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君を愛することは無い!〜新人メイドは見た。

作者: 夏月 海桜

コメディ風味です。登場人物名前無し。

6000文字弱の掌編です。

 とある侯爵家の本邸にて。

 本日は結婚二十年を迎える侯爵当主夫妻の婚姻記念日だ。新人メイドはこの侯爵家で働き出して半年程で初めての婚姻記念日である。


「なにか準備をするんですか?」


 直接当主夫妻に関われないメイドという立場の彼女とはいえ、記念日に何か催しをするのではないかとワクワクして先輩メイドに尋ねる。


「ああ……そうか、婚姻日は初めてだった?」


 先輩メイドは新人の質問にそんな答えを返す。新人メイドはコクコクと頷くと、先輩は無言でメイド長の元へ彼女を連れて行った。新人メイドは何かやらかしたか、と焦るが、先輩メイドがメイド長に。


「メイド長、新人、婚姻日初めてです」


 と報告している。

 もしや新人にも何か役割があるのか、と期待した新人メイドはメイド長から「ああ……そうなのね」と何とも言えない顔で見られた。


「この侯爵家の現在の当主夫妻は、婚姻日に特別な準備をしません。しませんがやることはあります。そのやることがダメな人は辞めていくのよ。あなたは辞めないことを願うわ」


 メイド長の言葉に新人メイドは顔を青褪めさせてしまう。準備はしないで役割を与えられる? それが嫌で辞める人がいる? そんな恐ろしいことをやらなきゃいけないのか、と思ったが。


「な、何をすればよろしいのでしょうか」


「奥様が使用人を全員集めるから、そうしたらメイドは直接主人夫妻に関われない立場だから少し離れたところで立っているの。それだけ」


「それだけ?」


「それだけ」


 新人メイドは何かの役割が相当大変だと思っていたのに、そうじゃないことに拍子抜けする。でもメイド長は深刻そうな表情で続けた。


「奥様が終わり、と言うまで一言も喋らないで表情も身体も動かさないでその場に居るの。出来る?」


 一言も喋らないは兎も角、表情も身体も動かないというのは大変かもしれない。でもそれが婚姻記念日の役割だ、とメイド長が言うのなら、そうするしかないのだろう。

 新人メイドは頑張ります、と気合を入れて頷く。


 そうして、本当に特別な料理を厨房で料理人が作るわけでもなく、飾り付けみたいなこともあるわけでもなく、ベッドに花を散らすとかそういった甘いムード演出もなく、普段と変わらない一日が過ぎて行った。


 さて。

 新人のメイドは、使用人休憩室で直接主人夫妻やお子様たちに関わることの出来る侍女や侍従の話を聞くことが出来る。

 その話によると、侯爵様は仕事は出来ないわけじゃないらしい。領地運営もそれなり。三十代後半の年齢だが若く見えるらしく、夜会では夫人や令嬢たちから秋波を送られるような、金髪碧眼の整った顔立ちらしい。

 夫人は黒髪に宝石の翡翠のような美しい目をしていて、侯爵様とは政略結婚。侯爵家が一時期借金を作ったため、その借金を肩代わりするために嫁いできた元子爵家の方だとか。明るいし、使用人を大切にしているけれど、常識的な人で、社交性もある。ご実家の家訓が「初心忘れるべからず。使用人も領民も大切に」というものらしく、侯爵夫人の自覚はあるけれど、侯爵家に嫁いできた時を忘れることなく謙虚な方らしい。

