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2話

「いってらしゃ~い」

「行ってきます、母さま」

「行ってきます、みここおば様」


 朝ごはんを食べた後、母に見送られて僕と桜火は揃って家を出る。見上げると、雲ひとつない青空。どうやら、今日も暑くなりそうだなあ。

 今から向かう目的地は当然、学校。

 夏の太陽がまだ朝だというのに、ガンガン照り付けてくる。早めに行かないと倒れる破目になるなこれは。


「おば様、今日も仕事?」


 歩いていると、横に並んだ桜火がそんなことを聞いてくる。


「ああ、そういえば今日は休みだとか言ってたよ。なんでも、幼馴染に合うとかなんとか」


 実は母さまは、あれでも著名な作家だったりするんだよね。平日はよく家で執筆を行っている――らしい。

 らしい、というのは、僕が母さまの作家としてのことは何も知らないからだ。

 僕は生まれてこの方、母さまが何か原稿用紙に向かったり、担当の編集者が原稿の催促に来たりする、といった漫画やドラマであるような光景を見たことがない。

 それでなんで知っているのか、と聞かれれば、小学校の頃の作文で『親の職業』というものがあったからだ。そのときに教えてもらったのだが、それ以外は未だにペンネームすら謎である。

 とはいえ、母子家庭であれだけデカイ家を所有しているのだから、母の言う著名な作家と言うのもあながち嘘ではないのだろうけど。


「へえ、幼馴染か……あたしとアンタも幼馴染になるのかしら」

「さあ? どこからどこまでが幼馴染の範囲に入るか分からないからね」

「それはそうだけど、いいじゃない。せっかくだし幼馴染ということにしときましょ」

「……ま、いいけど」


 桜火はなにが嬉しかったのか、適当な歌を口ずさみつつ隣を歩く。

 なんだかスキップでも始めそうな勢いだ。


 ――僕の隣を歩いている彼女の名前は凪森桜火。


 僕とはかれこれ八年ほどの付き合いとなる。小学校から始まり、中学、高校と、もはや幼馴染というより腐れ縁。

 本人は見た目通りの性格をしていて明るく前向きではあるが、言ってしまえばバカである。成績も下から数えたほうが早く、なんで入試に受かったかが不明。いや僕が勉強を教えたからというのはあるのだろうけど、酷かったからなあ、あれ。


 まあその変わりと言ってはなんだけど、容姿の方は悪くはないと思う。

 僕からしてみればいい加減見飽きているから評価しようにも難しいが、なんでも友人たちが言うには、学校でも上位に入るぐらいの容姿らしい。なんの上位かは聞かなかったが。

 確かに、告白されたことは一回や二回ではないらしいのだが……そのほとんどが下級生で、しかも女生徒だったりする。学校では強気な性格やらひんにゅ――じゃなかった、スレンダーな体型やらが相成って、『かわいい』とか『美しい』とかではなく『かっこいい』ともっぱらの評判だ。


 まあ他にも有名な理由はあるのだが……今はいいか。

 と、気がつけば桜火が僕の顔を覗き込んでいる。……まさか心を読まれたか?

 そう思ったが実際にはそんなことはなく、どうやら僕の表情ではなく顔色のほうを見ていたらしい。


「なんだかアンタ今日熱っぽいけど、薬と水は持ってきた?」

「薬? ああ、大丈夫だよ。量も多めにしたしね」


 僕は生まれつき体が弱い。

 症状としては眩暈、立ちくらみはデフォルトとして、動悸に息切れ、頭痛や吐き気など。

 その原因は科学面でも魔術面でも不明で、なんらかの身体的欠陥の可能性か、もしくはそういう星の下に生まれたかどちらからしい。……どちらも説得力があるんだかないんだか。

 しかしどちらにしろ虚弱『体質』であることに変わりはなく、体調不良で倒れることはもはや日常茶飯事。

 ははは、ある意味自慢できるレベルだよね? しないけど。

 ちなみに薬は病気に対する薬でなく、基本は栄養剤の類だったりする。熱がある時は解熱剤も用意するけど。


「ふーん。ま、あまり無理すんじゃないわよ。アンタが倒れると、おば様に迷惑行くんだから」

「それは重々承知しております……」


 それでこの話は終了。あっさりしたものだが、いつものことなので桜火も慣れたものだ。

 それからは桜火と適当に昨日のドラマの内容とかを話していると学校についた。


 レンガ造りの古風な外観。歴史を感じさせる落ち着いた内装。そしてそれらを損なわせることなく、取り付けられた最新鋭の防犯設備。

 見た目だけでなく偏差値もそれなりで、体育会系の部活も良い成績を残している。ついで学生寮もあることから、全国から志望者が集まるのがこの『千月学園』である。


 ……まあ唯一の欠点は、全国レベルの変人が多いことぐらいかな。


 僕と桜火は同じ一年のクラスで、教室は三階だ。ここの階段、結構急だから体力の無い僕にとっては辛いことこの上ない。

 エレベーターもあるにはあるのだが、あれは教員と身体障害者用なので、僕は使えない。一応申請したら通るかもしれないけど、まあ体力づくりとでも思えば、精神的には楽なものである。体力的には最悪だけど。

