姉の家
妹が、姉の婚約者と結婚する。
後継者だった姉を押しのけ、妹が花嫁の座を奪った。
可愛い妹と、賢く可愛げのない姉。
――よくある話だ。
結婚式の前日、妹は姉の部屋を訪れた。
「お姉様、ごめんなさい。許してくださる?」
「……ええ、もちろんよ。幸せになって」
その言葉を聞いた妹は笑顔を見せ、「お姉様、大好きよ」と抱きついた。
結婚式の当日、姉の姿を見た者はいなかった。
だが、式の段取りに来客の対応にと誰もが忙しくしている中で、姉を捜そうとする人間はいない。
今日の主役ではないのだから。
「肝心なときに姿を隠すなんて、迷惑な子」と母親が腹を立てる。
「もう、放っておきなさい。あとから現れても、構うんじゃないぞ」と父親は切り捨てた。
妹は「昨日、約束したのに……。お姉様にも、祝福してほしかったわ」と涙ぐむ。
花婿は「君は優しいね」と肩を抱いた。
結婚式の翌日になっても、姉は姿を現わさなかった。
昼食の時間になり、母親が「あの子を引っ張り出してきなさい。いつまでも恨みがましくされたら、家の中の雰囲気が悪くなるわ」と言いだした。
メイドたちが捜しに行ったが、見つからない。
「あの子の侍女を呼んでこい」と父親が苛立ちを隠さずに命じた。
「上のお嬢様には、侍女はついておりませんが……?」と執事が戸惑いながら答える。
「そんなはずないでしょう。娘たちの侍女は二人雇っています」母親が断言した。
「両名とも、下のお嬢様についておりますので」
「なんですって? なにを馬鹿な!」母親がテーブルを叩いて、怒り出した。
「奥様のご指示……でございます。下のお嬢様が『ほしい』とおっしゃるものは、すべて譲らされていたではありませんか」
「そんな……何を言っているの?」
母親の目が泳ぐ。
「私の前任の執事は、上のお嬢様が可哀想だと直談判して解雇されました。
ですから、残っている私どもは一切反論しないようにしております」
「嘘よ!」と母親が叫んだ。
執事は無言で奥様を眺め、しばし待ち、それ以上の発言がないことを確認した。
軽く頭を下げてから、厨房の様子を見るためにダイニングルームを出て行った。
妹と婿が昼食のテーブルに着いた。
妹はしっかりとメイクを施され、新妻らしい編み込みの髪も可愛らしい。
そういえば……姉はいつも適当にまとめただけで、そのだらしなさに苛ついたものだ。
侍女をつけていない……とんでもない事態が、間違いなく現実のこととして突きつけられた。
「お父様、わたくしの部屋に書類を置くのをやめてください」
人参のグラッセをフォークで刺して、妹が文句を言った。
「お前が跡継ぎになるんだから、お前の仕事だよ。初めは慣れないかもしれないけれど、頑張りなさい」と父親が励ました。
「ええ? 信じられませんわ。仕事をするのはお姉様の役目でしょう?
そんなことをしていたら、わたくしがお茶会に参加する時間がないじゃありませんか」
両親は目を丸くした。
「できないことは助けてもらえばいいが、最初から投げ出すのはおかしいだろう。
お前が跡継ぎ教育を受けると言うから、後継者をお前にしたのだぞ」
父親が丁寧に説明した。
「わたくしが、できないと、言っているの!」
まるで子どもの癇癪だ。
「いいことを思いついた! それなら、あなたがやればいいわ」と婿の顔を見た。
「いや、僕は……僕も当主の補佐をやるつもりで、当主の教育は受けていないよ」
「だから、これからやればいいでしょう。頑張って」
妹は、話は終わったとばかりに魚料理に手を付けた。
残された三人は、青ざめた顔を見合わせた。
もしかしたら、とんでもないことをしたのかもしれない……。
「マリーリエを連れてこい」
「ですから、昨日から姿が見えないんですよ」
母は先ほどの執事との会話を思い出しながら、ため息を吐いた。
「昨日からだと? なんで放っておいた?」
「あなただって、構うなと言ったじゃありませんか!」
こうして、仲が良かったはずの夫婦は、連日、喧嘩を繰り返すようになる。
今までは、マリーリエに責任転嫁し、「ほんとうに気が利かない子だ」と笑い合っていたのだ。
「あいつの部屋はどこだ? 何か手がかりが……いや、置き手紙があるかもしれん」
父親がそう言いだしたが、誰も姉の部屋を知らなかった。
後継者を変更したとき、妹が姉の部屋を奪ったのだ。
「執務室って、かっこいいでしょう。わたくし、欲しかったの」当たり前のように妹は言う。
「今まで使っていた部屋をマリーリエに譲ったんだろうな?」と父親が確認する。
「そんなわけないでしょう。今まで使っていた部屋に愛着があるもの。衣裳部屋を移動するのだって大変だわ」
母親が青ざめた。
「では、マリーリエはどこで寝起きをしていたの?」
