SF作家のアキバ事件簿274 ミユリのブログ 裏盆踊りの夜
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第274話「ミユリのブログ 裏盆踊りの夜」。さて、秋祭りの夜に開催される秘密の"裏盆踊り"。ヲタクたちの会場さがしが始まります。
スーパーヒロインであることを秘密にしている百合カップル、それに嫉妬する元百合相手、ヒロインに翻弄されるヲタク。さて裏盆にたどり着けるのは?
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 ミユリのブログ
"朝焼けに染まる御屋敷。
午前7時31分。
もう誰もいない。
マデラがカウンターの向こうで
ギターを弾いている。
"私に手紙を書いて。
たった3行で良いわ。
あなたがいる場所を絵にして。
私に見せて。自由に"
歌っているというより
夜の続きを拾い集めているようだ。
朝はもう来ている。
けれど、夜を終わらせる理由は
まだ誰にもない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。秋葉原ヒルズ。
ジェシは、新居の玄関を開ける。
「ただいま……」
返事はない。
リビングのソファに、人影が2つ。
カレルが眠っている。
その膝を枕にして、エアリも眠っている。
ジェシは立ち止まる。
「……エアリ」
唇を噛む。
声をかけることもできず、その場に立ち尽くす。
夜の終わりには、いつも少し残酷な風景がある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のバックヤード。
休憩用のソファでマリレが目を覚ます。
「……ん」
ゆっくり起き上がる。
そこへ、パジャマ姿で歩いてくるのは私。
髪をバスタオルで拭きながら。
「おはよう」
マリレが私を見る。
「気分はどう?」
「ミユリ姉様……ナンとか」
上半身裸のまま答えるマリレ。
「大変だったわね」
「姉様も」
私は、うなずく。
しばらく沈黙が落ちる。
夜の出来事を、どちらもまだ言葉に出来ない。
「……スピアはどうしたかしら」
「さぁ」
私は、天井を見上げる。
「きっとテリィ様と1晩過ごしたんじゃない?」
「……そう」
私は、タオルで髪を拭きながら、窓の外を見る。
朝焼けが、秋葉原ヒルズを赤く染めている。
夜は終わる。
でも、誰がどこで朝を迎えたのか。
それは、未だ誰にも分からない。
バブルの頃に流行ったレイブを知ってるか?
朝まで踊って。
知らない街へ移動して。
次の音を探して。
次の場所を探して。
そして。
誰かから届く
たった3行の手紙を待っている。
「あなたがいる場所を、絵にして見せて」
マデラの歌声だけが
朝の秋葉原に残っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
seven and half hours earlier
光る地下室に向かって、階段を降りて逝く。
テリィ様とスピア。
一段。
また一段。
地下から、低いビートが響いてくる。
ドン。
ドン。
ドン。
階段の壁が、そのたびに微かに震える。
「テリィたん」
スピアは、テリィ様の手を握る。
「ありがとう。私を連れて来てくれて」
「……」
「テリィたんを疑ったりして、ごめんね」
テリィ様は笑う。
「気にするな」
その先から、青白い光が漏れている。
煙が階段を上ってくる。
甘い匂い。
機械の熱。
遠くで誰かが叫んだ。
歓声なのか。
歌声なのか。
それとも、ただの夜のざわめきなのか。
もう分からない。
テリィ様は、スピアを見る。
「覚悟はできてる?」
「YES」
即答だ。
「ずっと夢見てきた瞬間だもの」
スピアの目が輝いている。
「もちろん、出来てるわ」
また、ビートが鳴る。
ドン。
ドン。
ドン。
今度は、階段そのものが踊っているようだ。
「さぁ行こう」
「ええ」
手をつないだ。昔みたいに。
最後の階段を降りる。
そして。
扉が開いた。
眩しい光。
大量の煙。
その向こうから、音の波が押し寄せてくる。
低音。
電子音。
歓声。
笑い声。
そして、まだ見たことのない何か。
地下室そのものが、生き物のように脈打つ。
「……すごい」
スピアが呟いた。
テリィ様たちは、笑った。
何が待っているのか。
誰がいるのか。
ここがどこなのか。
そんなことは、どうでもよかった。
見つけたのだ。
ずっと探していた場所を。
朝まで続く場所を。
誰も知らない場所を。
誰かが秘密にしていた場所を。
2人は手をつないだまま
光の中へ走り出す。
煙が2人を包む。
光が2人を飲み込む。
その姿が、地下室の奥へ消えて逝く。
そして。
"裏盆踊り"が始まった"
第2章 デイラの退廃的な夜
秋葉原ヒルズ。
ジェシとエアリの新居。
秋祭りEVE。午後6時32分。
エアリは、完璧だ。
肩を細い紐だけで支える真っ赤なドレス。
完璧なメイク。
完璧なヘア。
完璧な照明。
部屋を見渡し、満足げに溜め息をつく。
そして、最後に指をパチンと鳴らす。
部屋中のキャンドルが、一斉に灯る。
「完璧」
その瞬間、スマホが鳴る。
エアリは、いそいそと手に取る。
「もしもし」
"エアリ。ごめん。怒らないで"
「今どこ?」
"大阪の日本橋"
「……」
"最終便に乗り遅れたわ"
エアリの美しい顔が、ゆっくりと曇る。
「そう……」
溜め息。
「仕方ないわ」
"本当にごめんなさい。悪かったわ"
「気にしないで」
"でも、家にひとりでいるなんて
絶対にだめよ"
エアリは、真顔になる。
"外出して。貴女だけでも
秋祭りEVEの夜を思いっきり楽しんで"
「別に良いわよ」
"良くないわよ!"
即答だ。
"せめて貴女だけでも
楽しくEVEを迎えてほしいの。OK?"
「……OK」
"約束よ"
「うん」
通話が切れる。
エアリはスマホを置く。
そして、頬杖をつく。
部屋にはキャンドルの炎だけが揺れている。
完璧なドレス。
完璧なメイク。
完璧な夜。
ただし。
旦那がいない。
「……」
エアリはもう一度、溜め息をつく。
完璧というものは、ときどき残酷だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。御屋敷。
秋祭りの飾り付けが続いている。
ミユリさんは、頬杖をついている。
その隣で、スピアが時計を見る。
「不公平よ」
「悪いわね。気の毒だけど
私はあと3分でシフトが終わるわ」
今は2人ともメイド服。
でも、スピアはもう上がる気満々だ。
「見つけられないと思うけど」
「いいえ」
スピアが顔を上げる。
「今年こそ、絶対に見つけてやるわ」
「何を?」
キッチンから出てきたマリレが口を挟む。
「"裏盆踊り"ね?」
今度は、メイド長代理のマデラまで振り返る。
「マデラも知ってるの?」
「私が高校生の頃に始まったのよ」
マデラは、平然と言う。
「"裏盆踊り"は、秘密の秋祭り。
昔からあるイベントよ」
「会場にたどり着いたことはあるの?」
スピアが聞く。
「うん。1度だけね」
「1度だけ?」
「幻みたいなものだから」
その言葉に、スピアの目が輝く。
「……絶対に見つけたい」
「ミユリ姉様」
マデラが話題を変える。
「タピオカ、お皿に盛ってくれた?」
「ええ。50皿あるわ」
「ありがとう」
ミユリさんは再びマデラを見る。
「ねぇマデラ。今夜、私が御屋敷にいなくても
良いでしょう?」
「だめ」
こちらも即答だ。
「メイド協会が主催するメイドOGお茶会は
姉様たちが秋葉原に来る前からやっているの。
今や欠かせない伝統行事なのよ」
「じゃあ私は、一生おばあちゃんになるまで
秋祭りEVEは御屋敷で過ごすの?」
「いいえ」
マデラは、少し考える。
「姉様が特養に入所する年齢になれば
もうOGお茶会には出なくて良いわ」
「まあ、嬉しい」
ミユリさんは、遠い未来を見つめる。
そして、溜め息。
「大丈夫よ、姉様」
スピアが笑う。
「もう少し粘れば許してくれるかもよ。
それでもダメなら」
タイムカードに手を伸ばす。
「明日、私の土産話を聞くことね」
「それ、もっと嫌」
「じゃ、行ってきまーす」
スピアは、いそいそとホールを出て逝く。
タイムカードを推す……ガチャン。
その瞬間キッチンから出てきたマリレと鉢合わせ。
「ちょっと、ごめん」
「スピア」
マリレが振り返る。
「"裏盆踊り"に行くの?」
「何よ。どーせ『あんなくだらないパーティ』とか
言う気?」
「そんな気はないわ」
「マリレはどうするの?」
「テレビ見て、ゼルダやるわ」
「今どきゼルダ?」
「YES」
スピアは、少し考える。
「テリィたんと、どっかパーティにでも行けば?」
「テリィたんとパーティって、どうなの?」
「……」
「それもそうね」
2人で一瞬だけ黙る。
「テレビでも見るわ。じゃね」
マリレがロッカーを開ける。
「ねぇ」
スピアが呼び止める。
「楽しんできて」
「……」
マリレは振り返る。
「待ってよ」
スピアが言う。
「ねぇ。一緒に"裏盆踊り"を探しに行く?」
マリレは、少しだけ目を細める。
「でも、私とはもうデートしないんでしょ?」
「しないわ」
スピアは、きっぱり言う。
「パーティ会場を探すだけよ」
「……」
「相棒がいた方が何かと好都合だし」
さらに念を推す。
「だから、真夜中のキスとか
車の中でのイチャイチャとかはなし」
「分かった」
「会場を見つけたら、その後は別行動」
「ROG」
マリレが頷く。
そして……満足そうに笑う。
今夜、2人が探しているのは恋ではない。
あくまで、幻の"裏盆踊り"だ。
誰も場所を知らない。
誰も地図を持っていない。
それでも、夜になれば誰かが向かっている。
バブルの頃のレイブ会場を探すように。
秋葉原のどこかにある、秘密の入口を目指して。
そして、その夜。
最も欲求不満に陥った人妻も……
別の理由で、街へ出ようとしている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
黄金色に輝くブッダ像の前。
カレルは、静かに瞑想している。
「ブッダ様……感謝します」
目を閉じ、深く息を吐く。
「これで私の魂は、清められました」
しばらく沈黙。
そして突然――
「あ!」
大きく口を開ける。
マウスウォッシュを2回プッシュ。
「ぐっ……!」
むせる。
「……次は肉体を清めます」
カレルは立ち上がって、
カラフルな袋をブッダ像に掲げる。
「ブッダ様。お分かりですよね」
少し得意げになる。
「この2年間、女友達はゼロ」
溜め息。
「私には女性が必要なんです」
そして袋を見る。
「特に今宵は」
そのとき……コンコン。
「……」
カレルは、歓喜に満ちて天井を仰ぐ。
「ブッダ様。早速ありがとうございます」
またノック。
「でも、宗教の勧誘ならお断りですよ」
ノック。
「あと自衛隊も」
ノック。
「……まいったなぁ」
喜色満面。カレルは上着を羽織りドアを開ける。
そこにエアリが立っている。
完璧なメイド服姿だ。
hallelujah!
「カレル」
「……」
「喜んで」
「何が?」
「あなた、今日はついてるわよ」
「そうかな」
カレルは、嫌な予感。
エアリは、スマホを取り出す。
「"地底軍艦"よ」
「……」
画面にはミュージカル版の古典SF。
カレルは長い溜め息をつく。
「どう?」
「うん」
「面白いでしょう?」
「うん。でも、これから出かけるんだ」
「秋祭りEVEに?何処へ?誰と?」
「"裏盆踊り"さ」
軽くのけぞるエアリ。
「どこでやってるの?」
「知らない」
「……」
「だから探しに行くんだ」
エアリは、勝手に部屋へ入ってソファに座る。
「でも、そんなの面倒じゃない?」
「面倒だから面白いんだよ」
「家でゆっくりミュージカルを見ましょうよ」
そして、バッグから何かを取り出す。
「それにね」
「……」
「じゃーん!
