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「やり直させてくれ」と言われましたが、殿下に溺愛されているのでお断りします。

作者: 今日葉くもり
掲載日:2026/04/22

「正直、最初から君との婚約は乗り気ではなかった。君を愛することはできない。だから、婚約を解消してくれ。……俺はエマ嬢を愛している。彼女の方が、俺に相応しい」


 王城のホール。多くの貴族が見ている前で、アルノーはそう言った。

 彼の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべるエマ伯爵令嬢がいる。


 会場が静まり返った。


 イザベルは目を伏せた。


(最初から、乗り気ではなかった。——それを、ここで言ってしまうのか)


 悲しくはなかった。

 

 アルノーへの恋愛感情は、最初からない。

 家同士が決めた婚約で、義務として続けてきただけだ。


 ただ——大勢の前で恥をかかされた怒りと屈辱で、奥歯を噛んだ。


「……分かりました」


 それだけ言って、イザベルは足早に会場を立ち去った。


* * *


 王城の廊下。人気がない。


 イザベルは壁に背を預けて、目を閉じた。


 泣くつもりはなかった。

 でも——目の奥が熱い。悲しいのではない。

 あの言葉の酷さに、怒りで涙が出そうだった。


「……最初から、ね」


 呟いた瞬間、廊下の奥から足音が聞こえた。


 振り返ると、男が立っていた。


 第二王子レオンだった。

 会場に戻る途中だったのだろう。

 立ち止まって、イザベルを見ていた。


(よりによって、王子に見られた……)


 イザベルはすぐに表情を整えた。


「……失礼しました、殿下。見苦しいところを」


「見苦しくなどない」


 レオンが近づいてきた。


「……何か悲しいことがあったのか」


「婚約が……解消になりました。どうやら、最初から私との婚約は乗り気ではなかったようです」


 イザベルが静かに言った。


「……馬鹿じゃないか、そいつ」


 レオンの声は低く、怒りを含んでいた。


 イザベルは驚いて、レオンを見た。


「殿下が怒ることでは」


「……少なくとも、君は怒っていいことだろう」


「怒っています。ただ涙の方が先に出てきて、それが余計に腹立たしいだけです」


 レオンはその言葉を聞いて、少し黙った。


(泣いているのに、心は折れていない。悲しんでいるのではなく、怒っている)


「……君の名前を、聞いてもいいか」


「……イザベルです。イザベル・ランドールと申します」


「イザベル」


 レオンはそれだけ言って、会場に戻っていった。


(……名前を呼んだだけで帰った)


 イザベルはその背中を見送りながら、ようやく気づいた。


 ——先ほどまでの怒りが、少し薄れていたことに。


* * *


 そもそもの話をすると、レオンがイザベルを気にし始めたのは半年ほど前のことだ。


 王城の夜会。いつものように令嬢たちの挨拶をさばいていた時、一人だけ他と違う令嬢がいた。


 輪の外側で、シャンパングラスを片手に会場を静かに観察している。一瞬レオンの視線が向いても、特に表情を変えない。会釈だけして、また視線を外す。


(……媚びない)


 他の令嬢たちは、自分に見初められるため必死に媚びを売る。

 でも彼女は——。

 初めて見るタイプの女性だ、とレオンは思った。


 声をかけると、その令嬢——イザベルは完璧な礼をした。

 それだけで、それ以上でも以下でもない。


「夜会、楽しんでいるか」


「ええ、まあ」


(まあ、と言ったぞ今)


「まあ、とは」


「観察するのは好きなので。踊るのはそれほど」


「正直だな」


「嘘をつく理由がないので」


 それだけ言って、イザベルはまたシャンパングラスを口に運んだ。


(王子を前にして、グラスを口に運ぶ令嬢がいるのか)


 レオンはその日から、夜会のたびにイザベルがいないか確認するようになった。

 ただその感情が何なのか、名前をつけないままで。


* * *


 婚約解消から一週間が経った。

 

 王立図書館でイザベルが本を読んでいると、レオンが来た。


「ここにいたか」


「……殿下は図書館を使われるのですか」


「今日から使う」


(今日から、という言い方が気になりますが)


 イザベルは本に目を戻した。レオンは向かいの席に座って、やはり本を開いた。


 二人とも、しばらく黙って読んでいた。


「……先週のことは、どうするつもりだ」


「特に何も。婚約は解消です。それだけです」


「怒りは」


「……おさまりました。少し」


「少しか」


「まだ腹は立っています」


 レオンは笑った。


「正直だな」


「嘘をつく理由がないので」


(また同じことを言った。でも彼女は……芯の強い女性だ)


* * *


 数日後の茶会。レオンがイザベルの隣に来た。


「殿下……なぜ私の隣に」


「君がいたから」


(……直球すぎませんか)


 イザベルは顔が少し熱くなるのを感じながら、ティーカップを口に運んだ。


「殿下と話したがっている令嬢たちがいらっしゃるのでは」

 

