2. 幼馴染と師匠と、無理難題
村外れの鍛冶場。
俺は一息つく間もなく、マイラを連れて師匠のところへ足を運んでいた。
「師匠、ただいま戻りました」
返事の代わりに聞こえてきたのは、豪快ないびきだった。
戸口を開けると、酒瓶を抱えたまま炉の横で転がっている姿が目に入る。
「……また飲み潰れてやがる」
思わず頭を抱えると、横のマイラが素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっ……ルクス! その人……女の人じゃん!!」
「そうだが?」
「えっ!? だって“師匠”って聞いたから、てっきり強面のおじさん想像してたんだけど!」
「まあ、言いたいことはわかるよ……」
俺が渋い顔をする横で、マイラはじーっと師匠を見つめている。
長い栗色の髪は無造作に垂れ、片方の肩にかかっている。
鍛冶場の熱で少し乱れてはいるが、その整った顔立ちは隠しようもない。
艶やかな唇も、すらりとした肢体も、女としての色気を纏っていて、どう見ても場末で酒をあおっているような人間には見えない。
――なのに、炉の横で酒瓶を抱えて転がっているのだから、余計に落差がひどい。
「……信じられない。こんなキレイな人が師匠なの?」
「……って言葉の後に“でもだらしない”が続くのはわかってるから言わなくていい」
師匠は半目を開け、だるそうにこちらを見た。
「んん……ルクス? 帰ってきたの?」
「はい、ただいま戻りました。で、師匠、この人が――」
俺が紹介する前に、マイラが勢いよく前へ出た。
「はじめまして! マイラです! ルクスの幼馴染で、これから彼とパーティー組むことにしました!」
「……はぁ?」
師匠は半目をさらに細め、まぶたの奥からじろりとマイラを見やった。
寝起きで気怠げなはずなのに、その視線には鋭さが宿っている。
「なに? 今の話、冗談じゃないの?」
「もちろん本気です!」とマイラは胸を張る。
「ルクスはすっごく強いんですよ! だから私と一緒に冒険者やるんです!」
「……ふぅん」
師匠は上体を起こし、酒瓶を傍らに置いた。
彼女の白い指先が軽くトントンと膝を叩く。その音だけで妙に圧がある。
「弟子を勝手に引っ張り回す気? それとも、あんたが勝手に暴走してるだけ?」
「ぼ、暴走じゃありません!」マイラはすぐに言い返す。
「ルクスもいいよって言ってくれました!」
「えっ!?」
突然の宣言に俺は目を見開いた。
いや、まだいいよとは言ってなかった気がするけど……。
マイラの発言を聞いて、師匠は俺に恨みがましい視線を向けてきた。
「へぇ……」
「し、師匠……これには大変ふかーい訳がありまして」
慎重に声を掛けた俺に、師匠は答えずマイラへと顔を向ける。
「五年も村に顔を出さなかった幼馴染が、今さら?」
「うっ……そ、それは……」
マイラが言葉に詰まる。
俺は二人のやり取りを見ながら、胃の奥がキリキリしてきた。
――最悪の組み合わせを引き合わせてしまった気がする。
「ちょっと待ってください!」と俺は慌てて割って入る。
「マイラは悪気があって言ってるわけじゃ……」
「ルクス、いいから」
師匠は片手で制すと、にやりと笑った。
「面白そうだし……ひとつ試してみる?」
「試すって?」
マイラは首を傾げた。
「本当にルクスと組むつもりなら――私の条件を呑みなさい」
師匠は炉の熱を背に、ゆらりと上体を起こした。
寝起きのはずなのに、その声音は妙に重みがあって、マイラを射抜くように見据える。
「じょ、条件……ですか?」
「ええ。そうじゃなきゃ弟子を渡す気にはなれないわ」
「わ、渡すって……ルクスは物じゃありません!」
マイラが抗議の声を上げると、師匠はふっと笑った。
「言うじゃない。まあいいわ。どうせすぐに答えは出ないでしょうし」
マイラは悔しそうに唇を噛みしめる。
横で勝手に話が進んでいくことに、俺は頭を抱えずにはいられなかった。
「なあ師匠、その条件って具体的に……」
「後で。今はまだ秘密」
にやり、と意味ありげに笑って酒瓶を傾ける師匠。
マイラはじっとその横顔を見つめ――そして小さく呟いた。
「……ずるい。なんか、悔しい」
その声は俺にしか届かなかった。
何が悔しいのかはわからない。
けれど、彼女の瞳に宿った火は、容易に消えるものではなさそうだった。
マイラは腕を組み、ぐっと身を乗り出した。
「わ、私だって本気です! ルクスと一緒にやっていく覚悟くらいあります!」
「へえ」
師匠は片眉を上げる。
「じゃあ、あんたに何ができるの?」
「えっ……」
「剣の腕ならルクスに負ける。鍛冶の技術も持ってない。……で、何が取り柄?」
突き刺さる言葉に、マイラの頬が真っ赤になった。
「なっ……そ、それは! 私には……魔法だって使えるし! 度胸もあるし!」
師匠は鼻で笑う。
「なるほどね。口だけは一人前」
「くっ……!」
横で俺は胃の奥を押さえながら、必死に場を収めようとした。
「し、師匠! あんまりマイラをいじめないでください!」
「いじめてるつもりはないよ?」
師匠は肩をすくめる。
「ただ、口で言うのは簡単。問題は実際にやれるかどうか」
マイラはぐっと言葉を詰まらせた。
