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9/20

9人形

 メイドさんがいなくなり。魔術師の両親が帰ってきたが、すぐにいなくなり。コックさんがいなくなって。

 館の中は、静寂に満ちている。

 他に働いている人達は多くいる。けれど彼らは何も語らない。ただ規則的に自分の仕事をこなしている。

 私は朝一人で起きて、自分で身支度をして、自分でご飯を作って食べる。

 魔術師はしばらく姿を見せていない。先生も、あまり私に関わろうとしなくなった。

 コックさんがいなくなった次の日に、先生は「不自由な思いをさせてごめんね。でも良い頃合いだ。あなたは、この館を出るといい」と言いつけてきた。

 実家からの帰還の命令状という理由を武器に、先生は、私を追い出そうとする。

 そんなの、嫌だった。

 嫌だと思った。


 魔術師を探した。作業場にはいなかった。一階にも、二階にも。

 あと探していないのは、三階と、地下室。

 三階に行けば、きっと話しかけられるだろう。それを避けようとは思わず、むしろそのために、私は三階、角部屋へと向かった。




「遅かったね」

「…教えてください」

「僕が知ってることならね」


 熊のレリーフがかかった部屋。厳重に施錠された部屋から、少年の声がする。何の感情も抱いていないような、淡々とした声色。


「…先生は、何を求めているんですか?」

「前にも聞いたけど、何なのその呼び方。あっちの黒髪そう呼ばせてるの?」

「いえ、これは魔術師様がそう呼んでいたので…」

「何それ。気持ち悪い」


 容赦のない言葉を放ってから、少年は特に気持ち悪さを感じているようには聞こえない平坦な音で続ける。


「まあいいや。それでその先生が、何を考えているかって?」

「…はい」

「答えは簡単。あの白髪を死ぬまで追い込むこと」

「……」


 少しだけ予想していた答えだった。

 先生は魔術師を嫌っている。彼が何かしようとするとすぐに作業場に戻るよう指示し、彼の行動を妨げようとする。理由は、故郷をめちゃくちゃにした魔導兵器を憎んでいるから。その製作者である魔術師も。


「…ならば…どうして、他の人達も遠ざけようとするのでしょうか」

「何、他の人達って」

「メイドさんに…コックさん。それと、魔術師様の、ご両親です」

「は。何それ。彼らがここに来るわけないじゃない。貴族の典型で魔術なんて毛嫌いしているような人間なんだから」

「でも…あの人達は、魔術師様を誇りに思っておられるようでした」

「天地がひっくり返ってもあり得ない。運良く名声を得た便利な金儲けの道具とは思っていても、誇りに思うことは絶対にない。人違いじゃないの。外見は?金髪の男と黒髪の女でなければ違う人間だよ」

「合っています。金髪に、髭を生やした男性と、黒髪の、魔術師様に似た女性です」

「ふうん。そう。なら、君。さっき言ったね。先生が、彼らを遠ざけようとすると。メイド、コック、それらと同列に語った。ということは、十中八九。それは偽物だよ」

「に、偽者?」

「姿形を両親そっくりに変えたもの。で、何、君がそいつらを両親と誤認したってことは、両親を自称して、息子を自称したの?」

「は、はい。確かに、お父さんとお母さんだと」

「気持ち悪い。おままごとは幼児期に卒業すればいいのに。今更親の愛を欲しがったわけでもあるまいに」


 吐き捨てるような口調と似合わず、声は、ずっと平らに語っている。


「無駄なことばっかりして素材を浪費して。非効率にも程がある。もういいだろう。君。早く僕を解放してくれる?地下室にはまだ行ってないの」

「…行っていません」

「随分従順なんだね。でももうそんなことも言っていられないはずだ。前回あれだけ僕に敵意を抱いていたのに、相談しに来るくらい切羽詰まっているんだろう。さあ、早く地下室に行って」