ブラックパンダーのハロウィンパックも
買ってきたわ」
カレルの目が一瞬だけ動く。
「ブラパン持参なのよ」
「……我慢しとくよ」
エアリは、ブラパンをバッグに戻す。
そして突然、顔を曇らせる。
「ジェシが飛行艇に乗り遅れて
せっかくのディナーがパァなの」
「それは残念だね」
「……」
エアリがカレルを見る。
「カレル」
「はい」
「"裏盆踊り"が何よ」
「何って……」
カレルは、少し身を乗り出す。
「大勢の女の子たちとの出会いがある。
盛り上がること必至だ。セックスだって」
そして胸を張る。
「健全男子なら、みんなそっちへ行きたいさ」
エアリの目が輝く。
「なるほど」
カレルの頭を、優しく撫でる。
「それじゃあ、こうしましょう」
「……?」
「人妻を1人連れて行くっていうのは、どう?」
カレルは天…というか天井を仰ぐ。
「……」
そして、溜め息。
「良いけど、条件がある」
「何?」
「僕は、女の子を探しに行くんだ」
「はい」
「だから、くれぐれも邪魔しないでくれよ」
「分かったわ」
「特に――」
カレルは、真剣な顔になる。
「僕の好みを絶対に汚さないで」
エアリが笑う。
「つまり、ナンパしに行くのね?」
「その通り」
1拍置く。
「夜遊びさ」
「じゃあ、誰でも良いのね」
「そこは重要なポイントじゃない」
「最初の手がかりは?」
カレルが立ち上がる。
「Dr.ヘリグのオフィス。
カルチャーセンターのラテン語のセンセ」
「外神田の?」
「行くぞ」
エアリも立ち上がる。
「ブラパンを忘れないで」
「……」
カレルは苦笑する。
こうして…
女を探しに行く男と、夫に逃げられた人妻は
幻の"裏盆踊り"を探す旅に出る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。バックヤードのベランダ。
パーツ通りを見下ろしながら僕とミユリさん。
「ごめんなさい」
「良いさ」
僕は笑う。
「最初から許可は出ないと思っていたし」
「テリィ様は、今宵はどうするの?」
ミユリさんはメイド服の上にカーディガンを羽織り
足をブラブラさせている。
「マリレの部屋に戻って、家で静かに過ごすよ」
「テリィ様」
ミユリさんは、僕を見る。
「スピアとマリレと3人でお出掛けしたら?」
「"裏盆踊り"を探しに?」
「YES」
「盆踊り、苦手なんだ」
僕は、少し笑う。
「それより、こっちの方が好きなんだ」
そう言って、ミユリさんにキス。
「……」
痺れるような快感。楽しい。
ミユリさんも、にっこり微笑む。
「こうしているのは、私も大好きです」
「だろ?」
「でも、きっと"裏盆踊り"も楽しいですよ?」
「……」
「おでかけしてみたら?」
ミユリさんが首を傾げる。
「テリィ様が最後に盆踊りを楽しんだのは
いつですか?」
「小学校4年の夏。5年から中学受験だった」
「やっぱり」
ミユリさんは笑う。
「テリィ様だけでも楽しんで」
「きっと周りから浮いちゃうよ」
「そんなことないわ」
そして、少し得意げに言う。
「テリィ様の元カノ会長のスピアもいるし
時空ナヂスのマリレもいるし」
「……」
「きっと素敵な"裏盆踊り"になります」
ミユリさんがキスをする。
「でしょ?」
「説得力が足りないな」
もう1度、キス。
「どうですか?」
「もう少しで納得できそーだ!」
ミユリさんが笑う。
「もう、だめです」
「どうして?」
「私は御給仕ですから」
「分かった。行くよ」
「ホント?」
「でも条件がある」
「何?」
僕は、ミユリさんの手を握る。
「正午は、一緒に迎えよう」
ミユリさんが少し驚いた顔をする。
「無理です」
「え?」
「私は御屋敷ですし
テリィ様は"裏盆踊り"でしょ?」
「それでも」
僕はダダをコネる。
「2人で一緒に踊りたいんだ」
少しだけ間を置く。
「"裏盆踊り"を」
ミユリさんは、僕を見つめる。
そして、ふっと笑う。
「……そうですね」
「うん」
「なんとかいたしましょう」
「じゃあ、今宵」
僕は、ベランダから非常用はしごへ向かう。
「気をつけてくださいね」
「ミユリさんも」
僕は、はしごを降りてパーツ通りへ。
ミユリさんは、窓からバックヤードへ。
"裏盆踊り"の夜。
それぞれが、それぞれの場所へ向かっていく。
OGメイドお茶会へ逝く者。
失踪した夫を待つ者。
そして、秘密の夜へ向かう者。
まだ、秋祭りEVEは始まったばかりだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
メイドのミニライブ用ステージ。
今宵はデキシーランドジャズバンドが板付き。
ラギィは、愛用のギターをチューニングしている。
その横をメイドが駆け抜ける。
「ダメよ。イベントが終わってからね」
バンドメンバーに手を振り、ホールへ戻っていく。
ミユリさんは入口に立っている。
手には"辣腕アトム"の頭の形をしたカード。
「お渡ししたカードに秋祭りの決意を描いて
"生命の木"に貼り付けてください」
カードを渡す。
「はい、どうぞ。いらっしゃいませ。
豊年豊作。良い秋祭りを」
メイド協会のOGたちがヨロヨロと集まってくる。
「"生命の木"に貼ってくださいね。
はい、どうぞ」
「豊年豊作。良い秋祭りを」
「ここに、秋祭りの決意を描いてくださいね」
ミユリさんは、ひとりひとりにペンと
"辣腕アトム"の頭の形をしたカードを渡す。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「……あら」
年配のメイドOGがミユリさんを見る。
「ミユリ姉様じゃない」
「はい?」
「私、ジェミよ。2か月前、
レトロフューチャー映画の会で会ったでしょ?」
「まぁ。覚えてます。お元気でしたか?」
「まぁまぁ、何とかやってるわ。あなたは?」
「まぁまぁまぁです」
ジェミはホールを見回しミニステージを指差す。
「あのミュージシャンは?」
「今宵はデキシーバンドが入ってます」
「誰?」
「ラギィのバンドです」
「デキシーなの?」
「"末広町ニューオリンズ・クラブ・バンド"。
演奏はまあまあですよ」
「じゃあ」
ジェミは笑う。
「お手並み拝見と行こうじゃない」
人混みの中へ消えていく。
ミユリさんは、その背中を見送る。
そして、深い溜め息。
そのままメイド長代理のマデラを探す。
「ねぇ、マデラ」
「何?」
「私、少し考えたんだけど」
「嫌な予感しかしないわ」
「10時半まで秋イベントを手伝ったら
後は出かけても良いかしら?」
マデラは即答だ。
「ミユリ姉様」
「はい」
「あのね」
肩に手を回す。
「イベントが10時半に始まるのは、夜更かしが
お年を召したメイドOGにきついからよ」
「……」
「それに」
マデラが微笑む。
「貴女抜き、私1人でパーティの後片付けを
しなくちゃいけないの?」
「……」
「それから」
さらに肩を抱く。
「私、姉様とテリィたんが一晩中
イチャイチャするのは、断固阻止するから」
「イチャイチャ?」
「そう」
「私たちはそんな」
「諦めて」
マデラは優しく笑う。
「今夜は御屋敷で、ずっと御給仕よ」
ミユリさんは、力なくうなずく。
溜め息をつきながらホールへ戻って逝く。
"表の秋祭り"は、未だ始まったばかりだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。カルチャーセンター。
Dr.ヘリグのオフィス。
僕、スピア、マリレの3人は、
そっと中へ忍び込む。
「気をつけろ」
スピアがペンライトを照らす。
「これは不法侵入だぞ」
僕が小声で言う。
「既に僕はコンビニ強盗で前科1犯なんだ」
「それじゃ、執行猶予がつかないのは
テリィたんだけね」
「そこ重要?」
マリレが尻馬に乗る。
「良い根性だな」
オフィスには、既に何組かの人影が
うごめいている。
全員がペンライトを手にしている。
誰もしゃべらない。
黒板だけを見ている。
その中央に、奇妙な落書き。
《ハットハット。00 20 407 000 ハイク》
「……」
スピアが首を傾げる。
「ハットハット?
ランジェリーフットボールの掛け声よね」
知らないメイドが頭をひねる。
「ランジェリーフットボールの地下フィールド?
そこが"裏盆踊り"の会場かしら?」
「でも、それじゃ簡単すぎない?」
僕も黒板を見つめる。
「……」
スピアが振り返る。
「テリィたん、なんで来たの?」
「なんでって」
僕は、ポケットに手を突っ込み、格好をつける。
「"裏盆踊り"を探しにさ」
スピアがじっと見る。
「どうせ私たちの監視役なんでしょ?」
「監視役?」
「ミユリ姉様に『行ってこい』とか言われたの?」
「……」
マリレまで眉間に皺を寄せる。
「マジ?」
「違うって」
「私とマリレの仲を取り持てとか言われてるの?」
「だから違うよ!」
僕は、少しムキになる。
「秋祭りだから、僕も楽しみたいだけだ」
「……」
「なんだよ、その顔は」
スピアが黒板を指差す。
「とにかく、情報を集めてきたわ」
「へえ」
「私が思うに、背番号7番のQBはデイラよ」
「デイラって誰?」
「スターQB。ランジェリーフットボールの」
「……」
「でもジリアによると――」
「ジリアって誰?」
スピアは隣で頭をひねっているメイドを指差す。
「あの子」
「彼女?」
「彼女がジリアよ」
ジリアは、小さく会釈する。
知らない顔だ。
「ランジェリーフットボールの"秋葉原ブラジャーズ"でランニングバックをやってるの」
僕は、もう1度黒板を見る。
何が何だか分からない。
「それで?」
「デイラが開いているパーティに行けば
そこに何か次の鍵があると思うの」
スピアが立ち上がる。
「さぁ、行きましょう」
マリレと顔を見合わせる。
「テリィたん」
マリレが言う。
「あのね」
「うん」
「どうせミユリ姉様に頼まれて
私たちの仲を取りもとうとしてるんでしょ?」
「違う(またかょ)」
「でもね」
マリレは、少しだけ笑う。
「これはデートじゃないから。気にしないで」
「いや」
僕は、首を振る。
「ホントに僕は、自分が楽しみたいだけなんだ」
「……そうなの?」
「そうだよ」
マリレは、僕を見る。
少しだけ考えてから言う。
「分かったわ」
3人は、Dr.ヘリグのオフィスを出る。
その後ろで、黒板の落書きだけが残る。
《ハットハット。00 20 407 000 ハイク》
表では、デキシーランドジャズが鳴り始める。
裏では、秘密の盆踊りを探す人々が走り始める。
同じ秋祭りEVEなのに。
2つの夜は、まったく違う場所へ向かっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
末広町のガソリンスタンド。
閉店後のガレージ。
古びたシーツが1枚かけられている。
カレルが、その端をつまむ。
「ジャジャン。どう?」
シーツが跳ね上がる。
その下から現れたのは……
金ピカの水陸両用ジープだ。
「……何これ?」
エアリが眉をひそめる。
「フォードGPA。水陸両用だぜ」
カレルは、得意げだ。
「この車、誰の?」
「俺のボスの。
でも、なぜかキーもあるんだな」
「なぜか、じゃないでしょう」
エアリは、車を眺める。
「捕まったらどうするの?」
「捕まらないさ」
「この黄金色のフォードGPAだけど
同じ色の車が、世の中に何台あるの?」
「たった1台」
ムダにドヤ顔のカレル。
「そして、ボス以外で
このガレージに入れる人間は何人かしら?」
「うーん……俺1人」
「じゃあ、犯人が誰かバレるに決まってるわね」
カレルは、一瞬黙る。
だが、すぐに胸を張る。
「だけど!」
指を1本立てる。
「この車なら、絶対に女の子たちが
ワラワラと寄ってくるんだよ!
光に集まる蛾のように!」
エアリを見る。
「ソレ、重視だぜ!」
そして、運転席のドアを開ける。
「さあ、乗れよ!」
エアリは、深い溜め息をつく。
そして、車体に2本の指をそっと触れる。
次の瞬間。
黄金色の車体が、まるで古いテレビアニメの
変身シーンのように光り出す。
黄金色が消える。
黄色。
そこへ黒い斜線が走る。
水陸両用ジープだったはずの車は、いつの間にか、虎ガラのカラフルなスポーツカーになっている。
これはこれで、ものすごく目立つ。
が、エアリは、満足そうに頷く。
「これなら良いわ」
カレルは、言葉を失う。
「……す、すげえ」
「私はリスクをなるべく避けたいの」
「いや、リスクは増えたんじゃ…」
エアリは、構わず運転席に乗り込む。
「趣味に合う?」
カレルも助手席に滑り込む。
「カラーリングは微妙だけど……」
シートベルトを締める。
「仕方がない」
エンジンが唸る。
ガレージのシャッターが開く。
黄色と黒の車体が、夜の末広町へ滑り出す。
電気街のネオンを抜け、首都高へ。
東京の夜景が、フロントガラスの向こうへ
流れていく。
「エアリ」
「何?」
「"裏盆踊り"って、マジ見つかるのかな?」
エアリは、前を見たまま答える。
「見つからないから、裏なんでしょ」
カレルが笑う。
「なるほど」
虎ガラのフォードGPAは、夜の首都高をトバす。
表では、秋祭りが始まっている。
その裏側では。
誰にも場所を教えない祭りを探して
2人の人妻組……ではなくて。
1人の人妻と1人のヲタクが、首都高を走って逝く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。メイドOGお茶会、開幕。
ステージでは、ラギィ率いる"末広町ニューオリンズ・クラブ・バンド"が絶好調だ。
ギターが鳴る。ドラムが応える。バンジョーが跳ね、ベースが小気味よく刻む。
最初の曲は、インストゥルメンタル。
客席には、OGメイドという名の老婆たちが並び、指先でリズムを取り、膝を揺らす。
音楽に合わせて首を振る者もいる。
やがて、パラパラと拍手が起こる。
「今夜もどうもありがとう!」
ラギィが楽器を掲げ、歓声に応える。
マデラだけは、まるで世界的なスターの公演でも見ているかのように、両手を打ち鳴らしている。
その横で、ミユリさんは、少しウンザリ気味の顔でステージを眺めている。
「上手ね」
カウンター席から声がする。
ジェミだ。福祉系お屋敷の現役メイドらしい。
「そこそこですよね?」
ミユリさんは、思わず口を滑らせる。
ジェミが微笑む。
「あなた、心ここにあらずね?」
「いえ、そんなことは……」
「いいえ。顔に書いてあるわ」
しまった。唇を噛む。
「……わかります?」
「わかるわよ。御主人様がらみね?」
「そうなんです。ウチのメイド長が、店外交友に反対なんです」
ジェミは、少し離れた席に目をやる。
そこには、OGメイドたちに囲まれて楽しそうにしている老メイドの姿がある。
「実は私も反対されているのよ」
「え?」
「ほら、あそこにいる老婆。あれがうちのメイド長なの。いまだに私とフラク様の間に、いろいろ口を挟んでくるのよ」
「フラクさんは、どの方ですか?」
「彼は、ここには来ていないわ」
ジェミは、涼しい顔で続ける。
恋するメイドは強い。
「うちのメイド長は、秋祭りをメイドたちとここで迎えるのを、とても楽しみにしているの。だからフラクは声優仲間と出かけて、私はメイド長と一緒に秋祭りをココで過ごすのよ」
「でも……御主人様と一緒に秋祭りを迎えたいでしょ?」
ジェミは、少しだけ目を細める。
「もちろん。でも、メイド長孝行ができるのは、メイド長が元気な間だけでしょう?」
ミユリさんは黙る。
ジェミはカウンターに肘をつき、声をひそめる。
「それに、12時になったら彼とテレフォンセックスをするから、それで良いのよ」
「あ。ああ、そうですか」
ミユリさんは大きくのけぞる。
しかし、妙に納得した顔になる。
ジェミは笑う。
「あなた、今、何に納得したの?」
「いえ。色々と、大人の事情があるんだなって」
「貴女こそ、もう十分大人でしょう?」
「そうなんですけど……」
ミユリさんは、またステージを見る。
ラギィのバンドは2曲目に入っている。
しかし、いつの間にかフロアの様子が変わる。
手拍子だけだったOGメイドたちが席を立ち始める。
誰かが叫ぶ。
「インベーダーダンスよ!」
懐かしい電子音を思わせるリズムに、老メイドたちが一斉にピコピコと身体を動かし始める。
両手を上げ、左右にステップを踏む。
ぎこちない者もいる。動きが数拍遅れる者もいる。だが、誰もそれを気にしていない。
マデラも踊っている。
いつもの厳格な秋葉原メイド協会の会長の顔は、そこにはない。
少女のように笑い、手を振り、足を踏み鳴らす。
ミユリさんは、その姿を見つめる。
自分は今宵、どこへ行きたかったのか。
誰と秋祭りを迎えたかったのか。
その答えは、何ひとつ変わっていない。
それでも。
マデラが、あんな顔で笑う夜は、今宵しかないのかもしれない。
ミユリさんは、ふっと息を吐く。
そして、立ち上がる。
「……よし」
フロアへ歩き出す。
「ミユリさん?」
ジェミが声をかける。
ミユリさんは振り返り、微笑む。
「私も踊ってきます!」
彼女は老メイドたちの輪に飛び込んでいく。
手を上げ、ステップを踏む。
マデラが驚いて振り向く。
「ミユリ姉様!」
ミユリさんは笑顔で手を振る。
マデラの顔が、ぱっと明るくなる。
「ミユリ、UFOは15発目!」