 そんな苦行をこなし、なんとか教室にたどり着いて中に入る。部屋にはいつもより少ないクラスメイト。ああ、普段より少し早く来たからか。


「おはよう」

「おっはよー」

「あ、おはよー。今日は早いねー」


 クラスメイトと軽く挨拶を交わして席へ。桜火も鞄を置きに向かう。

 と、ちょうど僕の後ろの席に座っている少女と目が合った。


「あ、おはよう。涼風さん」

「……あら、おはよう」


 相変わらずの涼しげな雰囲気に、冷たい瞳。もう夏だというのに、この少女を見ると真冬の雪を連想する。

 彼女の名は涼風雪美。

 このクラスの委員長だが、メガネはしていなかったり。無論デコでもおさげでもない。

 印象だけでなく性格もクールな人だけど、ストレートロングの髪を縛っているオレンジのリボンだけが、暖かなオーラを放っている。目つきは少し鋭いけど整った顔立ちに、女子の中でも特に高い身長。スタイルもよく、さらに文武両道というパーフェクトな人で、ファンクラブとかもあるらしい。どこの漫画の住人だろうかこの人は。

 他の特徴としては、どうやら少し考えてから話す癖があるらしく、喋る際に一泊空く話し方をする。


「……今日は、早いわね」

「うん、少し早く起きたからね。たぶん、そのせいじゃないかな」


 実際は早く起きたといっても十分ほどだが、それでも朝の学校では十分早いだけでも違うものみたいだ。

 普段ならあまり会話が続かずこのあたりで会話は打ち切られるが、しかし今日は何か気になったのか涼風さんは僕の顔を覗き込んできた。


「……? 顔色が少し悪いわ。熱があるの?」


 今日はなんだか心配されてばかりだなー。そんなにわかりやすいのか、僕は。

 そんなことを考えていると、突然涼風さんが僕に顔を近づけてきた。


「す、涼風さん?」


 彼女の綺麗な顔が間近に迫り、心臓が跳ねる。


「やっぱり、顔が少し赤い。……本当に大丈夫?」

「だ、大丈夫ですよ、ちゃんと薬もありますから」


 ……まさか緊張しているからなんて言える訳がないじゃないか。

 涼風さんはパーフェクト人間で、さらにクラス委員長なんてものをしているが、実は自己紹介で『あまり人と関わりたくない』とカミングアウトをかました人だった。

 その言葉通り、普段は必要事項以外に他人と話したりすることがないのだが――何故か僕は例外らしい。話しかけると普通に返事をしてくれるし、彼女から話しかけてくることも多い。

 ……一応なんで自称人間嫌いの彼女がクラス委員長なのかといえば、ただ単にくじ引きで決まっただけであったりする。あの時、すっごい嫌そうな顔してたなあ……。

 いや、それはともかく。それどころではなく。


「……ちょっと、熱を測らせてもらうわ」

「って……え、涼風さん?」


 咄嗟のことで反応ができなかった。

 涼風さんは片手で前髪を上げ、すっ、と流れるように彼女の顔が僕に近づいて――


「……アンタなにやってんの」


 その突然割り込んできた手に止められた。


「……凪森」

「アンタに呼び捨てにされる筋合いはないわねー。で、何やろうとしたの?」


 突然現れた桜火に敵意を持って睨みつける涼風さん。

 それを殺意を持って平然と返す桜火。

 いかん、二人の後ろに龍虎が見える。ごごご。


 今この二人は、視線だけで人を殺せます。いや本気(マジ)で。

 もうなんでか知らないが、何故かこの二人やたらと仲が悪い。いや、もはや悪いとか言うレベルでなく前世からの天敵というか水と油、狗と猿、月とすっぽん――は違ったか、兎に角、何かあるたびにこうして衝突する。そして八割超の確立で僕が巻き込まれるのは、ほんとなんでだろーね。

 涼風さんは自身の腕を掴んでいた桜火の手を乱暴に振り払って距離をとる。というか僕を挟むのは止めてほしいのですが……!


「……鳩羽君の体調が悪いみたいだったから、熱を測ろうとしただけよ」

「熱ぅ? そんなの見りゃわかるでしょ。みいはまた調子が悪いんだから、アンタが触れるな。冷えて(・・・)余計に悪化する」

「……そうね、確かに鳩羽君は繊細ね――あなたとは違って。だからあなたも近寄らないでくれる? 鬱陶しいぐらい熱すぎて(・・・・)彼に負担を掛けるわ。あとバカもうつりそうだから」


 うーわー、なんでこの二人は初っ端から全開なんですか。

 この一触即発の空気を察知したのか、周囲にいたクラスメイト達は気がつけば既に教室外に避難していたりする。みんなも慣れた慣れ過ぎだ。

 薄情、とは思わない。そりゃ誰だって火傷か凍傷は嫌だろーしね。

 しかしそんな外野は気にも留めず、二人はどんどんヒートアップしていく。


「アンタ、喧嘩売ってんの?」

「あら、相変わらず乱暴ね。鳩羽君も迷惑してるんじゃないかしら」


 ちょ、なんでそこで僕の名前が。


「………………泣かす」


 しかも何故かそれで桜火キレるし!

