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7暗雲

 コックさんとメイドさん以外の使用人と、私は交流したことがない。

 彼らは自分の領域がきっちり決められているようで、無駄な動きをしない。私と関わってはいけないと厳命されているかのようだ。

 今回も彼らが行き交うのを横目に廊下を歩く。すれ違い様にお辞儀しても反応はない。視界に入っていないのか無視されているのかどちらなのだろうとぼんやり思った。

 ふと目に映る。おそらく魔術師の研究資材であろう分厚い本を抱えてぎこちなく歩く小柄な人。二階への階段を登っているが、本で塞がれて前が見えていない。

 あっと思う間もなく躓いた。持っていたもの全てを落とし、自身は階段を転げ落ちた。

 血の気が引いて駆け寄る。


「大丈夫ですか?」


 反応はない。

 何の声を出すことなく固い動作で立ち上がると、周囲に散らばる本を集め再び階段を登ろうとする。

 ひょっとして、もしかしたら、私の感情の代償が始まったのかもしれないと思うと放っておけなかった。


「も…持ちます」


 半分を取り上げてみた。反応はない。真っ直ぐ前を向いて階段を歩いていく。

 少し遅れてその背に続いた。

 小柄な人だ。髪の毛は短いが、男なのか女なのか判別がつかない。

 二階を通り過ぎて三階に上がり、辿り着いたのは本棚のずらっと並ぶ一室。書庫で間違いないだろう。その人は空いているスペースに本を置くと、無言で歩き去っていく。

 私も持っていた本をその隣に入れ、慌てて後を追おうと書庫を出たところで、声が聞こえた。


「無駄なことしてるね。そんな暇があるなら差し入れでもしてくれるかな」


 くぐもった音。扉越しだ。

 書庫の隣、ではない。もう少し距離があった。


「こっちこっち」


 さっきの人の動向も気になるが、目を話した隙に彼の姿は影も形もなくなっていた。諦めて声のする方へ進む。

 三階の角部屋。ひっそりとした場所から、声は届いていた。

 感情の起伏の少ない、声変わりもまだな同年代の少年の声色だった。


「やあ。初めまして」

「…初めまして。ライラと申します。あなたは…?」

「あの白髪と黒髪に閉じ込められた哀れな存在。だから助けてくれると嬉しい。そのドア開かない?」

「…鍵が、かかっています」


 熊のレリーフがかかった古びた扉には、大きな錠前が付けられている。触るのも躊躇するほど厳重な堅牢だった。


「ふうん、本当に無駄なことするな。馬鹿馬鹿しい」

「…あなたは、どうして閉じ込められてしまったんですか?」

「さあね。人間って突拍子もないことを思いつくから。愚策をまるで名案みたいに盲信したりとかね」

「…魔術師様と…先生は、あなたに何か説明をしなかったんですか?」

「する必要もないから。それより気になる。君は喋るのが嫌いなの?」

「えっ」

「話し方が辿々しい。声と口調が合っていない。ひょっとして体だけ成長してて中身は幼児なの?」

「…ち…違います」


 話すのが下手なのは、慣れていないからだ。ずっと人と関わらないようにしてきた。主張せず、自我を砕き、感情を抑圧するのに精一杯で。

 あらかじめ備え付けた文言でなければすらすら話すことさえ出来ない。

 惨めさを改めて突きつけられて俯き、深呼吸をする。

 淡々とした声は止まらない。


「そう。じゃあずっとびくびくしているのはそういう性格な訳だ。どういう育てられ方をしたのか知らないけど、損だから早く改めたほうがいいんじゃない。あるいはわざと愚鈍な振りをして相手の油断を誘う手もあるね。何事も使い方だよ」