「さあ、そんなこと知らないわ」
「その言い方はなに? あなたの姉でしょう」
「そうよ、『お姉様』だわ。
子どもの面倒を見るのは、お母様たち親の役割のはずよ。わたくしに訊くのが間違いだわ」
そこにいたのは、可愛い娘ではなかった。言葉の通じない……化け物のようなモノだった。
その後で判明したのは、姉がメイドたちの大部屋で暮らしていたということだった。
「なぜ、そんなことを受け入れたのだ。令嬢がメイドと一緒に寝起きするなど、普通ではないだろう!」
「……恐れながら、この家でご令嬢として扱われるのは、下のお嬢様だけですよね。
私どもは、そのルールに則って振る舞っているだけです」
古参のメイドは当然のことだとばかりに、恥ずかしげもなく主張する。
「馬鹿げたことを……」
「ですが、お茶会も夜会も下のお嬢様だけ。ドレスをあつらえるのも、侍女に世話をされるのも。
てっきり、上のお嬢様は庶子だと思っておりました」
他のメイドたちもうなずいて同意する。
「そんな、わけが……」
「大変恐れ入りますが、こちらは女性の部屋なので、ご納得いただけましたら退出していただけますか」
そこには、主人に対する敬意は微塵も感じられなかった。
姉が姿を消して一週間経ち、父親は捜索願を出すことにした。
だが、憲兵隊では捜索依頼を断られてしまう。
「ええ? ご令嬢が失踪したのは、一週間も前ですか? 未婚の女性が一晩でも行方知れずだったら、すぐにでも探すのが常識でしょう」
職員の呆れたような対応に、父親はムッとする。
姉の置かれた状況を調べるだけで二日、友人はいないのかと調べるのに一日、その友人たちを訪ね回るのに二日、引退した家庭教師を田舎まで訪ねて二日ほど。
万策尽きて頼ろうとしている貴族に対して、不敬ではないか。
だが、普段の娘のことをまったく知らなかったので調べていた、とは流石に言えない。
説明できない様子を見て、担当の職員は、後ろにいる同僚を手招きして耳打ちした。
「法務局で、本当に家族か調べてきて。
それとこの方が本物の貴族か、面通しできる人を呼んで」
正直言って、とても怪しい。
同僚が戻ってくるまで状況を訊くのも仕事のうちだが、気が重い。
聞き取ってメモを取るが、三文芝居のストーリーのような内容だ。
あれ、どこかで聞いたような……「ああ、婚約者寝取り姉妹か」と、つい口から漏れた。
窓口にいる(自称)貴族は一瞬ぽかんと口を開け、内容を理解したところで激昂した。
「なにぃ?!」
「すみません。似たようなお話を噂話で聞いたものですから。
あなた様とは関係ない話ですよね。申し訳ない」
確かに失言だ。平謝りする。
鼻息を荒くする男を見て、この親にしてあの妹あり、だな……と心の中で冷笑した。
カツカツカツと足音が聞こえた。
先ほど頼んだ職員と、広い人脈を持つ貴族の職員が連れ立って現れた。これぞ、天の助けだ。
そして、この男が貴族であることは間違いない、と囁かれる。
それはよかったのだが、次に、驚くべき事実が公開された。
「マリーリエ嬢は、貴家の籍から抜けております。
よって、家族ではないため、捜索依頼を受理することはできません」
同僚は、父親が聞き漏らすことがないように、はきはきと告げた。
「どうして、そんな……」父親は口をぱくぱくさせた。
「除籍のための書類が提出され、不備がないので受理いたしました。申請した理由まではわかりかねます」
貴族の職員は情け容赦なく告げ、「では、私は戻りますよ」と戻って行った。
受付の前で屍のように動かないため、「この人の従僕か御者を呼んできてくれ」と再び同僚に頼んだ。
従僕に腕を取られて馬車に乗り、なんとか帰宅した父親。
「お姉様は見つかった?」
呑気な次女に腹が立つ。
「あいつは、もう家族じゃない!」
「ええ~、お父様、勘当しちゃ駄目ですよ。きりきり働いてもらわないといけないんですから」
可愛いと思っていた楽天的な発言が、神経を逆なでする。
だが、馬鹿を相手にしている時間はないと、執務室に駆け込んだ。
執務室をひっくり返し、書類を撒き散らし、ようやく離籍受理書を見つけた。
婚約者をすげ替えた二週間後には申請をしている。
その前に後継者変更の手続きが済んでいる……後継者ではない子どもの離籍だから、すぐに処理されてしまったのか。
なんということだ。本当に家族ではなくなってしまった。
自分が散らかした部屋を、呆然と眺める父親。
この一週間で、仕事はどんどん溜まっていった。処理をせずに姉を捜していたせいだ。
その前は妹の結婚式の準備にかかりきりで、姉に任せていたはず……。
手近な書類を見ると、二週間前には処理されていなければいけない物だった。
処理していない? いったい、いつからだ?