2人は並んで踊り始める。
フロアから拍手喝采が湧き上がる。
ラギィはホールを見渡し、ニヤリと笑う。
「よーし!まだまだ行くわよ!」
ギターをかき鳴らす。
バンジョーが跳ねる。
ドラムが祭りの心臓を叩き始める。
御屋敷は、もう誰のものでもない。
昔メイドだった者も、今メイドである者も、厳格な者も、自由を夢見る者も。
みんな、同じリズムの中にいる。
そしてミユリさんは、踊りながら思う。
今宵は、まだ終わらない。
秋祭りは、これからだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通り。
「そんなの楽勝だよ」
トラ柄の水陸両用ジープ、フォードGPAで駐車場に乗りつけたカレルは胸を張る。
ボンネットに腰を下ろす。
目の前には、美人メイドが2人。
その背後には、帽子屋の店名を記した看板。
"ハット24番7番"。
カレルは、ビーフジャーキーを噛みながら、人生の絶頂にいる。
「ビーフジャーキーいる?」
「いいえ、いらないわ」
「そうか。遠慮しなくていいんだぜ」
「遠慮じゃないと思うわ」
「おい」
横から声がする。
男が1人、カレルを見下ろしている。
「ちょっと聞くが、お前、前歯を折られたいか?」
カレルの顎が止まる。
「……それは、質問の意味によるな」
「どういう意味だ?」
「いや、前歯だけなのか、奥歯も含むのかで、こちらの対応が変わる」
「じゃあ、そこをどけ」
「はい」
カレルは、即座にボンネットから降りる。
男はメイド2人を連れて歩き出す。
金髪の2人は、去り際にカレルへ投げキス。
「バイバーイ」
「またね、ダーリン」
カレルも反射的に手を振る。
ここで街灯の陰から妖艶人妻メイドが現れる。
エアリだ。
男たちも、金髪メイドたちも、一斉に振り向く。
もちろんカレルも振り向く。
首がもげそうな勢いで。
「脈アリだったのに、残念ね」
「確かに……脈はあったんだけどな」
「マジて?どこに?」
エアリが聞く。
「心臓に決まってるだろ」
「あなたの心臓なら、かなり速く動いていたわね」
「違う。彼女たちの脈だよ」
「測ったの?」
「目で」
「それは脈じゃなくて、願望でしょ?」
カレルは、ストリートギャングと、その情婦メイドたちが消えた方向を、未練たらしく眺めている。
まるで残り香を嗅ぐように。
「彼氏を待っている間の、ほんの暇つぶしだったのさ」
強がる。
「僕だって、あんなのは本命じゃない」
「そう」
エアリが頷く。
「じゃあ、どうして今、彼女たちが消えた方向を見ながら、ジャーキーを握りつぶしているの?」
カレルは手元を見る。
ビーフジャーキーが、粉々になっている。
「これは……握力の確認だよ」
「何のために?」
「いざというときのために」
「さっき前歯を折られそうになっていたのに?」
「だからこそだ」
カレルは、手にしていたビーフジャーキーを投げ捨てる。
「ふん。僕だって、あんなのは本命じゃない」
「弱気になってる?」
「まさか」
「女って、そういうのに敏感なのよ」
エアリが横から口を挟む。
「君にもわかるのか?」
「ええ。結婚したら勘が鈍っちゃったけど」
「それ、わかってるって言えるの?」
「鈍ったことを自覚できる程度にはね」
「なるほど。僕にはない能力だ」
「自慢しないで!強気でいかなきゃ。自信満々な態度を見せるのよ」
エアリはカレルを見る。
「まず、背筋を伸ばして」
カレルは背筋を伸ばす。
「顎を上げて」
カレルは顎を上げる。
「目をそらさない」
カレルは3人が消えた方向を見つめる。
「もういないわ」
「分かってる。あえて見ているんだ」
「何を?」
「いないものを」
「それは自信じゃなくて、未練だから」
カレルは腕を組む。
「自信ね……。そっか」
強い性格だ。
「難しいことじゃないわ。前はデートも出来てたんでしょ?」
「それは大昔の話だよ」
カレルは遠い目をする。
「昔だったら、僕だってモテてたんだ。ところが、時空漂流者のアキバ侵略以来、どうも調子が出ない」
「スーパーヒロインのせいにしてる?」
「そうさ。街は変わった。世界線も変わった。女の子たちの好みも変わって……僕だけが取り残されたんだよ」
「あなたが変わり損ねただけ?」
「それを世界線の問題と言うんだ」
「便利な言葉ね」
「僕は被害者なんだ」
「さっき、前歯を折られそうになっていたわね」
「それも時空の歪みだ」
「ただの絡まれ方よ」
カレルは、しばらく黙る。
それから、もっともらしく看板を指差す。
「だが、ここには何かある」
「何が?」
「"ハット24番7番"。これは暗号だ」
「店名でしょ?」
「そう見せかけて欺いている」
カレルは、看板を睨む。
「24時間、焔の7日間。つまり、年中無休の秘密の集会……」
「いいえ。違うわ」
「まだ最後まで言ってない」
「言い終わっても、たぶん違うわ」
「じゃあ、24を7で割ると……」
「割らなくていいわ」
「3.4285714……」
「何の数字?」
「これは"裏盆踊り"の開催時刻だ」
「どうして?」
「今、思いついた」
「それは推理じゃなくて、思いつきよ」
エアリは、看板を見上げる。
「そもそも、あなたの推理は外れてる。この場所が間違いなの」
「ちょっと待てよ!」
カレルは、慌てて両手を広げる。
「僕の推理を最後まで聞いてからでも、遅くはないだろう!」
「もう聞いたわ」
「いや、今のは仮説の入口だ。ここから本題に入るところだったんだ」
「本題は?」
「……忘れた」
「でしょうね」
エアリは、踵を返す。
「決めたわ。行きましょう」
「どこへ?」
「新しい出会いを見つけに行くの」
カレルの顔が明るくなる。
「なるほど。つまり、僕の推理が正しかったから、次の段階へ」
「違うわ」
「え?」
「あなたがここで立ち直れそうにないからよ」
エアリは、カレルの口元を指さす。
「まず、そのビーフジャーキーをヤメなさい」
カレルが手元を見る。
いつの間にか、次の1本をくわえている。
「これは非常食だよ」
「さっきからずっと食べているじゃない」
「非常事態が続いているんだ」
「あなたのヲタ恋が?」
「生命が」
エアリはジャーキーをつまみ、カレルの口から力任せに引き抜く。
「んぐっ!」
そして地面へ放り投げる。
「出発!」
「ちょっと!それ、けっこう高かったんだぞ!」
「女の子にモテたいんでしょう?」
「……そうだけど」
「なら、まず顔を上げなさい」
カレルは、慌てて顔を上げる。
「こうか?」
「上げすぎ。威張っているというより、首を痛めている人に見えるわ」
カレルは、少しだけ顎を下げる。
「これでどうだ?」
「今度は落ち込んでいる人ね」
「難しいな!」
「普通で良いのよ」
「それが1番難しいんだよ!」
エアリは、トラ柄の水陸両用ジープ、フォードGPAへ向かう。
カレルは、落ちたジャーキーを名残惜しそうに見つめる。
それから、金髪の2人の姿をもう一度探す。
もちろん、いない。
「……わかったよ」
彼は肩を落とし、エアリのあとを追う。
「カレル」
「何?」
「肩を落とさないで」
カレルは、慌てて肩を戻す。
「こうか?」
「今度は軍人みたい」
「だから難しいんだよ!」
トラ柄の水陸両用ジープが、夜の街へ走り出す。
"裏盆踊り"の手がかりは、何1つ見つからない。
ただし、カレルにはひとつだけ収穫がある。
今宵は、少なくとも1人の美魔女と一緒にいる。
問題は、その美魔女が人妻であることと、彼に熱心なヲタ恋指南を始めてしまったコトだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デイラの秋祭りパーティは、既に文明の限界を超えている。
会場は、サイケデリックなコスキャバを丸ごと貸し切ったものだ。
壁を極彩色のネオン管が這う。天井には回転するミラーボール。スピーカーからは、脳みそを直接揺さぶるような音楽が流れる。
男も女も、踊り、叫び、笑い、互いの肩を叩く。
頭からビールをかけ合う者。
テーブルの上で踊る者。
なぜか宇宙服で腕立て伏せをする者。
既に満員だが、さらに人が推し寄せて、コスキャバから人間がはみ出している。
そこへ、僕たち3人が乗り込む。
「さあ、パーティよ!」
スピアが両手を広げる。
ところが、迎えてくれたのは歓声ではない。
パーティピープルが、一斉に頭を抱えている。
「どうなってんの?もうビールが空だわ!」
「ふざけないでよ!さっき、開けたばかりじゃないの!」
「ないものはないの!ビール切れよ!」
奥では、ランジェリーフットボールの選手たちが空の樽を転がして、天を仰いでいる。
「どうする?これが最後の樽だったのに!」
「何とかしましょ。みんなに聞こえると盛り下がるわ。黙ってて!」
退廃の帝国は、ビールの供給が止まっただけで崩壊しかけている。
人類の文明とは、案外こういう微妙なバランスの上にあると、僕は妙に感心する。
電気が止まれば暗闇になり、通信が途絶えれば孤独になる。
そしてビールが切れれば、世界は終わるのだ。
そのときだ。
「ねえ、あなた」
甘い声がする。
振り返ると、そこにデイラ。ランジェリーフットボールのスター選手。豊かな胸元を惜しげもなく見せつける、圧倒的な存在感の女だ。
彼女は、僕の顔を下から覗き込む。
「あなた、ミユリ姉様のTOよね?」
「うーん。人違いだな。僕はそんな器じゃない」
「いいえ。どこかの現場で見た気がするわ」
デイラがさらに顔を近づける。
視線の逃げ場を奪う。
僕は息を呑む。これはまずい。
何がまずいのかは分からないが、とにかくマズい。
「私のパーティに、1人で来たの?」
「ああ。でも、後で推しと落ち合うんだ」
「なんだ、残念」
デイラは、いたずらっぽく笑う。
「そうだわ。ちょうどお願いがあるの」
「3つの?」
「アラジン?ビールが切れちゃったらしいの。もっと飲めるように、みんなからカンパを集めてきてくれない?」
「いや。だから、そんな器じゃないんだ」
僕は、即答する。
ミユリさんのTOですらないと否定した直後に、ビール調達係を任されるワケにはいかない。
しかし魅惑の谷間、じゃなかったQBのデイラは、僕の答えなど最初から聞く耳を持たない。
「お願いね」
そう言い残し、意味ありげに何度も振り返りながら、人混みの奥へ消えていく。
その場に取り残される。
「……何だったんだ、今の」
「テリィたん」
スピアが冷ややかに指摘する。
「鼻の下、伸びてるわよ」
「伸びてない」
「今なら、ビール樽が何本でも買えそうな顔をしてたわ」
「買えないよ。僕はそんな器じゃない」
「その言葉、便利ね」
そのとき、会場の奥が騒がしくなった。
「使徒!使徒!使徒!」
何だ、今度はヲヴァンゲリヲンか。
人垣が割れ、誰かが担ぎ込まれて来る。
マリレだ。
「やめて!NERVには黙ってて!」
「使徒だ! ビールの使徒だ!」
「たまたま夏にビアホールでバイトしてただけ!」
「うおおおおお!」
マリレの周囲で、女たちが狂喜乱舞している。
空だったはずの樽から、黄金色の液体が勢いよく噴き出している。
泡が舞い、床を濡らし、空のジョッキが次々と満たされていく。
さっきまで世界の終わりを嘆いていた人々は、一斉に天(井)を仰ぎ、神(田明神)に感謝している。
「ビールの泉よ!」
「奇跡だわ!」
「乾杯!」
チューブを樽につないで直接飲む選手まで現れる。
誰もが笑い、叫び、踊っている。
困り果てているマリレ。
「だから、私じゃないってば!」
だが、彼女の抗議は歓声に飲み込まれる。
僕も思わず笑顔になる。
とりあえず世界は終わらずに済んだらしい。
ただし、なぜマリレがビールの使徒なのかは、まったく分からない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
会場の奥。
VIP席で、デイラは1人、足を組んでいる。
その前に、スピアが立つ。
「ねえ、デイラ。調子はどう?」
「最高よ。見れば分かるでしょう?」
「そうね。ところで、私"裏盆踊り"のヒントを探しに来たンだけど」
デイラは、ジョッキを傾ける。
「今ここが、こんなに盛り上がっているのに?」
「だからよ。ここなら何か知っていると思ったの」
「"裏盆踊り"が何なの?」
デイラは、首を傾げる。
「聞いたことはあるけど、今宵はここが本番よ」
「ヒントくらい教えてくれても良いでしょ?」
そのとき、デイラの隣にいた、恐らくチアリーダーの男が、スピアの尻を鷲掴みにする。
「おい、ねえちゃん。そんな話はいーから、こっちで楽しく飲もうぜ」
スピアの笑顔が凍りつく。
男の手を振り払い、冷たい目を向ける。
「……アンタ、最低ね」
「何だよ、ノリが悪いな」
男は、ヘラヘラ笑う。
スピアは返事をせず、VIP席を離れる。
離れたところで、マリレがその様子を見ている。
彼女の顔から、さっきまでの困惑が消えている。
代わりに、何とも言えない表情が浮かぶ。
怒りなのか、嫉妬なのか、それとも両方か。
たぶん、本人にも区別がついていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「どうやら見当違いだったようね」
スピアが僕のところへ戻ってくる。
「"裏盆踊り"のことは、誰も知らないみたい」
「確かに。ここのパリピは"裏盆踊り"より、目先のビールのほうが大事らしい」
「それにセクハラ野郎ばっかりだわ。私、お尻を触られたのよっ!」
「え?」
僕は、思わず会場を見回す。
「……あれ?マリレは?」
「何よ」
スピアが不機嫌そうに僕を見る。
「マリレがいない」
「そんなコト、関係ないでしょ!私たちは百合を解消したんだから」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「テリィたん。もうそこまで、私たちを監視するのはやめて」
スピアは、背を向ける。
元カノの君が僕に背を向けるのは、これで2度目。
「私たちのコトは、私たちで決めるわ」
その言葉を残し、人混みへ消えて逝く。
僕は、溜め息をつく。
今宵は"裏盆踊り"を探すための夜のハズなのに、いつの間にか、ヲタ恋関係の迷宮に迷い込んでいる。
しかも、出口の看板にはビールと描いてある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マリレは"奇跡の樽"のそばにいる。
周囲に残されているジョッキを、片っ端から飲み干している。
1杯。2杯。3杯。
数えるのをやめた頃には、
彼女の頬は真っ赤になっている。
「おい、マリレ!」
僕は、慌てて駆け寄る。
「もうやめろ!」
「何よ!」
「僕を見ろ!」
「嫌よ。私はスピアしか見れない!」
「な、何だって?」
「私には、スピアしか見えないのよ!」
マリレは、ジョッキを握りしめる。
「それなのに、あの女は!他の男にヒップを触らせてた!百合なのに!」
「相変わらず何を言ってルンだか、さっぱり分からないな」
「分からなくて良いわ!」
「酔ったら超能力が暴走するぞ!」
「大丈夫よ。私は何ともないから!」
その返事が、すでに何ともなくない。
僕は、彼女の腕をつかむ。
「さあ、出るぞ」
「嫌よ!」
「良いから!」
立たせようとした瞬間。
「ぎゃああああっ!」
マリレが絶叫。
僕は、飛び上がる。
「どうしたんだ、マリレ!大げさな!」
「肩よ!肩を使うと激痛が走るの!腕が千切れるかと思ったわ!」
「シンクロ率200%?A10神経が痛むとか?」
「アンタ、ばかぁ?それより、ここ、えらくうるさいわ!私、耐えられない」
僕は、周囲を見渡す。
音楽は最大音量。
女たちは絶叫して踊る。
誰かがテーブルの上でシャンパンを振りまく。
「でも、1番うるさいのはマリレだよ!」
「何ですって!」
「とにかく、大丈夫なのか?歩けるのか?」
「光が……光が眩しすぎる!」
マリレは、目を覆う。
「何だ?照明がきついのか?」
「違うわ。何か、私の背中に……」
彼女は肩を動かそうとし、また顔をしかめる。
「あら? 私の背中に何かある?」
「背中?」
僕は、目を凝らす。
「ヒゲでも生えたのか?翅なら、翅があるのは妖精のエアリだけだ」
「違うわ。メイド服よ」
「メイド服?」
「よく見て。萌えてる?」
僕は、今さらながら彼女の姿を見る。
メイド服。
乱れた髪。
紅潮した頬。
酔いに潤んだ瞳。
「ああ……萌え萌えだけど」
「違うでしょ!」
マリレが絶叫する。
「火がついてる!」
僕は、目を見開く。
何も見えない。
「誰か消して!早く!テリィたん、萌えてる?」
「うん。萌え萌えさ!」
「違うの!ソッチじゃないのよ!」
マリレは、背中を見ようとして身体をよじる。
「背中から焔が上がってる!マジで火がついてる!着火してるの、着火!」
周囲のパリピが気づき出す。
「おおっ、何だあれ!」
「新しいパフォーマンスか?」
「メイドが萌え萌えだー」
誰かが手拍子を始める。
別の誰かが、音楽に合わせて掛け声を上げる。
あっという間に人の輪が出来る。
「もっとやれ!」
「すげえ!」
「アンコール!」
「アンコールじゃないわよおおお!」
マリレの悲鳴が、音楽と歓声の中でかき消される。
僕は彼女を抱えて、この地獄のような会場から脱出しようとするが、マリレが悲鳴を上げて動けない。
背中の焔は、ますます萌えさかる?