 澱みなく解説すると、声は、私の反応を待つことなく次の話題に移った。


「まあいいや。暇なら地下室を開けてきてよ。そうしたらきっと全部どうにかしてくれるから」


 地下室。

 初日に、魔術師に言われた言葉が蘇る。地下室に近寄らない。それだけは守ってほしい、と。

 応答の隙間から私の思考を読んだように、声は述べる。


「ああ、ひょっとして近寄るなとでも言われた?気にすることないよ。どうせいつかは崩壊するんだから。後回しにして手がつけられなくなるよりも、先に対処しておく方がよほど賢いと思うけどね」

「…地下室に…何があるんですか…?」

「さてね。それは自分の目で確かめてみるといいんじゃない」


 誘導だ。向こうにいるのが誰なのかは分からないけど、肌が粟立つような気配はずっとしている。

 私は後ずさり、「失礼します」と声をかけると、その場を立ち去るべく背を向ける。


「そう。困ったら相談しにきなよ。少なくとも奴らよりは有益だろうさ」


 平坦な声も聞かなかったことにすれば良いと、ただひたすら前を目指して走った。




 黄土色の巨人が現れ消えてから数日。私は魔術師と一度も会っていなかった。

 その代わり、コックさんとメイドさんが何かにつけて気にかけてくれる。お腹は空いていないかい、お洋服は気に入ったかしら、頑張って作るから好きなものを言っておくれねえ、おすすめのお化粧の仕方を教えてあげるわ、などなど…。

 とてもありがたくて、何か恩返しをしたい旨を口にしたら「ここにいてご飯を食べる姿を見せてくれるだけでとても嬉しいんだよ」「ずーっとここにいてね、高望みはやめるから、それだけはお願い」と言ってくれて、言葉もなかった。


 先生は、私に初歩の魔術を教えてくれる。魔術師の作業場にほど近い雑多な部屋、研究室にて、あらゆる種類の魔石が付属した杖で、魔術を実践している。

 最初は火。続いて水。今日は風。次回は、土を操る魔術。

 先生は「こんなに早く上達した人間を他に知らない」と驚き、「あなたにはとても素晴らしい才能がある。発揮できる環境に行けばさぞ活躍できるだろう」と褒めてくれた。

 言外に、外国の魔術団体なら歓迎してくれる、と勧めていた。


 先生は、私がここにいるのを好ましく思っていない。

 館にやってきた当初から分かっていたことだ。本人も、「早くここから逃げなさい」と初日に通達していた。

 魔術師は大罪人だと、彼に心を許していけないと忠告した。

 でも、分からない。何故なら魔術師は、私に何もしていない。来る前に想像していたみたいに、魔術の実験体として非道な扱いをしたがる訳でもなく、厚かましく居座る私を内心疎んでいるというのも違う…だろう。

 魔術師は、私に何をしたいのか、させたいのか。知りたい。それが本当に先生の言うように「酷い目に遭うこと」だったなら、納得もできるのに。


 先生は、魔術師も嫌っている。

 確かに、彼にとって残酷なことをしたのだろう。魔導兵器を作り、彼の故郷をめちゃくちゃに荒らした。けれどそれは、戦争に勝つための手段。現実に魔術師は勝利をもたらし、英雄と呼ばれている。

 大罪人というのも分からない。黒い噂は流れているが所詮は噂。兵器や怪物を大量に生産している様子もない。先生の言うことにも非常に素直に従い、人々の幸福のために働き続けている。


 それなのに、先生は彼を絶対に認めようとしない。


 私では考えの至らないことが多過ぎる。

 近頃は、何か情報がないかと書庫にこもっている。魔術の教本を読む名目だから先生も否とは言わない。

 三階の角部屋に近寄らないようにだけ、している。




「やあやあライラくん!調子はどうかな?」


 昼下がり、突然に魔術師は食堂に現れた。

 「コックさん、ちゃんと美味しいもの食べさせてあげているみたいだね、感心感心!」「美味しそうに食べてくれるからやる気が湧くんだよ」「いやあライラくんは本当にいい子だねえ」と、今まで顔を合わせていなかった時間などまるでなかったかのように親しげに話しかけ、変わらない笑顔を振り撒く。

