

 本当は、気を抜くとぶっ倒れそうだった。

 しかし今月に入ってすでに二桁の回数で医務室にお世話になっている。さすがに医務室に行く度に母さまに心配をかけてしまうのはいい加減気が引けた。あの人泣いて駆けつけてくるし。

 だからこれ以上迷惑をかけないようにしたいのだが、


「先生、鳩羽君を医務室に連れて行きます」

「無視ですか」


 もう慣れたもので、教師も患者が僕と分かるとあっさり許可を出す。ちなみに黒板には炎の物理現象の詳細を延々と書き連ねてあった。どっちかといえばあの教師のほうが医務室に行ったほうがよくない?


「ほら、早くしなさい」

「う、うん」


 急かす涼風さんを横に、椅子から立とうと腰を上げる。

 だけど、


「あ、あれ?」


 立った瞬間に、膝から崩れ落ちてしまった。

 視界がぐるぐる回っていて、足に力が入らない。

 さすがに心配したのか、周りのクラスメイトが大丈夫かと声を掛けてくる。


「はは……け、けっこうやばかったみたいだね」

「まったく、相変わらず自己管理がなってないわね、君は」


 呆れた声で涼風さんが溜息をつく。


「うう、すみません……」


 あまりに情けなくて、思わず謝ってしまう。

 相変わらず、他人に迷惑をかけてしまう自分が嫌になる。

 涼風さんは少し、思案するように僕を見つめてくる。そして、横目で未だ桜火が爆睡していることを確認すると、溜息とともに僕に触れた。


「……しかたがないわ。そのまま連れて行くから」

「そのまま……? って、うわひゃあ!?」


 突然のことに、僕の口から変な悲鳴が漏れた。

 その悲鳴に何事かと教室中のクラスメイト達がこちらを見る。

 そして、ひゅう、と口笛を吹いた。


「おーおー、羨ましいね~、みい。いや、この場合は涼風さんのほうが羨ましいんか?」


 と、自分勝手な感想を言ってくれる宗司。

 だけど僕は、そんな軽口に付き合っていられるほど冷静ではなかった。


「ちょ、ちょっと涼風さん……!」

「このまま降ろして、というのは聞けないわよ。嘘までついたのだから、これぐらいの罰は受けなさい」


 僕は今、涼風さんに持ち上げられている。僕自身が立てないからこのまま僕を連れて行く気だろう。つーか罰って。

 そこまではいい。いや、正直あまりよくないけど仕方がない。涼風さんに迷惑がかかってしまっているが、これは彼女の好意なのだから無下に断るのも礼儀に反する。

 しかしだ。問題はその僕の抱え方。

 彼女の片腕は僕の背中に。そして、もう片方の腕は膝の下に回されている。

 その名は――お姫様だっこ。


「すげえなー。普通逆な気もするが、これはこれで似合ってる」

「いや、似合ってなくていいから!」

「涼風さんカッコいいもんね~。鳩羽君はかわいいから、ちょうどいいんじゃない?」

「男がかわいいと言われても全く嬉しくない!」

「いいじゃねえか、減るもんでもねえし」

「って写真は撮らないでお願いだから!」


 そういえば天詩憑きの人は常人より身体スペックが高めだったっけ。いやそれでもこれは酷い。

 ははは、あまりに情けなくて涙が出そう。

 が、この騒ぎの中でも、涼風さんはあくまで冷静だ。


「それでは、医務室に行って来ます」


 すごい、さっきから周囲を完全に無視している。その技を僕にもぜひ教えてほしいです。

 と、そのまま教室を出て行こうとしたとき、


「待て」


 そう、止める声があった。


「……浩壱楼?」


 声を上げたのは、鋭い切れ目と高い身長が特徴の友人。今日もフレームの無い知的メガネが輝いている。

 姓は武宮、名は浩壱楼。彼も宗司と同じぐらい昔からの付き合いの友人だ。


「これを持っていけ」


 そう言って浩壱楼はこちらに何かを投げる。投げられたものは緩やかな放物線を描いて、抱えられている僕の手の中に飛び込んできた。

 見慣れたそれは、


「これは……僕の薬?」

「みここさんから預かっていたものだ」


 そう言うと、それで用事は終わりなのか視線を外した。相変わらず涼風さんに負けないぐらいクールなやつだな。


「えー、と。ありがとう」


 一応礼をいうが、なんとなく雰囲気的に「早くいけ」といっている気がしてならないのは、きっと気のせいじゃないと思う。

 結局、クラスメイトの好奇の視線に晒されながら、僕たちは教室を出た。




 保健室は教室のほぼ真下。教室は三階にあって、保健室は一階。距離はそれほど無いのだが、人を抱えたまま階段を下りていくのは少し困難だ。

 それでも涼風さんは、僕を抱えながらゆっくりと階段を下りていく。

 彼女が僕を落とさないようにしっかりと抱えているため、僕と彼女はぴったりと密着していた。柔らかい体の感触。少し、心臓がうるさかった。

 触れ合っている彼女の体は、この暑さでもひんやりとしている。常人では在りえないほどの低温。

 まるで雪に抱かれているかのような――


「すこし冷たすぎたかしら?」


 涼風さんが、唐突にそんなことを聞いてきた。

 腕の中から彼女を見上げると、少し心配そうな顔をしている。


「ごめんなさい。私の"零氷雹陣"は調節が難しくて……」

「い、いえ。大丈夫です。むしろ、気持ちいいぐらいですよ」

「そう、それならよかった」


 僕の返答に、涼風さんは安心したように微笑んだ。

 普段の無表情からは考えられない柔らかな笑み。思わずその笑みに見惚れてしまう。


 ……やっぱり、涼風さんは優しい人だ。

 普段はクールで、あまり他人に関わろうとはしない、そんな人。だけど涼風さんは、よく倒れる僕を何かと気にかけてくれた。

 しかし彼女とはこの学校に来る以前に面識が無く、どうして面倒を見てくれるのかが不思議だった。確かに彼女はクラス委員長だし、席も近いけれども、それだけでは説明が出来ない何かがある気がする。

 前に一度、気になって理由を聞いてみたが、『似ているから』とだけ彼女は答えた。

 誰に? と聞こうとしたけど、涼風さんが少し寂しそうな顔をしていたから、それ以上は聞くことが出来なかった。


 ……いつか話してくれるかな。

 これだけよく助けてもらっているのだ。彼女がもし困っていたら、喜んで僕は彼女を助けよう。

 そんな事を考えているうちに、僕たちは保健室に着いた。



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