そして、パリピたちは、これを"花火大会の最後を飾るナイアガラの滝"的な今夜最高の余興だと信じ込んで大ウケ、デイラも大満足だ。
退廃の夜。酒と音楽と、壊れかけたヲタ恋。
そこへ、本物の異変が紛れ込む。
"裏盆踊り"のヒントは、まだ見つからない。
その代わりに。
僕たちは、笑って済ますコトの出来ない何かを、見つけてしまう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕たち3人は、ようやくパーティ会場を離脱する。
背中に焔をまとったマリレを、僕とスピアで両側から支えている。
背後では、まだ退廃と歓声が続く。
どうやら、メイドが萌えるという演目は、今宵の大ヒットとなったようだ。
「マリレ、大丈夫?」
スピアが顔を覗き込む。
「飲み過ぎたの?」
「やめて……声がデカいわ」
「え?」
「声が、頭に響くのよ!」
マリレは、両手で耳を押さえる。
スピアの顔が険しくなる。
「ちょっと、やめてよね!なんで私の秋祭りを台無しにするの?みんな、貴女が酔っ払ったせいなのよ!」
「スピア、声を落とせよ」
沈着冷静な僕は、クールに諭す。
「酒の影響で五感が過敏になってるんだ。大きな音も、匂いも、光も、普通以上に刺激になっている可能性がある」
「じゃあ、今年の"裏盆踊り"探しは終わりってこと?結果、見つけられないママ?」
「未だ時間はあるよ。少し休もう」
「少し休む?」
スピアは、僕を睨む。
「テリィたん、あなたって同棲してた頃から、何1つ変わってない!あのね、私は"裏盆踊り"を楽しみにしていたのよ。なのに、ビールの使徒が出現して、メイドが発火して、今度は酔っ払いの介護?」
「順番に説明すると、僕にも何が起きたのかは分からない」
「そこを冷静に言わないで!」
そのとき、マリレが鼻をひくつかせた。
「……何なの、この匂い」
スピアが振り向く。
「匂い?」
「臭いんだけど、スピア」
「はあ?私じゃないわ」
「めちゃくちゃ臭いわ!貴女」
「香水かしら……」
スピアは、自分の袖口を嗅ぐ。
「これ、1oz5000円もしたのよ」
「ひどい匂い……消えて」
「ちょっと!」
スピアの声が裏返る。
「何なのよ!せっかくの香水を、そんな言い方しなくても良いでしょう!」
「ほんとムカつくわ……アンタって最低」
マリレは、スピアの腕を振り払おうとする。
しかし、その動きは途中で止まる。
「……うっ」
彼女の身体が大きく傾く。
「マリレ!」
僕が支えようとした瞬間、マリレは僕のケッテンクラートのハンドルに、頭をゴン、とぶつける。
「痛っ!」
いや、痛いのは彼女の方だ。
マリレはハンドルに額を押しつけたまま、荒々しく腹で息をする。
ゼッ、ゼッ、ゼッ。
肩が上下する。
メイド服の背中が不規則に揺れる。
スピアの顔から怒りが消える。
「……ちょっと、何なの?」
返事はない。
マリレはハンドルにしがみつき、苦しそうに呼吸を続けている。
僕は、彼女の背中を見る。
さっきまでの悪態は影を潜める。
何かがおかしい。
「スピア、手伝って」
「ええ」
「とりあえず、御屋敷に運ぼう。非常事態だ」
僕は、マリレの身体を抱え直す。
スピアも反対側から腕を取る。
今度は、誰も文句を言わない。
パーティ会場から漏れる音楽は、遠くで未だ鳴っている。秋祭りの夜は続く。
けれど、僕たちの夜は、ここで別のモノへと変わり始めている。
第3章 ビンゴの向こう側
御屋敷。
OGメイドたちの秋祭りは
今や、最高潮を迎えている。
「それでは皆さん、参りましょう!」
ステージのミユリさんは、すっかりレクリエーションのMCに夢中だ。
「お待ちかね、JAZZビンゴ!行きますよ!」
老メイドたちがカードを握りしめる。
「イントロ、ドン!」
ラギィのバンドが、短いフレーズを演奏する。
「最初の曲は……『キサス・キサス・キサス』でした!」
「知ってるわ!」
「懐かしい!」
「17番ですよ、ルンバの17番!」
あちこちで鉛筆が走る。
客席の熱気は、さながらラスベガスのカジノだ。違うのは、賭けているものが老後の貯金ではなく、ビンゴカードの穴ということだ。
カウンターでは、演奏をひと休みしたラギィと、メイド長代理のマデラが並んで腰掛けている。
マデラは、ステージのミユリさんを眺めている。
「ミユリ姉様は楽しそうね」
「うん」
ラギィが水を飲む。
「なんだかワケがわかんないわ。さっきまでは、あんなに不機嫌だったのに」
「そうなの?」
「ええ。今じゃ、あの調子。あの人、切り替えが早いのか、何かを諦めたのか……」
「ハハハ」
マデラは曖昧に笑う。
ラギィがグラスを置く。
「ねえ、マデラ。聞いても良い?」
「何?」
「もちろんよ」
ラギィは、少しだけ声を落とす。
「テリィたんのコト、どう思う?」
マデラの笑顔が消える。
「……本音トーク?」
ラギィがうなずく。
マデラは、ステージに目をやる。
ミユリさんは、次の曲を待つ老メイドたちに愛想よく手を振っている。
「私は、彼を買ってるわ」
「へえ」
「彼は、特別なヲタクよ」
ラギィは、思わず吹き出しそうになる。
「私もそう思ってた。責任感のあるヲタクだってね。見どころがあるって。それが……」
言葉が途切れる。コンビニ強盗。
その6文字は、2人の間に置かれた見えない灰皿の上で、いつまでもくすぶっている。
マデラが口を開く。
「確かに、彼は愚かなコトをしたわね」
ラギィは黙って聞いている。
「ミユリ姉様を危険に巻き込んだコトに、言い訳の余地はない。ヲタクだからとか、何か事情があったからとか、そんな御託を並べて済ませるつもりはないわ」
マデラは、指先でグラスを回す。
「私だって、気休めを言う気はないの。テリィたんのしたコトは、テリィたんの責任よ」
「……うん」
「でもね」
マデラは顔を上げる。
「その事件から、テリィたんは多くを学んだと思う。間違いを犯したコトと、その後どう生きるかは、別の問題でしょう?」
ラギィは静かにうなずく。
「それに、彼はミユリ姉様を心から推してる」
「それは、私も分かるわ」
「なら、もう1度チャンスをあげても良いんじゃない?」
ラギィはしばらく考え、それから小さく笑う。
「マデラって、厳しいんだか、甘いんだか」
「どちらでもないわ。姉様が幸せになって欲しいだけ」
そのとき。
「ビンゴーッ!」
御屋敷に、ひときわ大きな歓声が響く。
2人が振り返る。
ピンクのメイド服に身を包んだジェミが、ビンゴカードを高々と掲げている。
「やったわ! ビンゴよ!」
老メイドたちが拍手する。
「おめでとう!」
「さすがジェミさん!」
ミユリさんも、まるで自分のコトのように、負けじと両手をパンパンと打ち鳴らす。
「おめでとうございます!ジェミさん、すごい!」
その笑顔は、さっきまでの不機嫌が嘘のようだ。
マデラは、少しだけ目を細める。
「……本当に、ワケがわからない子ね」
ラギィが笑う。
「そこが良いんじゃない?」
そのとき。
バックヤードのドアが、ほんの少しだけ開く。
隙間から、スピアの顔が覗く。
ミユリさんに目配せする。
ミユリさんは一瞬だけ表情を変える。
それから小さくうなずく。
「皆さん、次の曲まで、ちょっとだけお待ちくださいね!」
そう言い残すと、彼女はバックヤードへ消える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ちょっと、大変なことになっちゃったの」
ドアが閉まるなり、スピアが言う。
「マリレが昇天しちゃったわ」
「……昇天?」
ミユリさんは、目を丸くする。
「亡くなったの?」
「違うの。物理的に」
「物理的に?」
「とにかく来て!」
スピアに引っ張られ、ミユリさんは奥へ進む。
すると…
マリレが、空中に浮いている。
床から数10cm。
手足をだらりと垂らし、まるで見えないハンモックに吊られているようだ。
「…………」
ミユリさんは立ち止まる。
1秒。2秒。3秒。
「……テリィ様。これは、どうしたのですか?」
「僕にも分からない」
僕は、マリレの身体が壁や家具にぶつからないよう、慎重に位置を調整する。
「介抱してるんだ」
「介抱……」
ミユリさんは、空中のマリレを見上げる。
「テリィ様、何をなさっているのですか?」
「だから、介抱だってば」
「腐女子は、介抱すると浮くものなのですか?」
「普通は浮かない」
「では、これは普通ではないのですね?」
「そこは間違いない」
マリレが、うめき声を漏らす。
「うう……」
「マリレ!」
ミユリさんが駆け寄ろうとする。
「待って!」
僕は、手を上げる。
「声も刺激になるんだ」
「え?」
「神経がスーパー過敏状態になってる。光も音も、普通よりずっと強く感じるらしい。さっきから、ちょっとした刺激でも苦しむんだ」
ミユリさんは、慌てて口を押さえる。
マリレが薄く目を開ける。
「……その声も、つらいの」
「ご、ごめんなさい!」
ミユリさんは、今度は小声で謝る。
「……小声も、つらいわ」
ミユリさんは、固まる。
スピアが頭を抱える。
「じゃあ、どうすれば良いのよ!」
「……その声も、つらい」
「ごめん!」
スピアは、両手で口を塞ぐ。
沈黙。誰も動かない。
空中でマリレが、ゆっくりと回転している。
ミユリさんは、恐る恐る僕を見る。
「……どうしましょう」
その言葉さえ、今は刺激になりそうだ。
御屋敷のホールでは、老メイドたちが次のJAZZビンゴを待っている。
バックヤードでは、物理法則がビンゴカードから抜け落ちている。
そしてマリレの背中では、あの見えない焔が、萌えさかっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通りの裏通り。
薄暗い路地の奥に、鉄扉がある。扉の両脇には黒服。どう見ても、まともな人間が昼間から出入りする場所ではない。
カレルは足を止める。
「げっ。ドレスコードとか、ありそうじゃないか。なんでこんなところに連れてきたんだ?」
「ここはレースクイーン限定のカフェなの」
エアリは、平然と言う。
「え。俺は油まみれの作業着が似合う男なんだけど」
「それは黙っていれば良いでしょ?dance with me?」
エアリが小さくうなずくと、黒服は何も聞かずに鉄扉を開ける。
その向こうには、華やかな退廃が広がっている。
極彩色の照明。甘い香水。低音の効いた音楽。ショーアップされたレースクイーンたちが、思い思いのポーズでゲストをもてなしている。
なるほど、グレードは高い。
ただし、健全という言葉だけは、入口で没収されている。
「どの子がいい?」
「え。じゃあの金髪の子は?」
カレルが指をさす。
「彼女はサリリ。アキバ工科大学で哲工学専攻。ユーモアのセンスは皆無よ」
「じゃ…あそこにいる黒髪の子は?」
「あれはカムリ。良い子なんだけど、笑い声が金属音みたいなの。それに北朝鮮のスパイだって噂もあるわ」
「噂のほうが気になるんだが……じゃあ、あの緑の髪の子は?」
「あっちはバナデ。頭が悪いし、実は百合。つまんない子よ」
カレルの顔がみるみる歪む。
「待て待て待て!俺の好みを、なんで片っ端から地雷原に変えていくんだ!誰なら良いんだよ!」
「声が大きい。ほら、見て」
エアリは、店内の奥を指さす。
ひとりのレースクイーンが、しつこい客につきまとわれている。長いプラチナブロンド。胸元は控えめだが、なぜかエアリに勧められると、急にグラマーに見えてくる。
そういう不思議な存在感がある。
「彼女はビッチ。最高よ」
「名前がすでに不穏なんだが」
「名前で人を判断しちゃダメ。あなたが言うと説得力がないけど」
「どういう意味だ!」
「さあ、行ってらっしゃい」
「ちょっと待て!心の準備が――」
その瞬間、店内に金属を引っ掻くような笑い声が響く。
キィィィィッ。
カレルの肩が跳ね上がる。
「今のは何だ!?心の急ブレーキか!?」
「カムリよ。だから言ったでしょ。あの笑い声は諦めて」
「諦めるって、何を!?」
「人生の1部」
エアリは、カレルの腕をつかむ。
「良い?貴女は、クールにしていれば良いの。余計なコトは言わない。笑顔は自然に。胸を張って」
「俺の人生で、そんな指示を受けたコトがない」
「だから今までダメだったのよ」
エアリはそのまま、少し退屈な表情を浮かべ中のプラチナブロンドへ歩み寄る。
「こんにちは。紹介するわ。カレルよ」
突然、割り込む。
ところが。
女性はエアリを見るなり、闇夜に神と出逢った信者のように、諸手を上げて喜びを爆発させる。
「エアリ!元気してた?」
次の瞬間、100万人のカメラ小僧を魅了してきた無敵の微笑を浮かべ、カレル1人に向き直る。
「はじめまして!私、ビッチ」
全くその通りだ。
そして、ビッチは両手でカレルの手を握る。
「助かったわ。ダーリン」
実際には違うセリフだったが、そうつぶやいたように、カレルには聞こえる。
しつこい客は、やれやれという顔で肩をすくめ、退散して逝く。
敗北者の背中には、人生の字幕がつく。
"次の店で頑張ろう"
カレルは、背筋を伸ばす。タイムカード、タイプライター、油まみれの作業着は、どこかへ消える。
洒落たセリフが口をついて出る。
「レース日和ですね」
ビッチが微笑む。
「ええ。素敵な夜になりそうよ、ダーリン」
カレルはエアリを振り返る。
エアリが小さく親指を立てる。
人生で初めて、カレルのヲタ恋が第三者の介入によって成功しかけている。
ただし、本人の実力は、未だ確認されていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。御屋敷のバックヤードでは、謎の浮遊現象が終わろうとしている。
マリレの身体が、ゆっくりと下降して来る。
さっきまで宙に浮いていた彼女は、苦しそうに息をしながら、少しずつベッドへ近づく。
僕は、ベッドの脇で頭を抱えている。
スピアは落ち着かない様子で、マリレの顔をのぞき込む。
「ねえ。死んだりしないわよね?」
「大丈夫だ。しかも、かなり治ってきてる」
自分に言い聞かせるように、僕は答える。
マリレの身体は、ようやくベッドに沈む。
「もうしばらく寝かせておこう。汗びっしょりだ。バスルームを借りても良いかな?」
「ROG。テリィたん、マデラなら今はビンゴに夢中だから平気だと思うわ」
スピアはそう言いながら、マリレの額にかかった髪をそっと払う。
その指先は、いつもの彼女よりずっと優しい。
「……マリレ?」
返事はない。
けれど、荒かった呼吸は少しずつ整い始めている。
僕はようやく息を吐く。
「どうやら、山は越えたな」
「ホントに?」
「ああ。ただ、何が起きたのかは、まだ分からない」
スピアは、ベッドの上のマリレを見つめる。
さっきまでの嫉妬も、怒りも、どこかへ消えている。残っているのは、目の前の彼女が無事でいてほしいという、ごく単純な気持ちだけだ。
「……早く目を覚ましてよね。文句なら、いくらでも言ってあげるから」
その言葉に応えるように、マリレの指が、かすかに動く。
僕とスピアは同時に顔を上げる。
「今、動いた?」
「ああ。動いた」
マリレのまぶたが、ほんの少し震える。
まだ意識は戻らない。
それでも、浮遊現象は収まりつつある。
僕はバスルームへ向かいかけて、ふと足を止める。
ホールから、ビンゴの歓声が聞こえてくる。
「リーチ!」
「ビンゴ!」
「キャー!」
いつもの秋祭り。いつもの笑い声。
そのすぐ裏側で、僕たちは、物理法則が少しばかり機嫌を損ねたような事件に遭遇している。
そしてマリレの背中では、見えない焔が揺れている。まるで何かを伝えようとするかのように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。ホール。
