二宮絵馬の胸中告白 僕の心の中の殺人1.4話
世の中、おかしな人間もいるもんだ。
僕の記憶の中で、とびきりおかしい人間、それが瀬能杏子だ。
僕の中に、もう一人、僕がいるという事を、信じてくれている人間だ。
瀬能杏子を教えてくれたのは、僕の中にいるもう一人の僕だ。
もう一人の僕、織部巡が言うには、瀬能杏子という人物は、とても綺麗な人で、色白で華奢な体、猫の目のような丸く、大きな目、長いまつ毛。簡単に言えば、美人という言葉がぴったりくる人だそうだ。性格は活発で裏表がなく、優等生を絵に描いて歩いているような人で、実際、クラス委員をずっとやっていたらしい。
おまけに、勉強もスポーツも何でも出来る。本来ならお高くとまっていて、近づき難そうだが、人懐っこく、瀬能杏子の周りにはいつも友達が絶えなかったらしい。
・・・正直、僕はそんな人間を信じられない。そんな人間、いる訳がない。きっと裏があるに違いない。
瀬能杏子の家は、地元でも有名な超がつく、お金持ちの家らしい。白亜の豪邸だと聞いていたが、実際、そうだった。お城か?
それだけ金を持っているなら、友達だって金に釣られて集まってきた、烏合の衆だろう。
ま、瀬能杏子がどういう人物だろうと、僕には然程、関係がない。
僕の、犯人を捕まえるという大きな目的の為に、必要な人物だから接点を持ったに過ぎない。あまり瀬能杏子の人間性には重きを置いていない。
今回、瀬能杏子が必要な理由に、彼女の持つ知識が役に立つと考えたからだ。
博学なのは普段の、頭のいい彼女を見ればすぐ分かるが、うさんくさい噂話から怪談話、男の子が熱中するカードゲーム、ミニカー、サッカー、アニメ、女の子が夢中になる占い、おまじない、アイドル、ドラマ、お笑いと瀬能杏子は話す話題を欠いた事がない。瀬能杏子は知らない事がないのだ。
僕の中にもう一人、僕がいるという話をしても、瀬能杏子は驚く事は無かった。
彼女のライブラリから、きっと過去の事例を集めてきて、そういう事例もあるのだと、納得したのだと思う。
なにより適任と感じたのは、そこだ。
彼女は否定をしなかったのである。他の人は、僕を奇妙な目で見たり、可哀そうな人だと言ったり、まるで話にならない。
僕の目的はそこではないからだ。
僕が誰であろうと、僕が心の病気でうわ言をのたまわっていたとしても、そんな事は関係ない。僕の目的は一つ。僕を殺した犯人を見つける事だ。僕の事を理解してくれる仲間を見つける事ではない。
瀬能杏子は、その事を一瞬で理解し、協力者になってくれた。とても聡明な人間だと評価している。
まず、僕は事件に遭った日、いつも通りの生活を送っている。
部活動をやっていないから、授業が終われば、家に帰るだけだ。学習塾にだけは通っている。
僕の家は、学校から三十分の所にあり、かなり郊外である。見渡せば畑ばかりだ。その為、自転車で学校まで通学している。学校を出て、最寄りの商店街を抜けて、市街地に入り、そのまた奥が、僕の家のある集落である。
十五時五分に授業が終わり、友達はその足で部活に行ってしまったから、掃除当番もなかったあの日は、自宅へ直行した。
十五時過ぎの商店街の人はまばらで、込み合う時間は十六時からだ。その前に抜けてしまわないと大変な目に遭う。
商店街は、十字の形をしたアーケード街で、十字の中心を起点として、南を学校。西に市役所。東に図書館。北に駅と市街地という配置になっている。
僕が、犯人に声をかけられたのは、十字の起点近く、本屋の前だ。
本屋の前をウロウロしていて、遠くから気にはなっていた。誰も歩いている人間はいない。今、思えばこの時点で運が無かったのである。
犯人と目があった。自転車に乗っている僕を呼び止めた。
犯人は、市役所から来た。駅に行きたい、と言う。僕は、自転車を降り、駅のある方角、というか、この道を真っ直ぐ進めば駅だと指を指し、説明しようとした。
何かが体にぶつかった。その衝撃で僕は自転車ごと倒れてしまった。
体が痺れて、動かなくなった。息も出来ない。コンクリートの地面に頭をぶつけたのか、頭も痛い。体に力が入らない。オレンジ色と緑色のアーケードの傘を見上げた。どれくらい時間が過ぎたのか分からないが、花屋のおばちゃんが近寄ってきて、僕の顔を覗き込んだ。
えらい大きな声を上げた。
ぞろぞろと人が集まってきた。騒いでいる。騒いでいるが、何を言っているかまるで聞き取れない。いつの間にか耳が聞こえなくなった。
体をゆさぶられているのか、叩かれているのか、体に触らないで欲しかった。
救急車の人が来た。おばちゃんよりデカい声で何かを喋っているが、耳が聞こえないので、まったく分からなかった。
僕の織部巡の記憶はここまでで、後は、二宮絵馬という僕に引き継がれた。
犯人は、コートを着たスーツ姿の男の様にも見えたし、スポーツ用の長いコートを着た男にも見えた。見た目は青年から中年くらい。背の高さは僕より上だった気がする。
僕は、この犯人をこれまで見た事がない。初対面の人間だ。
あの時、声をかけられなかったら、織部巡のまま、人生を全うしていただろう。
非常に腹立たしい。腹立たしい犯人である。僕の人生を奪ったのだから、犯人の人生を奪ったとしても誰も文句は言わないだろう。お互い様だ。
僕は犯人に復讐しなければならない。僕はそれを行う資格がある。
資格はあるはずなのだが、当の復讐の相手が見つからない。事件が起きた日から、僕の事件と類似するような事件を探しているが、まったく見つかっていない。
文字通り、雲隠れ、霧隠れ。消えてしまったのである。
僕の事件は、素人の僕から見ても、猟奇的なものであると思う。猟奇的殺人を行った人間は、繰り返し、行うはずである。
だがしかし、犯人に繋がる情報を得られる事は無かった。
迷宮入りである。
泣き寝入りである。
僕が泣き寝入りするならまだ許せるが、僕の両親、織部巡の両親は、泣き寝入りどころではない。子供が殺されたのだ。僕は両親の為にも仇を取らなければならない。
のはずだが、どうする事もできないし、ままならない。
自分の無力さを痛感する。途方に暮れる日々だ。
だけど、思い出した。この事件に最適な人物を。この事件を解決に向かわせてくれるであろう人物を。
あらゆる物事を正確に理解しようとしている人物、瀬能杏子である。
人がバカらしいと思う事を、常に、真剣に取り組んでいる、稀有な存在である。言い方を変えれば、おかしな人間である事は確かだ。
天才と何かは紙一重と言うが、紙一重で、天才ではない方の人物であろう事は、容易に想像がつく。煙と一緒で高い所も好きらしい。
そんな人でなけば、この事件を一緒に、考えてくれる人物に相応しくない。
さて、これからどうしたものか。
手がかり一つない。瀬能杏子は新しい情報を手に入れただろうか。楽しみである。