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8崩壊

 そろそろだよ、と魔術師が明るい声で告げた。

 私は深呼吸して彼らの登場を待つ。

 やがて館の中に鈴を鳴らすような音が響く。驚く私に魔術師は「付近に来訪者があると知らせてくれるんだよ」と教えてくれた。私が来た時もそうだったのだろうか、だから門に触れたその瞬間に先生が迎えて来たのだろう。


 魔術師は朗らかな笑みを崩さない。その傍に立つ先生は、仮面に覆われどんな表情をしているか窺い知れない。

 先日彼から託された手紙の存在を必死に頭の隅に押しやりながら、私は玄関を見つめる。


 盛大な勢いで扉が開いた。


「ただいま息子!今回もだまくらかしてきたぞい、崇めよ!」

「おかえり父様!」

「素材は倉庫に放り込んできたザマス、良い品揃えてきたザマスよお〜!」

「助かるよ母様!」


 供の者もなく現れた、貴族のような服装をした二人組。

 一人は、立派な髭を蓄えた、恰幅の良い男性。髪は金色だが、目は魔術師と同じ茶色だった。胸には国花の勲章が燦然と輝いている。

 一人は痩身の女性。髪と目はどちらも黒だが、端正な顔つきは息子そっくりで、一見怜悧そうな相貌なのに彼と同じく言動は限りなく陽気だった。

 息子と再会を喜び合ってから、二人は私へと視線を向ける。一呼吸の後、頭を下げて挨拶を口にする。


「初めまして、ライラと申します。魔術師様のご厚意によりこの館に滞在させていただいております」

「うむうむ、儂は寛大じゃからな!許してやろうぞ!しかしこの天才に見初められたからには謙虚は悪じゃぞ〜!」

「何ザマス、その地味〜な格好は!さては部屋の服を無視して箪笥から見繕ってきたザマスね!メイドの教えを無視するんじゃないザマス!指輪も髪飾りもじゃんじゃん施すザマスよ〜!」

「あ、ありがとうございます」


 事前に聞いていた通り、押しが強い。

 男性に肩をバンバン叩かれそうになり(先生に防御された)、女性に豪奢な装飾品を押し付けられ、私は何とか礼を述べる。


「さてさて!お父さんお母さん。長旅で疲れたでしょう。存分に先生に慰労してもらってください」

「出来の良い息子を持って感涙するぞいファッファッファ!」

「凝りを取るザマスよ〜オーヒョッヒョッヒョッ!」


 特徴的な笑い声を上げた後、唐突に二人は仮面を持ち出した。ご主人は獅子の顔を模したもの、奥方は狐の顔を模した仮面。何の言及もなくそれを被ると、無言の先生に連れられて二人は館の奥へと消えていった。

 魔術師がふう、と息を吐いた。


「顔合わせお疲れ様でした。うざくなかったかい?」

「ま、まさか!」

「良かったー。そう言っていただけて安心しました。これからもどんどん掛け合いしていくことにするよ!」


 にっこりと見下ろしてくる魔術師に、恐々と質問を投げかける。


「あの…聞いてもよろしいでしょうか」

「何かな?君の疑問にならお答えしましょう何にでも!」

「どうして、皆さん仮面を被っているんでしょう…?」


 先生も、コックさんも、今はもういないメイドさんも、館で働く他の人達も、あの夫妻も、皆、仮面を持っている。

 魔術師以外は、全員。

 うーん、と唸り、魔術師は顎に手を当ててから、満面の笑顔で告げた。


「顔が見たくない。嫌になるんだよね」

「えっ…」

「だから隠してる。他にも理由はあるけど主立った目的はそれかな」


 何の躊躇もなく述べると、魔術師は「ご満足いただける回答ができたかな?」と白く長い髪を揺らして首を傾げる。


 顔も見たくないほど嫌っている、という。けれど魔術師からは嫌悪感の一つも感じ取れない。

 私は知っている。心の底から嫌っている相手への感情というのは、どれだけ隠しても滲み出てくるものだ。どれだけ優しそうな人でも、慈悲深そうな人でも、自分に被害を及ぼしかねない得体の知れない生物を前にすれば、遠ざけようと手を尽くすものだ。

 かつて、何度もそんな顔を遠巻きに見た。

 魔術師は、彼らとは違う。何も感じられない。嫌悪も憎悪も。

 それは、私の勘違いでしかないのだろうか。

 答えのない悩みを払うように頭を振りながら、私は「答えてくださってありがとうございます」と礼を伝えた。


「ところで。新しい材料も入荷したことだし、僕は今日から作業場にこもりっきりになります。何かあったら先生かコックさんに…ううん、先生に言うんだよ。君を守ってくれるからね」