だがその眼差しは炎のように燃えていて、引く気などまったくなさそうだ。
師匠は酒瓶をテーブルに置き、こちらに向き直った。
「……いいわ。条件を言いましょう」
俺とマイラは同時に息を呑む。
「今、私の手元に来ている依頼があるの」
「依頼……?」
師匠はにやりと笑った。
「上位冒険者でも手を焼く魔物の素材を使って、武器を打てというものよ」
「なっ……!」
マイラは声を裏返した。
「そんなの、無理に決まってるじゃない!」
だが、俺は思わず胸を撫で下ろしていた。
「……これくらいなら、まだなんとかなる」
二人の温度差があまりに違いすぎて、場の空気が奇妙に歪んだ。
「ちょ、ちょっとルクス!? 正気なの!?」
「正気だよ。これくらいは想定内だ」
「うそでしょ……」
マイラの肩ががくりと落ちる。
そんな彼女の反応に、師匠は満足げに笑みを浮かべていた。
師匠は炉の脇に積まれた依頼書を一枚取り上げ、机にドンと叩きつけた。
「これよ。私に来ている依頼の一つ」
紙の震えに思わず身を引きつつ、俺とマイラは顔を寄せ合い、書面を覗き込む。
そこには、さらりと、しかし常軌を逸した一文が記されていた。
――『上位冒険者でも苦戦する魔物の素材を用いて、武器を一振り鍛えよ』
「な、なにこれ!?」
マイラの声が裏返る。彼女の顔は見る間に青ざめていき、震える指で依頼書を指差した。
「狙うは“黒曜獣”か“雷霊鳥”。どちらも一級品の素材を持つ魔物よ。ただし討伐難度は当然、跳ね上がる」
「む、無理よ! 普通の依頼じゃない!」
マイラは悲鳴をあげるように叫び、バンと机を叩いた。
一方で俺は依頼書をじっと睨み、そして小さく息を吐いた。
心の中では別の意味で安堵していたのだ。
――てっきりもっと無茶苦茶なものを要求されるかと思った。
これならば、師匠に叩き込まれた技術と経験を総動員すれば、まだ手の届く範囲内だ。
「……うん。これくらいなら」
「はぁ!? 正気なのルクス!?」
マイラが信じられないという顔で俺を揺さぶる。
俺は苦笑しながら彼女の手を振りほどいた。
「正気だ。師匠の稽古に比べれば、魔物の一匹や二匹……」
口にしてから、自分で胃のあたりを押さえた。
いや、実際は魔物の方がまだ優しいかもしれない。
マイラの絶叫と、俺の落ち着いた声。
そのあまりに対照的な二人を見比べながら、師匠は楽しげに口元を吊り上げていた。
黒曜獣――全身が黒曜石のように硬質化した魔獣。
その巨体と怪力は、村どころか近隣の街にとっても脅威で、討伐には上位冒険者のパーティーが必要とされる。
雷霊鳥――雷を纏い、空を駆ける大型の魔鳥。
一撃で戦士を黒焦げにする雷撃を放ち、俊敏さゆえに弓でも当てるのは至難の業。
師匠はこれのどちらか一つの素材を要求した。
「どっちにしても地獄じゃない!!」
黒曜獣の巨体を思い浮かべただけで彼女の膝が笑い、雷霊鳥の雷撃を想像すれば肩が震える。
普通の冒険者なら即座に諦める内容だ。
「無理無理! あんなのに挑むなんて正気じゃないわ!」
俺は依頼書を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「どちらも骨は折れるが、やれなくはない」
「なにその冷静な判断!? 怖くないの!?」
「怖いさ。でも、師匠に鍛えられた以上、これくらいで怯んでたら弟子失格だ」
「ひぃぃ……弟子失格とか言ってる場合じゃないって……!」
マイラが頭を抱えてわめく様子を、師匠は頬杖をついて眺めていた。
「いいじゃない。これであんたの覚悟も試せる。……さて、どっちを選ぶ?」
挑発するような声音に、マイラは顔を上げて睨み返した。
「わ、私が選ぶの!?」
「当然でしょ。自分からルクスを連れ出したいって言い出したんだから」
「くっ……!」
マイラはぐるぐると頭を回転させる。
黒曜獣の巨体も嫌だし、雷霊鳥の雷も恐ろしい。
けれどここで弱気を見せたら、絶対にこの師匠に笑われる。
「……わかったわよ! だったら――黒曜獣!」
マイラの選んだ魔物の名が、場に響いた。
師匠が片眉を上げる。
「へぇ、巨体の方を選ぶのね。雷撃よりは単純に思えた?」
「そ、そんな感じ! 雷で黒焦げになるよりマシでしょ!」
マイラは必死に胸を張るが、声はわずかに裏返っている。
俺は腕を組んで少し考え込んだ。
黒曜獣は確かに雷霊鳥よりは相手しやすい。動きは鈍重で、攻撃も力任せ。
ただし、問題はその硬さだ。村人がよく使う鉄製の武器程度では傷すら付かない。
「確かに、雷霊鳥よりは現実的だな。ただ、あれを仕留めるには普通の武器じゃ通用しない」
「そ、それならルクスがどうにかしてよ! 鍛冶師でしょ!?」
マイラが食ってかかるように言う。
「簡単に言うな……」と俺は額を押さえた。
とはいえ、挑むと決めた以上、策を立てねばならない。
師匠は二人のやり取りを眺め、にやりと笑った。
「頑張ってね。私は酒飲んで待ってるから」
「師匠、他人事みたいに言わないでください!」
俺が抗議すると、師匠はわざとらしく手を振った。
「だって私は依頼主じゃないもの。ただ依頼を紹介しただけ。結果はあなたたち次第」
いつもの師匠の態度に、俺は深く息を吐いた。
――こうして、俺とマイラは黒曜獣討伐に向けて動き出すことになった。