「…まだ、教えてもらいたいことがあります」

「何」


 懐のお守りを握りしめながら、私は、問いかける。


「あなたは、誰なんですか?」

「最初に言ったと思うけど。あの白髪と黒髪に閉じ込められた哀れな存在」

「…名前は、ないんですか?」

「地下室に行けば分かるよ。だから早く行ってくれるかな」

「……」

「そう。それなら一つ教えるよ。聞いたら行かずにはいられないはずだ」


 何の躊躇も感慨もなく。少年は告げる。


「この家には。君を除けば人間は一人しかいないよ」




 地下室への階段は、三階の部屋と違い、何の封鎖もされていなかった。

 近寄らないで、と言っていたのに、侵入への対策は取っていないということは、警戒する意味もないということだろうか。それとも、忠告した相手が本当に近寄らないと、信じていたからだろうか。


 薄暗い階段を、一歩一歩降りる。歩く度に靴音が響く。初日にメイドさんが用意してくれた真新しい靴。歓迎すると言っていた通り、彼らは私にあらゆるものを施してくれた。

 階段を降り切って、辿り着いたのは鋼鉄の扉だ。恐ろしい竜の姿が刻まれている。

 施錠は、されていない。しかし、何故か取っ手を押しても引いてもびくともしない。

 ひんやりとした彫刻の表面に触れたところで、背後に気配がした。

 誰なのかは見なくても分かる。


「…ここから離れなさい」

「……」

「早く、逃げろと言っただろう。どうしてまだここにいるんだ。君は…こんな場所にいるべき人間じゃないと、何度言ったら分かってくれるんだ」


 何か大きなものを押し殺しているかのような、低音。

 振り返る。黒髪に、仮面を被った男性。

 黒い髪。かつて会った魔術師の両親は、偽者ではあるが、姿はそっくりに変えられたもの。

 魔術師の母親は、黒髪だった。

 彼と同じ。


 腕を伸ばして仮面を取る。抵抗されることもなく、すんなりと外れた。


 あったのは、茶色い瞳を持った、魔術師とそっくりな顔だった。


「…あなたが…唯一の人間、だったんですね」


 いくらパーツが同じでも。彼の眉間には深く皺が寄り、唇は今にも震えそうに引き締められていて。いつも明朗で笑顔な魔術師とは、別物だった。

 けれど、彼の低い声は、かつて聞いた魔術師の低音の朗読と、同一のものだ。


 先生は、私以外で存在するただ一人の人間。どういうことなのか、原理も、訳も、辻褄も、分からないけど。

 魔術師と同じ顔をした先生が人間だとするなら。

 じゃあ、あの白髪の魔術師は、一体何者なのか。


「人形だよ」


 背後から明るい声がした。重い扉の隙間から、魔術師が顔を覗かせている。

 全身が出てくる。若々しい青年の肉体。考えてみれば妙だ。大戦が終わってから、もう十年に近い。彼が魔術師ならば、彼は私より年少の頃に魔導兵器を開発したことになる。敵を圧倒し、戦況を覆して劇的な勝利をもたらした奇跡を。