「いない」


「……会場には大勢」


「皆、同じ顔に見える。でも君だけは違う」


(何を言い出すんですか急に)


「……それは、どういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


 レオンはカップを置いて、イザベルを見た。


「僕と話す時、君は僕を王子として扱わない」


「……失礼でしたか」


「いや。——嬉しい」


 イザベルは返す言葉が出なかった。


(この方は、急に正直になる……)


* * *


 茶会の帰り、急な雨。

 回廊で雨宿りしていると、またレオンがこちらに来た。


「また会ったな」


「偶然ですね」


「……偶然ではない」


「……え?」


「お前が茶会を出たのを見て、追いかけた」


(追いかけた、と今言いましたか)


 イザベルは雨を見つめた。


「……殿下は、正直すぎませんか」


「君が正直だから」


「私は正直ですが、殿下は王子ですので、もう少し……」


「建前を言えと?」


「……いえ」


(建前を言わないでほしい、と思っている自分がいる)


 雨が激しくなった。

 二人は黙って、降り続ける雨をぼうっと見つめていた。


「……イザベル」


「はい」


「僕の隣に、いてほしい。この先も、ずっと」


 イザベルは少し間を置いて、言う。


「……それは、どういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


「……少し、考えさせてください」


* * *


 半月後の舞踏会。


 アルノーが近づいてきた。


 婚約解消後、アルノーはエマとの関係が上手くいっていなかった。

 アルノーと婚約後、エマは周囲にそれを自慢し、さっそく侯爵家の財産にも手を付け始めた。


 エマが非常に傲慢であることにようやく気付いたアルノーは、焦った表情でイザベルに言葉をかける。


「イザベル。少し話したい」


「……何でしょう」


「……俺が間違っていた。どうかやり直させてくれ。婚約解消の件、なかったことにできないか? もう色々と限界で……」


(ああ、やっぱり。エマ嬢の散財癖は有名だもの。それを知った上で彼女を選んだと思っていたけれど)


「……どういうおつもりですか」


「き、君の良さを、ちゃんと見ていなかった。改めて考えたら——」


「アルノー様」


 イザベルは静かに言った。


「最初から乗り気ではなかった、とおっしゃいましたね。王城のホールで、大勢の前で」


「……あれは、その場の勢いで」


「私はあの言葉を、忘れていません」


 アルノーが何か言おうとした瞬間——


「僕のイザベルを自分から捨てておいて、いまさら手のひら返しもいいところだな」


 低い声が横から来た。


 レオンだった。

 イザベルの隣に立って、アルノーをにらみつけている。

 その目はとても冷たく、敵意をむき出しにしていた。


 アルノーの顔が引きつった。


「……で、殿下。それは、どういう」


「どういう? 僕は、イザベルのことを心から愛している。そして、彼女を都合よく扱おうとした君を軽蔑している」


「け、けいべ……」


「何が悪い? そもそも、イザベルとの婚約は最初から乗り気じゃなかった、のだろう?」

 

 アルノーは何も言えなくなり、唇を噛みしめた。

 周囲の貴族たちも、彼に蔑みの目を向けている。


 レオンはアルノーから視線を外し、イザベルを見つめた。

 イザベルの顔が、赤くなっている。


「外で涼まないか」


「……はい」


* * *


 会場の外のバルコニー。夜風が涼しかった。


「……殿下」


「ん」


「先ほどの——僕の、というのは」


「考えは出たか。雨の日に聞いたこと」


 イザベルは少し黙った。


「……出ました」


「どうだ」


「……殿下が正直でいてくれるなら、私も正直に言います」


「聞く」


「あの日から、ずっと考えていました。殿下の隣にいる未来を。——嫌ではなかった。むしろ」


「むしろ」


「——ずっと、隣にいたいです」


 イザベルは微笑んだ。太陽のような笑顔。

 それを見て、レオンは頭を抱えた。

 

「……君の笑った顔は、本当にかわいいな。他の男にとられてしまいそうで、心配だ」


 イザベルは、ふふ、とまた笑みをこぼした。


「私も」


「ん?」


「レオン様が、他の令嬢にとられてしまうんじゃないかって、不安になります。だって、とってもかっこ——んっ」

 

 次の瞬間、レオンに口づけされていた。

 二人の唇が触れ合い、甘い吐息が漏れる。


「好きだ。大好きだよ。イザベル。世界で、いちばん」


 そう言ってレオンは、赤面するイザベルを優しく抱きしめた。

 温もりが直接伝わってくる。鼓動が一気に早まる。


「私も、大好きです——」


 ——レオン様。私の、世界で一番大好きな人。

 イザベルは、心の中で幸せを嚙みしめた。


 読んでいただきありがとうございました。もし少しでも良いなと思っていただけましたら、ぜひ評価やブックマークなどしてくださると嬉しいです。

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