 夫婦仲は悪くなくお子様をとても大切にしているとも聞いた。

 お子様たちは男の子と女の子で仲が良いらしい。どちらも夫人に似た可愛い子だとか。


 そんな二人の二十年目の婚姻記念日。

 だというのに、本当に特別な準備をしなくていいのか、新人メイドは困惑していた。

 そして、晩餐では和やかに家族四人で食事を済まされたご様子は聞いた。新人メイドは、本当に何か役割があるのか、と首を捻る。なぜならもう一日が終わるのだ。

 遠目でお子様たち……十二歳と十歳と聞いているお二人が部屋に戻るのを見かけた。


「さて、それでは皆さまお集まりになって」


 新人メイドの耳に初めて聞く奥様の声が届く。メイドに採用する面接だってお会いしたことの無いその人の初めて聞く声は、柔らかく美しい。

 但し、その声に聞き入る前にサッと使用人が集まったのを見て、新人メイドは緊張する。先輩メイドがこっちよ、と合図してくれたのでその隣に立ってメイド長に言われた通り、動かないで喋らないで頑張るつもりだった。

 ーーそれが始まるまでは。


「さぁ旦那様。初心忘れるべからず、ですわ。二十年目の婚姻日を迎えました。本日もよろしくお願いします」


 奥様がそのように言葉をかけると、病気なのかと新人メイドが訝るほど青褪めた顔の旦那様が、奥様を見た。それから周囲を見回している。執事さんと目が合った途端に、執事さんが首を横に振った。

 え、なに、目で会話?

 新人メイドが思う間もなく侍女さんたちとも目が合ったけど、サッと目を逸らされている。メイドたちには目を向けて来ないけど、一体なに?


「旦那様、どうなさいましたの? 毎年のことではありませんか」


「やらないとダメか」


「もちろんですわ。私の両親の教えの一つが、初心忘れるべからず、ですもの。最初の気持ちを忘れて互いを思いやることを忘れたり、馴れ合いになってしまうことは避けるべき。それが両親の教えです」


 奥様のご両親様って良いことを教えてるんだなぁなんて、呑気に思っていた新人メイド。


 大げさだと思うくらい、大きな溜め息をついた旦那様に気を取られ、そちらに意識が向いたら。

 まるでヤケのように。


「君を愛することはない! 私には愛する人が居るんだ! 私の愛は望むな!」


 大声で旦那様が叫んだのを、見た。

 えっ、なにそれ。旦那様、堂々の浮気宣言ってこと? サイテー。

 などと新人メイドが思う間もなく。


「畏まりました。私、あなた様から愛を望むことは致しませんし、私もあなた様を愛することはない、と誓いますわ。それでは旦那様、どうぞ愛する人の元へいってらっしゃいませ。私は休ませていただきますわ!」


 にこやかな笑顔で奥様がそんなことを言っていたので新人メイドは、唖然と口を開きそうになる。先輩メイドから動かない、と注意されてハッとした。


 いやいや、こんな事態で動かないとか無理だよ。というか、初めて間近で見た当主夫妻の仲がこんなのってどうなの?

 アレ? 夫婦仲は悪くないって噂は間違いなの?


 新人メイドが頭の中でパニックを起こしている間に、旦那様は玄関へ足を向けて出て行く。それを見送った奥様が、パンパンと手を叩いて告げた。


「さぁ、今年も婚姻日がこれで終わりました。皆さまもありがとう。よく休んで明日からまたよろしくお願いね」


「お願い致します、奥様」


 執事さんが頭を下げるのを新人メイドは確認し、奥様がおそらく自室へ下がったのを見送ったところで先輩メイドが新人メイドに声をかけた。


「ほら、婚姻日終わったよ。よく耐えたね」


「せ、先輩、あの、旦那様と奥様って……」


 新人メイドが喋り出すと、先輩メイドは分かっている、という顔で頷いてから。


「後でメイド長から説明があるから、取り敢えず片付けちゃおうね」


 周りを見れば、みんな普段通りに行動している。よく飲み込めない事態だが、新人メイドは晩餐の片付けを終えた。

 ちなみに、新人メイドは、その片付けの最中、居た堪れない顔をした旦那様がそっと玄関から入って来たのを見かけて、執事さんが無表情にお迎えしているのも見た。


 チラリと二人のやりとりが聞こえたわけだが。


「毎年毎年コレをやるのは嫌だ」


「旦那様の自業自得です。ご自分のやって来たことが跳ね返って来ているだけでございましょう。私たち使用人の方が毎年見せられているのが嫌です。旦那様の黒歴史とやらに付き合わされる使用人の気持ちを慮ってください」


