セカンドハネムーン 全編
ヤヲがその旅行の話をミョネにしたのは、真冬のある日のことだった。
「ね、行きましょうよ、シヤジン」
シヤジン――それはノーニウィヨからほど近い半島にある海の街だ。白く細やかな砂を敷き詰めた美しいビーチが広がる『ノーニウィヨから一番近いマリンリゾートパラダイス☆』であり、夏ともなれば観光客でにぎわう街である。
しかし今は冬、だからミョネはすげなく答えた。
「『マリンリゾートパラダイス☆』を楽しむにはちょっと寒すぎるんじゃないのかい?」
「それがですね、冬には冬のお楽しみがあって、この季節が旬の海産物も多く、冬のシヤジンといえば知る人ぞ知る『グルメパラダイス☆』なんだそうですよ」
「ふうん、グルメねえ......」
「それに、温泉もありますし」
「いや、そういうことじゃなくってね......」
ミョネが旅行を渋る理由、それはヤヲの仕事を考えてのことだ。彼は親友であり、ノーニウィヨを治めるリア充王ことスラスラのもとで、彼の子息の教育係として勤めている。つまりはじいやだ。
「スライムのところは、もうすぐ七人目の子供が生まれるんだろ、そんな忙しいタイミングでじいやが休暇なんかとっちまったら、子供たちが精神不安定になったりしないかねえ」
「逆ですよ、赤ん坊が生まれた後の方が忙しくなるだろうから、今のうちに休暇を楽しんで来いと......これ、内緒なんですけどね、今回の旅行はコジカさまからのプレゼントなんです」
コジカはスライムのところの第一子である。ミョネもかつてはスライムやユリ姫と冒険の旅を共にした仲間であり、とうぜん今でも二人とは親交があるのだから、その子であるコジカのことは小さい時から見知っている。
「そうかい、コジカさまが......もう、そんな気遣いができる年になったんだねえ」
自分に子供ができない分、ミョネはこの子を溺愛している。だから、ふっと目を閉じてこの子の姿を思い浮かべた。
コジカは生まれて二十年になるが、魔族の肉体年齢で二十年といえば人間ならばたったの十年程度のものである。その容姿はあどけない少女そのものであり、特に幼子特有の丸みを帯びたバラ色の頬が愛くるしい。
あの愛くるしい頬をさらに赤く染めて、ちょっと興奮気味に話す姿を想像するだけで、もう今回の旅行をすげなく断る気にはなれない。
「そうだね、たまには旅行も悪くない。行こうか」
こうして二人は、冬の海へとやってきたのである。
冬の海は少し寂しい。空は雪を孕んだ灰色の雲で覆われ、その色を写す海面もまた、深く沈むような灰色に染まって白い波泡がまるで本物の雪であるかのようにチラチラと波間に立つ。
浜に人影はなく、シーズンオフで海から引き上げられた小さな観光用のボートが何艘か打ち捨てられて……それが浮かれたアヒル型のボートであることが、この寂しい光景の中では逆に虚しくみえた。
さて、その浜に立ったミョネの第一声は……
「さっむ!」
なにも遮るものない広い海岸だからこそ、北風はマトモに吹き付ける。ミョネはこの旅行のために買ったモコモコしたボア素材のコートを着ていたが、それでさえ北風の冷たさを遮るには不十分だった。
「なんも、こんな寒い中、海なんか見に来なくてもさ……」
ぼやくミョネの隣にたつヤヲは、彼も分厚いフェルト地のコートを着ていたのだが、これを軽やかに脱ぎ捨てて笑う。
「せっかく海辺の町に来たのに、海を見ないだなんて、もったいないじゃないですか」
「なんで脱いでンのよ、まさか……」
「せっかく海を見たのに、足もつけないなんてもったいないじゃないですか!」
バックスキン製のブーツを脱ぎ捨てて、靴下も投げ出して、ヤヲは波打ち際へと走り出す。
「やめなよ! 風邪ひくよ!」
ミョネの制止の声よりも早く、打ち寄せた波がヤヲの足元を洗った。
「ひいいぇええ! 冷たっ!」
ピョンと垂直に飛び上がったヤヲは、ミョネのもとへと駆け戻る。そんな夫の様子を見守るミョネの顔には、少し悲し気な笑みが浮かんでいた。