 なんというか日頃の慣れというか、咄嗟に危険を感じた僕は、すぐにその場から退避する。全力で地面を蹴飛ばし、転がるように二人から距離をとり、

 ――その直後、桜火を中心に爆炎が広がった。


 真っ赤な、桜火の髪と同じ色をした炎。初見では火事かテロか新手の嫌がらせかと思うだろうが、よく見ればこの炎は物理法則を全力で否定するもの。

 始めに気がつくことは、周りのものが燃えていないのだ。机や椅子、その他燃えやすいものが無数にある教室で、炎に触れられても何一つ焼けていない。

 そして次に、この炎は熱くない(・・・・)

 教室を埋め尽くすほどの炎があるというのに、というか僕はその炎に炙られているというのに、まったく炎による熱さを感じない。いや、正確には『桜火に意識を向けられていない限り』は大丈夫だ。……まあ逆説的に言えば『意識を向けられれば燃やされる』ということだから、すでに皆は逃げ出したんだけどね。


 そして一番の問題はその炎の発生源の桜火の背後。炎とともに顕現したそれ。

 全身を鎧で覆い、長い燃える髪をなびかせた、二対の炎の翼を持った戦乙女。


 ――守護天詩。


 桜火の魂のカタチ。その顕現。

 本人の敵意や殺意に反応し、その対象を焼くという危険極まりないトンデモ特殊能力。そんな地獄の悪魔もビックリな能力をお持ちの桜火は、しかし悔しそうに歯軋りをしながら前を睨みつけていた。


「ほんとう、乱暴ね。あなたは」

「この魔女が……!」


 この炎の中で涼しげな声。確かに僕自身は熱くはないのだけど、桜火の敵意というか殺意は確実に彼女に向いているはずで。

 しかし、それでも冷たい存在感。


 氷の姫と龍がそこにいた。


 僕の何倍もある大きさの龍を従え、姫は殺意の炎を寄せ付けない。

 さっきから、なんともまあメルヘンな状況報告ではあるのだけど、実際にそうなのだから仕方がなかったり。

 氷の龍は見たまんま。まるでヨーロッパの美術館か札幌のお祭りにでもありそうなほど、美しく、雄雄しい姿。例えが変なのは僕のボキャブラリィのせいだから気にしない。気にするでない。

 そして姫は周囲に絶対零度の風を身にまとっている涼風さん。桜火みたいに氷の魔女と呼ぶ人もいるけど、しかしこの美しく、静謐な姿を見ると、氷の姫というほうがピッタリだ。

 それが彼女の魂のカタチ。

 桜火とは真逆の能力で、常に冷気のヴェールで身を守り、睨んだ相手を瞬間的に氷の棺桶に叩き込む。

 しかし毎度思うが、龍のお方は教室狭そうですねー。


「あぁーもぉー、うっとーしい天詩ねー。それがいなければすぐにアフロにしてやるのに」

「そうね、私もあなたの品のない粗野な物言い、正直ウザイわ。すぐに冷凍して黙らせたいぐらいには」


 ……さてさて、そろそろ僕も逃げるか。

 今現在まさしくここは、臨界寸前の原発と同レベルの危険性です。

 彼女たちの意識はほとんど『敵』にしか向けられないので意外と被害はないのだけれど、万が一認識されてしまえば、確実にとばっちりを受けること間違いなし。というか過去に犠牲者は既に何人も出ているんだけどねー。



『………………………………………………………………………………………………』



 二人とも無言。それでもヤバイぐらいの殺気は伝わってきて、腰が抜けそうになる。

 ものすっっっっごく怖いです、はい。

 ゆっくり、ゆっくりと教室の外に出て、

 そして思わずコケかけた。


「……なにやってんの?」


 そこには、ヘルメットを被り、今か今かとカメラを構えるクラスメイトの姿が。

 みてわからんか? とクラスメイトは首をかしげ、


「あの二人のバトルシーンは結構人気あるんや。なかなかの高値で売れるよるからのう」


 話しつつも、一向にカメラのファインダーから目を離そうとしない。

 こいつの名前は永峯宗司。妙な関西弁を使用する、自称関西人だ。宗司とはこの学校に入る前からの付き合いで、一応友人と呼べる関係ではある。が、たまにこの変な行動力には付いていけないことが多い。


「最悪こちらまで被害を受けるんだ。これぐらいは許容範囲内だろーよ」

「ふ、それどころか被害額の倍は儲けてやるぜ」


 無駄に気合入った顔で、親指をぐっと突き出す宗司とその他のクラスメイト達。被害額が~とか言いつつ、自分の鞄は確保しているあたりちゃっかりしている。

 ……ほんと慣れたなあ、オイ。

 溜息一つ。


 そのまま扉を閉めて―――その瞬間、教室内から開戦の爆音が響いた。



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