5.緊急事態発生!? 唸るか、俺の前世の記憶っ?
菓子を食べ終え、茶器を篭に仕舞い終えた時だった。エルダは「あ、忘れていましたぁ」と、緊迫感皆無な調子で言い手を打った。
視線を一手に集めた中にいても表情ひとつ変えず、ふにゃりと笑みを崩した。
「御館様からぁ、キャズ様に言付けを預かってきたのですよぉ。
えっとですねぇ、ちょっと用事が出来て奥方様と陛下のところに顔を見に行ってくるので留守を頼みますぅ、ということですぅ」
俺の脳がエルダの言葉を理解するのを拒否したことを、誰が責めようか。
父が所用で領地を留守にすることは、これまでにも何度かあった。だからこのこと自体はそんなに珍しいことじゃない。問題はだ、どうして俺に留守を頼んでいくのか、ということ。
「クラッドは? 父が留守にする時はクラッドに任せて行くだろう?」
「御館様の共について行かれましたぁ。なんでも、クラッド様のお孫さんが今年七の祝節を迎えるそうでぇ、ついでなのだそうですよぉ」
ついでじゃないだろう!
声を荒あげて非難出来たらどんなに気が楽だろう。残念ながら俺にはその度胸もなく、力なく項垂れるのが精一杯。
父の片腕と言っても良いクラッドが、いままでは父が留守にするときには代理を務めていた。今年五十歳になる壮年の男性で、俺やエルダより幼い孫がいるのだとは聞いたことがあった。だからって一緒に留守にすることはないんじゃないかと言いたい。
「奥方様が行かれたのでうちの母とカーラもついて行きましたしぃ、ユザントは当分使いから戻って来ませんからぁ……」
侍女頭までもが留守にする旨と、クラッドの後継として育てている侍従がやっぱり当てに出来ない事実をエルダは満面の笑顔で告げ――、
「王都の兄君様たちに頼りたくなければぁ、何かあった際にはぁ、キャズ様がなんとかなさるしかありませんねぇ」
俺を絶望に突き落としてくれた。
転生したばかりの俺なら、「父が留守に→不幸な出来事が起こる→俺が領主として立つしかなくなる→俺、チート!」とでも奮起したかも知れない。だが色々と無茶苦茶な両親でも家族愛を感じているし、何よりあの父がいて何か起こるわけがないと信じている。
何かあるとしたら俺の周囲にだが、その何かが俺の手に負えるなんて欠片も思えない。パニックになって、何も出来ないままリーンやエルダの世話になるに決まってる。それで済むならふたりには面倒をかけるが、良くはないが、まだいい。問題は王都から兄たちが出張ってきた時だ。
…………。
うおぅ、想像しただけでも寒気がした。
「リーン」
助けを求めるように顔を上げれば、苦笑を浮かべて肩を竦めたリーンがいた。
「とりあえず、館に戻りましょうか」
さっきと同じようにリーンは俺を抱え上げると、敷布のそばに脱いであった靴をエルダに任せて歩き出した。