「やあやあ、随分久しぶりだねライラくん!顔が見られて嬉しいよ」

「…あなたは…人形、だったんですね」


 魔術師は笑顔で私を見つめた。それから、私の後方にいる先生に視線を投げる。


「なるほど?」

「…エルム」

「うんうん、そうだよ!僕は人形。そこにいる先生が作ってくださった便利な助手くんさ!全くもう先生ったら、バレちゃうなんて詰めが甘いんだから!」

「エルム」

「でもでもこうなったからには仕方ないよね」


 指輪を光らせ、魔術師は軽やかな動作で腕を伸ばした。強張る先生の手を取り、彼の指輪を引き抜いていく。


「エルム、お前」

「ねえねえライラくん。聞きたいことがあるんだ」


 名前を呼ぶ先生の声を遮り、魔術師は私に横目を向け、長い白髪を傾げる。


「君は、僕と先生、どっちが好き?」

「…そんなの…」

「やっぱり先生かな?優しいもんね、先生。ずっと君を気に掛けてたもんね。反面僕は君に何をしてあげられただろうか、ああっ胸が傷む…!」

「あなたです。あなた以外に、いるわけないじゃないですか」


 私の言葉に、魔術師は瞬きをした。笑顔が少しだけ歪む。


「わあ嬉しい!人形の僕でも愛してもらえるんだね!本当にいいの?人形だよ?」

「人形のあなたが、好きになったんです。それに、私は…人形が好きですから」


 母がくれた唯一の宝物。読み聞かせてくれた絵本の主人公は、人形だった。

 ずっと懐に携え、支えにしていたお守りも、毎夜人形に姿を変え遊び相手になってくれた。

 彼は返答に一瞬視線を伏せ、それが何を意味しているのか考える暇も与えず私の手を握る。


「そっかあ!ありがとう!てことは人間の先生はお役御免だ、というわけで先生!今度は先生がこの地下室に入る番だね!」

「…エルム」

「大丈夫、ちゃんと上手くやるよ。だってそうでしょう?今まであなたに従っていたのは、あなたが正しいから。でもそれはあくまで、僕に比べればの話。彼女という人間が現れた以上、あなたが絶対的に正しく、従わなければならないという定義は崩れた」

「…馬鹿なことを…お前は…本当に、そう思っているのか。僕を閉じ込めて、それで成り立つと?」

「僕にはライラくんがいる。僕が間違いそうになったらこの子が僕を正してくれるに違いない!だから何の心配もいらないよ」

「お前は、自分が何をしたのか、忘れたのか」

「やだなあもう、時効だよきっと多分おそらく」


「ふざけるな!!」


 怒号が、した。


 先生ではない。彼は、険しい顔で佇んでいる。


 荒々しい声は、鋼鉄の扉の向こうから、聞こえてきた。

 一息もつかず、底知れない怒りを叩きつける。


「心もないお前が、ただ人の姿をしているだけのお前が!のうのうと生きる資格があると思っているのか!!」


「うわあすごい威圧感。怖い怖い、早く退散しようライラくん」

「…はい」


 魔術師は、ずっと硬直している先生を扉の隙間から強引に中に押し込む。重い音を響かせて扉は閉ざされた。

 白髪の魔術師に手を引かれ、私は階段を上っていく。

 振り返ることはなかった。




 魔術師は、作業場に近付かなくなった。

 昼夜取り組んでいた魔道具作りを放棄し、ずっと私といてくれるようになった。


「僕は先生に言われて、誰も家に入れることなく、一人引きこもってお仕事していたけど、本当は人間が大好きなんだ。いっぱいお喋りしたいし、お客さんを招きたいし、直に顔を見たいんだよ」

「どうして、人間を好きになったんですか?」

「だって、人の笑顔って素敵でしょう?」


 どうしてそう思うようになったかは、忘れちゃったけどね、と魔術師は笑った。

 彼が先生に作られた時のこと、どうして彼が先生に嫌われるようになったのか、何故魔道具作りを使命とするようにされたのかについて、彼は語ってくれることはなかった。

 何も分からずとも、彼が笑いかけてくれるから、それで良かった。


 朝起きたら彼が椅子に座って私を見つめている。私の寝顔を見守っていたらしい。恥ずかしい。彼は人形だから睡眠は必要ではないのだろう。

 私の髪を、彼が梳かしてくれた。彼自身長髪な上、昔に少し髪結いの体験をしたことがあるそうで、まるでその職の人のように手慣れていた。「君もやってみる?」と、私も彼の髪の毛で試させてもらったが、手触りが良いことしか分からず野生動物の尾のような髪型になってしまった。けれど、彼は楽しそうに笑っていた。