「…分かりました」


 魔術師はいつも気にかけてくれる。しかし、そうそう問題は起きないだろう。気掛かりなのは、実家からの命令状だけなのだから。




「なんじゃいなんじゃい、儂の嫁になれば安泰じゃというのに断るというのかこの贅沢者め!」

「あ〜ら何言ってるザマス、本人の意思なんて関係ないザマショ、外堀埋めて婚姻届出せばそれで万事解決ザマスよ〜!」

「やはり天才…!実家はどこじゃったか、ルズベリーとかいう伯爵じゃったか?泣いて喜ぶじゃろうて問題無しじゃな!」


 問題大有りだった。

 現在、私は魔術師の父親である男性に、求婚されていた。

 意味が分からない。

 もう一度言う。読書してたら、客間に押し掛けられて、求婚されていた。彼の妻である女性の前で。何故か乗り気である彼女に逃げ場を塞がれて。

 意味が分からない。


「ご、ご主人には、奥様がいらっしゃるでしょう?」


 昔、教会との清掃活動中に、風に乗って流れてくる噂で聞いた。救国の魔術師は愛妻家で、常に妻と思わしき女性と行動している。実際には彼は魔術師ではなく、魔術師の父親。魔道具の交渉役として動いている彼が魔術師だと誤認されていたのが噂の真相だったわけだ。

 とにかく、彼は妻帯者である。立派な息子もいる。

 それがどうしてこんな求婚など。


「まあそう思われるようにやってるから仕方ないが、そんなの気にするな!大事なのはこの儂がプロポーズしているという事実!儂に見初められて嫌な女なんかいないじゃろ〜!」

「こ…困ります…!」

「なーにが不満なんじゃ、儂こう見えてめっちゃ高貴じゃぞ?公爵の血筋じゃぞ?王族に続いて偉いぞ?」

「えっ…」

「あ〜ら気遅れする必要ないザマス、少年時代に勘当されてるから実質平民ザマス〜!」

「でも英才教育受けてたし?色んなこと挑戦して人並み以上にこなせたし?剣技も座学も兵術も歌舞もその他諸々ぜーんぶ上級とかいう才能の塊じゃからの〜!」

「見合い相手も王様に何人も紹介されたザマスよね〜!関係築きたいからだろうけど」

「こーんな勲章まで授与されたしの〜!昔拷問したのを有耶無耶にしてご機嫌取りたいからだろうけど」


 予想もしなかった事実を前に言葉を失う私をよそに、ご主人と奥方はきゃっきゃっと会話し続ける。


「欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる、その心意気が大事ザマスよ〜!あっせっかくだし新婚旅行で各国巡るのはどう?いーっぱいお買い物するザマス!」

「素性がバレて大戦の英雄って皆から崇められたりとか!とーっても楽しそうじゃの〜!やっぱり外に出ないと駄目じゃよ人間!早速あのバカを引っ張り出してこようぞ!」

「オーヒョッヒョッヒョ!未来に希望が湧いてきたザマス〜!」


 仮面の二人はじりじりと距離を詰めてくる。見事に作られた獅子の顔と狐の顔が恐ろしい。

 思わず懐のお守りをぎゅっと握りしめたところで、後方から空気を凍らせる吹雪みたいな声が届いてきた。


「一度、鎖でもつけないと分からないようだな」

「キャーッ出た出た!毎度毎度うるさいザマスね〜!」

「お前がいるから面倒なことになるんじゃよお邪魔虫めえ!もっと欲望のままに行動するのが人間というやつじゃろがい!」

「遺言はそれでいいのか」


 現れた先生は、地を這う低音で尋ねる。二人は顔を見合わせ、恐る恐るといった調子で問い返す。


「あの…まさかとは思うけど…」

「わ、私達には何もしないザマスよね?とーっても大切なお出かけ役ザマスよ?いなくなったら困るザンショ?」


「お前達の代わりなど、いくらでもいる」


「えっ…そんな馬鹿な…」

「た、ただでさえメイドがアレで崩壊寸前ザマショ!?そこに追い討ちをかける気ザマス!?」

「そうじゃそうじゃ、見よこの姿!儂らエルムの親ぞ!めっちゃ偉いぞ!公爵じゃぞ!?」


 必死で訴える二人を無視して、先生は私に近づいてくる。紋様の入った仮面で見下ろし、「怖がらせてごめんね」と何よりも優しい声で気遣った。

 そうして私を背後に庇い、二人に向き直ると、また絶対零度の声色で命令する。


「どうなろうと関係ない。お前達が今、彼女を、脅かしたのが、何よりの問題なんだ」


 噛み締めるような言い方に、二人はわたわたと両手を挙げて降伏の意を示した。


「冗談冗談!」

「もうしないもうしない!」


「自制ができるなら、最初からこんなことにはなっていなかった」


「それはそうだけど…」

「い、いや待って!メイドの例を考えるザマス!アレは確かに悪い例だったザマス、もう取り返しのつかない壊れ具合!でも私達はそんなことないザンショ!?見てこの華麗な動き方!流暢な喋り具合!どう見ても完璧!」

