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3.朝飯前

 

 黒曜獣――全身を黒曜石のような外殻で覆った巨獣。


 村に伝わる記録を思い返す。

 あれはまるで鎧を纏った兵士のようで、普通の剣や槍では刃が立たない。

 だが完全な鉄壁ではなく、節や関節のあたりには、わずかに隙間がある。


「……なら、突くしかないな」


 俺は鍛冶場に立ち、炉に火を入れた。

 炭が赤々と燃え上がり、金床の上に置いた鋼が次第に白熱していく。


「ちょっとルクス、本気で作る気なの!?」


 マイラが慌てて問いかけてくる。


「当たり前だろ。黒曜獣に挑むなら、専用の武器が必要だ」

「で、でも……! そんな一朝一夕で作れるの?」


 俺は手にした槌を握り直し、熱を帯びた鋼を打ち据えた。

 カン、カン、と火花が散る。


「細身で、軽く、それでいて折れない剣……」


 呟きながら形を整えていく。


「黒曜獣の外殻は並の刃じゃ弾かれる。けど、関節や鎧の隙間なら突ける。そこで仕留めるんだ」


 マイラはごくりと唾を飲んだ。


「……つまり、わたしが狙いを外さず突けるかどうかってこと?」

「そうだ。剣は俺が作る。けどそれを扱うのはお前だ」


 彼女は一瞬不安そうに眉を寄せたが、すぐに強がるように胸を張る。


「……いいわよ! やってやる!」


 炉の熱で額に汗が滲む。

 俺はそれを拭いもせず、ひたすら鋼を打ち込んだ。



 槌の音が夜の鍛冶場に響き渡る。

 一打ごとに鋼は形を変え、俺の頭の中で描いた細剣の姿へと近づいていった。


「……芯を通せ。ぶれた剣はすぐに折れる」


 師匠の声が耳の奥に蘇る。

 打つ手に迷いは許されない。黒曜獣の前で折れれば、それは使い手の死に直結する。


「ルクス……」


 背後でマイラが心配そうに声をかけてくるが、俺は答えず打ち続けた。


 やがて鋼は形を定め、火から上げられたそれは赤々と光を放つ。

 俺は水槽へと運び、ジュウッと白煙を上げて一気に冷却する。

 熱と蒸気の中から、一本の細身の剣が姿を現した。


「……できた」


 鍔を取り付け、布で拭い上げ、仕上げの研ぎを終える。

 鏡のように光を反射する刀身は、黒曜獣の隙間を正確に穿つために研ぎ澄まされたものだった。


 俺が仕上げた剣を掲げると、炉の明かりを受けて細身の刀身が青白く光った。

 黒曜獣の外殻を穿つためだけに生まれた一振り。


「すごい……」


 マイラが感嘆の息をもらし、恐る恐る剣を握る。

 その軽さと芯の強さに驚いた様子で、何度も手に馴染ませるように振ってみせた。


 その様子を見ていた師匠が、ゆらりと立ち上がる。


「へえ……ちょっと貸しなさい」

「え、あ……」


 マイラが剣を差し出すと、師匠は片手で軽々と受け取り、目を細めた。

 一度、軽く振り抜く。

 空気を裂く鋭い音が鍛冶場に響いた。


「……ふん。無駄がない。力を逃がさず、隙間に突き入れるための剣か」


 その声音は、さっきまで酒瓶を抱えて寝転んでいた人間のものとは思えなかった。

 俺は息を詰め、師匠の口から出る言葉を待った。


「……悪くない。むしろ、上出来ね」


 師匠は口元を歪め、剣をマイラに返した。


「これなら黒曜獣の外殻でも通るでしょう。もっとも――当てられればの話だけど」

「っ……! 絶対に当ててみせます!」


 マイラが剣を握りしめ、強気に言い返す。

 師匠はにやりと笑い、再び炉の横に腰を下ろした。


「いい心意気ね。……まあ、命を落とさなければいいけど」


 その一言に、俺はまたしても胃の奥を押さえた。




 翌朝。

 まだ日も昇り切らない時間に鍛冶場へ顔を出すと、マイラはすでに鎧を着込み、剣を腰に差して仁王立ちしていた。


「ルクス! 準備万端よ! 黒曜獣なんて朝飯前!」

「いや……朝飯前に行ったら、俺たちが朝飯になるぞ」

「……たしかに」


 マイラは真顔で頷き、腹を押さえた。


「まずは朝ごはんにしよっか」

「お前が黒曜獣より危なっかしいんだが」


 俺がため息をついたちょうどその時、鍛冶場の奥から師匠が現れた。

 寝癖のついた髪を片手で押さえ、もう片方の手にはしっかり酒瓶。


「……あら、もう出るの? 早いねえ。どうせ死にに行くんだから、もう少し寝てからでもいいのに」

「やめてくださいよ不吉なこと言うの!」


 俺が抗議する横で、マイラはにっこり笑って胸を張った。


「だいじょうぶ! ルクスがいれば百人力だし!」

「おい、勝手に俺を過大評価するな……胃がもう二百人分は痛いんだが」


 俺が腹を押さえると、師匠は酒瓶を掲げてケラケラ笑った。


「ふふ、いいじゃない。弟子の苦労は師匠の酒の肴になるのよ」

「そんな肴いらないでしょ!?」


 マイラは腰に手を当て、妙に誇らしげに俺を指差した。


「でもルクスは本当に強いんだから! 昨日だって私なんて瞬殺だったし!」

「おいおい、そんなこと胸を張って言うな」


「むしろ胸を張れるのはルクスの方ね」


 師匠がにやにや笑う。


「幼馴染を瞬殺できる男、なかなかいないよ」

「いや、称賛の角度がおかしいですからね!?」


 二人に挟まれて、俺はもう何度目かわからない深いため息を吐いた。

 黒曜獣に挑む前に、確実に俺の胃がやられる気がしてならない。


「……とにかく。出発するぞ。朝飯食ったらな」

「おーっ!」


 マイラがやけに張り切った声を上げる。

 師匠はその姿を見送りながら、酒瓶をくいっと煽った。


「まあ……せいぜい頑張ってきなさい。生きて帰ったら続きを聞かせてちょうだい」


 俺は振り返りざまに師匠へと深く頭を下げる。


「ええ、必ず」


 マイラは……振り返りもせずに元気いっぱいに手を振っていた。

 村の空気はまだ冷え込んでいて、草むらには朝露が光っている。

 踏みしめる土の感触に、これがただの散歩じゃないことを改めて実感する。


「……はぁ」


 自然とため息がこぼれた。胃の奥がきしむ。

 けれど隣を歩くマイラは、胸を張って前だけを見ていた。


「大丈夫だって! 私たちならやれる!」


 その根拠の薄い言葉に、逆に少しだけ肩の力が抜けた。

 ――不安もあるが、俺はこの剣を打った。

 なら、黒曜獣を仕留める道筋は確かにある。


「……やるしかないな」

 呟いた声は、朝靄に溶けていった。



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