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薄暗い部屋に、陽が差し込んだ。
「んー」
背伸びをすると、わたしはゆっくりと起き上がる。寝ぼけた目をこすりながら、一階に降りた。
すごく、いい匂い……。
本来なら台所に入るとお祖父様に叱られるけど、匂いに釣られてつい入ってしまった。
「えっ、お、お母さん?!」
いつもは台所に立つことのないお母さんが、なんと、料理を作っている。お鍋に味噌汁の具をいれていたみたいだ。
「あら? 早いじゃない」
「うん。ってゆーか、なんでお母さんが朝食の支度しているの?」
わたしは、いつもいるはずのお手伝いさんを探した。
「そういえば、一恵に伝えてなかったわね」
そういうと、お母さんは深いため息をついた。
「今日は、特別なのよ。お祖父様が企画された公式業務があって、勇さんと一緒に、岩本家の手伝いさん全員借り出されちゃったの」
お祖父様も、飽きもせずによくやるわよね。
それに従うお父さんもすごいかも。……従うしかないから、仕方ないのか。でも、わたしはこういうのいやだな。好きじゃない。
わたしの気持ちがわかったのか、お母さんはすこし遠慮がちに笑ってみせた。
「今回は、オルゴール買ってくれた人らしいわ」
オルゴール?! もしかして、駅ビルで会った女子校生が騒いでたのって、このことかしら。
「……もしかして、半日デート?」
「えぇ。食事付きで、ツーショット写真を撮れる権利付きだから、応募者殺到したみたいよ」
「そ、そうなんだ。お父さんの人気ってすごいのね」
「そうね。あ、一恵が勤めている、高藤電線の工場長も、お父さんと同じくらいなのよ」
「え? 工場長も? ふーん」
適当に返事してから、わたしは台所を出て、いつも食事を取る部屋に入った。
うちは、名家と町の人たちから呼ばわれている。
岩本家と言ったら、ここ南灘一色を始めとする、灘国内では知らない人はいないと思う。
といっても、わたしは本家の娘ではなく、中級分家の娘だと発表されているので、まず、敬称で呼ばわれることさえない。あなたが幼少のころ、お祖父様が決められたのよ、と小学校へ入学したときにお母さんが教えてくれた。だから、わたしの身の内を知っているのは、ごく親しい友達数人だけ。
とは言え、発表通りに中級分家の邸宅に住んでいるわけでもなく、ふつうに生家にいて、わたし専用の侍女・たき江もいる。もちろん、家の中では何十人もの住み込みや通いの侍女たちもいるし、お父さんやお母さん付の護衛や侍女だっている。