「冷たいやつだ……。私は皆の前で羞恥心を押し殺して行っているというのに」


「恨むなら結婚初日のご自分をお恨みください」


 そこで執事さんが一方的に話を打ち切ったし、旦那様が項垂れている姿も見た。新人メイドは、なんとなく先程のアレがなんなのか、分かりかけた。


 後片付けが終わり、業務終了後メイド長に声をかけられた新人メイド。


「尋ねたいことがあるでしょう」


「はい。あります。もしかして、旦那様は結婚初日に奥様にアレを言い放ったってことですか」


「そうです。あれは二十年前。まだ跡取りであった旦那様と奥様。私もその頃はこの侯爵家で働き始めて二年目でした。その頃侯爵家は前当主の大旦那様が事業に失敗して借金を作りました。何年か慎ましく過ごせば返せないわけでは無かったのですが、領民に苦労をかけたくない、と奥様の子爵家に恥を忍んでお金を借りて他の貴族から借りたお金を返済。奥様のご実家は知っての通り、お金持ちで有名な家ですから貸すのは簡単だったようです」


 そこでメイド長は深く溜め息をついた。


「奥様を侯爵夫人として迎えたい、と勝手に決めたのは大旦那様。前子爵はお金さえ返してもらえれば良かったそうで、奥様を侯爵夫人にさせるつもりは無かったのですが、侯爵に言われて逆らえないのが貴族というもの。仕方なく奥様は旦那様と婚姻しました。婚約も無しに、です。結婚式の費用も子爵家持ちで行われたのに関わらず、当時、男爵家の令嬢と恋仲だった旦那様は初夜に先程の言葉を奥様に言い渡しました。それも使用人たちが大勢居る前で」


 新人メイドは、それで使用人を集めてアレを行っているのか、と納得する。


「旦那様の若気の至りと言えばそれまでですが、夫に蔑ろにされる妻を使用人も大切にしないだろうとか身勝手なことかつ浅はかな旦那様の考えは、奥様のあの切り返しによって潰えました」


 新人メイドはメイド長の説明を聞きながら、何気に旦那様に厳しいなぁと思う。でもまぁ言っていることは正しいので指摘しない。


「奥様に反論されると思わなかった上に笑顔で愛人じゃなくて恋人の元へ行くことを推奨された旦那様は、多少唖然としていましたね。尚、そんな旦那様を見送った奥様のことを、侯爵家の使用人たちは好きになりました。だから奥様に心からお仕えしています」


 そこで話が終わりそうになってしまったので、新人メイドは気になることを聞いておくことにした。


「メイド長、お子様たちは奥様のお子だと聞いていますし、奥様そっくりらしいですが……」


「ああ、そうですね。話しておきましょう。お子様たちは旦那様と奥様のお子で間違いないです。新婚初日に愛人もとい恋人の元に行った旦那様は時々帰って来たものの、奥様とは交流されず。一年目の婚姻日も向こうに居ましたが、ここで奥様のすごさが判明します。何しろ恋人もどきの元に居る旦那様のところに恋人もどきは置いて来させて、旦那様だけ迎えをやって連れ戻してアレを再現させました」


「えっ、愛人のところに居た旦那様を連れ戻してアレを再現したのですか?」


 思わず新人メイドは、嘘っと叫ぶ。メイド長は本当です、と冷静に返す。

 奥様、凄い。

 新人メイドは一気に奥様のことが好きになった。


「そして、アレを再現した後はまた旦那様を送り出しました。その時に奥様は仰いました。初心忘れるべからず、が子爵家の家訓です、と。その後も二年目も三年目も愛人もとい恋人の元にいる旦那様に迎えをやって、アレを再現したのですが。五年目が経過した頃、後継ぎができないことに苛立った大旦那様が旦那様と奥様に問い質したところで、白い結婚であることが判明。本来ならそこで離婚してもいいはずでしたが、奥様が初心忘れるべからず。私は借金の代わりに侯爵家に嫁いで来た身ですので、借金を子爵家へ返し終わらない限りは、侯爵家におりますと言い切られました」