「うむ!見るがいいこの足捌き!ダンスもバッチリ、乗馬もできちゃう!」


 ワンツーと二人は組み合って社交ダンスを披露する。ぴったり息の合った絡繰みたいに正確な動きに、それでも先生は首を振った。


「何度も言わせるな。お前達はもう、自由にさせない」

「あっこれ確定のやつだ」

「なんてこと…」


 肩を落とす二人の両腕を取り、先生は彼らを連行していく。

 最後に、私に顔を向けた。


「…君は、何も気にしなくていいからね」


 それにどう返答するか考える暇もなく、扉は閉ざされた。




「お腹が空いたなあ…」


 コックさんが詫びしそうに呟く。

 魔術師は相変わらず一緒に食事をとることはない。彼の親である二人も、先生に連れて行かれてから行方知れずで、何の変化もなく私は一人でご飯を食べている。

 いや、コックさんが見守ってくれているから、正確には孤独ではないのだけど。でも、彼は、ものを食べない。一度だって、彼が何かを口にしているのを見たことがない。厨房で料理をしているのを見学したことはあっても、彼が何度も口にする欲求を満たす行為を、私は見たことがない。


「…一緒に、食べませんか?」


 勧誘にも、彼は首を振って否定する。

 ただの口癖なんだ、気にしないでいいんだよ、と、優しく拒絶する。


 彼は、この館にいる人達のことをどう思っているのだろうか。主である魔術師のことは、彼の両親のことは、同僚であるメイドさんのことは、先生のことは。

 聞くか聞かないか、頭を悩ませていると、コックさんの方から聞いてきた。


「…美味しくないかい?」

「お、美味しいです!」


 悲しそうな声で一気に罪悪感が湧き上がる。

 今日のメニューは鶏肉をトマトとチーズで煮込んだものにシーザーサラダとロールパン。ローストビーフにマッシュポテトとマリネにゴロゴロ野菜の入ったスープもある。魔術師の両親が買い物してきたため食料が補充され大盤振る舞いなのだという。一人では食べ切れないほどだ。

 食べることに集中する。せっかく私だけのために作ってもらったもの。他のことを考えながら心ここに在らずで嚥下するだけなんて、あまりにも贅沢だ。

 無心で食事を堪能する。コックさんの雰囲気にも明るさが戻ってきた。


「ありがとうねえ。君が食べている姿を見ると心が洗われるようだ」

「こちらこそ…いつも、ありがとうございます」


 毎日、毎食、コックさんは私にご飯を作ってくれる。温かくて美味しいご飯。経験したことのない、温もりに溢れた食事を欠かさず提供して、時には無知な私に料理の名前と作り方の解説もしてくれる。こんなにありがたいことがあるだろうか。

 時間はかかったが全て食べ終えた。一息ついて、再び感謝をしようとして顔を上げ、異変に気づく。


「…ああ…もう無理だよこれ…限界だよ」


 コックさんが豚の仮面を伏せ、そのまま膝をついた。血の気が引いて駆け寄る。肩に触れ、どこか体の具合が悪いのかと言葉にしかけて、異様な感覚に囚われる。

 何か、強烈な違和感がある。体の芯がぞわぞわするような、強大な何かがすぐ近くで息を潜めているような、不可解な気配。

 頭を振る。今はそんなことを考えている余裕はない。コックさんの体調が最優先だ。


「大丈夫ですか!?どこか痛いですか?今、他の人を…」


 そっと。手を取られた。彼はいつも手袋をつけている。料理人だからそういうものなのだろうと思っていた。

 布越しでも分かった。

 ぞっとするほど冷たい手だった。


「…ごめんね」


 謝罪を口にした。何に対するものなのか聞く前に、彼は引き剥がされる。


「…ちょっと遅かったねえ」

「……」

「ごめんね。君はいつも大変だ。他の子の面倒も見ないといけないのに、ボクまでいなくなったら、本当に一人になってしまう」

「…何を言っているんだ」


 先生は、コックさんの腕を捕まえながら、低い声でぽつりとこぼした。


「最初から、ずっと一人だよ」


 素直に彼に従うコックさんを、部屋の外へ連れ出していく。今度は、先生は私を一瞥もすることなく、その代わりのようにコックさんが私を見つめていた。


「ライラくん。君はとても良い子だ。僕の料理を美味しそうに食べてくれた。幸福を、僕に与えてくれた。君は、人を幸せにできる、幸せになるべき子だ」

「コックさん…」

「どうか、忘れないで」


 仮面を被せられていて彼の顔は見えない。けれど、その言葉が嘘ではないのは、嘘だと疑うことがあまりに不誠実であることは、痛いほど分かった。


 次の日から、コックさんは、どこにも姿を見せなくなった。

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