 心が上向くのを自覚しながら「私の方こそ、とても良くしていただいています」と答えたら、「うんうん、それは重畳!ところで今日はお知らせにきました」と躊躇もなく本題に入る。


「近々僕のお父さんとお母さんが家に帰ってきます。悪人じゃないとは思うけど、話しててうざったいと申し訳ないから先制の警告です!」

「ご…ご両親は、一緒に住まわれているんですか?」

「あんまり家にいないけどね!二人は魔道具を売るお店屋さんとの話し合いとか材料のお買い物をしています。色んな人と関わるから弱気じゃ務まらないんだよね!」


 しゅっしゅっと口で言いながら魔術師は空中に数回拳を打ち出す。臨戦体勢というやつだろうか。

 つまりは、外交役。彼の言い振りだと、ご両親は結構押しの強そうな方々のようだ。

 この館は、魔術師が大戦後に買って住み始めたもの。その時に一緒に移住したのだろう。


「不安かな?大丈夫、何も緊張することないよ!彼らはちょっと滞在したらまた出立するし、君は堂々とここに構えていればいいんだから!」

「…はい…でも…できれば、仲良くなりたいです。魔術師様のご家族なら、尚更」


 うまくやっていけるだろうか、と少し不安が滲んでくる。手が懐を探ってお守りの滑らかな表面に触れる。

 すると、魔術師は身を屈めて私の瞳を覗き込んだ。久しぶりに距離を詰められて思わず息を飲む。


「…ありがとう」


 茶色の猫目を細めて囁くように言ってから、パッと身を翻した。


「まずいまずい、これ以上近寄ると先生が来ちゃう!ほんっと心配性だからね先生は、僕は何もしないってのに!」

「…魔術師様は…先生のことを、尊敬していらっしゃるんですか?」

「尊敬。いい言葉だね。でもそういう関係ではないな。僕はほら、間違いが多いから先生に導いてもらわないとすーぐ変な方向に行っちゃうんだよね」

「そうなんですか…?」


 のんびりと、食器を運んでいたコックさんが口を挟む。


「魔道具の製作に取り組み過ぎて徹夜してある日倒れたこともあったよねえ」

「いやんコックさんたら、僕の恥ずかしい秘密暴露しないで!それ以来ちゃんと規則正しく寝て食べて入浴して健康体を維持していますとも!」

「…規則正し過ぎるんだよねえ。効率しか考えてない。たまにはいっぱい食べてもいいと思うのに…」


 お腹が空いたなあ、とコックさんは悲しそうにふくよかなお腹をさする。魔術師は快活に「健康体なんだから過剰な睡眠も食事も必要ないの!」と笑い飛ばした。

 食堂の扉が大きく開け放たれる音が響く。


「便乗して物申ーす!出会いは不必要じゃない!もっといっぱい人を招きましょう、賑やかにお喋りしましょう!可愛い子はライラで十分だけど、友達はもっと多くていいと思う!」


 山羊頭のメイドさんは、一部始終話を聞いていたのか胸を張って主張をした。魔術師は笑ってそれに応じる。


「魔術協会本部、いつか行きたいね!でも今はその時ではないッ!僕にはお仕事があるからね、そうそう遠出はできないのさ!」

「そんなの嘘!やろうと思ってないだけじゃない!」


 仮面の下から轟くメイドさんの声は、異様に熱気を帯びていた。それに気付いたのか、魔術師も首を傾げて問いかける。


「どうしたんだい、何だか雲行きが怪しいね。もしもし?聞こえてる?」

「だっておかしい、こんなの、こんなに好きなのに、どうして我慢しなきゃいけないの、寂しいじゃない、もっと一緒にいたいのに、一緒に色んなところへ行ってみたいのに、どうして閉じこもってなきゃいけないの、どうして」