「奥様、カッコいいっ。そんなこと中々言えませんよ、いくら家訓でも」


 新人メイドが尊敬の顔つきになると、メイド長も深く頷く。


「大旦那様は奥様に対して、結果的に不幸な結婚を強いてしまったことを反省し、以後は奥様の味方。そして旦那様と愛人じゃなくて恋人の仲も調査をして、あることが判明しました。男爵家の娘は、他にも付き合っている相手がいて、妊娠しないために避妊薬を飲んでいたのです。下手に妊娠して、旦那様以外の子だと大変だという頭が働いたようですが」


「いや、抑々旦那様以外の男と付き合っている時点でバレたら大変でしょうに」


 新人メイドの尤もな指摘にメイド長も頷く。


「旦那様は全く気づいていなかったのです。旦那様と付き合った頃から他の男と付き合っていたようですね。それも何人も」


「うわぁ。なんかヒサン……」


 あまり主人にあたる人のことをアレコレ言えないので、新人メイドはそれで濁す。


「旦那様は大旦那様の調査によって、愛人と別れました」


 とうとうメイド長は愛人、と言い切った。


「そして奥様に謝って後継のために夫婦としてやり直したい。と旦那様は仰いましたが、奥様は初心忘れるべからずですので、あなたを夫としても男としても愛することは有りませんし、出来ません。ですが後継のことは気にしてましたし、私も貴族の娘として育てられましたから、その点は受け入れましょう、と奥様は子を産むことを了承。旦那様は奥様を妻として女として愛することはしない、とは言ってしまいましたが、子を愛さないとは言わなかったので、父親として母親である奥様との交流は辛うじて出来ているのです。尚、その後は旦那様に愛人はおりませんよ」


 つまり、お子様たちはお二人の子であることは間違いないらしい。


「旦那様、首の皮一枚で繋がっている状態ですか」


「そうです。お子様たちがいるから交流出来ている現状です。借金の返済が済んでお子様たちが成人された後はどうなるのか私たち使用人にも分かりませんが。取り敢えず、お子様たちには知られないようにして、この二十年、婚姻日のアレは欠かさず行われています。旦那様に愛人が居てもいなくても関係ないのです」


「奥様の、初心忘れるべからず、ですか」


「そういうことです。アレを見て奥様が蔑ろにされた過去を知ったメイドが過去に三人は辞めていきました。あなたは大丈夫ですか」


 寧ろ、笑いそうになりました、とは言えず、新人メイドは大丈夫です、とだけ答えた。


「旦那様ではなく奥様に誠心誠意お仕えします」


「では、これからもよろしくね」


 こうして新人メイドとメイド長の話は終わり、侯爵家の夜は更けていく。

 来年も行われるだろう、婚姻初日のアレ、笑わないで居られるかなぁなどと思う新人メイドは知らない。笑わないで見届けることが出来るようになった頃には、自分も先輩メイドとして後輩が出来ることを。

 奥様とお子様たちが幸せにしている横で、自らの行いによって、いつのまにか、女として妻として愛するようになったのに、それを口に出すことを許されないということをブツブツと独り言として溢す、旦那様の項垂れた背中を何度も見ることを。


 でも新人メイド……やがては新人じゃなくなるメイドは思うのだ。


 メイド長が言うように、浅はかで身勝手なことを言ったご自分の所為ですよ、と。


 そんないずれ新人じゃなくなるメイドは、取り敢えず今日も奥様とお子様たちのために元気いっぱい明るく仕事を勤める一日を迎える。

お読みいただきまして、ありがとうございました。


新人メイドは「婚姻記念日」ですが、他の人は「婚姻日」としているのはわざとです。

新人メイドは「記念日」だろうと思っているけれど、何をするか知っている人たちにとっては「記念日」ではなくただの「婚姻日」なので。



自分の息抜き作品です。


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