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「待ちなさいよ!」
司と腕を組んだ手を、智春は無理やりつかんだ。
事情がわからない司は、不思議そうな眼差しで智春を見た。
「どうしたんだよ、この子……」
戸惑う司の耳元で、わたしは待っていてね、と言い残し、少し離れたところへ智春をひっぱっていく。
「ちょっと、なにすんのよ」
わたしたちは、睨み合った。
やんでいた風が、またふき始める。
「わたし、司とわかれる気はないわ。それに、司はあんたのことなんて、全然興味ないの」
ピシャリと言った。
「絶対に、奪ってあげるわ。あんたになんか、高藤くんを渡したくないから」
さっきの勢いは、今の智春になかった。
「なに言ってるのよ。それはこっちのセリフよ。だって、司とつきあっているのはわたしなんですからね」
しょんぼりする智春を見て、わたしはどこかいい気分だった。
「あきらめてよ」
智春は、うつむいていた顔を上げた。
「……あたし、一恵と高藤くんがつきあう前から、あの人のこと……好きだったのよっ」
もう、智春にはわたしを罵る言葉は浮かんでこないみたいだった。全身を震わせている彼女は、恋をしているひとりの女のようでもあった。
「そんなこと何度も聞いたわ。でも、わたしは司といるだけで楽しいの。なにもしなくてもいいから、ただ、司と一緒にいたいの。わたしの恋、邪魔しないでっ」
ビュン、と風が吹き、わたしと智春の間を通り抜けた。
わたしは、髪の毛をかきあげた。
「……あきらめることなんて、できないわ。……好き、だもの」
智春の瞳に涙のかけらがあった。
「なにをいってるのよ。わたしの方が智春よりも美人なのよ。無理ね。あきらめて」
言いすぎたと思った。けれど、もう遅かった。智春の肩が、ワナワナと震え、頬に数滴の涙が伝った。
「……絶交よ!」
強く叫んで、智春は駅へと消えて行った。
それから、クラスメートがわたしを無視し出した。
楽しかった高校生活が、一転して灰色になる。
ただの噂として、軽く受け流してくれる数人の友達と、司が、わたしの心のよりどころだった。
何度も司に相談した。
最初のうちは、親身になって聞いてくれた。アドバイスもしてくれた。
毎日、あたりまえのように司とデートをしていたわたしは、どこかに消えてしまっていた。
いつのまにか、司と登下校しなくなっていた。
クラスで無視をされ、あまり司といたいとは思わなくなってしまった。
精神的に参っていた。
ただ、淋しいときだけ、司を求めていた。
司は、わたしの話を受け止め、やさしい言葉で慰めてくれた。
――でも……。
「一恵。話があるんだ」
そう言うと、司はわたしを駅前にある、ロータリーに連れて行く。赤、緑、青の三色のランプが、噴水の水を染めている。
「どうしたの?」
「お前の部屋に、女の写真が飾ってあるんだって?」
皮肉を含めた口調だった。
……智春のしわざだ。でも、司はそんなことで、わたしを……。
次の言葉は、考えたくなかった。
「なぁ、おれとしてはさ、やっぱり……好きな子には、自分だけでいてほしいんだ」
「わたし、司だけだよ。……ねえ、それって、智春に聞いたの?」
「まぁな。忠告してくれたらしい。最初は、ばかなことを言ってくる女だ、そう思ってたし、一恵の話を聞いて、性格のめちゃ悪いやつだと、感じてた」
司……?
どこか遠い目をしていた。司はわたしを見ていなかった。
「お前、休みの日、おれと遊びたくないなんて、言ってくるだろ。わかるよ。クラスのやつらから無視されたら、精神的に参っていることくらいさ」
「……うん」
なにかを隠している、そんな顔をしていた。だけど、わたしは聞き出そうとはせずに違う話を持ち出した。
「ねえ、今日。智春に意地悪されたのよ。わたしの席、一番うしろでしょ。智春ったら、配られたプリントをわたしには回さなかったのよ」
上の空だった。司は、わたしの話に興味を示していなかった。
「司。聞いてくれてるの?」
「ああ。意地悪されたんだろ。……こうなったのは、一恵、お前の責任だぞ」
「……でも、あやまったのよ。ちゃんと」
「そうだな。お前も反省している。そうなんだろ?」
「……うん」
コクン、と首を縦に下げた。暖かい司の手が、わたしの頭をなぜた。
「一恵。ごめん!」
司は深々と頭を下げた。
「どうしたのよ? 顔をあげて」
司は、申し訳なさそうな顔をしていた。
「……おれ、家にいてもつまらないし、近くをブラついていると、必ず、仁科さんと会うんだ」
「……え?」
「話とかすると、彼女って、お前から聞いたイメージと違う。清楚な感じがしちゃって。で、仁科さんから、いろいろと教えられて……その、なんて言うのか……」
「つ、司……?」
「……仁科さんてさ、奥ゆかしい子なんだ。遊びに行くと、待ち合わせにはおれより先に来るし、バイトしててもおごってもらうのは悪いからって、なんていうんだろう……。とにかく、一歩引いてくれるよく気が利くやさしい女性なんだ」
心に、ズシリとなにかが落ちてきた。
「そ、そんな」
「……たしかに、一恵は美人だよ。性格もはっきりしてていいと思う。おれにはもったいないよ。こう言っては何だけど、一恵、料理苦手だろ。おれのために、がんばる、そんな素振り見たことないし。けどさ、仁科さんは違う。おれのために、料理教室まで通ってくれて……」
心臓が高鳴っているのがわかった。
「おれのためにしてくれる子を、見てあげたいんだ。今のお前は、クラスから無視されて、耐えられなくておれのそばにいる、なんかそれだけのつきあいがしてならないんだ。……それは、おれじゃなくてもいい気がするよ。キツイ言葉で、悪かった」
わたしは震えが止まらなかった。司の話は、まだ続いた。
わたしは、司に抱きついた。ゆっくりとやさしい手つきで、司はわたしを退けた。
と、そのとき彼の隣に人影が見えた。わたしは、その人がだれだか観察する。
……!
声が出なかった。
「ごめんなさい、一恵」
「……おれ、仁科さんと一緒にいたいんだ。許してほしい」
司には気づかれないように、智春はクククッと笑った。
それから、いつも見せたことのない、うつむきがちな姿勢をし、司の腕に手をすべりこませる。
「ねぇ、高藤くん」
なによ、あの態度……。ふだんと正反対じゃない。
遠慮がちな視線を、智春は司に送る。
「あ、そうだったな。映画の開始時間に遅れちゃうよな。……一恵、じゃあな」
そう言って、司と智春はわたしから離れていった。
一度、振りかえった智春は、嘲笑うような表情で、わたしを見、すぐに前を向き、司の肩にもたれかかった。
しばらくして、ふたりは完全に人込みの中に消えて行った。
友達ってなに? 恋人って……? もう、だれも信じたくない。
ちょっとくらいの美人だからって、それが一体何になるのよ? もういや!
……友達だって、結局裏切る人ばかりなんだわ。もうだれも信じられない!
わたしに残ったものは、そんな思いだけだった。
そして、いつしかおしゃれな洋服にも興味がなくなっていた。十六歳の初春……。