「さあ、行きますよ!次は何番が出るかな?」
カウンター席では"ハッピー秋祭り"のカチューシャを頭に載せたマデラが、すっかりビンゴの司会者になっている。
「みんな、秋祭りを楽しんでるわねえ」
バックヤードから顔を出したスピアが、半ば呆れてつぶやく。
「まったく、なんて秋祭りなの?」
「言えてる」
僕は、うなずく。
「ところで"裏盆踊り"は見つけたのか?」
「いいえ。だめよ」
スピアは、肩を落とす。
「まだ時間はあるだろう?」
「もう今年はダメ。時空漂流者たちのお守りをしなきゃ。これで朝まで、ここに缶詰」
「わざとじゃないわ」
背後からミユリさんが申し訳なさそうに言う。
「そりゃ、そうだけど……」
スピアはそれ以上、何も言わない。
そのとき、ベッドの上でマリレが頭を抱え唸る。
「ううう……。あんな奴を誘ったのが敗因よ」
天を仰ぐスピア。
「いつも結局こうなるのよ。もう別れたはずなのに、結局あいつらに振り回される。何にも変わらない。これじゃ付き合ってるのと同じだわ」
「それは……」
ミユリさんが口を開きかけたところで、スピアはミユリさんを見る。
「姉様もそう思わない?」
ミユリさんは答えない。いいや、答えられなかった、と言ったほうが正確かもしれない。
「あなたが何も変えたくないからでしょ?」
ミユリさんが静かに言う。
今度は、スピアが顔をしかめる。
「かもね。それとも、2人とも悪循環を断ち切る強さがないのか。そのどっちかよ」
その言葉は、スピア自身に向けられたものだ。
「私の人生って、この先ずっとこうなのかな。結局、時空漂流者問題に引き戻されて、たった1晩だけの"裏盆踊り大会"にも参加出来ない。恋も祭りも、いつも途中で邪魔が入る」
「スピア」
「姉様。私……」
スピアは、マリレに近づこうとする。すると、マリレの手がピクリと動く。
「来ないで。今、あなたの香水を嗅いだら、たぶん世界が終わる」
「気がついた?……ってか、まだそんなにひどいの?」
「あなたの香水だけは、世界の終わりよりひどい」
「……元気そうで何よりね」
スピアは、むっとする。
だが、いつもの2人だ。
いつものように言い合って、いつものように相手の1言に傷ついて、いつものように離れられない。
けれど、さっきまで宙に浮いていたマリレは、今は自分の足でベッドに座っている。
それだけでも、少しは前進したのだろう。
「ねえ、スピア」
ミユリさんが呼び止める。
「テリィ様のこと、まだ好きなの?」
スピアの顔が固まる。
「……どうして、今それを聞くの?」
「今だから聞くの。"裏盆踊り"が見つからなくて、秋祭りも終わりそうで、マリレまでこんなコトになって。みんな、自分の気持ちを後回しにしてるから」
「姉様は?」
スピアが問い返す。
「姉様こそ、テリィたんと一緒にいたいんじゃないの?」
ミユリさんは一瞬、視線を落とす。
ホールから、マデラの元気な声が聞こえる。
「はい、次は23番!リーチの人、立ってくださーい!」
秋祭りが続く中、僕の知らないところで、僕に関するヲタ恋が議題になってる件。
「……一緒にいたいわよ」
ミユリさんは、小さく答える。
「でも、ずっと一緒にいることと、好きでいることって、同じじゃないでしょう?」
スピアは、何も言わなくなる。
「テリィ様は、すぐにどこかへ行っちゃうし。何か事件があれば飛び込んでいくし。私が止めても、結局は誰かを助けようとする。だから、そばにいてほしいと思う一方で、私がテリィ様を引き留めて良いのかなって……」
そう言いながら、ミユリさんは自分自身で困ったように笑う。
「なんだか、私ばっかりわがままみたいね」
「そんなことないわ」
スピアは、今度はすぐに答える。
「好きな人にそばにいて欲しいと願うのは、わがままじゃない。少なくとも、私はそう思う」
「スピア……」
「でもね」
スピアは、目を伏せる。
「私には、その1言を自分で言う勇気がないのよ」
元カノ。その肩書きは、便利だ。
好きだった人を今でも好きでいても、未練だと笑ってごまかせる。相手のそばにいても、昔の仲間だからと言い張れる。相手が別の女性を見ていても、もう関係ないと胸を張れる。
そうやって逃げ道を残しておけば、自分は傷つかずに済む。
少なくとも、傷ついていないフリは出来る。
「私、何をやってるんだろうな」
スピアは、笑う。
「ヲタ恋のベテランみたいな顔をして、結局、初恋の女の子みたいなコトを考えてる」
「初恋じゃないでしょう?」
ミユリさんが、少しだけ笑う。
「うるさいわね」
2人の間に、小さな笑いが生まれる。
その笑いが消えると、また沈黙が戻ってくる。
ヲタ恋は、事件より厄介だ。
事件なら、犯人を見つけて、動機を調べて、解決すれば良い。
でも、好きという気持ちには、逮捕状も捜査令状も出せない。
そして僕は、そんな彼女たちの気持ちを、たぶん一生、理解できないままなのだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。レースクイーンカフェでは、カレルが史上最大のモテ期をモノにしようとしている。
ソファの上にハイヒールのまま乗り上げ、ビッチはカレルの話に全身全霊で耳を傾けている。
いや、傾けているというより、カレルの言葉を一語残らず受け止めようとしているように見える。
「それで、その次の日、お隣の猫のミケが子供を産んだんだ!」
「きゃははは!うっそー!」
ビッチはプラチナブロンドを振り乱して大笑いする。
カレルもつられて大笑いだ。
ただし、何が面白いのかは、本人にも全く分かっていない。
しかし、レースクイーンの大笑いには、ヲタクを少しだけ幸福にする力がある。近くのゲストまでつられて大笑い。店内の空気がパッと明るくなる。
ただひとり、エアリだけは笑っていない。
いや、笑ってはいる。
ただ、明らかに愛想笑いなのだ。
「ねえ、彼って最高に面白いでしょ!」
エアリはビッチに向かって、畳み掛ける。
「でも、面白いだけじゃないのよ。カレルは実は仏教徒なの。すごくない?」
「仏教徒なのね!」
ビッチは、感心したように両手で合掌。
「君は、宗教は嫌じゃないか?」
カレルが急に真顔になる。
「どうして?」
「いや、その……信仰の違いは、将来のことを考えると大切だから」
将来。
カレルは今、初対面の女性と(猫の)出産について語っている。"将来の話"は既に始まっているのだ。
「いいえ、全然。でもね」
ここで、ビッチは人差し指を立てる。
「この週末、女とやらせてください、なんて祈る人はごめんよね!きゃははは!」
空気が凍る。
カレルの笑顔が止まる。
エアリの愛想笑いも止まる。
店内のどこかで、グラスを置く音。
「た、た、確かに僕は仏陀の像を持っているよ!」
カレルは慌てて言う。
「でも、神田明神に誓って、金曜日の夜にそんなことを拝んだりはしないさ!」
「まあ、正直なのね」
「心がけてる」
「それって大事だわ」
ビッチは、深くうなずく。
カレルは、戸惑う。
褒められている?
どうやら褒められているらしい。
しかし、何を褒められているのかが分からない。
「ねえ。それ、褒めてるの?」
「いいえ、ちょっとね」
「ちょっと!?」
カレルの心臓が跳ねる。
ビッチは彼の瞳を、上目遣いでのぞき込む。
「あなたって、マジ面白い人ね」
カレルの身体は見る見るうちにグニャグニャになる。
「そ、そうかな」
「ええ。とっても」
「猫の話も?」
「もちろん」
「神田明神の話も?」
「もちろん!」
「仏陀の像も?」
「そこは、ちょっと気になるわね」
カレルは、胸を押さえる。
息苦しい。
これは恋なのか。
それとも、何かの"宗教的試練"なのか。
まさか、彼女も時空漂流者なのか。
だが、そんな疑念さえ、彼女の笑顔の前ではカラダと同様、グニャグニャに溶ける。
それを見届け静かに席を立つ人妻メイド、エアリ。
「飲み物を取ってくるわ」
「私は良いわ」
ビッチが答える。
「僕も良いや」
カレルは、即答。
今、この席を離れるワケにはいかない。人生最大のモテ期が、ようやく目の前に転がり込んできたのだ。
エアリは微笑む。
「そう。楽しんで」
その背中に、カレルが慌てて身を乗り出す。
「ちょっと待った!」
エアリが振り返る。
「いろいろありがとう。お礼を言うよ。ほら、このシチュエーション!もう最高の秋祭りさ!」
「良いのよ。楽しんで」
エアリはもう一度、微笑む。
今度は、むちゃくちゃ可愛い笑顔だ。
ひとりだけメイド服。
極彩色のレースクイーンたちの中で、そこだけ別の物語から迷い込んできた、鏡の国のアリス。
カレルは目で追う。そのメイド服は、人混みの向こうへ消える。
「彼女、良い人ね」
ビッチが言う。
「全くだよ」
カレルはしみじみとうなずく。
それから、2人は改めて見つめ合う。
「ねえ、カレル」
「はい」
「お願い。さっきの猫の話、も少し聞かせて?」
「も、も、もちろんだとも!」
カレルは、胸を張る。
「実はミケには、もう1つ秘密があってね……」
カレルは、知らない。
今夜、自分が最高のモテ期を迎えている理由の半分はエアリの手腕で、残り半分はビッチがしつこい太客から逃げるためだったコトを。
そして、そのどちらも、本人の実力とはほとんど関係がなかったコトを。
秋祭りの夜。ヲタクはときどき、真実を知らない方が幸福になれる。
少なくとも、カレルに限っては。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。バックヤード。
マリレはベッドの上に落ち着いている。
さっきまで空中を漂っていた身体は、ようやく重力との和解に応じたらしい。背中の見えない焔も弱まっている。
ただし、ハッピー秋祭りのカチューシャだけは、なぜか頭に残っている。
超常現象と秋祭りグッズ。
この2つが同じ人物の上で共存している光景を、僕は未だうまく理解できズにいる。
「もう1度、カルチャーセンターに戻ったらどうかな?」
僕は、ミユリさんに提案する。
ハッピー秋祭りのカチューシャをつけた彼女は、きょとんとした顔で振り返る。
「あら。どうしてでしょう?」
「いや"裏盆踊り"のヒントが気になってさ。あの暗号、どうにも引っかかるんだ」
すると、壁際で腕を組んでいたスピアが、露骨に不機嫌な顔をする。
「もう、そんな演技しなくて良いわ。テリィたん」
「演技?」
「私とマリレの仲を取り持とうとしてるんでしょ?」
「いや、違うんだ」
「良いのよ。気を遣わなくて。あなたって、そういうところだけは昔から優しいんだから」
「だから、マジ違うって!」
スピアは、聞いていない。
彼女は、ベッドのマリレを見る。
マリレは目を閉じたままだけど……口元だけをわずかに動かす。
「……勝手に決めないで」
「起きてたの?」
「あなたたちの声がうるさいのよ」
「もう、元気じゃない」
「元気だったら、真っ先にあなたに文句を言ってるわ」
「今も言ってるじゃない!」
2人の視線がぶつかる。
かつて恋人だった2人。
好きだから腹が立つ。腹が立つから忘れられない。忘れられないから、いつまでも相手の言葉に反応してしまう。
ヲタ恋というものは、どうしてこうも効率が悪いのだろう。
「……私、何をやってるンだろう」
スピアがぽつりと言う。
「もう別れたのに。今さら何を期待してルンだろうね」
マリレは、目を閉じたまま答える。
「期待してるから、腹が立つンでしょ」
スピアは黙る。
マリレも黙る。
その沈黙には、さっきまでの言い争いより、ずっと多くの言葉が詰まっている。
僕は、何か気の利いたことを言おうとする。
しかし、こういう場面で気の利いたコトを言える人間なら、そもそも僕はこんな騒動に巻き込まれていない。
そのときだ。
バックヤードとホールを隔てるドアが開く。
同じハッピー秋祭りカチューシャをつけたマデラが、顔をのぞかせる。
「ミユリ姉様。10時半になるわよ」
「あ……はい」
ミユリさんは、時計を見る。
「テリィ様。私、ホールに戻らなくちゃ」
「そうだね。僕もそろそろ」
僕は、何気なくドアへ向かう。
ところが、僕は忘れている。
ここ数日、僕は御屋敷のヲーナーでありながら、マデラから"出禁"を言い渡されている身だ。
そろり、そろり。
壁に沿って歩く。
ドアまであと3歩。2歩。1歩。
「テリィたん!」
背後から、鋭い声が飛んで来る。
「はいっ!」
僕は直立不動。
「どこへ行くの?」
マデラの目が細くなる。
僕よりも緊張しているのは、なぜかミユリさんだ。
「えっと、その……カルチャーセンターに……」
「こんな真夜中に?」
「いや、まだ10時半」
「推しを放っておいて、また推し変でもするつもり?」
またって何だ。
僕は推し変をした覚えが……あるなw
「いえ、そんなコトは……」
「だったら、こっちへ来て」
マデラは時計を指指す。
そして、手招きする。
「秋祭りの夜は夜這いOKなのよ。江戸時代からの伝統だから」
「えっ?」
「ただし、その前に御給仕して」
話が飛ぶ。
いや、飛ぶどころではない。
歴史、ヲタ恋、メイドの労働規則が、マデラの頭の中でひとつの法体系を形成している。
「さあ、ミユリ姉様。御嬢様方がお待ちよ!」
ミユリさんは、僕の手を取る。
その顔には、ここ数日でいちばん晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
「さぁ参りましょう、テリィ御主人様」
ミユリさんが僕を御主人様と呼ぶ時は絶対だ。
彼女は僕の手を引き、ホールへと駆け出す。
僕は引っ張られながら思う。
僕は"裏盆踊り"の謎を解きに行くはずだ。
どうして僕は、メイドに手を引かれて秋祭りの御給仕に向かっているのだろう。
そして、どうして僕は、少しもうれしくないとは言い切れないのだろう。
ヲタ恋というものは、やはり効率が悪い。
だが、その非効率さに救われる時もある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ホールは、祝祭の熱気に包まれている。
"末広町ニューオリンズ・クラブ・バンド"のディキシーランド・ジャズが鳴り響き、OGメイドたちの笑い声が天井に跳ね返る。
ハッピー秋祭りのカチューシャが、あちらでも、こちらでも揺れている。
僕の姿を見つけたOGが声を上げる。
「あっヲーナー、キター!」
「テリィ様もお給仕するの?」
「逃がさないで!」
逃げるつもりはない。
少なくとも、今は。
ミユリさんは僕の手を離すと、司会者の顔に戻る。
「みなさーん!お待たせしました!これより、OG秋祭りのメインイベントを始めまーす!」
歓声が上がる。
ホール中央には、秋祭りのために組み上げられた柿の木トーテムポールが立っている。
木材を組み合わせ、色鮮やかな飾りを施した、どこか懐かしく、どこか異国めいた塔。
その表面には、OGメイドたちが書いた"秋祭りの決意"が、札になって貼りつけられている。
豊年豊作。
五穀豊穣。
安全第一。
焼肉定食。
そして、誰が書いたのか分からないものもある。
「今年こそ、恋人をつくる」
「元カレに未練を残さない」
「天誅!推し変」
最後の札を見て、僕はそっと視線をそらす。
マデラが、満足そうにうなずく。
「みなさん、準備は良いですか?」
「はーい!」
OGメイドたちの声がそろう。
「それでは、点火します!」
一瞬、ホールが静まり返る。
ラギィがギターを構える。
バンドのメンバーがアイコンタクト。
ドラムが、軽くスティックを鳴らす。
カウントが始まる。
「スリー!」
「ツー!」
「ワン!」
着火!