「おやおや、本格的に調子が悪そうだね。よしよし、先生のところへ行こうね。今ちょうど他の皆の調整をしているだろうから、すぐ良くしてもらえるよ」

「いやだ!離して!」


 めちゃくちゃに手足を動かすメイドさんに己の長髪をあちこちに引っ張られながらも、魔術師は「暴れない暴れない。人死にが出ちゃうでしょ」と宥めつつ連行していく。

 メイドさんは最後に、私の方へ山羊の仮面を向けた。


「…お願い、抱きしめて」


 細々とした声は、扉が閉ざされてすぐに消えてしまった。


「…参ったなあ、変な空気になっちゃったねえ。ケーキでも食べるかい?」

「い、いえ…今は…」

「そうだよねえ。ああ、怖いなあ」


 困ったように首を振って、豚頭のコックさんは食器を抱えて厨房へ引っ込んでいく。

 切実な懇願がしばらく耳にしがみ付いて離れなかった。




「彼女はしばらくお休みすることになったよ」


 魔術の授業前。研究室に移動してから、先生は静かな声でそう告げた。

 メイドさんは、元々最近体の調子が悪かったらしい。だからあなたは何も気にすることはない、と断言した。

 そんなはずはない。

 メイドさんの様子は、確かにおかしかった。その矛先は私だった。ずっと私に触れたいと願っていた。

 私が無関係であるなら、彼女のお見舞いにも行かせてもらえるはず。けれどそれは絶対に許してくれなかった。

 彼女が今どこにいるのか、それすら教えてもらえはしなかった。


 切り替えるように、今日は土の魔術に挑戦してみよう、と先生は杖を持ち出す。

 火は赤、水は青、風は緑、そして土は黄色の魔石が組み込まれている。

 炎を起こし、水を放出し、強風を吹かせ。組み合わせによっては熱湯にしたり、熱風にしたり。こういう原理を用いることで魔道具は成り立っている。

 「奇跡を引き起こす不思議なもの」という認識しかなかった道具の構造をちょっとずつ理解することができるのは、謎の種が明かされるようで引き込まれるものだった。


 これまでは属性ごとの杖を持ってそれぞれの物体、あるいは現象を引き起こすことから始めていたが、今回は様子が違った。

 土用の杖は、私が手に取った途端にひび割れた。


「えっ」

「…これは…」


 息つく暇もなく、ボロボロと杖は崩れ去る。ただの木屑と一つの魔石が床に落ちる。壊した。私が。慌てて残骸をかき集めて「どうしてこんなことに」「弁償しないと」と思考が乱れる中、先生は静かな声で呟いた。


「…君は本当に…天才なんだな」

「えっ」


 先生の仮面を見上げる。彼は無言で下を指差した。それに従って視線を落として息を飲む。

 全く何事もなかったのように、元通りの杖が、手の中にあった。


「げ、幻覚…?」


 白昼夢か、と疑いそうになる私に、「君が、治したんだよ。今の一瞬で」と低音が教える。まさか。先生を見上げて目を離したその一瞬で、杖が復元されたとでも言うのか。


「魔力が強過ぎて杖が耐えられなかった。生成されたこれは完全に元の品と同じ構成ではない。崩れ去った木を砂で繋いである、もっと良質な品だ。…先の件から見ても、やはり、君は土の魔術の扱いが巧みらしい」

「得意属性…ということでしょうか…?」

「そうだね。初めて触れる分類でこの上手さは流石に異常としか言えないけど…やっぱりあなたは、こんなところで燻っていて良い人材じゃない」


 また、その話か。

 押し黙る私に、先生は何か薄いものを差し出してきた。

 便箋だ。


「今朝届いた。丁度良い頃合いだ。時期は指定されていないから急がなくていいけれど、少しずつ準備しておくといい」


 裏側に記載された送り主の名は、ルズベリー伯爵。

 挨拶文の一つもない中身は、至って簡潔。

 私への、帰還命令だった。

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