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13話

「――で、どうでもいいからさっさと教室に入れ」



 隣から、宮崎先生の呆れた声がかかる。

 なんというか、あれですよ。人の感情ってほんと不思議。

 昨日は『はははー、もう諦めもついたから恥ずかしくないぜー』とかなんとか色々と吹っ切っていたのに、一日経つとあら不思議。

 目の前には教室の扉。

 慣れない下着やスカート。

 扉の向こうから来る禍々しいオーラ。

 僕の手や膝は震えていて、たぶん鏡で見ると全身真っ赤になっていると思う。


 ……ようするにすっごく恥ずかしいです。


 朝、制服を着ていざ学校へ、と思ったけど玄関先で即敗北。すったもんだの上、スパッツを穿いてダメージを軽減して登校した。

 ちなみにスパッツ装着案は桜火である。普段からスパッツを愛用している桜火の理由は『蹴りの為に脚を上げても見えないから』という乙女らしいのからしくないのか判断に悩む理由だったけど。

 なぜかすでに用意されてあったのが一番の謎だったのだが、母さまのことだから気にしないほうがいいかもしれない。


 で、もちろんそれだけでなく登校中にやっぱりどこかおかしいのか、何故か周囲の視線を集めてパニックになりかけた。いやもうそりゃあ道行く人のほとんどに見られたら慌てるよほんと。

