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8. ルクス争奪戦

 

 炉の火も落ち着き、鍛冶場に一息つける空気が流れた頃。

 師匠――ヴァルは酒瓶を片手に、ぽすんと床に胡座をかいた。


「さて。二人とも、冒険者やるって腹を括ったみたいね」

「……まあ、そうなりました」

「よしよし。じゃあ許可してあげるわ」


 にやりと笑って言うヴァルに、マイラは勢いよく立ち上がった。


「やったぁ!! ほら見てルクス! 正式にお師匠さんのお墨付きよ!」

「……ありがたいような、ありがたくないような」


 俺は額を押さえつつ小声でぼやいた。

 そんな俺たちをよそに、ヴァルはぐいっと酒をあおり、喉を鳴らした。


「それとね――せっかくだから、私の身の上も話しておくわ」


 急に真面目な口調になったので、思わず俺とマイラは姿勢を正した。


「……実は私、もう隠居してるのよ」

「え、隠居!?」


 マイラが目を丸くする。


「ええ。冒険も仕事も全部やめて、だらだら酒飲んで寝て暮らすのが夢なの」

「夢っていうかもう実現してません!?」


 ヴァルは悪びれもせず、指先で酒瓶をトントンと叩く。


「でもね、隠居するにも生活費って必要じゃない?」

「まあ、それはそうですね」

「だから稼ぎは弟子に丸投げしようと思ってるの」

「丸投げ!?!?」


 俺は思わず声を裏返した。


「なにそれ!? 師匠って普通、弟子を支えるもんじゃないんですか!?」

「支えるわよ。精神的に」

「経済的に支えてくださいよ!!」


 ヴァルはけろりと笑い、酒瓶を振って見せた。


「まあまあ、ルクスが稼いでくれれば、私はそのぶん安心してゴロゴロできるし」

「安心するの俺の胃じゃなくて師匠の肝臓でしょ!!」


「ぷっ……あははははっ! なにそれ、完全にヒモ志望じゃない!!」

「し、師匠がヒモって言うな!」


 俺は慌てて制止するが、ヴァルは胸を張って堂々と宣言した。


「そうよ。私は働かずにだらだら生きたいの。そのために、ルクス、あなたが稼ぎなさい!」

「断固拒否します!!」


 即答した俺を見て、ヴァルはふっと目を細める。

 酒瓶を軽く揺らしながら、わざとらしく肩をすくめた。


「だからね、ルクス」

「……はい?」

「私があんたを弟子にしたのも、ぶっちゃけそのためよ」


「…………は?」


 あまりにさらっと告げられた一言に、俺は目を見開いて固まった。


「い、今なんて……?」

「だから、“私が隠居してぐうたら暮らすために、稼ぎ頭を確保する”って意味で弟子にしたの」


 マイラが「ちょ、ちょっとそれ正直すぎない!?」と目をむく横で、俺は頭を抱えた。


「……師匠。弟子を取るって普通、“技を継がせるため”とか、“将来を託すため”とか、そういう理由じゃないんですか?」

「え? 結果的に技も継がせてるし、将来も託してるじゃない」

「言い方が悪質なんですよ!!」


 ヴァルはけろっとした顔で肩をすくめる。


「まあまあ、細かいことは気にしないの。要は私が楽できて、あんたは腕を磨ける。お互い得をしてるでしょ?」

「得をしてるのは師匠だけでしょうが!!!」


 マイラは腹を抱えて笑い転げていた。


「ルクス、完全に師匠の小間使いじゃん!」

「笑い事じゃないんだよ! 俺の未来が一気に苦労で染まった気がする……!」


 ヴァルは涼しい顔で酒を煽り、にやりと笑った。


「いいじゃない。私が安心して寝転がれるってことは、あんたが一人前って証拠よ」

「そんな証明いらないです……」


 俺は天井を仰ぎ、深く長いため息を吐いた。

 そのやり取りを見ていたマイラが、ふいに笑みを収めてまっすぐに問いかける。


「でもさ……なんで隠居してるの? ヴァルさんなら、今だって冒険者でやっていけるでしょ?」


 場の空気がわずかに沈む。

 ヴァルは酒瓶をくるりと回し、しばし無言で炎を見つめた。

 やがて肩をすくめ、ぽつりと漏らす。


「……理由はね、私が“倒せなかった人”にあるのよ」

「倒せなかった……人?」


 マイラが目を瞬かせる。

 俺も思わず眉をひそめた。


「あんなに強い師匠に……倒せなかった相手がいたんですか?」


 ヴァルはくいっと片眉を上げ、薄く笑った。


「いたのよ。……仲間の一人。馬鹿みたいに強かった私が、どうしても勝てなかった相手」


 鍛冶場に静けさが広がる。

 ヴァルは酒瓶を机に置き、遠い目をして続けた。


「どんな魔物だろうと、私が前に立てば大抵どうにかなった。強さじゃ誰にも負けなかった――そう思ってた。……でも、その人だけは違ったの」


 唇の端を歪め、ヴァルは自嘲気味に笑う。


「私ね、その人が好きだったのよ。だから勇気を出して告白したの。……でも返ってきた言葉は、“自分より強い女は嫌だ”だった」


「なっ……!」

 俺もマイラも絶句する。ひと際マイラは怒りを込めて吐き捨てた。


「最低……!」

「でしょ?」


 ヴァルは笑ってみせるが、その瞳にはほんの少し影が宿っていた。


「私は“器の小さい男だった”って見限った。……でもね、そこで一気にどうでもよくなったのよ。強さも、冒険も、全部ね」


 鍛冶場を揺らす炎の音だけが響く。