これは十日前。こちらは……初めて見る。なんの書類だ?
父親は床に座り込んだ。
いつも黙って言うことを聞いていたじゃないか。
なぜ、突然、何もかも放り投げて、いなくなってしまうのだ。
……いや、犯罪に巻き込まれたのかもしれない。
そうだ。あんな優しい子が、こんなことを……。
ならば、この未処理の山は、なんだ?
見捨てる? 腹いせ? ……実は、怒っていた?
こんな嫌がらせをするなんて、あの子らしくない――。
ガターン! ガシャーン!
大きな音が響いた。
父親は急いで執務室から出て、音のした方向へ向かう。
なんと、ダイニングルームで妻と娘が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
妻は紅茶のポットを娘に投げつけ、娘は肉用のナイフで妻の髪を切っていた。
メイドや従僕は、巻き込まれないように壁際に退避している。
「何をやっているんだ?!」
信じられない光景に、大声を出した。
「だって、お母様がわたくしのウェディングドレスをどこかにやってしまわれたのよ!」
「知らないと言っているでしょう! それよりも、わたくしのお祖母様の形見のブローチが見当たらないの。貴方が持ち出したに違いないわ!」
「あんな古くさいの、趣味じゃない!」
「なんですって?!」
「くだらない。
ウェディングドレスなんか、もう着ることはないだろう。しかも、マリーリエ用のものを手直ししたから、気に入らなかったんだろうが。
お前のブローチは形見だったのか。それは悪いことをしたな」
父親は自分が金を与えて買ったドレスを、自分が売って何が悪いと思っていた。
そして、妻の物は当主である自分の物だとも……。
「……え、あなた。どういうこと? あなたが持っていったの?」
先祖代々引き継がれてきたブローチだ。母親は信じられなかった。
「今月の支払いが間に合わなくてな。助かったよ」
父親は軽く感謝を述べた。
「どうやら結婚式を豪勢にやりすぎたみたいだ。途中で色々と変更しただろう。
……しばらくは人前に出られそうにないんだから、ドレスも宝飾品も買うんじゃないぞ」
この二人が盛り上がって、どんどん飾りや料理を派手にしていった。その二人の物を売って支払うのは、理にかなっている。
みっともない姿になったが、これ以上散財されなくてよかったとさえ思った。
「え、あ……熱い、痛い。お医者様を呼んで!」
妹は、怒りよりも痛みが大きくなってきたようだ。少しばかり、頭が冷えたのかもしれない。
「わたくしの美しい髪が! なんてことをしてくれたの?!」
落ちた髪の毛を手に喚きちらす姿は、とうてい貴婦人とは思えないものだった。
特に急ぐ様子もなく、メイドが厨房から氷を運んできた。
「どうぞ」と妹の近くに置くと、厨房に戻ろうとする。
「ちょっと、手当てしなさいよ」
妹は氷を手に取ろうとして、冷たさに手を引っ込めた。
「そういうことは侍女に頼んでください」
「侍女はどこよ?」
「一緒に熱湯を被ったので、井戸に走っていったみたいですよ」
「わたくしを置いて? 一人だけ?」
メイドは肩をすくめて、出て行った。
医師を待っていたが、時間ばかりが過ぎていく。
皆が「誰かが呼びに行っているだろう」と考え、誰も呼びに行っていなかったのだ。
今までなら、姉が采配を振るっていた。その代わりができる者、やろうとする者はいなかった。
素早く適切な処置をしなかったせいで、妹の火傷は水ぶくれになってしまった。
医師がガーゼを当ててくれたが、包帯で巻かれた姿は痛々しい。
それを見た夫は、悲鳴を上げて逃げだそうとした。
妹は「愛しているなら、慰めなさいよ!」と怒鳴ろうとしたが、顔が痛くてうまくしゃべれなかった。火傷した直後より状態が悪いのはなぜだろうと、泣きたくなる。
『仕事を押しつけられていた姉は、婚約者を略奪された傷心の末に行方不明』
そんな記事を書かれた家と関わりたい人など、いないだろう。
さらに、妹が「姉に虐げられている」と言っていたことが、嘘だとバレてしまった。
涙を誘う「真実の愛」が、怠け者同士の「不貞」に変わるのも早かった。
信用を失い取引先は激減し、出入りの商人には足元を見られる始末。
家計はどんどん傾いていく。
姉を虐げていた人々は、自滅していった。
彼女は去っただけで、何かを仕掛けたわけではないのに……。




