母の家
駄目よ、あのブローチは。
あれだけは取り返さなければ。
侯爵令嬢だったお祖母様。
伯爵家に嫁いだお母さま。
わたくしは子爵家に嫁ぎ、高位貴族ではなくなってしまった。王族とは結婚できない下位貴族。
お祖母様が王族から賜ったブローチ。
家を継ぐお兄様は家宝だと言った。わたくしは娘が受け継ぐべき物だと主張した。
実家に里帰りしたときに、こっそりいただいてきたのよ。
わたくしの、当然の権利として。
夫に、王族に賜る誉れなどわかるはずがない。
それなのに、よりによって、あのブローチを選ぶなんて。
ああ、もう! たかが娘の結婚式よ。どうしてそこまでお金をかけたの?
……口うるさいマリーリエの式じゃなくなったからだわ。
すぐに、もったいない、無駄遣いだ、予算はいくら以内だの言って。
勝手にキャンセルされた注文もあったわね。
マリーリエが横やりを入れるから、この家に来なくなった商人もいるし、ツケ払いを断る店も出てきて。本当に疫病神。
あんな子が家を継いだら、今まで以上に生意気になったでしょうね。
わたくし、息が詰まってしまうわ。
だから、後継者から下ろされるのよ。誰も、認めない。相応しくない。
子どもの頃から、少し頭がいいのを鼻にかけて、母親のわたくしを見下していたわね。
ちょっとした間違いを指摘して。
たかが、子爵令嬢じゃない。
伯爵家出身のわたくしより、劣った生まれ。
なのに、なぜ? 偉そうに。
「子爵夫人らしく、家計のことも考えてください」ですって。
許せない。
そんな可愛げがない子どもでも、わたくしは愛してあげたのに。
友達が少ないのは、本ばかり読んでいるからよ。
だから、本を燃やしてやったわ。
燃えさかる火に手を突っ込んで拾おうとするなんて、案外頭が悪いのね。
そんなことをしたって、遅いわ。一部は救えたとしても、周りは焦げていて、読めないのに。
何だか嫌な臭いがしたわ。肉が焦げたみたいな?
あれから口答えをしなくなった気がする。効果てきめんね。思いついたわたくしは、そうとう頭がいいんじゃないかしら。
さあ、これからは高位貴族のお友達を作るのよって、叱咤激励してあげた。
それなのに、全然駄目で。
お茶会に連れて行くだけ無駄だったわ。
なら、ドレスも要らないわね、と考えるのも自然な流れよ。
そんなに本が読みたければ、旦那様の仕事に役立つ物を読んで、手伝えばいいんじゃない。ふん。
ああ、わたくしの仕事もやらせよう。
年頃の女の子の楽しみを教えてあげようとするわたくしを、虫けらのように見るんだもの。
じゃあ、なにがしたいのよ。
ダンスも乗馬も好きじゃない?
したいことがないなんて、つまらない人生。
陰気な本好きをこの家に呼ばないでちょうだい。
陰気くさいのが移るわ。
あー、やだやだ。
なんで、こんな子がわたくしの娘なんでしょう。
と、何度も何度も考えたものよ。
成長したら美しくなるかと期待したのに、ボサボサの髪で、野暮ったいワンピースで。
もう、わたくしの娘だなんて思わない。諦めたわ。
仕事だけしていらっしゃいよ。変な子。理解できないわ。
もう一人の娘は、可愛く、楽しいことが大好きで、話も合うわ。
友達みたいな、理想の親子よ。
だから、婚約者が姉を捨てて、妹を選ぶのも仕方ないわ。当然よね。
――そう思っていたのに、結婚式が終わってから、妹が無責任なことを言いだした。
後継者になるのに、仕事をする気がないですって?
そんな我が儘が通るはずがないでしょうに。
まったく、なんなのかしら。
結婚したから一人前とでもいうつもり?
姉のように生意気になったら、どうしましょう。
……執事がわたくしに書類を持ってきたんだけど、今までマリーリエがやっていた仕事だもの。
それも、後継者として引き受けてもらわないといけないわ。
そういえば、執事もメイドも生意気な態度を取るようになったわね。
マリーリエが何か吹き込んだのかしら。簡単に騙されるなんて、困ったものだわ。
娘たちの侍女、一人はクビにしましょう。経費削減になるわ。その分で、ドレスが買えるじゃない。
ドレスの前に、ブローチを買い戻す方が先かしら。
いったい、いくらで手放したのかしら、あのバカ。あら、いやだ、おほほほ……考えなしの旦那様。
ああ、投げつけたのが淹れたばかりの紅茶のポットだったのは、悪かった……かもしれない。
ブローチを盗んだと疑ったのも、ね。
謝った方がいいかしら?
でも、結婚したんだから、もう構わないわよね?
その前だったら、顔に傷をつけるなんて言語道断ですけれど。
あのまま可愛い顔をしていたら、既婚者なのに誘惑されて大変だったかも。
あら、浮気防止にちょうどよかった?
あの婿だって、姉を婚約破棄してまで選んだ妹ですもの。大事に、大切にするでしょう。
かいがいしく火傷の手当てをして、絆が深まったりしてね。
やだ、わたくしキューピッドじゃない。
かわいい赤ちゃんができたら、可愛がってあげるわ。
……いえ、髪の毛が伸びてきたらジャキジャキに切ってやろうかしら。
わたくしに逆らわないように、思い知らせてやらないとね。
もう、こんな頭ではお茶会にも行けないわ。
早く髪の毛が伸びますように。