 俺は静かに目を伏せた。


 ――だから師匠は、戦うことも、人に認められることも、手放してしまったのか。

 今の自堕落な暮らしの奥に、そんな理由があったとは。


 ヴァルは酒を煽り、ひらひらと手を振った。


「まあ、昔話よ。結局は私が選んだこと。だから今こうして、弟子に仕事を丸投げして酒飲んでるの」


 ヴァルは酒瓶を机に置き、真顔で俺を見据えた。


「だからね……ルクスを弟子にした理由は、鍛冶の才能を見込んだからってだけじゃない」

「……え?」


 不穏な予感に、俺は眉をひそめる。

 ヴァルは肩肘をつき、にやりと笑った。


「半分は、自分と同じくらい強い人間を育てて傍に置いておくため。――つまり、あんたは私の“本命”なの」

「……は?」


 時が止まった。

 俺は口を開けたまま固まり、横でマイラは「ななななななにぃぃぃ!?」と声を裏返した。


「ちょっ、ちょっと待って! 本命!? それってどういう――!」


「言葉通りよ」ヴァルはさらりと答える。

「強い相手を隣に置いておきたかった。それがたまたまルクスだった。簡単な話」

「簡単じゃないからぁぁぁ!!」


 マイラが机をばしばし叩く。顔は真っ赤だ。

 俺はというと……頭を抱えて呻いた。


「……師匠。そんなこと今さら言われても、俺は……」

「ふふ。動揺してる動揺してる」


 ヴァルはわざとらしく酒を煽り、にやけ顔でこちらを眺めていた。

 マイラはわなわなと拳を震わせながら叫ぶ。


「ルクスは、ルクスは私と一緒に冒険するの! 師匠の“本命”とか絶対に認めないから!!」

「へぇ、宣戦布告ってやつ?」

「望むところよ!!」


 マイラが机に身を乗り出すと、ヴァルも負けじと顎を上げてにやりと笑った。


「じゃあ決まりね。ルクス争奪戦、第一回開幕」

「ちょ、なんで勝手に開幕してるのよ!?」

「決め手は単純。どっちがルクスを長く手元に置けるか、よ」

「それなら私に決まってるでしょ! 幼馴染で、パーティー仲間で、しかも今回黒曜獣を一緒に倒したんだから!」

「甘いわね。私の弟子だってこと、忘れてない?」


 二人の言い争いが白熱していく横で、俺は両手で頭を抱えた。


「……俺の意見は? 俺は、空気?」


「黙ってて!」

「口出し無用!」


 ……うわあ、息がぴったりだ。

 なぜ俺の目の前で火の粉を散らすんだ、この二人は。


「……胃が死ぬ……」


 俺の呻きは、もちろん聞き流される。


 酒瓶を片手に笑い飛ばしていたヴァルが、ふっと笑みを薄めた。

「……冗談めかして言ったけどね。本当に、あんたは私にとって“本命”なんだよ」

「……師匠?」


 不意に真剣な響きが混じる。

 炉の赤い光に照らされた彼女の瞳は、さっきまでのからかいを脱ぎ捨て、静かな熱を帯びていた。


「強さってのは孤独に繋がる。……私はそれを嫌というほど味わった。だから、二度と一人になりたくなかったの」


 マイラも驚いたように目を見開き、言葉を失っている。

 ヴァルは視線を逸らさず、俺を真っ直ぐに見据えた。


「だから、あんたを選んだ。からかい半分、本気半分。でも――少なくとも、あんたを傍に置いていたいって気持ちは、本物よ」


 鍛冶場の空気が、急に重くなった気がした。

 冗談に混ぜた一言の裏に、ヴァルの過去と孤独が滲んでいるのを感じ取ってしまったからだ。

 俺は無意識に唇を引き結び、静かに頷いた。


「……師匠」


 言葉は出てこなかった。

 ただ、ここで軽い冗談を返してはいけないと直感した。


 ヴァルの告白じみた言葉を、俺は正面から受け止めた。

 冗談にできるものじゃない――そう悟ったからこそ、逃げないと決めた。


「……師匠。簡単に答えは出せません。けど、師匠の気持ちは確かに受け取りました。だから、背を向けたりはしません」


 言い切ると、ヴァルはしばし俺を見つめ、やがて小さく笑った。


「……ふふ。ほんと、生意気になったわね、ルクス」

「……師匠のおかげです」


 その視線の熱に耐えながら返した時、横でじっと黙り込んでいたマイラが、唐突に声を張り上げた。


「――ずるい!!」


 俺もヴァルも思わず振り向く。

 マイラは真っ赤な顔で立ち上がり、指を突きつけてきた。


「ルクスにそんな真剣な顔して気持ち伝えるとか、ずるいでしょ! 幼馴染の私の立場は!? 五年も待たせてたのに!!」


 ヴァルの瞳が愉快そうに細まる。


「へぇ……じゃあ、あんたもルクスが欲しいってわけ?」

「そ、そりゃあ……っ! 私だって、ルクスと一緒にいたいって思ってるもん!!」


 正面切って叫んだマイラに、ヴァルは肩を震わせ、くすりと笑った。


「ふぅん。面白い。じゃあ勝負ね。どっちがルクスの隣に相応しいか」

「上等よ!」


 二人の視線が火花を散らす。

 師匠と幼馴染。どちらも一歩も引く気配はない。


 俺は額を押さえ、深くため息を吐いた。


「……本気で胃に穴が開くぞ、これ」


 だが同時に――背筋が少しだけ伸びる思いもあった。

 二人にここまで言わせるほどに、俺は頼られているのだ。


 ……それが重責であり、同時に、誇りでもあった。



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