3.家庭教師は美少女でした。これもハーレムフラグだったりする?
出入り口に誰もいないことをリーンに確認してもらって、それから外に出た。
俺がそれまでいたのは生え茂った植物が出入り口を見事に隠している、一見天然の洞穴に思える人工の洞穴。恐らくだが、父がかつて作ったものに間違いないと踏んでいる。
それとわからないように仕掛けられた人避けの魔法や、奥に隠すように置かれていた古めかしい品々。年代は調べたところによると父が赴任した頃だったので、いざという時のために設けた避難所の類だったのではないだろうか。
目を慣らしながら出てきたつもりだったが、それでも光量の差に思わず腕で顔を被う。
「……人が。キャズ様、失礼いたします」
優秀な護衛であるリーンは近付いてくる気配を察したらしく、俺に断りをいれると俺の体を軽々と担ぎ上げた。荷物でも抱えるように脇に抱えるのも慣れたもので、その手も俺に限りなく触れないように気を使ってくれている。それでも抱え上げられているというそのこと自体が、俺の体から力を奪うわけで。
十歳児とは思えない小柄な子どもとはいえ、人ひとり抱えているとは思えない軽い足取りでリーンは足場の悪い森の中を早足で抜ける。次第に目は光に慣れ、問題なく見えるようになった頃には開けた場所に到着していた。
森の中にある湧き水で作られた小さな泉で、飲めるほどに澄んだそこは動物の憩いの場所でもある。魔法が存在する世界だけあって精霊なんてものもいて、この場所は精霊の力が強い聖域でもあるために平和のひと言に尽きる場所だ。洞穴での農作業を終えたあと、いつもこの場所で汚れた手を洗い休憩をとる。屋敷のみんなにも、この場所に行くといって出かけている。
「リーン! 何度お嬢様をそのように抱えるなと言えば理解するのですか、貴女は!」
「ヒルバール嬢……」
やや疲れた調子でリーンは俺を下ろし、現れたその人物の名を呼んだ。
振り返るまでもなく、その人物が誰であるかはわかっていた。俺の家庭教師を勤める、コメット・ヒルバール女史だ。名は体を現すとは良く言ったもので、その名のとおり、彗星のように色々と面倒な女性だった。
はっきりと物を言い、女性が結婚して家に入る習慣が不満らしく望まないリーンとは対照的に男物の衣服に身を包む。だというのに女性としての礼儀作法は完璧で、恩義ある母の子である俺を一人前のレディにするのだと常に全力だ。
「森の中を移動するのに、安全を考え抱えて移動しただけです」
「安全を考慮しなければならない場所にお嬢様を連れて行くこと自体が間違っていると、わたくしは言っているのです。
そもそも、なぜ森の中を移動する必要があるのですか。貴女は護衛なのでしょう? 安全の確保できない場所へ行くことを回避することが一番すべきことなのではないのですか。貴女が優秀な剣士であると、わたくしも聞き知っております。ですが、女性の細腕、不心得者が束になってかかってきて、お嬢様に傷でも作ったらどうなさるおつもりなのですか!」
いつ呼吸してるのかも分からない勢いでリーンを責める、ヒルバール女史。喋り出したらとまらない、それも暴走列車のように一直線なのがこの女史の特徴だ。リーンに申し訳なくおもいつつも、俺の一番苦手なタイプであるヒルバール女史に意見することも出来ず、大人しくリーンの陰に隠れた。
言い返せるものなら、言い返したいことは山のようにある。リーンは女装を強いられているが歴とした男であり、そもそも俺が男であるという事実がひとつ。だから俺には女性としての礼儀作法は必要ないし、リーンの腕は父には到底及ばないものの領地でも五指に入る素晴らしいものだってこと。それ以外にもあれやこれやと、ある。
あるが、俺には到底言えない。
…………そうなんだよなぁ、娘が欲しかった母のせいで、長男じゃなかった俺は女装する破目になってるんだもんな。べったりな両親の間に子どもが俺ひとりな訳はなく、俺の上には兄が三人いる。揃って父に似た兄たちは見事に父の非凡な才能を受け継ぎ、俺の叶わなかったチートをしちゃってくれている。
長兄は、難関といわれる国一番の王立学院を全てにおいて優秀な成績で卒業したあと、王城にて文官として仕官している。次期宰相と名高く、方々のご令嬢からも熱烈なアピールを受けているらしい。七の祝節と呼ばれる七五三的なもので王城に行く用事があった時、見事にハーレムを築いていたのが印象的だった。
次兄は、長兄ほどではないものの優秀な成績で学校を卒業し、長兄より若干立つ剣の腕を発揮して現在は武官として仕官し近衛騎士として華々しく活躍している。次の将軍かと言われるだけあって剣の腕も立ちご令嬢方にもそこそこ人気はあるが、本人は堅苦しい身分付きではないほうが気楽らしく、王都の娼館を常宿のように使っているらしい。筆下ろしは任せておけと、サムズアップして長兄にどつかれていた。
三兄は、次兄と同様に長兄より若干立つ魔法の腕を発揮して術官として仕官し術士として研究に勤しんでいる。魔法理論を駆使して遠距離通信やそれを紙に印字する技術など、次々と新しいものを生み出しているという。研究一筋で没頭すると余裕でひと月は部屋から出てこなくなるこの兄は、人間ではなく精霊や霊獣と呼ばれる人外でハーレムを形成している。
比べ、俺は……外見はどちらかといえば母似の平凡顔で、能力もそこそこ。兄たちに迷惑かけないように生きるのが使命なんじゃないかって、そんな気がするくらいに才能がない。前世から続く卑屈な精神とか、もう才能どころか障害だし。唯一役立ちそうな前世の知識はチートな父や兄たちの前では無意味だし、農業知識のほうもこの豊かな豊穣の地では意味がない。
「お嬢様っ! どこか具合がお悪いのですかっ!」
「……え? ひっ!」
悶々といらないことを考えていたせいか、ヒルバール女史が俺の顔を覗きこんで声をかけるまで気付けなくて――無様に悲鳴をあげてしまった。慌ててリーンにしがみつけば、上から苦笑が聞こえた。
「リーン、貴女本当にお嬢様に何をなさったのです。このように怯えて……おかわいそうに」
「ヒルバール嬢、キャズ様は人見知りが激しいのだと幾度言えば理解されるのですか。
そのように全力で接しられては、キャズ様は怯えるばかりです」
「なっ」
物心ついて以来の付き合いのリーンは、俺の性格を熟知してくれている。母が結婚をしたくないと家を飛び出したヒルバール女史に手をさしのべ、俺の家庭教師にしようとした時に一番反対してくれたのもリーンだった。その時兄たちは王都にいたから、知りようもなかったし。
本当、リーン、様々だ。むしろ、リーンが居なければ自分の部屋からも一歩も出れなかった気さえする。