 彼と一緒にご飯を食べる。「ものを食べられるんですね」「僕は特別製の最高傑作だからね!」と言う。彼はご飯も作れる。コックさんに全く引けを取らない腕前でとても驚いた。彼はニコニコしながら私が食べるのを眺め、自分も全く同じ速度で口に運ぶ。他愛のないお喋りをしながら、同じものを食べて笑う。夢のような時間だった。

 …かたわら。人間である先生は、地下室に閉じ込められていて、ご飯を食べられない。そのことが気に掛かっていると、「あー地下にも備蓄があるから大丈夫だよ」と教えてくれて、少し安心した。

 ご飯を食べたら、魔術の授業。彼は先生にも劣らず教えるのが上手い。私が魔術を披露すると、天才だと褒めそやした。

 午後はボードゲームで遊ぶ。ルールを知らなかったけど、一から丁寧に解説してくれたからすぐに相手ができるようになった。

 夕方は庭に出て植物に囲まれながら本を読む。何も難しいことの書かれていない大衆小説。顔を寄せ合っていちいちああだこうだと突っ込みを入れながら二人でゆっくり読み進めていく。

 夜は月明かりの入る部屋で、魔術師が演奏する楽器に聴き入る。彼は本当に何でもできる。人形なんだから、当然なのだろう。

 眠りにつく前に、絵本を読み上げながら小さな人形を動かす。彼は私の子供じみた習慣を笑うことなく、台詞を二人で分担したりして、一緒に物語をなぞる。記憶が蘇って不意に涙ぐむと、かつてのように優しく微笑んでそばにいてくれる。


 あまりにも満ち足りた時間を、何日と過ごした。

 終わりは唐突に訪れた。


 目覚めたら、彼が床に倒れていた。




「…ごめんね。何だかガタが来ちゃったみたいだ。少し休めば良くなるからね」


 そう言いつつも、彼の目に光はない。焦点も虚で、見えていないかのようだ。


「…ごめんね、ちょっとよく見えないんだ。休憩すれば大丈夫だからね」


 目が、正常に機能していない。


「…ごめんね、関節の油が切れたのかな。待っていれば勝手に治るからね」


 体が、思うように動かない。自力で移動するのも難しい。


 泣きそうになるのを歯を食いしばって耐えながら、私は彼に寄り添い支え続けた。


 やがて彼は、ベッドの上から動かなくなった。


「治し方を、教えてください。私の魔力なら、全て捧げます。だからどうか」

「ごめんね。僕は特別製だから、魔力じゃ治らない。大丈夫、時間が経てば、全部なんとかなるから」


 嘘だった。何日経っても、魔術師は動かない。どころか、意識すら朧げだった。

 否、意識はある。正確に言うならば…何に対しても、反応しなくなった。

 ただじっと虚空を見つめて、無表情で横になっている。私が何を話しかけても、返事をすることは、なかった。




 ある日、鈴が鳴った。来訪者を館中に知らせる鈴だ。


「あっやっぱりまだいた!もう、お姉様ったら、返信がないから死んだのかと思ってたのよ!」


 現れたのは、とても見覚えのある金髪の少女。

 追い返そうと構える私に、彼女の後方で氷のような目をした男が告げる。


「魔術師が倒れたらしいな。やはり、お前の存在がどれだけ害悪か証明されたわけだ」


 どういう意味か問う前に、男は解を淡々と導く。


「お前が幸福を感じれば周囲の者に不幸をもたらす。英雄と讃えられた魔術師であっても、その呪いからは逃れられなかった」


 息を飲んだ。あまりにも身に馴染んだ論理で、最近は、薄れていた危機感だった。魔術師の虚な顔が浮かぶ。彼は、私が関わらなければ、活動を停止することはなかった。


「お前の幸福は、人を不幸にする。お前は、自らが不幸でいなければならない存在だと、自覚すらできていなかったようだな」


 その宣告は、私の胸に深く突き刺さり、決して振り解くことのできない定めを悟らせるのに十分だった。

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