13. 負けられない戦い
幹部室を出ると、すぐにギルドの職員たちが動き、訓練場の使用が手配された。
俺とガイアスの模擬戦の噂は瞬く間に広まり、通路を抜けて屋外へ出る頃には、すでに多くの冒険者たちがざわめきながら集まり始めていた。
「おい、幹部相手にやるのか?」
「相手はまだ若造だろ? 無茶だって……」
「でも、あの女――ヴァレリアが付いてるらしいぞ」
視線が一斉にこちらへ注がれ、胃の奥がきゅっと縮む。
訓練場の中央には広々とした砂地の闘技場が用意されていた。
周囲の観覧席には冒険者たちが腰を下ろし、興味と好奇心の入り混じった視線をこちらに向けている。
ヴァルは腕を組んで、観客の反応など気にせず立っていた。
「大勢見物に来たじゃない。いいわね、これで勝てば名前が売れるわよ」
「俺は名前なんてどうでもいいんです!」
思わず反論すると、ヴァルは口元だけで笑った。
その横で、マイラは落ち着かない様子で手を握ったり開いたりしていた。
「ルクス……本当に大丈夫なの? 相手は幹部なんだよ?」
小声の問いかけに、俺は振り返らずに答える。
「……やるしかないだろ」
(師匠が“俺の勝敗”を条件に出したんだ。ここで引いたら、師匠の顔を潰すことになる。……絶対に退けない)
マイラは唇を噛み、観覧席の隅に足を踏み出した。
彼女の視線は不安に揺れながらも、俺の背をしっかりと追い続けている。
一方、ガイアスは砂地に立ち、ゆっくりと剣を抜いた。
鋭い金属音が辺りに響き渡る。その佇まいは無駄がなく、ただそこに立っているだけで周囲の空気が緊張に支配されていく。
「構えろ、若き弟子よ。手加減はしない」
低く重い声が訓練場に響く。
喉が渇く。足が震える。
だが――俺は剣を抜き、正面からその視線を受け止めた。
(……師匠を勝手に語るあんたにだけは、絶対に負けられない!)
観覧席のざわめきが次第に静まり、訓練場を取り囲む空気が張り詰めていく。
審判役のギルド職員が声を張り上げた。
「――これより、模擬戦を開始する! 双方、構え!」
ガイアスが静かに剣を正眼に構える。隙のない姿勢。
対する俺は息を整え、刃を下段に構えた。
(……震えるな。師匠に叩き込まれた通りだ。構えで負けたら終わりだぞ)
審判役が手を振り下ろす。
「始めッ!」
砂を蹴る音とともに、ガイアスが一気に間合いを詰めた。
速い。重い。突風のような気配が迫り、鋭い横薙ぎが俺を襲う。
「くっ……!」
反射的に剣を振り上げて受け止める。衝撃が腕を痺れさせ、足元の砂がざりっと滑った。
観覧席からどよめきが上がる。
「おい、今のを受けたぞ!」
「初撃を、あの歳で……!」
必死に食らいつく俺の耳に、ヴァルの声が届いた。
「そうそう、その調子! 足を止めるな、流せ!」
(……っ、分かってる!)
俺は歯を食いしばり、滑る砂を踏みしめる。
そのまま受け流しざま、刃をひねり返して反撃の突きを放った。
金属が火花を散らし、二人の剣が真正面からぶつかり合う。
火花が散り、砂が舞い上がる。
幹部と駆け出しの弟子――その剣が真正面からぶつかった瞬間、観覧席にざわめきが走った。
「すげぇ……押し負けてないぞ!」
「いや、まだ最初だけだ。あの差は埋まらねぇよ」
俺は全身で必死に剣を支え、歯を食いしばった。
(重い……っ! 受けるだけで腕が悲鳴を上げてる……!)
一方で、至近距離のガイアスの表情には余裕があった。
「悪くない。だが、まだ甘いな」
力を込めた瞬間、剣圧に弾かれて俺の足が砂を削り後退する。
「ルクス!」
観覧席の端で見守っていたマイラが、思わず声を上げる。
ガイアスが踏み込みを強める。
空気がびりつくような圧。剣速が一段階上がり、腕が痺れるほどの衝撃が押し寄せる。
「その程度では、私の前には立てない」
血の匂い。頬に浅い傷。
視界が揺らぎ、押し潰されそうになる――そのとき。
「ねぇルクス。――あんたから見て、あの男と私、どっちが強い?」
場違いな師匠の声。思わず目を見開く。
「なっ……師匠、こんな時に……!」
よみがえるのは過去の特訓。立てなくなるまで叩き伏せられ、なお「まだやれる」と笑って木剣を振り下ろす姿。
「……はっ、比べものになりませんよ!」
苦笑しながら叫ぶ。
「師匠の方が何倍も、容赦なくて……強いに決まってる!」
観客席がざわめき、ガイアスの眉がわずかに動いた。
一方でヴァルは満足げに口の端を上げる。
(……そうだ。俺はこの人間に呑まれてたんじゃない。雰囲気と肩書きに圧されてただけだ)
胸の奥のざわめきが消え、呼吸が整う。
「さぁ……ここからは俺の番だ!」
俺は砂を蹴り、攻勢に転じた。
横薙ぎから縦へ、縦から突きへ――流れるように打ち込み、師匠との地獄の特訓の日々を剣筋に乗せる。
一瞬、ガイアスの体が半歩後退した。
「押し返したぞ!」
「一歩下がらせた……!」
観客がどよめき、マイラが瞳を輝かせる。
(やれる……俺だって、やれるんだ!)
だが、真正面からの力比べでは限界がある。
(正面から打ち合えば潰される……! なら――!)
俺は刃を滑らせて受け流し、死角へ回り込む。
剣先を突き上げ、肩口を狙う。
「ほう……やるな」
ガイアスが低く呟き、初めて驚きの色を見せた。
「ルクス……!」
マイラが祈るように両手を組む。
息が荒く、腕は痺れている。
けれどここで退いたら全て終わりだ。
(……師匠に叩き込まれた、あの一撃を!)
反動を利用し、全身の力を込めて振り抜く。
師匠直伝――豪快さと速度を兼ね備えた必殺の一撃。
振り下ろすというより叩きつける、破壊の斬撃。
「――ッ!」
ガイアスの剣が反応したが、わずかに遅れる。
火花を散らして彼の剣ごと押し下げ、刃が肩口をかすめた。
一瞬の沈黙――そして観客席が爆発するように沸き立った。
「入った! 当てたぞ!」
「若造が勝ったのか!?」
ガイアスは数歩後退し、剣を下げる。
「……見事だ」
俺は膝をつきそうになるのを堪え、剣を握りしめたまま荒く息を吐いた。
そのとき、ヴァルが腕を組み、高らかに叫んだ。
「よしっ! 決まったわね――『剛速落とし』ッ!!」
「……は?」
訓練場中にどよめきが広がる。
「いま“剛速落とし”って……」
「名前ダサくねえか?」
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺そんなこと言ってませんから!!」
必死に否定する俺の声など、もう誰も聞いちゃいなかった。
「ルクス! “剛速落とし”、すっごくかっこよかったよ!」
マイラまで乗っかって叫ぶ。
「やめろって! お願いだから広めないでくれぇぇ!」
俺が頭を抱える横で、ヴァルは満足げに頷き、にやりと笑っていた。
(……やっぱり師匠の命名センスは壊滅的だ……!)