――いつからだろう、こうしたたわいもない幸せの時に、ミョネがこの表情を見せるようになったのは――
ヤヲはコートを拾い上げながらさりげなく聞く。
「ミョネ、もしかして、悩んでます?」
「な、悩んでなんかないよ!」
嘘だ。
ミョネはかなり前から、子供ができないことを悩んでいた。夫婦としてなんの不足もないこの二人に、ただその一点だけが影を落とす。
もちろんノーテンキなヤヲは、これを深刻に悩んでいるわけではない。だから、妻の体を引き寄せて抱き込み、その耳に言葉を吹き込む。
「ミョネ、私は子供が欲しくてあなたと結婚したわけじゃないですよ」
「わかってる、わかってる……けどさあ」
子供が欲しいと強く願っているのはミョネの方だ。そのためにいくつかの病院を回ったりもしたが、特に不妊の原因があるわけではないといわれ、特別な治療は受けていない。
ただし医者の説明によれば、錬金術によって物質化されたミョネの体の組成は鉱物に近く、生身であるヤヲとは相性が悪いということだ。だからミョネの悩みは深い。もしも自分の体が普通であったならばと、己を怨まずにはいられないのだ。
それを心得ているヤヲは、あくまでも優しい。ミョネを抱く腕に力を込め、声は逆にささやくように小声で。
「ミョネ、ここにいる間だけは、忘れましょう」
「うん、忘れたいけどさあ……」
「せっかくコジカさまがプレゼントしてくれた旅行ですよ。せめてこの旅行の間中はそういうことは忘れて、昔みたいに……おっと」
ヤヲが慌てて口をつぐむから、ミョネは振り向く。
「なに?」
「いや、あまりきざなことを言うと、嗤うでしょ?」
「笑わないよ、笑わないから、言ってごらん?」
「じゃあ、言いますけど……こういうの、世間ではセカンドハネムーンって言うんでしょ? だから、昔みたいに、新婚だったあの頃のように、ただ愛だけであなたを抱きたいと……そう思ってるんですが、ダメですかね?」
ミョネは笑わなかった……というより、あまりのキザさに笑うことすら忘れて、ぽかんと口を開いた。
「ミョネ?」
「はっ、ごめん、なんか、あまりの衝撃に意識トんでた」
「じゃあ、もう一度言いましょうか?」
「いい! 言わなくていいから、話の内容はわかったから!」
「そうですか?」
「さあ、わかったからもう大丈夫、次はどこへ行く?」
自分の腕からすり抜けようとするミョネを、しかし、ヤヲは決して手放そうとはしなかった。甘く喉を震わせたささやき声でとどめの一言を。
「忘れさせてあげますよ、そういう日常の悩み全て……忘れてとろけるくらい愛してあげますから……」
「こっぱずかしいこと言うなぁ!」
「うごっ!」
腕の中から放たれたアッパーカットに吹き飛ばされて、ヤヲは砂浜にどさりと崩れ落ちた。それを見下ろして、ミョネが肩で息をする。
「ふう、ふう、あんた、自分の女房を口説くとか、本気かい?」
「ええ……愛する妻だからこそ全力で、全身全霊をかけて口説く価値があるんじゃないですか~」
ミョネの顔が見る見る間に真っ赤になってゆく。
「こっ! ぱずかしいっ! そういうこと言わない!」
「じゃあ、どうやってあなたを口説けばいいんですか?」
「口説くとかいらないから、ホラ」
紅潮した顔を少し背けて、ミョネは手を差し出した。
「悲しい気持なんか忘れるくらいボクを愛してくれるんでしょ、だったらさ、その……僕も同じぐらいアンタを愛してあげようかなって、そう思っちゃったからさ……」
「ミョネ~!」
「わあ、飛びつくの禁止!」
「しかし、愛をかわすにはまだ日が高いですね、もう少し観光して歩きましょうか」
「うん、そうだね」
海から吹く風が、二人の頬を撫でて通る。それは欲熱を含んで火照り始めたカラダに心地よかった。
しかし、二人はこの時まだ、気づいていなかったのだ。
この先に待ち構えるものが、二人の愛を試す試練であるということに……