柿の木トーテムポールの下部に仕込まれた灯りが、赤く、橙に、金色にと、順番に点灯していく。
火柱ではない。
萌えているのは光だ。
それでも、闇の中で立ち上がる光の塔は、まるで古い神話が現代の秋葉原に帰ってきたようだ。
「わああああっ!」
歓声が爆発する。
ラギィのギターが高らかにかき鳴らされ、ドラムが跳ね、ベースがうねる。
ディキシーランド・ジャズの陽気な旋律が、トーテムポールの光と混ざり合う。
OGメイドたちは手を叩き、肩を揺らし、互いに抱き合う。
マデラも、ミユリさんも、笑っている。
いつもは厳しいマデラが、子どものように両手を上げている。
「ハッピー秋祭り!」
誰かが叫ぶ。
「ハッピー秋祭り!」
声が重なる。
「豊年豊作!」
「良い秋祭りを!」
その輪の中で、ミユリさんが僕を振り返る。
光が彼女の瞳に映っている。
「テリィ様!」
「ん?」
「今日は、帰らないでくださいね」
音楽が大きくなる。
僕は彼女の声を聞き返す。
「何だって?」
ミユリさんは少しだけ頬を赤くする。
「……今夜は、私のそばにいてください」
さっきまでなら、僕は何か冗談で返していたかもしれない。
あるいは"裏盆踊り"の手がかりを探すことを理由に、またどこかへ行こうとしていたカモしれない。
でも、彼女は僕の手を握っている。
その手を、今度は僕から握り返す。
「分かった。ここにいるよ」
ミユリさんは、うれしそうに笑う。
ほんの一瞬、彼女は司会者でもメイドでもなく、ただ恋をしている女の子に見える。
少し離れた場所ではスピアがマリレを見つめる。
マリレはまだ疲れた顔をしていたが、ベッドから起き上がり、壁にもたれて立っている。
「……何よ」
マリレが言う。
「何でもないわ」
「嘘。何か言いたそうな顔をしてる」
スピアは笑う。
「今度、ちゃんと話そう」
「何を?」
「いろいろ」
マリレはすぐには答えない。
それから、小さくうなずく。
「……今度ね」
たったそれだけの言葉だ。
復縁の約束でも、愛の告白でもない。
それでも、2人の間にあった長い沈黙に、初めて小さな出口が出来たように見える。
柿の木トーテムポールの光が、さらに明るくなる。
ホールの歓声は最高潮に達する。
その瞬間。
僕は、妙な感覚を覚える。
音楽が、ほんの1拍だけ遅れる。
ラギィのギターが伸ばした音。
ドラムのシンバル。
客たちの手拍子。
それらが、別々の世界線を流れている音のように聞こえる。ほんの一瞬だが……
次の瞬間には、全ては何事もなかったように音楽が戻っている。
僕は、柿の木トーテムポールを見上げる。
光の列が、頂上へ向かって駆け上がっていく。
赤。橙。金色。
そして、一番上の飾りが点灯する。
ホールは歓声に包まれた。
「ハッピー秋祭り!」
僕も叫ぶ。
そう叫びながら、胸の奥に小さな違和感が残る。
マリレの宙に浮いた身体。
カルチャーセンターの暗号。
見つからなかった"裏盆踊り"。
そして、今、トーテムポールの頂上で瞬いた光。
それらが、どこかで繋がるような気がする。
だが、祝祭の夜に水を差す理由はない。
僕はミユリさんの手を握ったまま、もう1度、光の塔を見上げる。
秋祭りは、最高潮に達している。
そして僕たちは、まだ知らない。
この光が、ただの祭りの灯りではないのかもしれないというコトを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「急いで!もっと急いで!12時にテレフォンセックスするんだから!」
パーツ通りの裏道に、場違いな檄が飛ぶ。
ジェミは老母の車椅子を押し、僕は老父の車椅子を押している。
どうしてこうなったのか。
説明するには、秋祭りの夜は長すぎる。
ジェミは"ハッピーミッドナイト盆"のカチューシャをつけ、首には真っ赤なネックレス。祭りの余韻を全身にまとい、まるで深夜の競輪場にでもいるような勢いで車椅子を推している。
「テリィたん!遅れるワケにはいかないのよ!ウイリー乗りなんかしないで!」
「わかってますって!でも、ちょっちやってみたくて」
「12時きっかりなの!大人の約束には、ビンゴより厳格な時間管理が必要なのよ!」
「それは分かりましたから、歩道の段差に気をつけて!」
「段差なんか、恋の障害に比べたら平地よ!」
ジェミの車椅子が加速!
僕の車椅子は、も1度ウイリー!
老母は背筋を伸ばし、風を切っている。老父は僕の推す車椅子の上で、なぜか勝者のような顔をする。
「ジェミさん、若いねえ」
「若いんじゃないの!時間がないの!」
パーツ通りを車椅子がレースする。
深夜の秋葉原。
電気街のネオンの残光。
祭り帰りの人々が道を譲り、僕はヲーナーとしての威厳を完全に失ったまま、老父の車椅子を推す。
御屋敷のトーテムポールに灯った光は、もう遠い。
それでも、秋祭りの夜はまだ終わらない。
少なくとも、ジェミの予定表の中では。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
祭りの熱狂が去ったホールで、スピアとミユリさんが後片付けに取りかかる。
紙コップを集め、椅子を戻し、飾りを外す。
さっきまで歓声に包まれていた場所が、少しずつ普通の御屋敷に戻って逝く。
「スピア。貴女はやらなくても良いわ」
ミユリさんが言う。
「良いわよ、ミユリ姉様。どうせ、もう出かけられないんだし」
スピアは笑う。
その笑顔には、諦めと、ほんの少しの寂しさが混ざっている。
"裏盆踊り"は見つからない。
マリレの異変に振り回され、秋祭りのメインイベントも、恐らく終わってしまっている。
結局、何ひとつ予定どおりにはいかない。
「ねえ、スピア」
ミユリさんが声をかける。
「貴女は……」
その先を言いかけた時だ。
戸口から、マリレが姿を現す。
「マリレ!」
ミユリさんが駆け寄る。
「寝てなきゃだめよ!」
「もう大丈夫。たぶんね」
「たぶんって何よ!」
「私にも分からないのよ。自分の身体のコトなのに」
マリレはスピアを見る。
「話があるの。来て」
スピアは一瞬、戸惑う。
それから、静かにうなずく。
2人は、顔を見合わせる。
その表情には、いつもの険しさがない。
まだ何も解決していない。
でも、今度は逃げずに話そうとしている。
それだけで、十分なこともある。
「ミユリ姉様」
マデラが声をかける。
「もうOKよ。後は私がやります」
振り向いたミユリさんは、床に残った紙コップの山を見る。壁には、誰かがマヨネーズで落書きした痕。
「無理です。こんなに散らかってるのに、1人じゃ無理よ」
「大丈夫。なんとかなるわ」
マデラは、いつもの厳しい顔に戻っている。
その厳しい顔のまま、言う。
「みんなは、今からそれぞれの秋祭りを楽しんで」
「どうしたの、マデラ?」
スピアが尋ねる。
マデラは照れくさそうに笑う。
「さっき"辣腕アトム"のカードに今年の決意を描いて萌やしたの」
「何を萌やしたの?」
「もう1度、みんなにチャンスをあげるって」
ミユリさんが息を呑む。
マデラは、続ける。
「誰かを許すのって、簡単じゃないわ。忘れられるワケでもない。でも、いつまでも同じところに立っていたら、何も変わらないでしょう?」
彼女は、祭りの後片付けが残るホールを見回す。
「だから、もう1度だけチャンスをあげる。それが私の秋祭りの決意だから」
ミユリさんは、マデラに飛びつく。
「ありがとう!マデラ!」
マデラは驚きながらも、彼女の背中に手を回す。
「ちょ、ちょっと、ミユリ姉様。苦しいってば!」
「ありがとう!」
「分かったから!」
2人の笑い声が、静かなホールに響く。
スピアとマリレも、その様子を見ている。
「……私たちも、そろそろ変わらなきゃね」
スピアがつぶやく。
マリレは、少しだけ口元を緩める。
「そうね。先ずは貴女の香水を変えるところから」
「まだ言うの?」
「だって本当に臭いんだもの」
「あなた、病み上がりのくせに!」
2人は、また言い合いを始める。
けれど今度は、どこか楽しそうだ。
ヲタ恋は、いつも厄介だ。
ヲタクは、許すコトも、忘れるコトも、やり直すコトも、慣れていない。
それでも、どちらかが1歩を踏み出せば、止まっていた時間は、少しだけ動き始める。
僕は、そう思う。
そのとき、ホールの隅に置かれた柿の木トーテムポールの飾りが、かすかに揺れる。
もう灯りは消えているハズなのに、頂上の小さな飾りだけが、一瞬、青白く光る。
僕は、目を凝らす。
次の瞬間には、何事もなかったように暗闇へ戻る。
見間違いだろうか。
それとも、秋祭りの夜は、まだ僕たちを帰すつもりがないのだろうか。
祭りは終わり、それぞれの恋も、まだ途中。
そして、僕たちが探していたホントの秋祭りは、これから始まるのかもしれない。
第4章 "裏盆"へ行こう
御屋敷のバックヤード。
ベッドから起き上がったマリレは、スピアをまっすぐ見つめている。
「私はもう大丈夫。だから、貴女は"裏盆踊り"を探しに行けば?」
スピアは目を丸くする。
「そんなに気を遣ってくれるなんて、どういう風の吹き回し?」
「別に。貴女は、私たち時空漂流者の都合にばかり振り回されてるじゃない。事件が起きれば駆り出されて、異変が起きれば看病して、気がつけば秋祭りも終わり。これじゃ、いつまでたっても同じコトの繰り返しよ」
マリレは、小さく息を吐く。
「悪循環を断ち切るべきなの。今夜くらい、パーティに出かけて来なさいよ」
「……聞こえてたのね。ミユリ姉様との話」
マリレはうなずく。
「どっちかが強くならないとね。私たちは別れた。でも、ヲタ友でしょう?だったら、それぞれの秋祭りを楽しめば良いじゃない」
スピアは何かを言おうとして、言葉を飲み込む。
確かに、ずっと、こうしたかったのかもしれない。
相手を心配するコトを理由に、相手のそばに居続けるのではなく。
そばに居続けたいという気持ちを、心配という言葉で隠すのでもなく。
「……ありがとう、マリレ」
スピアはマリレの首っ玉に抱きつく。
「ちょ、ちょっと!未だ病み上がりナンだけど」
「ありがとう!」
「分かったから!苦しいってば!」
スピアは顔を上げると、マリレにキスをする。
ただし、それは復縁のキスではない。
少なくとも、2人はそういうコトにしておく。
「じゃあ、行って来る!」
スピアは、勢いよく立ち上がって、バックヤードを飛び出す。
「転ぶんじゃないわよ!」
マリレが叫ぶ。
「貴女に言われたくないわ!」
廊下の向こうから声が返って来る。
マリレはひとり、苦笑する。
「……まったく。ヲタ恋って、面倒くさい」
そう言いながら、その顔は少しだけ晴れている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。カウンター。
僕とミユリさんは、後片付けの手を休めて、恋バナ?中だ。
その背後で、マデラがひとり、山のような紙コップと格闘している。
「私、秋祭りの決意には、こう描いたのです」
ミユリさんが言う。
「"誰かのための親切"って」
「なるほど。それで御屋敷に残るコトにしたんだ?」
「YES。秋祭りは御屋敷で過ごします。それがメイドのつとめだし……年に1日くらいは、マデラと過ごしてあげたいのです」
ミユリさんは、後ろで奮闘するマデラを見る。
「ごめんなさい、テリィ様。一緒に午前0時を迎えるって、お約束したのに」
その顔は、晴れやかだ。
最近の彼女の中で、いちばん晴れやかだ。
だから僕は、少しも残念ではない。
「さっき、ミユリさんとは御屋敷で迎えたよ」
「そうですね。あれも新年ですよね。ちょっと1時間半ほど早かったけど」
「時空漂流者のいる御屋敷だからね。時間くらい、多少は融通が利くんだろう」
「そんな理屈、初めて聞きました」
ミユリさんが笑う。
僕はカウンターから出て、散らかったテーブルの片付けを始める。
「僕もここに残って手伝うよ」
「えっ?」
「僕は、この御屋敷のヲーナーだぜ?」
紙コップを集め、椅子を戻し、テーブルを拭く。
ヲーナーとして自分の御屋敷を片付ける。
至極当然のことなのに、マデラが一瞬、手を止めてこちらを見る。
「……テリィたん、逃げないの?」
「逃げないよ」
「ホントに?」
「ホントに」
マデラは疑い深い顔をしたが、やがて再び紙コップの山に取りかかる。
そのとき、ミユリさんが僕の耳元に顔を寄せる。
「テリィ様。ホントは"裏盆踊り"を探したいんでしょ?」
「……まあね」
「だったら、行ってください」
僕は、手を止める。
「でも、1人じゃつまらないよ」
ミユリさんは、僕の顔をのぞき込む。
「そうですね」
「だから、もう少し一緒に」
その瞬間だ。
バンッ!