 続いて職員室では、事情を知った教員たちの好奇の視線や質問に晒されることとなった。

 が、そこは宮嶋先生のご登場で助かった。というか登場するだけで助かるって何者だこの人。


 なんというか。あれですね。

 頼むから胃腸薬ぷりーず。


「すー……はー……」


 母さま直伝の深呼吸をして、緊張で固まった体を解す。この深呼吸、とある古武術の『技』らしいけど、普通の深呼吸より確かに体は解れる。しかし残念ながら緊張は解れない。


 扉に手を掛ける。

 諦めにも似た覚悟を決め、解き放つ。


 ――で、全力で後悔した。







 それから昼休み。

 授業中と合間の休憩中、常に視線を感じていたので精神的にモロに疲れた。なんだろう、他のクラスからも見に来るって、やっぱりそんなに変かなあ。

 しかしあれだ。視線で人を殺せるというけど、これは別の意味で殺せる。主に胃痛で。


「……大丈夫かしら?」


 机に突っ伏していた僕に、そう話しかけてきたのは雪美さんだった。右手にお弁当、左手にペットボトルを持っている。

 それはつまり、


「ああ、お昼ご飯か」


 考えてみれば今はお昼で、クラスの半分以上は学食か購買に行ったようだ。なるほど、どうりで静かなわけだ。それに気づけないほど疲れているらしいな、僕は。

 それで、なぜ雪美さんがお弁当を持ってここにいるのかというと、


「お昼、一緒にどうかしら?」


 なるほど、とても分かりやすい。

 しかし、まさか雪美さんに誘われるとは思わなかった。彼女はいつも、一人で食べていたから。

 でもまあ特に断る理由もないし、構わないだろう。それに雪美さんから誘ってくれたのが、正直に言って嬉しかった。


「うん、一緒に食べよ」


 そう言うと雪美さんは頷きを一ついれ、僕の手をとる。


「それじゃあ、行きましょう」

「行くって……どこに?」


 てっきりここで食べるのかと思ったが、どうやら違うらしい。


「とてもいい場所。ここじゃあ視線が気になって食べられないでしょう?」


 確かに廊下を見れば、どこからか噂でも聞いたのか他学年の生徒までがこちらを見ていた。それも昼休みだからか、さっきまでより数が多い。。

 今はまだ昼食タイムがあるのだが、食べ終わった後のことを考えるとそれは恐ろしすぎる。


「はは……。そうだね、案内お願い」

「ええ」


 頷き、行こうとして、


「ちょおおおおぉぉぉぉっと待ったあああぁぁぁぁぁぁ!」

「うわっ! ……って桜火?」


 突然の大声に驚いたが、音源をよく見れば手に大量のパンを持った桜火だった。どうやら購買派の桜火であるが、すぐに行って買って帰ってきたらしい。

 あの飢えた野獣のカオスなお祭り騒ぎを潜り抜けて、記録三分未満。どうでもいい新記録だな。


「あたしも行くわ。連れて行きなさい」


 ビシッ! っと指を突きつけ、物凄く偉そうに命令する桜火。君はどこの女帝だ。

 それに対して雪美さんは激しく嫌そうな顔をしたが、喰らい付いてまで着いて行くぞと言わんばかりの桜火に溜息一つ。


「……仕方が無いわね。時間も勿体ないし、別に構わないわ」


 あれ、意外といえば意外。いつもの雪美さんなら嫌味の一つでも言って、大バトルに発展するのだけれど。

 桜火も同じことを思ったのか、どこか拍子抜けしたように突っ立っている。


「こっちよ」


 そんな僕らを余所に、平然と桜火の横を通り過ぎて雪美さんは教室を出て行く。


「あ、うん。桜火も行こう」

「え、ええ」


 慌てて桜火と一緒に教室を出る。

 廊下に出るといくつか追いかけてこようとする視線があったが、なにやら後ろから爆音が聞こえてからは無くなった。……感謝するべきなのかそうでないのか。

 それを数回繰り返しながら雪美さんを追いかけて、行き着いた先は、


「屋上?」


 鋼鉄製の重い扉を開けた先。

 コンクリートそのままの床に、一応取り付けました感のある緑のフェンス。

 特にベンチも花壇も無い屋上。

 何も無いけど――ここに吹く風はとても心地よいものだった。


「屋上なんて始めて来た」

「そうね。放課後なら吹奏楽部とか天文部が使っているけど、それ以外はほとんど人は来ないわ」


 それは確かにそうだろうなと思う。特に屋根も何も無いコンクリートの床だから、夏は焼けるような陽射しで暑く、冬は乾いた風で寒くてマジ死ねる。

 で、それでなんで雪美さんが来てるかというと、


「でも、私は大丈夫だからよくここに来ていたの」

「ああ、雪美さんなら暑いのも寒いのも大丈夫ですよね」


 守護天詩のチカラで夏は涼しく、冬は寒さなんて関係ないし。


「あなたも私の横にいれば暑さは大丈夫よ」


 なるほど、だから僕を誘ってくれたらしい。


「それじゃあ、お昼にしましょう」


 僕らが座ったのは、丁度下にグランドが見える位置だ。その場所で各自の昼ごはんは広げる。

 僕と雪美さんはお弁当。桜火は……パンが七個ほど。


「相変わらずよく食べるね。無駄に」

「いいでしょー。これでも抑えてるほうなんだからねー」

「なんでそんなに食べて胸に栄養がいってな―――嘘です冗談ですからそんなに睨まないで」


 ……後一歩で危うく屋上からノーロープバンジーを実践させられるところだった。

 一時不穏な空気になりかけたが、食べ始めるとゆっくりした時間が流れ出す。

 一陣の風が僕の髪を揺らしていく。


「確かにここ、いい場所ですね。静かですし、気持ちいい風が吹きます」

「気に入ってもらえたのならよかったわ」


 初めは陽射しが暑いかと思ったが、雪美さんが傍にいるおかげで暑くは無く、湿った風も丁度いいぐらいだ。

 そうして、このメンバーでは初めてだろう和やかな時間が過ぎていく。

 ……平和っていいなあ。改めて、そう思う。


「ふう、食べた食べた」

「……本当に、あの量を全部食べるのね」

「ええ、まあ。酷いときはアレの約三倍食べますけど」

「…………」


 そう、思っていたのだけど。


 それでも、やはり今の僕には平穏には程遠かったらしい――と気づくまであと数秒。


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