ホールの扉が勢いよく開く。
「誰か!"裏盆踊り"を一緒に探しに行きたい人はいない?」
スピアだ。
息を弾ませ、髪を乱し、まるで世界の終わりに間に合おうとする人のように立っている。
ミユリさんが、クスクス笑い出す。
「あら!ちょうど、コチラの御主人様が行きたいとおっしゃってますよ」
「え。テリィたん?」
スピアの顔から笑顔が消える。
「もう、やめてよ。姉様、私たちを取り持とうとして、無理に付き合わせることないのよ」
「……なんだよ、それ」
僕は、溜め息をつく。
「じゃあ、ミユリさん。僕は行ってくるよ」
「はい。いってらっしゃいませ」
僕は、ミユリさんにキスをする。
ミユリさんは目を閉じてキスを受け、それから、少しだけ僕の手を握る。
「祈ってて」
「ご幸運を」
短い言葉だ。
でも、その中には、行って欲しくない気持ちも、行って欲しい気持ちも、ちゃんと一緒に入っている。
僕は、スピアを振り返る。
「スピア、パーティにお出かけだ!」
「えっ、マジ?」
「君が誘ったんだろう?」
スピアは、僕とミユリさんを交互に見る。
「ちょっと待って。私、一応、テリィたんの元カノなんですけど……」
「知ってるよ」
「ホントにテリィたんと行って構わないの?」
ミユリさんは、にっこり笑う。
「構わないわ。1晩だけ貸してあげる」
「貸すって……」
スピアの頬が赤くなる。
「でも、後でちゃんと返してね」
「ミユリ姉様!」
「何?」
「そういう言い方、ずるいわよ!」
「ふふふ。そう?」
ミユリさんは、楽しそうだった。
スピアはしばらく口をぱくぱくさせたあと、観念したように両手を上げた。
「分かったわ。借りるだけだからね!それからコレは、元カノ会の会長特典ってコトで」
「はいはい、会長様。レンタル期限は朝までよ」
「延長料金は?」
「テリィ様に請求して」
「おい!」
僕の抗議は、2人の笑い声にかき消される。
その笑い声を聞いて、僕はようやく理解する。
ミユリさんは、決して僕を手放さない。
僕を信じて、送り出してくれたのだ。
そしてスピアもまた、元カノという立場に逃げ込むのではなく、自分の意思で今宵を楽しもうとしている。
ヲタ恋の問題がひとつ解決したワケではない。
ただ、誰かの気持ちを理由にして、誰かの自由を奪うことをやめただけだ。
それだけのコトが、今宵は妙にうれしい。
「じゃあ、行ってきます!」
スピアが手を振る。
僕もミユリさんに、もう1度キスをする。
「いってらっしゃいませ、御主人様」
彼女は笑っている。
僕はスピアと並び、御屋敷の扉をくぐる。
背後では、マデラが叫ぶ。
「ちょっと!テリィたん!片付けは?」
僕は、振り返らない。
「ヲーナーの外出は、経営判断だ!」
「そんな経営判断、メイド協会は認めません!」
扉が閉まる。
秋葉原の夜風が、頬を撫でる。
「……ねえ、テリィたん」
スピアが言う。
「何?」
「今宵は、私のことを元カノって呼ばないでね」
僕は、彼女を見る。
スピアは少し照れたように笑っている。
「今夜だけは、ただのヲタ友として。一緒に秋祭りを楽しみたいの」
「分かった」
僕たちは、歩き出す。
探すのは"裏盆踊り"。
でも、今宵の僕たちは、何かから逃げるために出かけるのではない。
自分たちの秋祭りを、自分たちの足で見つけるために出かけるのだ。
午前零時まで、あと少し。
秋葉原のどこかで、まだ誰も知らない盆踊りが、僕たちを待っている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
末広町のガソリンスタンド。
奥のガレージに、黄色い水陸両用ジープが停まっている。エアリが指先をひと振りすると、車体の色が黄色から黒へと戻っていく。超能力による、車両の原状回復だ。
その横には、妙にさっぱりした顔のカレル。
「カレル、大丈夫?ホントに落ち込んでない?」
「うん。ビッチに電話番号を教えてもらったからね」
カレルは、満足そうに頷く。
2人で車にカバーをかける。まるで、ひと晩の冒険そのものに蓋をするように。
「でも、最終目標のセックスは?」
エアリが容赦なく核心を突く。
「なんたって現役女子大生の電話番号だぜ。物事にはタイミングってものがあるんだ」
「タイミングねえ」
2人は、カバーをかけたボンネットに腰を下ろす。
「一旦引いたと見せて、相手に気を持たせたり……」
「逃げ出したり!」
声が重なる。
2人は顔を見合わせ、明るく笑う。
カレルは、今宵初めて心から笑った気がする。
「エアリ。意外にも、おかげさまで楽しかったよ。今宵はありがとう」
「私もよ。でも、秋祭りはまだ終わってないわ」
「えっ、そうなの?」
「そうよ。今日は未だ1時間以上、残ってるわ」
カレルは腕時計を見る。秋祭りの残り時間を、ヲタ恋の残り時間に換算するのは難しい。
「OK。何をしたい?」
そのときだ。
エアリの表情から、ふっと笑みが消える。
彼女はカレルの顔を覗き込む。得意技の上目遣い。普段なら、どんな男でも一度は自分の判断力を疑う、あの眼差し。
「ねえ。私のこと、愛してる?」
カレルの脳内で、何かが盛大に開花する。
エアリが唇を近づけてくる。
あと数cm。あと1cm……
2人の唇が触れようとした瞬間、エアリはカレルを女豹のように組み伏せる!
……という妄想が、カレルの脳内で絶賛上映中。
現実のガレージには、黒い車と、秋の夜風と、ボンネットの上の2人しかいない。
「ね?お願い」
エアリは、小首を傾げる。
カレルは、我に返る。
「……まさか"地底軍艦"を見るって?」
「そうなの。お願い」
「ヲタ友だもんな。じゃ、辛抱してやるか」
「ありがと!さすがヲタ友ね!」
エアリはカレルの額に、チュッとキスをする。
そして、何事もなかったように駆け出して逝く。
カレルは動かない。
額に残ったキスの痕を、指先でそっとなぞる。
女豹は去り"地底軍艦"は残る。
「俺って、ほんとにバカだな」
カレルは爽やかに笑い、立ち上がる。
その笑顔には敗北の色がない。
今宵、現役女子大生レースクィーンの電話番号をゲット。そして、人妻メイドの額ならぬ自分の額に、友情のキスもゲット。
悪くない。
少なくとも、彼の人生においては。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
外神田カルチャーセンターの薄暗い1室。
僕は、懐中電灯で黒板を照らす。
そこには、例の暗号が残されている。
「ハットハット。00 20 407000 ハイク」
「この7は、デイラの背番号じゃないと思うんだ」
「でも、02、20、470でしょ……」
スピアが数字を睨みつける。
数字は黙っている。
当然だ。暗号というものは、解けるまではただの数字である。
「もう1度、発想を変えてみよう」
僕は、黒板に光を当て直す。
「数学パズルみたいに、Oは記号の一種だとか。ゼロには特に意味がないとか」
「ゼロに意味がない……」
スピアは、唇に指を当てる。
僕たちは、しばらく黒板を見つめている。
やがて、スピアが息を呑む。
「わかった!」
懐中電灯の光が、彼女の手の中で揺れる。
「24に7でしょ?ウルトラ単純だわ!」
「24/7……」
僕は、数字を頭の中で並べ直す。
「24時間、週7日」
「そう。店の名前よ!」
僕たちは、顔を見合わせる。
宝探しの第一の扉が開く。
もっとも、開いたのは脳内だけだ。
現実の扉は、未だ何処にも見えていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
謎の帽子店"ハット24番7番"。
僕たちは、ケッテンクラートで乗りつける。
店の周囲には、原子記号らしきマークが並んでいる。暗号の解読に挑んでいた連中は、すでに謎解きを諦めたらしい。彼らはフリスビーを投げ合い、アキバの夜を平和に浪費している。
「ここで良いみたいだな」
僕が車を停めると、スピアが周囲を見回す。
「ねえ。次のヒントは見つかったの?」
「まだだ」
「私もわからないわ」
僕たちは、フリスビーを投げている連中の間を歩く。
そのとき、1人の女の子が僕を見て声を上げる。
「あれ、テリィたん?あの国民的SF作家の?」
「えっと……君はダリアだったかな?」
「YES!ここで何してんの?」
「何って……」
「こんな遅くに、国民的SF作家が秋葉原を遊び歩いてる。絵になるわね」
国民的SF作家。
その肩書きは、僕が何かを成し遂げる度に重くなるのではなく、こういう場所で何もしていない時に限って重くなる。
「実は"裏盆踊り"を探してルンだ」
「ウソでしょ?」
ダリアは、目を丸くする。
「ところで私、来週の"地下鉄戦隊メトロん5"に悪の女幹部として……」
僕は、片手を上げる。
「ごめん。今、世界線の命運がかかってるんだ」
「えー、ちょっとだけ!」
僕はフリスビーを片手に、すでに別の輪に加わっている彼女を残して歩き出す。
国民的SF作家にも、仕事を選ぶ権利くらいはある。
「ねえ、テリィたん」
スピアが僕を手招きする。声が違う。
さっきまでの困惑が消え、瞳に小さな光が宿る。
「私、鍵を見つけたんだと思うの」
「どこだ?」
スピアが指さすのは、僕たちのすぐ後ろにあるボードだ。
そこには、御屋敷の宣伝チラシが貼られている。
「これは、ウチのチラシじゃないか」
「でも偽物なの」
「偽物?」
「"ブルームーンキャサディア"なんてメニュー、聞いたことないもの」
僕は、チラシに顔を近づけた。
たしかに、御屋敷のメニューにそんな料理はない。
誰かがわざわざ、存在しない料理の名前を印刷して、こんなところに貼ったのだ。
偶然ではない。
暗号があり、数字があり、御屋敷の名前があり、そして偽物のメニューがある。
宝探しなら、ここで地図の端がめくれるところだ。
「じゃあ、そのメニューが手がかりってコトか」
僕は、口の中で名前を繰り返す。
「ブルームーンキャサディア……ブルームーン……」
頭の中で、ひとつの場所が浮かび上がる。
「わかった。キャバレーのブルームーンだ!」
「ブルームーン?」
「五反田だよ!」
スピアの顔がぱっと輝く。
「それね!やったわ!」
彼女は思わず声を上げかけ、すぐに自分の口を押さえる。
「……そっと車に戻りましょう。誰にも気づかれないようにね」
僕たちは何気ないふりをして歩き出す。
フリスビーが頭上を飛んでいく。
誰かが笑い、誰かが僕の名前を呼ぶ。
でも、僕は振り返らない。
ケッテンクラートに乗り込む。スピアが後席に滑り込み、僕はエンジンをかける。
五反田。
"ブルームーン"。
そして"裏盆踊り"。
僕たちは、まだ祭りの入口さえ見つけていない。
けれど、地図のない宝探しにも、進むべき方角はある。
電気街のネオンがバックミラーの中で遠ざかっていく。
午前零時まで、あと少し。
僕は、アクセルを踏む。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
祭りのあとのホールには、まだ熱気が残っている。
テーブルを拭き、椅子を戻し、空いたグラスを集める。マデラとミユリさんは、黙々と後片付けに精を出している。
バックヤードのドアが、ほんの少し開く。
隙間から、青白い顔が覗く。
「マリレ!どうしたの?」
ミユリさんが駆け寄る。
マリレは汚れ物を抱えてキッチンに入ろうとする。ところが、2歩も進まないうちに膝が折れ、床に崩れ落ちる。
「マリレ!」
ミユリさんが駆け寄る。
「ソファから転げ落ちちゃった……」
「えっ?」
「待って、姉様。声が響くの」
マリレは耳を押さえ、床の上で身をよじる。
「でも、もう良いって……」
「嘘よ、ウソ。実は、体中がズキズキしてる」
その声は、いつものマリレよりずっと小さい。
そこへマデラが入ってくる。
「あら、どうしたの?」
「マデラ、手を貸して。ちょっと飲み過ぎたんだって」
ミユリさんは、マリレの肩を抱き起こそうとする。
「OK。じゃあ、バックヤードで寝かせましょう」
「マデラ、私は1階のホールのボックス席で寝るわ」
「えっ、姉様も?」
「大丈夫。ここなら少し静かだから」
マリレは目を閉じる。
ミユリさんは何か言いかけたが、結局、口をつぐむ。
マデラと2人でマリレの左右から肩を組み、半ば引きずるようにしてバックヤードへ運んでいく。
秋祭りのあとの御屋敷には、片付けるべきものが、未だ山ほどあるのだ。
それでも今は、床に落ちたグラスより、戻って来た仲間の方が大切だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真夜中の首都高。
ケッテンクラートが夜風を切り裂く。
運転席の僕。後席にはスピア。
街の灯が流れて逝く。遠くのビル群は、誰かが巨大な宝箱をひっくり返したあとのように、無数の光を散らかしている。
「さっきのマリレ、素敵だったわ」
スピアが言う。
「正直に言うと、また惚れ直しちゃった」
「そうか?」
「そうよ」
「僕は、惚れないよ」
「誰もテリィたんに聞いてないわ」
「それは失礼しました」
スピアが笑う。
その笑顔には、さっきまでの嫉妬も、意地も、少しだけ残っていた未練もない。
ただ、完全に消えたワケではない。
ただ、今宵だけは、それらを抱えたままでも前へ進める気がしたのだろう。
「テリィたん、前を見て」
「見てるよ」
「ホントにこの道で良いの?」
「絶対大丈夫だ」
「根拠は?」
「勘だ」
「最悪ね」
「国民的SF作家の勘だぞ」
「その肩書き、こういう時だけ使わないで!」
スピアが笑い、僕も笑う。
「五反田よ」
「わかってる」
「五反田を見て死ね!」
僕は、アクセルを踏み込む。
ブルームーン。
偽物のメニューに書かれた、存在しない料理の名前。それは奇しくも僕がキャバレーバンド時代、世話になった店の名前と同じだ。
そこから浮かび上がった、次の目的地。
暗号を解くたびに"裏盆踊り"の輪郭が少しずつ現れてくる。けれど、その中心に何が待っているのかは、未だわからない。
宝探しというものは、宝そのものよりも、見つかる直前の時間がいちばん長い。
そして今宵の僕たちには、その時間を惜しんでいる余裕はない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
レトロSF映画"地底軍艦"。
画面の中では、時代を超えた巨大な機械が、地底の闇を突き進んでいる。
その横で、カレルは微動だにせず座っている。
エアリが、彼の肩に頭を乗せて眠っている。
腕を組んだまま、すっかり寝入っている。
カレルはスクリーンを見つめている。
いや、正確には、スクリーンを見ているフリをしているだけだ。
肩を動かせば、エアリが起きる。
かといって、ずっとこのままでは血が止まる。
しかし、動けない。
彼は今夜、人生で最も難しい選択に迫られている。
"地底軍艦"の発進を見届けるか。
それとも、肩の上の奇跡を守るか。
「……あと5秒だ」
カレルは小さく呟く。
誰にも聞こえない声で、カウントダウンを始める。
5, 4, 3, 2, 1……
「秋祭り、おめでとう。エアリ」
彼はそっと顔を近づけ、眠っているエアリの唇にキスをする。ほんの一瞬。
そのときだ。
エアリの背中から、妖精の翅がちょろりと顔を出し、透明な翅が、かすかに瞬く。
カレルは目を見開く。
「……え?」
翅は、まるで夢の中の出来事であるかのように、すぐに引っ込んでしまう。
エアリは、眠ったままだ。
カレルはしばらく彼女を見つめ、それから静かに微笑む。
「秋祭り、おめでとう。エアリ」
今度は、誰にも聞かせるためではなく。
そして、再びスクリーンに目を向ける。
"地底軍艦"は、まだ地底を進んでいる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。
バックヤードの明かりが落とされる。
ミユリさんは、マリレの額に手を当てて、そっと毛布を掛ける。
「少し眠ってね」
マリレは、目を閉じたまま、小さくうなずく。
マデラはドアのところで2人を見守っている。
「姉様も、無理をしないでね」
「ありがとう、マデラ」
ミユリさんは立ち上がる。
ホールには、まだ片付けを待つテーブルが並んでいる。
祭りは終わりかけている。
けれど、御屋敷にはまだ、帰ってくる人のために灯しておく明かりがある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都高。五反田の灯が近づく。
「テリィたん」
「ん?」
「もしホントに見つかったら、どうする?」
「何が?」
「"裏盆踊り"よ」
僕は、少し考える。
「そりゃ……踊ルンじゃないか」
「それだけ?」
「だって、裏とはいえ盆踊りだろ?」
「もう。ほんとに作家なの?」
「だからこそさ」
僕は、前を見たまま答える。
「物語は、見つけるまでは謎だけど、見つけたら自分で参加するものなんだ」
スピアは何も言わない。
やがて、彼女は小さく笑う。
「じゃあ、今宵は参戦するのね」
「ああ」
「私、テリィたんの元カノじゃないわよ」
「ヲタ友さ」
「YES」
彼女は、窓の外を見る。
五反田の街が、目の前に広がり始めている。
午前零時まで、あと少し。
秋祭りの終わりが近づくほど、どこかで新しい祭りが始まろうとしている。
その入口は、未だ見えない。
けれど、今度こそ僕たちは、そこへ向かっている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
御屋敷のバックヤード。
マデラとミユリさんは、ようやくマリレをソファまで運び込む。
2人で息を合わせ、そっと身体を横たえようとした、その瞬間。
「待ってってば!」
「えっ?」
マリレの腕が、ミユリさんの腰に巻きつく。
次の瞬間、ソファのクッションが大きく沈む。
「きゃっ!」
マリレを下敷きにするはずだったミユリさんが、逆にマリレの下敷きになっている。
「姉様、重い……」
「貴女が引っ張ったんでしょう!」
「だって、床が回るんだもん……」
「回ってるのは床じゃなくて、貴女よ!」
マデラが額を押さえる。
秋祭りの後片付けは、まだ終わりそうにない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
五反田。
コスキャバ"ブルームーンcult"の地下へ続く階段は、まるで地面に開いた巨大な裂け目だ。
階段の奥で、光が走っている。
赤、青、紫、金色。
音楽とも機械音ともつかない低い振動が、地下から這い上がってくる。
僕は、スピアの手を握る。
スピアも、僕の手を握り返す。
「覚悟はできてる?」
「夢に見ていた瞬間だもの。もうバッチリよ」
彼女は、白い歯を見せて笑う。
その笑顔を見たとき、僕は少しだけ安心する。
ここまで来るあいだ、僕たちは暗号を解き、偽のメニューを見つけ、何人もの人間に振り回される。
だが、その全てが、この階段の先に繋がっている。
少なくとも、僕たちはそう信じている。
五反田の有楽街にある有名な四叉路には、車が何台も乗り捨てられている。
スポーツカー。古いワゴン。見覚えのない奇妙な小型車。中には、どうやってここまで来たのか見当もつかない乗り物まである。
持ち主たちは、みんな、車を置き去りにして地下へ消えたらしい。
そして、地上の有楽街には、ようやくたどり着いた人々が、幽鬼のように四叉路を彷徨う。
光に誘われて歩く者。
誰かを探すように路地を覗き込む者。
スマートフォンの地図を何度も確認する者。
そして、何もわからないまま、なぜか笑っている者。
その顔には、疲労と興奮と、説明のつかない期待が入り混じっている。
まるで、有楽街そのものが夢遊病にかかってしまったかのようだ。
「行こう、テリィたん」
スピアが僕の手を引く。
僕たちは、階段を降りる。
1段。もう1段。
地上の喧騒が遠のいて逝く。
代わりに、音楽が大きくなる。
ドラムの音。
ベースのうねり。
誰かの歓声。
そして、どこか懐かしい祭囃子。
階段の先に、巨大な地下空間が口を開けている。
「……なんだ、ここは」
思わず声が漏れる。
そこには、すでに大勢の人々が集まっている。
色鮮やかな浴衣。奇抜なコスプレ。光るアクセサリー。頭上を走り抜けるレーザー。宙を横切る花火のような光の粒。
天井には無数の光が渦を巻き、床には星空を裏返したような模様が広がっている。
屋台の提灯が宙に浮いている。
金魚すくいの水槽には、金魚ではなく小さな光の魚が泳いでいる。
綿菓子のような雲が頭上を漂い、どこからともなく甘い匂いが降ってくる。
秋祭りだ。
だが、僕の知っている秋祭りではない。
地上の秋葉原が、電子部品と萌えと物欲で出来た街だとすれば、ここはそんな街の妄想が、深夜の地下で勝手に実体化する場所だ。
僕たちは、光のゲートの前で立ち止まる。
ゲートの向こうに、さらに広い空間が続く。
浴衣姿の若者たちが、笑いながら駆け抜ける。
誰かが手を振る。
誰かが抱き合う。
誰かが、何10年も会っていなかった友人に再会したような顔で泣く。
もしかしたら、既にこの世にいない友人なのか。
「これが……"裏盆踊り"?」
スピアの声が震えている。
「たぶんな」
僕は、答える。
「たぶんって何よ」
「だって、ここまで来て初めて見たんだから」
「もう。肝心なところで作家らしくないんだから!」
そう言って笑うスピアの目は、光を受けてきらきらと輝いている。
僕たちは手をつないだまま、ゲートをくぐる。
その瞬間。
ドォォォン!
頭上で巨大な花火が炸裂する。
七色の光が地下空間いっぱいに広がる。
無数の提灯が一斉に点灯し、太鼓が鳴り響いた。
ドン、ドン、ドン!
笛の音が天井を突き抜ける。
そして、会場のどこかから、聞き慣れたイントロが流れ始める。
「……え?」
僕は、耳を疑う。
スピアが顔を上げる。
「あっ!」
太鼓と笛に乗って、あのメロディが地下空間を満たして逝く。
東京音頭。
あまりにも有名で、あまりにも懐かしい、あの盆踊りの名曲だ。
「踊ろう、テリィたん!」
スピアが僕の手を引く。
「えっ、いきなり?」
「だって、1曲目よ!」
周囲の人々が輪を作り始める。
浴衣の裾が翻る。
光る扇子が宙を舞う。
子どもたちが笑いながら走り回り、年配の男女が慣れた手つきで踊りの輪に加わる。
誰もが、ずっと昔から、もう何10年も前から、ここにいたような顔をしている。
僕の頭に、不意に幼い頃の記憶が浮かぶ。
神社の境内。
赤い提灯。
ソースの匂いがする焼きそば。
母親にせがんで買ってもらった玩具。
遠くで鳴る太鼓。
何も知らず、何も疑わず、ただ秋祭りが楽しかったあの頃。
あの秋の夜が、何10年もの時間を飛び越えて、今ここに戻って来たようだ。
僕は、スピアの手を握り直す。
彼女も、握り返す。
「ねえ、テリィたん」
「なんだ?」
「来て良かったね」
僕は、うなずく。
「……ああ」
東京音頭の輪が、僕たちを包み込む。
地上では、秋祭りの片付けが続いている。
誰かは眠り、誰かは帰り、誰かは明日の仕事を考えている。
けれど、この地下では、まだ終わらない夜が始まったばかりだ。
光が走る。
太鼓が鳴る。
人々が踊る。
そして、午前零時。
アキバの裏側で、誰も知らない秋祭りが、ついに幕を開ける。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そのソファでは、2人の男女が寝落ちしている。
エアリとカレル。
レトロなSF映画はとっくに終わり、スクリーンには無人の地底が映っている。
そのとき、ドアが開く。
「ただいま……」
出張から帰ってきたジェシが、キャリーケースを引いて入って来る。
そして、ソファを見る。
妻が、別の男の肩にもたれて眠っている。
ジェシは数秒、黙っている。
「……大阪って、遠いのね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。朝焼けが窓を染め、パーツ通りが、ゆっくりと白んで逝く。
シャワーを浴び、ガウンを羽織ったミユリさんが、ソファで苦しげに眠るスピアを見下ろしている。
「起きたのね?」
スピアは、片目だけを開ける。
「姉様。これは絶対に秘密よ」
「バックヤードの床で寝たこと?」
「違うわよ!」
スピアは勢い良く起き上がり、頭を抱える。
「……頭が痛い」
「でしょうね」
ミユリさんは笑いながら、カウンターに入る。
コーヒーを淹れる。
豆を挽く音。湯気。カップに落ちる琥珀色の液体。
夜の祭りが、少しずつ朝の生活に姿を変えていく。
「私のソファで寝たことを、テリィ様には絶対に言わないでよ」
「それも違うわ!」
スピアが抗議しかけたところで、玄関のドアが開く。
「おはよー」
一行が帰って来る。
先頭はエアリ。その後ろに、カレル。そして、どこか疲れた顔のジェシ。
ミユリさんがカウンターから身を乗り出す。
「ジェシ。大阪の日本橋はどうだったの?」
「淀リバー水上空港で1晩を過ごしたわ」
「嘘でしょう?」
「ホントよ。最終便に乗り遅れたの。しかも、無事に帰ってきたら、奥さんが他の男と寝てるんだもの」
「なにそれ?」
エアリが、うれしそうに振り向く。
「あなたが言ったんでしょう!」
「いや、そうだけど!」
カレルは、頭をかく。
エアリは、夫に主張する。
「2度と私を1人にしないコトね」
「肝に銘じます」
エアリは、満足そうにうなずく。
その横で、カレルが胸を張る。
「あのさ。そもそも秋祭りにモラルはないんだ。そして俺は、チャンスを逃さない男なのさ」
そう言って、ジェシを指差す。
「何のチャンスよ!」
エアリが即座に反撃する。
「誤解だ!俺はただ、映画を見ていただけだ!」
「私の妻と?」
「映画のタイトルは"地底軍艦"だからな!」
「タイトルは聞いてないわ!」
朝の御屋敷に、笑い声が弾ける。
ミユリさんはコーヒーを飲みながら、楽しそうにその様子を眺めている。
「ところで」
カレルが、ふと思い出したように言う。
「"裏盆踊り"には、結局誰も辿り着けなかったのかな?」
その問いに、バックヤードから声がする。
「いや、そうでもなさそうよ」
元気になったマリレが、ドアのところに立っている。
まだ少し顔色は悪いが、目にはいつもの光が戻っている。
その視線が、一瞬だけスピアと交わる。
2人は何も言わない。
けれど、今度は目をそらさない。
そのとき、御屋敷のドアが勢いよく開く。
「♪ アキバ時空ゲート音頭〜!」
妙に調子の良い歌声が、朝の店内に響き渡る。
僕だ。僕の背中には、スピアが飛び乗る。
「ちゃんと会場を見つけて行って来たわよ!」
スピアは、僕の背中で大笑いしている。
「それはすごいな!ホントか?」
カレルが目を輝かせる。
「ねえ、最初から話して!」
ミユリさんもカウンターから身を乗り出す。
僕は、スピアを下ろし、得意げに胸を張る。
「もちろんだ。先ずはカルチャーセンターに戻って、よく考えたら……」
「ランジェリーフットボールだろ?」
カレルが口を挟む。
「ほら、口を挟むな!」
「だって、あの暗号は……」
「だから、最後まで聞け!」
スピアが笑い転げる。
ミユリさんが続きをせがみ、エアリがジェシに何か耳打ちし、マリレはカウンターにもたれて肩を揺らしていた。
そのとき。
「御主人様、お嬢様!」
ぴしゃりとした声が、騒ぎを切り裂く。
振り返ると、完璧なメイド服に身を包んだマデラが立っている。
「モーニングのご注文をお願いします」
一瞬、静寂。
次の瞬間、全員が一斉に口を開く。
「私、オートミール!」
「僕は、ブリトーメキシカン!」
「私はコーヒーのおかわり!」
「ねえ、それで"裏盆踊り"はどうだったの?」
「だから、まず注文をしてください!」
「ジェシ、貴女は何にする?」
「妻と同じものを」
「私と同じ?」
「これ以上、別々の道を歩みたくないからね」
エアリは、ほんの一瞬だけ黙る。
それから、笑う。
「……じゃあ、2人分お願い」
マデラは注文を書き留め、キッチンへ向かう。
1人でつくるつもりのようだ。
僕たちはカウンターとテーブルに分かれ、それぞれ話し始める。
"裏盆踊り"のコト。
謎の電話番号のコト。
"地底軍艦"のあらすじ。
マリレが空中に浮いた夜のコト。
そして、これからのコト。
話は、あちこちへ飛び、誰かが笑い、誰かが抗議し、誰かがコーヒーをこぼす。
窓の外では、朝日が電気街を照らし始める。
昨夜の祭りが、ホントにあったコトなのか。
あの地下の光も、無数の提灯も、東京音頭の輪も。
ひょっとすると、全て夢だったのカモしれない。
けれど、僕の手にはまだ、スピアの手を握った感触が残っている。
そして、御屋敷には、帰って来た人たちがいる。
失敗した人も、眠り込んだ人も、遠回りした人も。
みんな、同じ朝のテーブルを囲んでいる。
キッチンから、マデラの声が飛ぶ。
「モーニング、お待たせしました!」
皿が並ぶ。
コーヒーの湯気が立ち上る。
誰かが、また昨夜の話を始める。
音楽が少しずつ大きくなった。
秋祭りは終わる。
けれど、僕たちの物語は、まだ朝食の途中だ。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"秘密パーティ"をテーマに、バブルの頃に流行った"レイブ"をペースに、当時の懐かしい喧騒を思い出しながら、楽しく描いてみました。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、肌寒い日も夏と変わらないTシャツ姿で闊歩するインバウンドの街と化した秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




